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現代文の問題を解けず詰まっています...どなたか解答例を示していただけませんか...??

未開社会は国家なき社会である。それ自体誤りではないこの事実判断は、本当はある臆見、厳密な学としての政治人類学を構築する可能性を制約するA(ひとつの価値判断を裏に隠している。)実際に表明されていることは、あらゆる社会ー我々の社会もその一例だーと同じく、未開社会にも必須のはずであるもの、すなわち、国家を、未開社会はもっていないということなのだ。したがってこうした社会は不完全である。それは十分なかたちで真の社会ではなくー恐らくはひとつの欠如ーすなわち国家の欠如ーの苦渋にみちた経験から抜け出すことなく、欠如を埋めようと試みながら果たしえずにいるのだ。旅行者の見聞録や研究者の著作がはっきりとあるいはあいまいに述べているのもそのことに他ならない。すなわち国家なき社会は考えられぬものであり、国家はあらゆる社会の命運なのだ、こうした思考の道筋には、多くの場合無意識なだけ一層強固な自民族中心主義の発想が根を下ろしているのを見ることができる。自然な反応としての直接な参照枠は、もっともよく知られたものではないしにしても、もっとも慣れ親しんだものなのだ。事実われわれの裡には、信仰を持つ者のように内面化された確信、社会は国家のためにあるという確信がある。だとすれば、未開社会の存続そのこと自体、普遍的人類史の売れ残り商品とは言わぬにせよ、他の全ての地域で既に乗り越えられた遠い歴史段階の時代錯誤の残存と考える以外にはない。そこには、先の確信を補う確信、歴史は一方向に進むものであり、あらゆる社会は、野蛮状態から文明へと導くこの歴史に参入するように強いられているという確信、すなわち自民族中心主義の発想のもうひとつの相貌を認めることが出来る。「政治的に統治される社会も全て、かつては野蛮状態にあった」とレーナルも記している。しかし自明の進化を進化として確認することは、そのまま文明状態を「国家」の文明に恣意的に結びつけ、後者をあらゆる社会の必然的な到達点と指定する学説の基礎を与えることにはならない。だとすれば、未だに野蛮なままにある人々をそうした場にとどめているものは何か、という問いを立てることが可能なのだ。
B(今日日的な定式化)の裏には、実は古い進化主義が手付かずのままにある。もはやかつてのように哲学の言語ではなく人類学の言語に韜晦するという、より巧妙なかたちになっているものの、この古い進化主義は、科学的たらんとする概念範疇の辺縁に揺曳している。ほとんどの場合、古代的社会が否定的に種々の欠如によって規定されていることは、既に人々も気づいている。すなわち、国家なき社会、無文字社会、歴史なき社会。こうした社会を経済の面で規定する生存経済という規定も、同じレベルで現れてくる。この表現が、未開社会は余剰生産物の流通する市場を知らない、ということを示すために用いられるのであれば、それは全くなんの意味も成さず、さらにもう一つの欠如を数え上げているに過ぎない。それも相変わらずわれわれ自身の社会を参照枠として。つまり、国家なき、無文字の、歴史なき社会は、また市場なき社会だというのだ、しかし、と良識は異議を唱えるだろう。余剰がないなら市場が一体なんの役に立とうか、と。だが、生存経済という着想そのものに次のような断定が暗黙のうちに含まれている。未開社会が余剰を生み出さないのは、生き残り生存するために必要な最低限を生産するのに精一杯で、余剰を生み出す能力がないからなのだ。野蛮人のみじめな生活という古くそして効果のあるイマージュ。さらに、未開社会が、その日暮らしの足踏み状態、食物の探索という変わりようのない疎外状態から抜け出る能力を欠くことを説明するために、技術装備の不足、技術水準の引くさということがもちだされる。
現実は一体どうなのか。技術ということで、自然の絶対的支配ということではなく、周囲の自然を人間の必要にふさわしい形でわがものとするために、人間が自ら生み出した手法の全体をさすとすれば、未開社会の技術的劣位ということを云々することはもはやできない。これらの社会も工業化した技術社会が誇りにしているのと少なくとも同程度には、必要を満足する能力を持っている。言いかえれば、あらゆる人間集団は、自らが占める環境の必要最低限度の支配をするところまでは達せずにはいられないのだ。現在まで、外部からの拘束あるいは暴力なしで、自ら支配しえぬ自然空間に構築された社会はひとつとして見当たらない。エスキモーやオーストラリア人において目をみはるべきことは、まさに技術活動の豊かさ、想像力、繊細さ、そして、これらの人々が用いる道具が例証するとおりの厳格さが、ひとつひとつのささやかな道具をほとんど芸術作品たらしめているということがわかる。つまり、技術の領域には優劣の秩序は存在しないのだ。高等技術も、下等技術もありはしない。技術的装備を図る尺度は、与えられた環境において、その社会の必要をどこまで満足するかということ以外にはない。そして、この点から見れば、未開社会は、こうした目的を実現する手段を作り出す能力を欠いているということは全くない。
(出典 ピエール・クラストル『国家に抗する社会』)

問1 傍線部Aとあるが、ここで指摘されている「価値判断」の内容を、具体的に説明せよ。
問2 傍線部Bとあるが、経済的側面から見た未開社会の「定式化」の内容を、説明せよ。
問3 筆者は「未開社会」をどのような社会だと考えているか。百字以内で説明せよ。

A 回答 (4件)

1.


