あなたの習慣について教えてください!!

し 自分の言いたいことを質問で伝えるには、どうしたら良いでしょうか
 一番言いたいことが相手に伝わってないようです
 この教えてgooでも同じく伝わってません
 相談したいことの確信というのが

A 回答 (3件)

自分が逆の立場に立つと考えて



相手にどう言われたら
貴方の欲しい答えを貴方が回答できるか
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とりあえず、質問を投稿する前に何度も読み返して推敲し、「自分の(個人的な)事を全く知らない第三者にも理解できる内容になっているかどうか」を確認してみてはいかがでしょうか。

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慌てないことです。



私もそういう時期がありましたし、知り合いにもありました。

事情が良く分かりませんから、一般論で関係のありそうなことを述べておきます。


全ての人は平等に、

「言いたいことを伝える」

ことが出来ません。

その確率が殆どないのだと気がつくまで時間が掛かります。


しかし、

「このくらいは誰でも出来る。大したことじゃないのに・・・」

と悔やんでしまい、他人を羨んでしまう時期があるんですよ。

誰もが本当は苦しんでいるのに、

「自分だけ辛いんです。」

と言えば、

「なんだろう? 何言っているんだかわからないな?」

と相手の方に意地悪をされますよね。


その後、相手の言葉どおりに受け取ってしまい、

「どうも私は話しを上手く伝えられないようです。

 話し方の本とかありますか?」

と質問する成り行きに成るんです。


私も実際に質問されたことがあります。

そのときは、単に相手の逆鱗に触れたのだと私には分かりましたから、

思いやりについて話しました。

しかし、

「そんな話は子供に向けてして欲しい。

 どうも、私には話し方の技術が足りない。

 本気を出して学べば、馬鹿にされないくらいには成れるはず。

 この程度で上から色々言われるのはとても辛い。

 何とか見返したい。」

と言うような反応が返りました。

これを聞いて、私は赤面しました。

「ああ、これ、同じ事を自分が言った覚えがある。

 こういうことだったのか・・・恥ずかしい。」

どうでしょうか? 上の私の経験。

お互い、言いたいことが伝わっていませんよね?

こんなことばかりが起きており、

全ての人は言いたいことを伝えられないのが普通なんではないでしょうか?


簡単なことに思えて、世の中に存在しないものが沢山あるんですよ。

そのため発明と言うものが尊重されます。

私たちが簡単だと感じることは、実際に簡単に出来るんだと思います。

しかしそれは、

やり方が分かった後です。

手順が少ないとか、

自分が持っているもの、その辺で売っているもので何とか成る、

と言うイメージなんでしょう。

けっして、

「そのやり方を簡単に思いつくこと」ではありません。

そのやり方を思いつく人は、人間の歴史の中でも数人かもしれません。

例えば、古代から伝わっている学問や宗教は、

「その人がいなければ人間は一生気付かなかった。

 しかし、知ってしまえば誰でも出来る。その上で効果が絶大だ。」

と言うものばかりです。

人間の脳には特徴がありまして、どうしても気付きづらいというものがあるんです。

そうであるのに、

「きっと誰かが思いついているはず。」

と決めて掛かって(相手を選ばず)質問をしますと、

実際は相手も求めていて、その上で悩んでいて、

「自分だけが意地悪をされていて、知らされていない。悔しい。」

と怒りを貯めている場合があります。

こんな人に質問をすれば、逆鱗に触れますよね。

まさに余計な事をしたんです。


私たちは大人に成るにつれて、段階的に賢くなります。

・最初は、自分だけが辛い、自分だけが特別だと思っています。

・次に、自分以外の人も同じ悩みを持っており、自分が平凡であると気がつきます。

・その次に、自分が解決できない以上、解決できる人が誰もいないと気がつきます。

・そして最後に、皆が平凡であるならば、皆で解決しようとしないと試みないと、

(偶然に頼ったとしても)解決できる確率が低いと気がつきます。

そして同じ考えに至った人同士が集まり、心が繋がって一体感を得るんです。

ここに至って、何故人が働くのか、何故真面目であることが大事なのか?

