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昔、お金は金(ゴールド)や銀(シルバー)といった貴金属で、そのままでも価値があるものでした。
それが、ヨーロッパでは1661年にスウェーデンでストックホルム銀行券、日本では同年に福井藩で藩札という、紙幣が日欧で使われるようになりました。
そして近代以降では紙幣がメインで使われるようになったのですが、その時は政府や中央銀行といった国家機関が発行したものであり、公的機関が管理・保証していたという点でまだ実態があったと言えます。

最近は民間企業が決済するクレジットカードの使用で紙幣を使うことも少なくなり、民間企業が管理・保証する電子マネーの利用が増加しており、お金は電子化され、更に実態がなくなってきました。

そしてビットコインという民間企業すら管理・保証していないお金が登場し、実態がほぼないといってよいでしょう。

お金はどうして実態がない方向にどんどん進化しているのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 法定通貨、仮想通貨、それ以外の電子マネーそれぞれ目的と利便性は違いますから、どれがいいどれが無価値なんていう議論が不毛なんですよ。
    →私は別に何が価値があり、何に価値がないという話はしていません。
    あと、法定通貨は国が法律により価値を保証しているわけなので、その点では実態がありますよ。仮想通貨も、しっかりした企業や団体が保証していれば実態があると言えるのですが、人でなくプログラムしか価値を与えるものがないので実態がないと言っています。
    コンピュータの世界は日進月歩なので、ビットコインのシステムよりさらに安定性があり、そして便利なプログラムが今後開発される可能性は高いでしょう。そしてそれを政府又は公的団体や大企業が責任をもって管理するようにしたら、ビットコインそれに取って代わられ、いずれ消えるでしょう。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/06 23:54
  • >責任をもって管理するっていう言葉を信じる根拠はなんでしょうかね?恣意的なものでしょ?
    → 法律とか契約書とか、根拠はいくらでもあります。それを恣意的と言ってしまうと社会全体を否定することになります。社会は法律や契約によって形作られているのですから。

    >国の法律だって別にその国でしか本質的には有効でないんだから、国際的な資産価値という意味で言えば限定的な話ですよ?
    → 何を言っているのでしょうか。国内で有効であればそれで充分だし、日本円は海外でも価値があるものとして両替の対象になります。

    >だから、ビットコイン自体の仕組みは現状の仕組みでは原則改ざん不可能ですし、
    → 現時点では改ざんが不可能、ということですよね。日進月歩のコンピュータの技術進歩では、その仕組みを改ざんする技術が現れるのは時間の問題です。原発だって爆発することがあるのに、ビットコインを絶対安全とする根拠がわかりません。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/07 08:50

A 回答 (7件)

便利だからでしょう。



金や銀では、重くて大変です。

紙幣は便利ですが、計算間違えや
燃えてしまうとか、犯罪被害に遭う
可能性も高いです。
管理も大変です。

そこへいくと、電子マネーなどは
便利です。

お金なんてのは、皆が価値がある、と認めて
いるからお金なんです。

つまり、お金の意味は、人間の頭の中に
あるだけです。
概念に過ぎません。

概念に過ぎないから、皆がそう認めてしまえば
実体も不要になります。

その点神と同じです。

ビットコインは、そのシステムに保証の
実体があります。
そのシステムを皆が認めるから、価値がある
ということになります。

金が人工的に大量に製造出来るようになれば
金の「お金」としての価値は無くなります。

ビットコインも同じだと思います。
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お金で税金や手数料を取られるのが嫌なのと、手軽さではないでしょうか?


使用しているみんなが認めれば価値になると考えます。
絵画とかでもある程度の人が認めているから価値があると感じているだけですよね。
ビットコインも一定の人が認めているから価値があるだけです。
改ざんされれば「怪しい」と思って価値が無くなるだけです。
銀行券も同様で本物と同じ技術が知られコピーが大量に出回れば信用が無くなり価値が低くなりますよね。
紙幣やコインも大量に扱うのは大変なので「もっと簡単なもの」を考えて試行錯誤している状態だと思います。
それよりもクレジットカードなどのポイント制度の方が不思議です。価値がありますから。
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何故お金が「実態のない」方向にむかっているかというと、実は「お金そのものが幻想だから、信用だから」と言うことができると思います。



で、その話をする前に「お金」というものをきちんと定義したほうがいいでしょう。日本語の「お金」には意味が多すぎるのです。

私は質問者様のいう「お金」を「通貨:currency」と言う意味でとらえています。貨幣という意味ではありません。貨幣の場合には貨幣と書きますし「貨幣」は物理的実態をもつものとして記載します。

歴史的に「お金」の実態を見てみると、最初は物々交換に始まります。それが貨幣を媒介するようになるには、ひとつの重要な問題をクリアする必要がありました。それは「貨幣は交換するものと同等の価値を持っていること」です。
 金や銀が貨幣として通用するのは「金1グラムを生産するのに必要な人員・材料・管理費などのコスト」が明確だったからです。たとえば小麦は一人年間180kgぐらい必要でしたから、金を算出し通貨として流通するまでのコストと同等にすれば金の通貨的価値が明確になり、使う人たちに説得力をもちました。

