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聖書を読むとイエスが言った言葉とパウロの考えが違うので、理解に苦しむ。例えばイエスは原罪などには触れていないのに、いきなりパウロは原罪論を持ち出して来るし、イエスの死の意味も苦し紛れに考え出したとしか思えない。イエスの言葉は信じられるが、パウロの言葉は信じられない。聖書を読んでいるといつも、この矛盾から抜け出せない。誰かどう理解していいのか、教えて下さい。

A 回答 (2件)

パウロは元々ユダヤ教徒、回心してキリスト教徒になり、伝道者になったという経緯がヒントかも知れません。

また、12使徒とは違い、生きているときのイエスには直接会っていないので、間接的な解釈となります。

そういう意味では、いろいろな宗派があるのも、解釈に違う点があるのもどこに教えの本質を求めるかによっても、解釈が違っても不思議ではない、あなたが何を信じても、感銘を受けても、それが一番大事なことかも知れないと思います。

旧約聖書の内容と新約聖書で書かれている内容をどう解釈するかが違って当然でしょうし、遡るとユダヤ教とイスラム教などにも共通する部分が出てきたりするもの、聖地はエルサレムであるのも共通点なのですが、かなり違う考えの部分も多い、矛盾があって当然だと思います。

私はどこが違うのか、それを説明するつもりではない、むしろ、それなりに一人ひとりが聖書などを解釈するのに無理に意味を押し付けることが不自然に思う、いろいろな事が書いてあっても、すべて守る必要がないと思いますし、信仰として許される範囲ならば、自由な部分があることが大事だと思います。

意味を解釈する、それこそ、世界共通の考えなどないでしょうし、矛盾していることをどう理解し、そういう考えもあるのだ、そういう考えの信者もいるのだという程度にする方が精神的にも楽だと思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうこざいました。これからはもう少し気楽に聖書を読んでいきたいと思います。

お礼日時:2017/04/02 17:10

イエスとパウロの考えに対して自分の感情を入れてはいけません。

理解できないのはまだあなたに足りない部分があるからです。まずは信じる事、愛する事
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