その冒頭1~2行のよく判らない話は、その後に筆者によって解説されるはずです。
だって、それは一つの要約なのですから。
で、「裏に隠していること」に対して、「実際に表明されること」とくるのですから、ここでは無いよな、ということになるでしょうね。
そこの実例や説明は、全部対象外。

で、翻訳だからなのか、非常に読みにくい文章です。悪文だと思います。
しかし、西洋人(?)の書く物には規則性が強いらしいです。(そうトレーニングされる)
英文がそうであるように、接続詞を見ろ、ということになるでしょう。
ここでは、「すなわち」がそれで、それ以下が主題でしょう。
すると、その後に、無意識に制約するような事例が見られますし、こういう学説の考え方はおかしい、という記述も見られます。
こうまとめてみました。
「国家なき社会は考えられないもので、国家はあらゆる社会の命運であり、社会は国家のために存在する。」

2.
この筆者は、「裏に隠した価値判断」や「今日的な定式化の裏」のように(根拠の無い)「決めつけ」を否定しているわけです。
経済面では、「生存経済」という言葉で代表される着想は、間違いだ、ということでしょう。
従って、「生存経済」を説明した文が答えでしょう。
私はこうまとめます。
「未開社会は余剰生産物を生む能力が無いから生まず、市場も存在しない」

3.
間違った考え方について書き連ねた後、
特に
「食物の探索という変わりようのない疎外状態から抜け出る能力を欠くことを説明するために、技術装備の不足、技術水準の引くさということがもちだされる。」
に対して、
「現実は一体どうなのか。」とありますから、前者は間違いで後者が現実だ、ということでしょう。
ただ、次の行は、私は「誤訳」と考えます。文章になってない。
翻訳者か出題者を、甘やかそうとは思いません。
それでも取り敢えず問題ないのは、その文が結論では無いから。

「工業化した技術社会が誇りにしているのと少なくとも同程度には、必要を満足する能力を持っている。言いかえれば、あらゆる人間集団は、自らが占める環境の必要最低限度の支配をするところまでは達せずにはいられないのだ。」

「技術的装備を図る尺度は、与えられた環境において、その社会の必要をどこまで満足するかということ以外にはない。そして、この点から見れば、未開社会は、こうした目的を実現する手段を作り出す能力を欠いているということは全くない。」

上記は経済や市場に対して、それを支える技術についての論評なのでしょう。
これも含めます。
国家無き社会だったことは筆者も認めている。
しかし、国家無き社会は存在しないことにしたり、その日暮らしで精一杯だったりということは到底肯定できないよ、ということでしょう。
市場があったとは書いていない、技術は、必要を満足する能力は持ち合わせていた、技術力不足が市場が無い原因では無い。
「国家は無いが社会はあり、先進社会に対して優劣付けられない工芸技術があり、決してその日暮らしで惨めで進歩が無い社会では無く、自然をそれなりに利用する技術もあり、必要なことは満たされていた。」

何だかもうちょっと上手く書けそうな気がしますが、それはどなたかに任せます。
たぶん私は河合記述で偏差値60弱くらいでしょうから、私の解答はあてにならないでしょうし。

で、センター試験過去問で(明らかに難しい年は除いても良いのかもしれませんが)、楽に安定して8割取れない場合は、基礎学力0のまぐれ当たりという意味です。
その場合、出口の好きになる現代文などで、文章の読み方や基礎的な解法を仕込む必要があります。もしあなたがそうなら、ですが。
たぶん同じ問題は出ませんから、解答は大して重要では無いのです。
解答できるようになる方法が重要ですし、それをあなたがこなすことがもっと重要なのです。
解答できる力が身に付けば、解答は要らないのです。ある意味で。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただきありがとうございました(><)
とてもわかりやすくて参考になりました...!
僕はセンター過去問では7.5-8割程度はいつも取れているのですが、二次試験のような記述式となるとてんでダメで、あまり点が取れなくなってしまいます...。
多分まだ解法が身に付き切ってはいないと思うので、これから付けていこうと思います。

お礼日時:2017/06/25 20:48

せっかく打ち込んだんで、


筆者が否定している、典型的な誤解、としている箇所と、
筆者が肯定している、事実、実態、が書かれている箇所と、
分けてみると良いでしょう。

なお、その原文は、たぶん優秀な人が書いたらもっと判りやすい文章になるはずです。
私がもうちょっと賢くて文章が上手ければ、全文書き直して、ふざけるな、と書いて提出するでしょう。
これがレポートならあんた方良い点付けるのか、って。
おそらく、訳もダメだけれど原文もダメなんだろうと思います。
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模範解答ではない、ということは踏まえてほしい。



問3
必要に応じて周囲の自然環境 を手なづけることに成功している社会
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問1


国家は必須である、ということ

問2
余剰を持たないので市場を持たない、ということ
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この回答へのお礼

ありがとうございました、参考にさせていただきましたm(_ _)m

お礼日時:2017/06/25 20:45

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