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国立大学理系の4年生の者です。
僕は管弦楽などを用いた劇伴音楽の作曲を志しています。(クラシックの作曲にも興味があります)
作曲自体は高一の時からずっとやりたいと思っていたのですが、色々あって叶わず、8年越しにやり始めました。
劇伴では、久石譲やアランメンケン、澤井さん(進撃の巨人)、などが好きです。

といっても、始めたばかりでは何も分からないので、「石の上にも10年」をモットーとして、
①再来年大学院へ行き(今年留年予定です)
②卒業後はフレックスタイム制の仕事に就く(金融会社の理系部門、研究職など)
③毎日6時間10年間、作曲関連の修行・活動を続ける。
という基本計画を立てています。この計画の軸は③で、②と①は生活リズム、人と関わる居場所(と収入)を確保し、廃人にならないための手段です。(学校に通うようなもの)

そうやって音楽を学ぶ中で、

劇伴作曲家になるのに具体的に何をすればいいか、は一旦横に置いておいて、
それとは別に懸念することがあります。

それは、
「モラトリアムを全くもってちゃんと過ごせなかったこと」です。やる気や
色々あって学生時代をことごとく棒に振ってしまい、教養・見識が狭く、浅く、学生時代の思い出など一切ないままここまで来てしまいました。友達といえる人も一人もいません。(アダルトチルドレン的なところがあると思います)

そういった「人生の下地」があまりに乏しい人間が、作曲出来るのかと思うことがあります。

作曲に限らないことですが、
豊かな感性・知性をつけ、成功する人間になるには、
学生時代にいかに、「自分の感性や能力を磨く」「子供の時しかできない経験をする」「青春する」ことを全うできたかに依存する、とよく言います。
特に作曲の場合、それが大きい気がします。作曲という行為は基本的に「情緒の発露」だと思うので、落ち着いて腰据えて取り組むには、ある程度の「優雅な精神性」「精神的余裕」「教養、知性」「元気」が必要だと思います。

ですから、そのために僕はこれから、
モラトリアム期間にやり損ねた
「色んな人と一緒に何かをやる喜び」
「好きな事を追求して想い想いに感性・能力を伸ばす」
「同年代の好きな仲間との交流」
「身体を動かしたり趣味をする」
といったことを通し、「教養・見識を広め」「情緒を育み」「青春する」ことが必要なのではないかと思うのです。

でも、学生時代が終わってからこういうことをするのは、かなり難しいように思いました。(休学したときにやろうと思いましたが、出来ませんでした)

この懸念について解消するビジョンが見えず、悶々としています。どう考えて行動すれば良いでしょう?

ご回答よろしくお願いします。



以下のようなご回答はご遠慮ください。

・作曲家などやめた方がいい
→目指すべきか目指さないべきかの質問ではありません故。

・不可能だからやめろ
→安易にこのような決めつける人は信用できません。

・「本当に作曲をやりたいと思うなら今の時点で相当なものが出来てないとおかしい」
→人の事情も知らずにこんな陳腐な常套句を並べて人の志を否定するのは、とにかく作曲をやめさせたくて足を引っ張っろうという卑劣な魂胆の裏返しです。

・厳しさではなく、ルサンチマン的感情のはけ口として、人の揚げ足を取るような回答。

・生産的な助言もなしに好き勝手説教を垂れて自己満足するような回答。

・「ニートになればいい」といった、投げやりなイタズラ回答。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。

    僕自身は悲壮感に浸ることを望んでいないし、それを音楽にしたいとも思いません。心地の良い悲壮ならば良いですが、あたふた上手くいかず、なんの情緒も深みもない悲惨さなので、意味を感じません。同じ悲壮感でも、戦争によって経験したものと引きこもりによって感じたものでは、前者は意味があっても、後者はただ空っぽなだけです。
    モラトリアムをちゃんと過ごせなかったなら、学生時代が終わってからも(環境こそ変われど)モラトリアムが続いていくだけです。そのロスタイム的モラトリアムの中で、能力を伸ばし、個性を伸ばし、仲間を作り、のびのびとやりたいことをやって青春し、アイデンティティを確立し、自分の道を見極めていく。これらを達成するまでは続くと思います。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/08/16 13:37

A 回答 (2件)

貴方の悩みは漠然としているように感じます。



「教養・見識を広め」「情緒を育み」「青春する」
と言われていますが、「教養・知見を広める」のは具体的に自身が意識して「出来ること」ですが、「情緒を育んだり、青春をする」というのは自分が意識して出来ることでは有りません。
これは貴方が、若者はこう有るべきだ、と思う「陳腐な常套句」を並べているように思われます。

また、
「色んな人と一緒に何かをやる喜び」
「好きな事を追求して想い想いに感性・能力を伸ばす」
「同年代の好きな仲間との交流」
「身体を動かしたり趣味をする」
を学生時代出ないとハードルが高い、という考えも、貴方は何歳まで生きるつもりですか?
人の生涯は学生時代の何倍も有るのに、上記のようなことを避けて生きられると思いますか?

貴方が今考えるべきことは、何故自分がネガティブな思考になっているのか、であって、先ずは「出来ることから実践する」ことから始められたら如何でしょう?

また、1つの考え方として「感性・能力を伸ばすために好きなことをする」のではなく、好きなことをしていると自然に感性や能力が伸びるのです。

身体を動かしたり、趣味をする、ことはすぐにでも始められますよ!
先ずは一杯ある、出来ることを1つ始めてみませんか?
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劇伴作曲家のことについて全くの無知なのですが、回答失礼します。


質問者様は、学生時代に仲間をつくったり楽しい思い出を残すことができなかったと悔やんでおられますが、
逆にキラキラ輝く学生時代を送った人には絶対に分からない虚無感をあなたは持っています。
もしかしたら、あなたは青春の煌めきを感じられる曲を書けないかもしれませんが、
高校生の頃からやりたかったことができず、虚しい思いを何年も持ち続けてきたのですよね。
その悲愴な虚しさを曲にできるのではないでしょうか。
同じような感情を持った人に響く音楽が創れるのではないでしょうか。
「芸術家はこうあるべき」という概念を一度捨ててみてはどうですか。
自由な家庭環境でのびのびと育ち、人の心に響く作品を生み出す作家もいれば、全く逆の環境で育ち、その悲しみを作品に落とし込む作家もいます。
順調に人生を歩んだエリートの気持ちは分からないかもしれませんが、今の自分に納得できないという人の気持ちは、あなたならよく分かるんじゃないでしょうか。
そんな人たちのために曲を書いてみてはどうですか。あなたは何も持っていないのではありません。
この回答への補足あり
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