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「正論」を辞書で引いてみると、「道理にかなう理論・主張のこと」とあります。

また、「道理」を辞書で引きますと、「物事の正しい道筋・人として行うべき正しい道」
とあります。

「道理」とは哲学・思想のことになります。現代においてはこの部分は混とんとしていると
言っていいと思います。
もはや、真摯な議論など成り立たないほどに。

となりますと、「正論」とは何か?ということになり、牽強付会(こじつけ)、詭弁との区別
がつかなくなるだろうと、いや、なっているだろうと思います。

1、現代において「正論」とはなんでしょうか?

2、その根拠となる「倫理」「道徳」をどう考えたらよいと思いますか?

A 回答 (14件中1~10件)

>私も最近はどうも集中力がないというか、気持ちが荒んでいるというか、雑になっていました。



まあ無理しないでください。私も今の仕事がひと段落したら、一度は質問してみようと思っています。
昔経験がありますが、質問をやると体力と気力を予想以上に使って、大変なんだろうと思います。あの時は、超重量級の回答ばかり来て、楽しいものもありましたが、困り果てたものもありました。ものすごく時間がかかる作業を事も無げに要求された時は特に。
断ればいいんですが、断れないキャラだったんですね。
それに匿名サイトというものが、どういうものかが全くわかっていなかったのでもありました。
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この回答へのお礼

保身・慢心即ち、「老人」ですね。もちろん年齢のことではありません。

90歳の現役バリバリの会社社長もいれば、20代で「後輩に仕事を教えない」
なんていうサラリーマンもいます。

青年と老人の違いの一つは「社会のためになるかどうか」を意識しているか
いないかだと思います。
自分のやっていることに意味があるのかどうかを、真摯に考えることのでき
る人が「青年」だと思います。

知り合いに大学の教授がいるのですが、彼の研究の話を聞いて、「面白かった」
といった時に、「役に立ちますか?」と言い返されたことがありました。

また、別の博士は、結構著名な方なのですがある講演で「自分のしていることは
役に立っているのか」と常に自問しているということを教えてくれました。

>学問もこんな風に、既成の枠をぶっ壊し、人間に奉仕しようではないか、なん
て檄を飛ばす人もいます

こういう気風が残っていることは誠に頼もしい限りです。
私もそうした精神を失わないように頑張ってゆきたいです。

お礼日時:2017/09/01 11:38

>実は私はこのサイトの参加理由の第一は、リアルのシミュレーションということになります。



いろいろとどうもありがとうございます。しかし私もまた、気をつけていきたいと思っています。
正直、私の場合、うまくいかなかった話は蓋をして忘れました。よくわからないし、こういう原因が相手にあるのじゃないかと思っても、確認のしようもない話です。私が悪いところもあるんだろうとは思いますが、これもまた自分を責めすぎても仕方がないのではあります。

結局、今の自分が話したい相手かどうかなんだと思います。
イエスマンが欲しいっていうのじゃなくて、面白い論点や見方を教えてくれたり、新しい情報を付け加えてくれたり。そういうのが私は好きみたいです。DRさんと話すと私は楽しいです。多分それは、シミュレーションとお書きのように、匿名サイトだからという気の緩みがないからでもあると思います。

やはりチェスの駒を動かすみたいに、戦略的に議論しないとならない相手は、大変に避けたく思っています。チェスみたいな議論はできないわけではありませんが、リアルで散々やっているので、プライベートでもやりたいとは思わないのです。

>ただ、根本の哲学の部分で、人間よりも偉いものがあるとか、特別の人間がいるなどの考え方に遭遇した場合は、突っ込んでゆかねばならないと考えています、それは悪だと思うからです。

私も悪だと思います。言っていかないとならないんでしょうね。私はあんまり言いませんでしたけれども。
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この回答へのお礼

私も最近はどうも集中力がないというか、気持ちが荒んでいるというか、
雑になっていました。

骰子さんには若さを感じます。私は自分では精神的にかなり若いと思って
います。
しかし、近頃イライラが多いような気がします。気を付けないといけません。

慢心・保身・老いは幸せを吹き飛ばしてしまいますから。

お礼日時:2017/08/31 00:02

1.現代においての正論


日本語を第1言語とする日本人の間でのやり取りではほとんどすべてが牽強付会な詭弁に思われるものはまさしく牽強付会な詭弁です。でも、牽強付会な詭弁ではない、共役不可能性な正論である場合もあります。

