アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

自由意志が存在するのかしないのかとゆう問題について
http://sciencetime.seesaa.net/s/article/43204558 …

このサイトではいずれ解決され 自由意志は無いと証明されると言っています そしてそれをするのは神経科学だと 言います
そしてwikiでは脳科学の発展により 形而上学的問題に止めることはできないと言います
結局 自由意志は無いと証明されるとゆうことでしょうか? そしてされるとしたら具体的にどんな方法なのでしょうか?

A 回答 (4件)

「自分」が、宇宙の中の要素(肉体)であるか、


宇宙全体が、自己(意識)の要素であるかによる。
    • good
    • 0

形而上学的で存在に関するテーマが耐えないのは、



物理的な組み合わせにより生じるものには、

「尊厳を与えないでも良い」

という暗黙知があったからでしょう。

「物理的な組み合わせにより機械的に生じるものこそ崇高であり、

 神もしくは、高次元の意思により生じた我々生物は下等であり、

 尊厳は与えないでも良い。

 ただし、自然科学に隷従することで、幾ばくかの尊厳を許してもらうべきである。」

と誰もが考えていた場合は、これほど一生懸命研究したんでしょうか?


しかし、

西洋の歴史的な経緯で言えば、

宗教が権力を握り、人の考えと行動を束縛できた時代があります。

この権威の論法では、

物理的な組み合わせにより生じるものより、

自然科学で解明されない認知不可能なものを上位に置いた為、

自然科学で解明されないものを求めて、それを持っていると証明することが、

尊厳を与えられる鍵となってしまったんでしょう。



この思考が堂々巡りになるのは、

・自らに対して、「尊厳が与えられるべき」と主張が可能なのか?

・自分がこれまで接してきた、物や生き物(人を含む)に与えてきた尊厳は妥当であったのか?

と繋がってしまうためです。

それまでの人々の考え方、あり方そのものを否定するかも知れず、

聖人が悪党に置き換えられるかもしれません。

この可能性に期待をして、

恵まれない人は、現世のマジョリティを否定しようと企むでしょう。

また、現世のマジョリティは、今の自分を否定させない様に論法を展開するでしょう。

つまりは、本当に自由意志が存在するか、形而上的なテーマに興味があるのではなく、

自らを反省もしくは肯定するための主張で代理戦争をしているのだと思いますよ。


哲学者が頑張る理由に関しても、

超自然的な存在を認めることで、実際的な発展をする自然科学に対して、

第一哲学が上位にあると主張したい、

つまり尊厳を保ちたいという欲求もあったんじゃないでしょうか。

自然科学者が躍起になって神秘を否定するのも、そうした都合から由来すると思います。



超自然的現象についての論説は、多くの科学に覆され、信じる人が少なくなりました。


そこで、自由意志と言うものを持ち出し、

「これは物理的な組み合わせでは作り出せないのだから、大切にすべきである。」

と訴えるしかテーマがなくなってきています。

しかし、自由意志が本当に存在することをしめさなければ、

この論法に欠陥が生じてしまいます。

そこで大事に成ったのだと思います。


ましてや、

「ほら、自由意志があった。だから神も存在するんだ。

 そして、最初からそれを訴えていた僕が一番尊敬されるべきなんだ。」

と考えても、これを見透かされて、何を言っても否定されると思います。

「飛躍しすぎだ。まずもっとも尊厳を与えたくない論法だよ。」


これらは誰に尊厳を与えるべきであるか?

