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構造改革が盛んに叫ばれていますが、実際に明確な将来の日本のあり方というようなビジョンがあまり浮かびませんし、改革する側にも無いような気がします。その原因の一端として、国民の望む理想の国の形、がよく解っていないことがあるのだと思います。このことを考えるために、まずは日本における国家の役割を明確にしたいです。みなさんは国家に対して何を望みますか?

A 回答 (6件)

 「少しでも日本を良くするには」という気持ちが質問から感じられ、嬉しくなりお邪魔いたしました。


 
 政治家も国民も、それぞれが「この国には何が必要か。自分には何ができるか。」を考えていく必要があると思います。

>国家に対して何を望みますか?
 こういう質問を誰かにされた時、個人の損得で「こうして欲しい」というのではなく、「国のためひいては子孫のために」と考えて答えられるようになりたいものですね。

 質問に対する私の意見としては「正直者が馬鹿をみる世の中」にならないようにして欲しいということです。
 そしてこれは、国だけが行うのでなく、我々国民の側も意識し実行していかなければならないことと思います。
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経済自立、防衛自立・国民皆兵、希望と夢、フェアーな仕組み、環境保全、疾病からの保全、治安維持、災害防護、所得水準の向上、物価の安定

、言論の自由と義務、健全財政、自由な投融資、小さな政府
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イデアの世界へようこそ。



1.失業率0%(2から5のために)
2.突然殺される、盗まれる不安がない。(治安、平和)
3.毎日、衣食住に困らない。(保険) 
4.明日に対する不安がない。(老後、医療)
5.人権を無視された人が存在しない。

難しいですね。
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 限定的かつ受動的イメージが強い「役割」を、無限的かつ能動的イメージが強い「使命」に置き換えて回答させてください。



小生が思う「国家の使命」「国家に望むこと」

1.自国民の「生命・生活環境・英知・財産・活動・思想」を「尊厳し・保証し・支援し・育む」。

2.国民が、この国に生まれて(この国で生活して)良かった、、、他の国でよりも良かった、と確信できる「要素・施策」の供与。

3.地球レベルでの「絶対的な意味での貢献」。
(列強諸国の圧力に屈せず。先進諸国への同調見栄にとらわれず。非努力・理不尽な低級国のオネダリに応じず。)

4.一般国民が相対的に不得手な分野もしくは見落としやすい分野(例えば、防衛・規制・マスコミ・司法・立法・行政・警察・インフラ・原子力)への、総合的かつ信憑性の高い「示唆・情報の提供と解析・正しい誘導勧奨」の実施。

5.国民の「夢」のうち、「プライオリティ(優先度)」の高いものを、5年間で1つの割合で、着々と実現させていく。(夢もプライオリティもすべて国民投票で。もしくは、小泉内閣メールマガジンアンケートで=100万人で充分)

余談をひとつ。
小生、実は、遠い遠い将来(=200年後ぐらい)には、地球国1国に、すなわち日・中・米・英・・・とかの国家区分を無くし、地球レベルでの厚生・富強・相互協力・交流・分業をしていくことを願っています。極端な貧富の差・戦争・手の届かない不可抗力・・・が激減するはずです。

見届けたいけど、平均寿命まであと30年しか・・・・・。でも、この間、いろんなことで頑張っていきます。            以上です
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日本を変えて行くのにまず必要なのは、(いい意味での)エリート意識です。


日本の官僚にはこれが最近ほとんど無くなってしまい、それが官僚の腐敗につながっています。
その原因は言うまでも無く週刊誌などの無責任な記事なわけで、そこらの記者たちと、あんなものを喜んで読むオバタリアンをどうにかすべきと思います。

以上、駄文ですが、参考に…ならないか。
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国家とは、民主主義国家である限りにおいて、


国民主体であらねばなりません。
したがって、政治家に構造改革を「やってもらう」時点で、
現在の日本における民主主義は瓦解しているといえます。
一人の「変人」に頼らなければ行けない、というこの現状は、
小泉首相と同じようなアジテーターであれば、
誰でも簡単に独裁者になれる、ということを如実にあらわしています。
もし近未来に、日本の景気がもっと悪く、
構造改革に対して国会で野党が反対しているような状況があれば、
「痛みを伴う、かつ早急なる構造改革のため」と称して
議会の停止をしても国民はむしろ、それを支持してしまうかもしれません。
支持率80%というのは、むしろ健全な数値ではありません。
歴史的に見て、一時的なものでなく継続的に支持率の高かった人物というのは、
第2次大戦前のドイツやイタリアなど、ろくなことがありません。

したがって、「国家に対して望む」という考え方が、
私にとっては深刻な責任逃れであるように感じます。

衆議院、参議院、都道府県知事、都道府県議会、その他、
「選挙」という形で、我々には我々の主張をぶつける機会があります。

また、「IT化」によって、メールなどという形で、直接政治家に
メールを送ることができるようにもなってきています。
ワイドショーなどを見ながら、「小泉がんばれ」だけでは、
結局、首相が変われば元の木阿弥です。
組織というものは運用する人間によって質が代わり、
それは国家においても例外ではありません。
したがって、一部の「変人」だけに期待するのではなく、
その他に大勢いる官僚、国会議員などの意識改革が望まれるべきです。
そして、そのためには彼らに骨身にしみてもらう必要があります。

たとえば、公約を守れなかった政治家が、「地盤」だけで
再選してしまうようなことを極力なくすべきですし、
近年の情報公開の波に乗って、各官庁の決算などの
情報を開示してもらい、インターネットなどで国民単位で
議論するなど、まだまだ我々国民の立場からやれることはあるはずですし、
またこれからのネットの普及でもっとそれは増えていくでしょう。

だいたい、国家が無くても人間はどうにか生活していくことはできるでしょうが、
国民が一人もいなければ、国家は成り立たないでしょう。
国民とは、国家よりも上位にあるべきなのです。

したがって、将来のビジョンだとか、国の形などは、
国家に対して望むのではなく、我々自分自身のこととして
主体的に考えていく必要があるのではないでしょうか?

この回答への補足

質問の仕方が悪かったようです。僕は国家と国民は対等の関係であると思っています。

>将来のビジョンだとか、国の形などは、
>国家に対して望むのではなく、我々自分自身のこととして
>主体的に考えていく必要があるのではないでしょうか?

まさにその通りだと思います。しかしながら、政府もさるところながら、我々にも具体的なビジョンが欠けているのだと思います。少なくとも僕にはこの先どうなるのか、またどうするべきなのかわかりません。
 そこで、将来的なビジョンを模索する手段として、国家の役割を考えて見ようと思ったわけです。受け身ではなく能動的であることを理解していただければさいわいです。

補足日時:2001/07/03 02:18
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