だいたい集団の規模の大きい方から小さい方へ具体例を述べてみます。

世界
共同体が壊れきってしまうと、正論なんてない。と言った感じになるようです。下記のツイートのような感じです。正論が0個。
https://twitter.com/Chisaka_Kyoji/status/8940912 …

西欧とイスラーム
共役不可能な場合について。下記は通訳不可能性および共役不可能性のページです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E7%B4%84 …
no.11や質問者は同じ日本文化、西欧近代文明の土台に立っているとして、それと共役不可能なものはたとえばイスラームです。下記のページにイスラームと西欧近代の問題 ―共約不可能性と共存可能性を突き詰めるシンポジウムの動画があります。正論が西欧とイスラームの2つある。
http://www.cismor.jp/jp/lectures/%E3%82%A4%E3%82 …

日本と韓国
下記の二つのツイートを日本海、東海という名称が牽強付会で、緑海という名称が正論という風に読みました。なぜ正論かというと、日本の近くの海と呼ぶと日本の人にしかわからないし、韓国の東の海と呼ぶと韓国の人にしかわからない。それよりも、緑の海と呼べば、日本の人にも韓国の人にも分かる。という、より多くの人が分かることが正論ということになります。正論が1つ。
https://twitter.com/Chisaka_Kyoji/status/8972854 …
https://twitter.com/toshi_vagrant/status/8972887 …

日本
自分の道理を通すため革命で他者を倒すという下記のような正論を唱えるファシストもいます。正論が1つ。


学校
日本の小学校でみんな同じ給食を食べますが、イスラームは食べ物に制約があり、給食が食べられなくて困るらしい。
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2017/02/11 …
雑な言い方をすると、日本文化の側は、好き嫌いしないでなんでも食べなさいと言うのが正論なのですが、イスラームの側では、豚肉は食べない。宗教的理由で豚肉は食べ物ではない。と言うのが正論です。双方ともがどうして対立しているのか理解できない場合があり、それが共役不可能な場合です。正論が2つ



2.その根拠
ズルをして自分の立場を離れてしまうと、正論がたくさんあることになりますが、現実には自分の立場を離れられないので、正論は自分の持つ正論の1つです。正しいものが道理なので、道理を外れた他人がいた場合、道理を外れたように見えますが、他人から見た場合は、他人の道理に従っているだけなので、自分が道理に従えと言ったとしても、他人としては、はい。道理に従っています。と返答があります。
もはや、真摯な議論が成り立たないとあきらめて拒絶する。そっか共役不可能なんだと思って話す。住み分けする。と言った対応になります。
権威、権力に対する場合は戦うか、逃げるか、屈するかと言った感じの対応になります。
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この回答へのお礼

生命が人間が最高に尊い、ということが「正論」であれば、
共存が可能になるでしょう。

お礼日時:2017/08/30 23:54

>相手の論理をまぜっかえすだけなんてのは、



いろいろとありがとうございます。そうですね。DRさんが答え方を工夫してくださっていることは、お察ししていました。
私の方もここら辺が違うところかな、と感じているものはあったのです。
しかしこういうことは、言葉の上であれこれ議論してもしょうがないものだと私は思っているのです。というのも、人間生きてきた重みがあります。経験があった上で、初めてその思想に力が出てきます。
正解らしいものは、AIでも、お受験エリートでも、ぱっと出せる人はいるでしょう。

このサイトは面白いんですが、匿名にしないとならないから経験のところは書くわけにいかない。また一般に、自分の経験をぱっとまとめられる人もいない。だから帰結部だけ書くわけですが、これが上っ面のものになりやすいわけです。そこだけを見て、反対だ・賛成だとか、厳密にやってくれ・補足せよとやっていくと、話はとっちらかりやすいと思っています。

