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ヒットラーよりもポル・ポトのほうがクメールルージュを率いてヒットラーよりも大虐殺 まさにキリングゾーンを実行した殺戮した人数はヒットラーよりも多いのに、

どうしてポル・ポトはヒットラーのように後世に語り継がれる悪人だと広まらなくて一部の人しか知らないのですか?

A 回答 (4件)

ヒトラーの場合はヨーロッパのほぼ全土を巻き込んだ戦争を起こしている点、自国内だけでなく他国籍のユダヤ人も殺戮した点が大きいです。


対してポル・ポトは人数こそ多いですがあくまでもカンボジア国内での限定での殺戮であった点が大きいです。

でも、世界的に見てポル・ポトの事を取り上げないのは日本の学校教育位ですけどね。
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色々あるでしょうけど、実証されてしまったドミノ理論のうち、共産化した小国(国土面積でも人口数でも)で起きた自壊にほんの少しでも興味があった国は、直接支援した中国、戦争状態になったベトナム、難民処理に困ったタイ、非同盟の連帯の行きがかりの北朝鮮(金日成だけと言っても良いかも)ぐらいが関の山です。



1.世界情勢に与えた影響が小さかった。
 ほとんどは国内で、若干ベトナムとの紛争。ベトナムと中国の紛争に発展した程度。
2.行動の異常性が解明されていない。
 文化大革命の影響、フランス共産主義の影響は見られるものの、原始共産主義に至った経緯が解明されていない。
 クメール・ルージュを破り、裁く立場にある者すべてが、その解明を望んでいない。
3.冷戦下の中ソ対立で、西側の多くは相対的に中国に付き、鎖国政策での政権内虐殺を黙認した。
 故に西側諸国はそれを追求されたくない。当時のソ連と衛生国もアジアの片隅で中国の影響下で起きたことに興味がない。

組織的な虐殺があったかどうか、スパイの摘発に名を借りた粛清はあったでしょうけど、政権奪取後の大移動とオンカー制度での旧住民の差別などが比率的には多かったのかもしれません。ロマやユダの虐殺をあえて止めなかったアドルフと、スパイ摘発の行き過ぎを留めなかったサロト・サル、似てはいますが、第三帝国の方がよりシステマテッィクであったこと、生き残ったユダがサイモン・ヴィーゼンタールのようにプロパガンダを交えて活動したことと比較して、残ったクメール人でクメール・ルージュを強固に非難宣伝できる者がいなかった(既に殺されているか、クメール・ルージュの一員もしくは協力者であった)こと等は相違点です。

下記の書籍は読まれましたか? ヘン・サムリンやフン・センはここには登場しませんが、鄧小平など、当時の中国の傍流などは軽くですが触れられています。近代カンボジア史は未解明なところも多いのです。

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%8 …

上記に挙げた国の指導者、関係者、ベトナム侵攻後の話になりますが、国連のUNHCRで動いていた緒方貞子さんの活動、アフガンで身動きが取れなくなったソ連が衛生国の支援を切り始めた状況(ベトナムはドイモイ政策に移り、レ・ズアン体制が維持できなくなり、無分別なカンボジア統治の資金面での後ろ盾を失いました)、果ては近隣国であるタイにあった難民キャンプがちらりと題材の一つにあがっている谷恒生さんのバンコク楽宮ホテルなんて小説とか、近藤紘一さんのバンコクの妻と娘という随筆なんかも時代背景を交えて考察しながら読んでみると、当時の空気感を知るうえでは役に立ちます。近藤さんの著作では「戦火と混迷の日々ー内藤泰子さんの体験を追いつつ」なんていう彼の命を縮めた結果に繋がるルポもあります。クメール・ルージュが成立する直前にシェムリアップの話なんかですと、一ノ瀬泰造さんの「地雷を踏んだらサヨウナラ」というものもあります。

私自身は近隣にいわゆるインドシナ難民が多い地域に住んでいて、帰化された方も多くあの時代に青春期を送った知り合いもいるのですが(反面、難民に紛れて定住した純粋培養されたクメール・ルージュ側とおぼしき人も何人か目にしていますが)、その時代に見聞きしたことまでは語ってくれても、同じクメール人として「何故、あのようなことが起きたのか」はなかなか語ってくれません。「分からない」ではなく「クメール人にしか理解できない摂理」のような感覚のようで、あんな暴虐をしつくしたクメール・ルージュの指導者層も普通のクメール人からすれば、「何だかんだ言っても王宮、王室に通じるところがあるエリート層、つまりは偉い人」なのです。ちょっと説明は難しいのですが、私が理解説明できるのは、ここ止まりです。偉い人という感覚はもしかしたら、スーリヤヴァルマン2世の治世の時代まで遡って考えなければならないのかもしれません。
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ヒトラーの方が先進国の敵国が多かったからでしょうね。


広める人数が多かったのと、広める手段があったということかな。
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実際に最近キリングフィールドとS21に行ってきました。


No1さんの回答されたように学校教育の問題だと思いますね。
ヒトラーの場合第二次世界大戦中であり、日独伊三国同盟を組んだ国の人物で、日本にも深く関わりのある人だからピックアップされたのだと思います。(ポルポトもたまたまそこに居合わせた日本人やアメリカ人、フランス人などの外国人も虐殺しましたが)。
ですが、日本にとって直接関わりのないことであったため日本の教育には取り入れてないのだと思います。
私個人的にはヒトラーやポルポト、毛沢東など大虐殺を実行した人物をもっとピックアップし、後世に伝えていくべきだと思いますね。
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