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どうして障害者ってああ言う表記の仕方にされてるんですか?
なんとなく「害」っていう字が害虫の害とかそういうイメージが強くて、差別されてるみたいであまり好きではありません。
私は、「支援要者」とかの方がわかりやすいしいいと思うんですがね、、

A 回答 (8件)

私もそう思う時期がありました。


しかし,最近では語弊があるかもしれませんが,「害」と言う字に囚われているからおかしいと思うのではないでしょうか?
こういう考え方もできませんか?
運動・知覚・思考などが障害されている。
人そのものには害はないが,その人の機能が害されていると考えることができます。
要約するとある機能が障害されている人=障害者としているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
確かにそういう見方にして感がえてみればそうですね。
やっと納得いきました!

お礼日時:2017/02/05 19:46

現実から目を逸らしているんでしょう。


そして、障害の『障』だってネガティブな意味合いの文字なんだけどそこまでひらがな表記にしたら子供っぽい文面になってしまうから害だけをひらがなにしているのではないでしょうか。
アレはあれで、熟語を構成する漢字の片方が思い出せない人が書いた文章のようで見てていたたまれなくなるのですがね…。

私自身軽度ながら障害を抱えてる身です。
障害ならびに障害者という表記に不快感はありません。
体の機能不全は私の人生のれっきとした障害です。
そして、子供時代にお世話係させられた近所の知的障害児もまた私の人生のれっきとした障害でした。

言葉狩りなんてしてる暇があったら、障害者が周囲の人の人生の障害にならないよう訓練してもらいたいです。

言葉の変更なんて対症療法にもなりません。
その言葉の対象となる方を尊重する気持ちがなければどんなきれいな言葉に変えてもいずれは蔑称となりえます。
私が子供時代は蔑称として『擁護』『ヨーゴ』という表現が使われていましたし、近所にある養護学校の校名や地名もまた蔑称になっていました。
(しまいにゃ私の本名すら蔑称として使われました)

余談ですが、中国を支那と呼ぶことが問題視されてますが元々は普通にそう呼んでたのに一部が侮蔑的に使ったため蔑称として定着したそうな。

質問者様の提唱する支援要者なんてのもそういう末路になるのでは。
それに、これだと生活保護の方のほうがしっくりくるような気がします。
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質問者さんの意見に全く異論はないのですが。


言葉は変化するものなので、「難しい問題」としか言えませんし、好悪で決まるものでもないでしょう。

「要支援者」などとしたところで、いずれは「支援」と言う言葉に、ネガティブな意味が増すだけかと思います。
実際にも現時点で、「特別支援学級」などは、子供の中では「支援」と略され、色めがねで見られたりするケースがあります。

また、言葉を選べば選ぶほど、「より具体性を増す」と言う側面もあります。
かつての「ちんば」は、現在「足の不自由な人」などと言い換えられますが、障害のある部位を、名指ししている表現でもあります。

さらに、「害」を「碍」に言い換えたり、「不自由」と言う語句を用いたところで、それらも元来、ネガティブな意味を持つ語句であり、いずれは「不適切」とされる可能性があります。

ちなみに「ちんば」も、語源は故事とする説(故事成語説)もあり、そもそも悪い意味はなかった可能性がありますが、時間と共に、悪意のある差別用語となっています。

一方、キリスト教国では、教義の中に「貧しき者は幸福」「神は乗り越えられない試練は与えない」などと言う教えがあり、障害も「神が与えた祝福」とする考え方があります。
なかなか素敵な発想,表現とは思いますが・・。
真意は敬虔なクリスチャンのみ理解できるもので、キリスト教国では無い我が国では、障害者を「祝福された人」などと表現すれば、「嫌味だ!」などと言う反論も生じるでしょうし。
やはり「祝福」と言う語句に、いずれは別の意味が付加されることになるかと思います。

結局のところ、人間の思考の根底に、障害者に対するネガティブ意識(差別的な意識)がある限り、いかなる表現を用いても、時間の経過と共に、その表現が劣化する運命にあります。
忌憚なく言えば、「臭いものに蓋」で、「どう言う蓋が適切か?」と言う議論であって、根底に「臭いもの」と言う考えがある限り、「蓋」は無関係ではないでしょうか?
蓋の議論をすればするほど、「臭いもの」に感じられてしまうと言うか・・。

逆に言えば、「かたわ」「ちんば」「めくら」でも、差別意識や悪意を込めなければ、単なる区別,識別の語句であり、「靴がちんば」なんて言う表現は、現在でも残存しており、こう言う表現においては、「蓋」としての機能もありません。
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当用漢字が定められたときに当用漢字表にない「碍」の代用として発音が同じで似た意味の「害」を用いることとしたためですね。



「支援要者」では意味が違ってきますね。
障がい者であっても支援が必要ないこともあるし、支援が必要でも障がい者で無いこともある。
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「当の障害者がどういう意見か」だけが重要であって、それ以外は無意味だと思います。


「ネイティブ・アメリカン」という言葉がありますね。
この呼び方、当のインディアンは差別的として嫌っています。
結局は関係のない人達の「私は気を使っているいい人だ」アピールに過ぎないってことです。
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以前目が見えない人をメクラと言っていましたが視覚障碍者に言い方をかえました。

視覚障碍の方がいいと思いますが・・・(視覚支援要者→どう支援するので?)

しょうがいは「障礙(者)」を「障碍(障がい)」と書き、「障害」ではありません。(「障害者」という表記は、「障礙者」を常用漢字で表記するために書き換えたもので、意味の異なる「害」の字を使用することを好まない人々は、「礙」の俗字である「碍」を用いている)
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現在の表記は「障がい者」および「障碍者」です。


あなたと同じ主張で差別的であるという理由の言葉狩りによって、意味もない言葉に成り下がった結果、
元の意味を消失し、「障害者」の文字も無くならず、差別もなくなりません。
だって、元々「障害者」は「カタワ」を言葉狩りして差し替えた言葉だから。

差別語が差別を生んでいるのはなく、差別が差別語になるという理解なく、
歴史を振り返らないポリティカルコネクトレスは浸透しません。
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本当にそうですね。

(^^)

何処かしらに障害を抱えた人。
と言う意味だとは言え、害と言う文字は確かにチョット周りにも害を与えているイメージで良くないですね。
もう少し配慮的な名前が欲しいですね。

支援要者や要支援者、良いではないですか(-_^)
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