結局、このサイトでの信頼というのは、長く利用している人が、時たま自分の経験談を書くことがあって、それを横目で読んで覚えておいて、「この人はこういう人らしいなあ」というイメージがあった上でのことだと思えます。字面だけで信頼できるのはごく稀です。そして字面だけで信頼を得られるような学術論文に準じる精度の高い記事を投稿するのは、大変であると同時に、何か違う気もするのです。もう少し気楽に「自分はこう思った」と言っていいと思いますし、それが受け止められて「楽しい」という感覚になるのではないかと思います。

私の考えはあくまで最初に投稿した文章なのです。そうか、これは伝わらないか、ではどこら辺で合意ができるかなと考えてみた、ということでした。あまりお気を悪くされないでください。

>人間のためになるのかどうかを根本から問い直す

問2は、こういう事例を自分の思い当たる形で列挙していくと自ずと見つかると思います。私にとっては人権宣言が特に重要だと思える、ということです。
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この回答へのお礼

>あまりお気を悪くされないでください。

これは全くの誤解です。
骰子さんとのやり取りの中では、そういうことはなかったと思います。

相手の論理をまぜっかえす云々とは、そういうことばかりしている人に
対し暗に非難をしたのです。

>これは伝わらないか、ではどこら辺で合意ができるかなと考えてみた

これは、賢い処世術と言えると思います。合意とか共感があってこそ人
は心を開くものですからね。

ただ、根本の哲学の部分で、人間よりも偉いものがあるとか、特別の人
間がいるなどの考え方に遭遇した場合は、突っ込んでゆかねばならない
と考えています、それは悪だと思うからです。

実は私はこのサイトの参加理由の第一は、リアルのシミュレーションと
いうことになります。
ですから、時に実験的でもあり、クソ真面目であったりするわけです。

お礼日時:2017/08/28 11:55

>学問も政治も経済も法律も国家も宗教も、これらが権威を持ち人間より上になってしまった時にこそ悲劇が生まれると言っていいと思うからです。



ありがとうございます。いや、まさにおっしゃる通りだと思います。
話を戻しますと、正論っていうのは、こういうことなんじゃないでしょうか。つまり人間のためになるのかどうかを根本から問い直すような問題提起が、正論ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>人間のためになるのかどうかを根本から問い直すような問題提起

より実践的な定義と言えると思います。
いずれにしても、この点について合意に達したようです。

意見の違いは興味深いことですが、合意するということはやはり、
嬉しいことです。

また、意見の違いをよくよく洞察し、違いの原因を探ってゆくことが
正式な議論ということになると思います。
信頼と敬意が存在するときにはじめてお互いの思想をより深く変革す
ることが可能になってくると思います。
相手の論理をまぜっかえすだけなんてのは、幼稚と言わざるを得ませ
ん。

尤も私の場合は素人ですので、議論と言うよりも対話、より価値的な
対話ができるように努力しているつもりです。

お礼日時:2017/08/28 07:47

>私の根本の哲学は、生命が最高に尊い、ことに人間が尊いということです。



ここのところは私も大賛成です。学問もまた人間に奉仕するものだと思います。
しかしここから二つのタイプの意見が出てくるようです。
・一つは、人間を律するために学問を利用しようとする意見。
・もう一つは、人間の権利の拡大に奉仕しようとする意見。
同じことを目的にしているんだけれども、出てくる結論は全く逆なわけです。

前者の方について先に言うと、学問が精神を律した人間というのが、国家とか、神とか、王様だとかにいいように利用されてしまう傾向にあるようです。つまり組織に役立つ人材を輩出することに、結果的になっていくようです。

一方で、私は後者を支持しています。これは一見、何をやっているのかわからない。
なぜかと言うと、人間というのは、非常に気まぐれで、型にはまらないものだからです。こういうものに奉仕するってことは、アルゴスの眼のように、いろんな方向を向いていないとならないわけです。
ただ、そういう型にはまらない考えが「革命・革新」を起こしていくとも言われています。
私の周囲だと、ちょっとした流行になっていますね。