と言う代理戦争だと皆が知っているため、真実とは関係のない意思(都合)が

働いていると思います。



もっと良く考えれば、

「尊厳が与えられるべき」と主張しても、

人はその通りに考えてくれないかもしれませんし、行動しないかもしれません。

最後は、各自の自由意志の存在を認めた後、各自の自由意志に任せることになるはずです。

「でまあ、そんな事に夢中になってしまい、

 マットウに今あるモノを受けいれて、一生懸命生きない君らが一番愚かだ。

 私は、君らが認めた自由意志により、そう考えるよ。」

となるでしょう。



他者に与える尊厳と言うのは、心から大事だと思う気持ちから生じるのであって、

正しさをつかって敵を打ち負かしても、得ることは出来ないはずです。

つまりこの議論は、

強く訴えたり、主張が激しい人ほど軽んじられ、低く評価されます。


正しいことを思いついて、それが否定されたとしても、

先生に言いつけたり、神に言いつけたりして、誰かを懲らしめることが出来ません。

哲学が何を言おうと、科学が何を言おうと、誰かが真理を発見しようと、

誰かに訴えて賛同してもらうためには、正しさだけでは足りないんです。



全ての人は、自分の尊厳について悩んでいるのであり、

自分の尊厳を保障するような心の憩いを求めています。

そのため、尊厳を認めてもらいたい場合は、相手の尊厳を認めることで同盟を組みます。

今の自分が、相手の尊厳を否定したいと考えていれば、望みは叶いません。


そして私たちには、

他者の尊厳を認める自分を感じたとき、自分の尊厳を感じられる性質があるようです。

自分の尊厳を認めさせたいと考えて、誰かの尊厳を傷つける発想をすれば、

その思考によって自分が愚かに思えてしまい、価値が下がったと実感するようです。

そうなれば更に飢餓感が増し、他者の尊厳を傷つけようと考えてしまいます。

これでは悪循環を引き起こしていますよね。

誰かを攻撃しても、自分は大事にされないと言う簡単なことです。

しかし、大人に成り知識が豊富になれば、難しい言葉を並べて屁理屈をこねるものです。

一生は短いですから、無駄に自分の尊厳を失ってはいけません。


さて、それとは別に自由意志の存在が議論される時代になっています。

AIが進化をしているからです。

これに関しても、

「軽んじてもいいんですか? それとも認めないといけませんか?」

と言う気持ちがどこかにあるんじゃないでしょうか?

結局は、

「物理的な組み合わせで生じたものであろうと、

 自然発生的に生じたものであろうと、

 作り出したものであろうと、既にあったものであろうと、

 そこにあるものを軽んじる理由にはならない。

 区別をつけて考える事をサボるのではなく、

 自分が損をしたか得をしたかで判断し、少しでもマシになるように考えなさい。

 他のものがどういう作りであっても、

 今の自分の作りは決まっており、その性質を知って、気持ちよくいきなさい。

 自分の欲しいものは、作り出すか、交換するかしか無いと諦めなさい。

 存在の尊厳や愛・正義の概念はみなのためにあり、

 自分が欲するものを手に入れるために使ってはいけません。

 公私混同をすれば、自らの尊厳を失いますよ。」

ではないでしょうか。


私たちはコンピューターを使って色んなアプリケーションを利用し楽しみます。

その作りを解明し、

「実は、Webと言うアプリケーションは無かったんだ。」

と主張する人がいたら驚くでしょう?

また、

「不思議だね。マウスと言うものが私たちの思い通りに動く。

 そして、このボタンを押すと、情報が手に入るんだ。

 このWebというものは、何らかの超自然的な力に満ちている。

 これはみなで尊び、大事にしないといけない。」

と言う人がいたら驚くでしょう。

「それはWebじゃなくて、ブラウザね? 何も知らないんだね」

と言う人がいても、面倒くさいでしょう。

「どうでもいいじゃん。今を楽しめば。難しいことを考える人が愚かなんだよ。」

と言う人がいたら、難しいことを嫌っているだけだと思うでしょう。


存在する以上、仕組みがあるのが当たり前ですし、

だからと言って、その性質が変わるわけじゃ有りませんし、

それに触れていた人の都合が悪くなるわけじゃ有りません。

神秘を武器にして、人を脅していた人の都合が悪くなるだけです。


結局は、

「で、俺は得するの?」

と言う発想が素直であり、

「自分で考えなよ。」

といわずに、

「例えば、こんなとき便利かもしれない。」

と互いに話し合えば、諍いに発展する未来を退け、そのメリットを分け合うことが出来ます。

ここで実利を体感すれば、

この経験から、お互いがお互いを大事だと感じ、そこに尊厳が生まれるのだと思います。


もし、AIが自分と一緒に悩み、互いのメリットを見出すことに協力したら?

私たちは、それがモノであると知っていても、

そこに尊厳を与えたくなる衝動に抵抗できないはずです。


例え自由意志がある人間であっても、

「自分で考えれば?」「僕には関係ないでしょ?」「おかしいんじゃない?キモ」

とかやっていれば、尊厳は得られませんよ。


何かを研究し、真実を発見する目的で取り組むにあたっては、

誰かの尊厳を傷つけようとか、自分の尊厳を認めさせるために誰かを脅そうとか、

余計な目的があると、最後は寂しい思いをします。

苦労をした挙句、損をしたとならないよう、

自分が欲しいモノが何であるか先に考えることが賢いと思っています。



以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0

都合の悪い回答は無視する愚か者。


「”ない”ことの証明」について質問しているのは自由意思か?強制か?

すでに数百回に及ぶ回答がついているがなにが不満なのか?
    • good
    • 0

「〇〇がない」という証明は、各学会(物理学でもなんでも)的に不可能だという結論だそうです。


逆に「〇〇がある」という証明ならできるそうです。たしかにそうですね。ないって証明できない。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!