心から納得が出来、劣等感や疎外感が減り、心に平安が訪れます。

やっと合格ライン、スタートラインと言う事ですね。


ぶっちゃけ、

自分より凄い奴がいたり、恵まれているやつが沢山いると信じていたら、

ちょっと辛い事があっただけで、心がくじけて、泣きべそをかきますよね。

でまあ、そういう人と、たまたまそう信じていなかった人が混ざっており、

能力的には殆ど同じ平凡な集団と言うのが現実なんです。


ただし、実際的には泣きべそをかいたり、怒りを貯めているときは頭が働きません。

そうでない人と相対的な差が生じてしまいます。

この状態で(公平な条件で)競争をすれば、

否定できない結果として現れますから、自信を失います。

これが続きますと、悩みが深くなるというわけです。



しかし、

自分の心がくじけやすかったら、他の人もそうであるはずです。

自分が怒りを貯めやすかったら、他の人もそうでしょう。

自分と同じ停滞は他の人にもおきやすく、いつでも同じ状態になります。

自分の場合は、意識をして抑え込み、少しだけマシにすれば良いだけなんですよ。


寿命は限られていますから、その殆どを怒りや哀しみに割り当てては損をします。

何もいいことがなかったと言って死ぬことに成ります。

自分でそうしていた(それに時間を多く割り当てていた)だけなのにです。

また他人への嫌がらせや悪意についても同じです。

寿命は限られているんですから、そればっかりしていたら勿体無いでしょう。

その仕事は他の人にやってもらい、自分はそれ以外の事をしましょう。


では今度は前向きなことについても比較をして見ましょう。

自分の言いたいことをハッキリさせて他人に伝える力と、

自分の頭をスッキリさせて、自分の力で解決のアイデアを出し、これを楽しむ力と、

どちらを望みますか?

現実的に解決できる課題であるならば、

上の2種類の力を欲した人間がコラボレーションを行っているはずです。

そうでなければ、誰も解決できず、諍いが起きているでしょう。


自分の望む事を他人に命令し実施させる力と、

自分の頭をスッキリさせて、

自分の力で楽な実施方法のアイデアを出し、これを楽しむ力と、

どちらを望みますか?

現実的に解決できる内容であれば、上の2種類の望みを持った人間同士で、

コラボレーションが起きているはずです。

そうでなければ、皆で右往左往としているでしょう。


自分の人生において、自分の頭をスッキリさせ、

「自分でアイデアを出せる力」以上に欲しいモノがあっていいんでしょうか?

もしそれを為しえた人がいたとしましょう。

その上で、自分は、

「その人から答えを引き出す力」だけを得て幸せなんでしょうか?

さきほども述べましたが、

前者の人がいませんと、後者の人とコラボレーションができません。

つまり、必ず前者の人が存在します。

そして、すべての人が平凡であり能力的に同じだとしたら、

当人が望んだ方向性が違うだけであり、どちらも出来るはずであり、

「どちらの思想(望み)に寿命を多く割り当てたか?」

という違いだけなんです。


では、具体的に考え方のどこに気をつけるかと言いますと、

「自分には無く、他の人が持っていると考える」のではなく、

「自分も、他の人も持っていないので仕方ない」と考えるのでもなく、

「他の人は持っていなくても、自分だけは持っていたい」、

と思い続けることです。


そして、人生においては栄誉、栄達を望むのではなく、

「自分の人生において実施の機会を奪われないこと」、

「他人の人生から実施の機会を拝借すること」、

と考えます。

いずれ体も老いて、当たり前のことができなくなります。

公園まで散歩をして、大きな満足感を得るようになるんです。

それを見越せば、人生において面倒な作業と言うのは無限にありません。

どれも回数制限があり、一定期間が過ぎ去れば、望んでも出来なくなります。

そうであることを知識で知っているのに、

手っ取り早く手に入れたいと焦ってしまい、人にお願いしてしまうものです。


その上で、

自分に人気があるからやってもらえる、

自分にはもっと重要な仕事があるので、やってもらったほうがいいと錯覚します。

(自分には出来ないからやってもらおう、自分が可哀想だからやってもらおう、

 と考えても同じです。やはり実施回数を減らしています。)

自分の人生においては、これらの思想や仕事こそ、

他人に任せた方が良いでしょう。


なるべくは、

「本当に自分の手でできるんだろうか?」

と発想を変えて実施してみる。

そして確認し、改善し、安心することです。

これ以外のことを多く考えてしまいますと、

焦燥感がましてしまい、ストレスが貯まりやすくなります。


自分の手でやってみて、

結果がよくなかったときは、焦らずに、

「ああ、つまりこのガッカリを味わいたくなくて、逃げて隠していたんだ。

 完全には消せないもんだね。何時もイライラしていた。」

と受けいれて、時間が掛かっても改善することです。

自分の手でやろうとする人には、

自分の手でやった人が必ず助力を与えます。

そうでない場合は、自分の手でやった人が自分の周りに少ないという事です。

自分の手でやる人に繋がること。

そうでない繋がりには関わらないことです。

どんなに富を得て栄達しても、

言い訳をして他人を言い負かしても、

優越感を得て喜んだり、劣等感を感じて苦しんだとしても、

死ぬ間際に、実施機会を自ら望んで減らしただけだと後悔しては勿体無いです。


以上、ご参考になれば。
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