一般向けの話をする時によく引き合いに出されるのは、アップルの成功です。i-phoneっていうのは、音楽再生装置でもあれば、電話でもあり、パソコンでもある。既存の価値観だと、なんだかよくわからないジャンルのものです。でもこれは人間の欲望に奉仕した結果生まれたもので、これが誕生したことで、コミュニケーションは劇的に進歩した、というわけです。
学問もこんな風に、既成の枠をぶっ壊し、人間に奉仕しようではないか、なんて檄を飛ばす人もいます。

DRさんから見ると、学問が人間に奉仕するということはどのようなことでしょうか?
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この回答へのお礼

学問は言うなれば人間の下僕であり、人間に奉仕をする存在だと私も思います。

「二つのタイプの意見」という話を聞いて、つい最近聞いた話と重ね合わせるこ
とができると思いました。

即ち、「教わる人間」と「学び取る人間」の対比です。

>学問が精神を律した人間

というのは、先生から学問を教えてもらった人間、ということになるのかなと考
えました。
ここには、学問や大学などに権威があり、それに従うという精神性が感じられま
す。
つまり、学問のほうが偉いということですね。
その学問の威を借りて一般大衆に対し威張りたい人間がこの意見に賛同することが
多いとは言えないでしょうか?


あらゆる学問は人間のために生まれ存在していると思います。これはシンプルであ
りますが極めて重要な「道理」であると思います。
学問も政治も経済も法律も国家も宗教も、これらが権威を持ち人間より上になって
しまった時にこそ悲劇が生まれると言っていいと思うからです。

>学問が人間に奉仕する

ということはどういうことになるかと言いますと、それぞれの学問の神髄から人間
のためになることを、学び取るということであると思います。
そして、現実の諸問題の解決ということを目的の一つにするということであると思
います。

お礼日時:2017/08/26 23:24

話は変わるかもしれませんが、正義は複数あったらダメなんですか?

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この回答へのお礼

シンプルな返し、こういうの好きですね。

哲学・思想を突き詰めると、根本的な部分に至ると思います。
歴史に名を残すような哲学者は、その根本を探し求め結論に至ったのでしょう。
大変な労力であったと思いますし、尊敬に値します。
また、そこから様々な思想を展開しようとしたのだと思います。
私としましては結論もさることながら、その思考のプロセスに興味があります。

ともあれ、素人の私の考えていることは至ってシンプルです。

私の根本の哲学は、生命が最高に尊い、ことに人間が尊いということです。
人間を殺しては絶対にならないのはもちろん、基本的人権を絶対守らねばならない
し、地球環境は守らねばならないし、殺生は必要最小限にしなければならない、等。

この根本の哲学から、社会の中でのしきたりなどの「道徳」や「倫理」が生まれ、
さらに政治、法律、経済などの様々な分野に「思想」が生まれてくる。
根本の「正義」を違うことがなければ、生まれてくる新しいものも「正義」と言え
ると思います。

全く当たり前のことを言っているとお思いでしょうが、現実では、根本が何か混と
んとしているし、様々なこじつけ、詭弁により思想界というものは混乱の極みにあ
ると見ています。

お礼日時:2017/08/25 15:37

正論とは、相手の期待を脆くも砕き散らす様な正しい論理なんじゃよ〜。

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この回答へのお礼

正論によって、脆くも粉砕されるような期待を持った者達に告げよう。

「おぬしら、悪(ワル)よの~」

お礼日時:2017/08/25 07:38

>国民の権利・自由というものの方が正論であるという風潮があったと思います。



うーん。まあそうなんですけれどもね。人権宣言が権利や自由を謳っているので、私の回答内ではこちらの方に比重をかけることで、バランスをとっているということです。それに「正論」というのは、相手に諭されて納得せざるを得ないものというニュアンスを含んでいると私は感じており、この意味で、義務の方に目線が行くわけです。自分で「私が唱えている権利は正論です」とは言わないのではないでしょうか。自分で自分を正しいということに躊躇いがあるわけで、そこから「正論」の意味が絞られてくると感じるのです。
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この回答へのお礼

私は、以前にもお話したように、反体制的な革命家達の伝記等を読んで、
それに感激をして、さらに大人になってもそれを捨てないという、稀有な
ある意味「危険な」人間ですから、変わり者だのキチガイだの言われてき
たわけです。

こういう人間ばかりであったなら、社会は成り立たないのでしょう。です
から、ほんの少数でいいのでしょう、こういう人種は。
基本的に大衆は「正義」に従い、義務を履行することにより社会を成り立
たせているのですから、この大衆の働きは命の源のようなものだと思いま
すし、私だってこうあるべきと思っています。

しかし、正義が間違っていると思った時に「変えたい」と思う訳です。
人体で言えば「免疫細胞」のようなものでしょうか?但し、自分のやるこ
とが正しいという保証がないのですが…

お礼日時:2017/08/25 07:29

ご存じでしょうが、バージニア州シャーロッツビルで、デモ隊同士が衝突し、一名の死者を出した事件の余波が続いています。



南北戦争の南軍のリー将軍の銅像を守ろう、という、趣旨で、いわゆる、”白人至上主義者”が、届を出してデモをしていたところ、無届の”人権擁護団体”がやってきて、小競り合いになり、それが、自動車でデモ隊に突っ込む、という、テロ行動を誘発しました。トランプ大統領は、”どちらにも非がある”というふうに事件を分析し、メディアは、彼のコメントを、厳しく批判しています。

(比較的中立的であるロイター通信は、白人はトランプ氏の見方に賛同し、有色人種はメディアの見方に賛同している、互いに、この問題については、どうしても譲れない。ギャップが埋まることはない、としています。)

この場合、現在の正論は、”人種差別はいけないことである。”

その倫理は、黒人奴隷を経済の基盤としていた南部の州は悪の巣窟である。
道徳は、南軍のリーダーであったリー将軍の銅像は、破壊されなくてはいけない。

私の住むテキサス州ヒューストンでは、すでに、南軍の将校さんの名前の付いた建物は、まったく歴史の香りのない名前に変えられ、先週、オースティンにあるテキサス大学では、問題が起こる前に、銅像群をどこかに運び去りました。

日本でいうと、上野の西郷さんの銅像を、撤去するのと同じことです。

歴史を、なんと心得るか?!?!歴史はそこから学ぶものであり、消してしまえばよい、というものではない、というのが、トランプ氏のメッセージでしたが、リベラルは、そんなことでは、納得しませんね。ISISがアッシリアの羽根のあるライオンの像を、片っ端から破壊したのと同じ精神構造です。自分の目の高さでしか、ものが見られない。俯瞰することができないんでしょう。

長くなりますが、二点だけ、付け加えますと、米国では、メディアとハリウッドは、ヨーロッパで差別をしまくられた、ユダヤ人に支配されているらしく、人種差別には、ことに、敏感です。アレルギーといって差し支えないです。もう一点は、オバマ元大統領は、人権擁護の弁護士として、デモを組織する仕事をしていました。今回も、頭数をそろえる仕事をしたのではないか、という、話も出ています。

正論が、本来の人間のあるべき姿であるかどうか、私には少し疑問なのです。結局、政治的に利用され、私たち一般市民は、いいように丸め込まれるような、そんな思いがあります。

本当に、長くなりまして、申し訳ありませんでした。
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この回答へのお礼

人種差別は私も大反対ですが、それを象徴するような銅像とか名前を「消し去る」
という発想は、皮相的でデジタル的に思えます。

>自分の目の高さでしか、ものが見られない、俯瞰することができない

ということになると思います。

日本の東北の被災地でも、震災の遺構を税金を使って保全するべきか否かという議論
がありましたが、これも同様に皮相的な発想であり、今後予想される大震災の被害を
できるだけ軽減させるという目的にとって、「どうでもいい」話だと思います。

何故このような皮相的な言動が多くなったかといいますと、「手柄根性」が強くなっ
たのではないかと思っています。
全体観なく、自分の獲物にしか興味がないという精神状態のことです。

「正論」を「正義」と言い換えてもいいと思いますが、仰る通り、「正義」は全体観
の無い権力者によって利用され、一般大衆は「犠牲」になってきたと思います。

民主化が進む現在、そして未来において我々一般大衆が全体観の無い状態では、元も
子もない、といえるでしょう。哲学すべきです。

お礼日時:2017/08/25 07:03

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