通貨は最初から「信用」が必要であり、初期の通貨は貨幣という「モノと換算できる信用があるもの」だけだったわけです。

つぎの通貨のブレイクスルーは「借金」でしょう。借金も実は広い意味で「通貨」に該当します。たとえば10万円の借用証書は貸した側から第3者に渡されても、おなじように10万円の価値をもちます。これは小切手や手形、さらには株式証券として通用し、一般的に「証券」よばれていますが、貨幣価値を表し流通する以上「通貨」であることには変わりがありません。

借金というのは「モノの実態が伴わない通貨の始まり→信用取引」だったわけです。借金を記帳して、取り立てることが社会に通用するようになるにしたがって、銀行の形態ができ、証券が流通するようになり、特に小切手など離れた場所との商取引ができるようになります。つまり金や銀のような実態のある貨幣をわざわざ輸送する必要がなくなっていったわけで、特に貨幣は重いし盗まれるとそのまま通用してしまう、という問題があったので証券は経済の活性化に大きく貢献しました。

しかし、証券は「実態のない取引」ですので農本主義社会には根本的に合っていませんでした。農本主義社会では「土地から得られる生産物」を経済の中心においていたため、借金するとしても「来年取れる収穫物や、再来年取れる収穫物以上の借金はできない」ものだったからです。
農本主義社会ではまだ貨幣=通貨=実際の経済と言って差し支えない状態でありました。

これが変わったのが資本主義形態に変革を促した「商品経済の発展」でした。ヨーロッパでは船を仕立ててアジアと貿易することで多くの利益を上げられるようになり、その船に投資する投資家たちも集まるようになりました。「投資」は利益を見込んだ借金であり、投資の株券などは借金の形をした通貨であるといえます。

この時点で通貨は、貨幣や実体経済と同じではなくなり「未来に生まれる利益を織り込む」ことができるようになります。そして未来の利益は「資本主義」を呼び込むことになるのです。
 
この時点で通貨は「通貨=実体」とはいえなくなっていくのですが、貨幣はまだ実体経済を表していました。これを外すことは当時でもできましたが、でもそれをすると自立的に貨幣価値を知るための指標がなくなり信用を得ることができなくなってしまいます。そうすると、極端なインフレなど経済そのものを破壊する可能性がでてきてしまうため、広範囲な信用経済に移行するにはもう少し時間がかかりました。

ただ、通貨と貨幣が分離したことで、それまで避けられなかった「貨幣のデメリット」が強くでるようになってきました。貨幣のデメリットとは「実態の経済に裏打ちされた価値をもつ素材でできていること」「その素材は貨幣でなくても価値を保有するため、盗難などに極端に弱いこと」「素材が物理的な重さをもつため、運搬にコストがかかること」です。

このデメリットを解消すべく作られたのが「紙幣」であり「政府が保有している貨幣と同じ価値までしか紙幣を発行できない」という指標を持つことで、経済を破壊せずに紙幣の流通を促すことに成功したのです。

しかし、これは「貨幣」というものの本質を考えれば、紙幣そのものは「実態的価値が無い」わけです。証券と紙幣は「紙に額面が書かれている」と言う点で同じ、ただ紙幣は「発行する政府が実体貨幣で裏打ちしている」というだけでした。このような実態経済に裏打ちされた紙幣を「兌換紙幣」と呼びますが、兌換紙幣が「実体的な価値を持たない」ということで、さらにもう1段階「通貨は実態を持たない方向に進んでいった」といえるでしょう。

近代に入り、さらにそれが進んだのが、ニクソンショック、つまり兌換紙幣の停止です。これにより紙幣すら「信用取引」だけになり、通貨は完全に実態的な貨幣価値や実体経済の裏打ちを持たなくなったのです。
ではなにが「信用」を支えているか、というと「高度に発達した金融市場」です。ドル・円・ユーロなどの貨幣はお互いに為替取引でお互いの貨幣価値を担保しています。どの貨幣でも「信用を失えば他の貨幣に対して暴落する」というのがお互いの信用を支えあっていて、さらにそれを株式市場や先物市場などの証券市場が相互に保障しあっているのです。

最近になって「実態的な貨幣が必要なくなってきた」と言う点では、今までも貨幣のデメリットを避けるために小切手などの証券をつかっていたものが、電子的になっただけですので、大した問題ではありません。
 世界はずっとその方向に進んできていたし、媒体が紙しか信用できなかった時代からついに「紙媒体からほかの媒体(電子媒体)に移動しただけ」であるといえます。電子媒体はいろいろな方法がとれるので、ネット上やスマホ・スイカのような電子カードになってしまっただけなのです。

しかし、、ビットコインのようなものが発明されたのは通貨がさらに飛躍した、ということでしょう。これは「通貨の自立性はついに政府の裏打ちを必要としないところまで来た」ということです。
 ビットコインは「採掘」と呼ばれる数学的な信用担保方法を利用しています。この仕組みを利用することで、政府などの有機的な組織からの信用担保無しで成立することが可能になりました。つまり信用そのものが「実態のない仕組み」に変わったわけです。これまでは非兌換紙幣になったといっても、その信用を維持する市場は政府の裏打ちが必要でした。政府のの保障によって法律が作られ、それが通貨や市場の自律性を担保してきたからです。
 しかし、ビットコインはついにそれらの「信用の担保」すら必要なくなり、数学的な信用創出と、ネット上の市場機能だけで「自立的な信用」を得ることに成功したといえます。
 
 結局通貨の本質、どこまでいっても絶対に担保しなければならない本質は「信用できること」に尽きるわけです。「信用できる」というのは「経済的にモノの価値を正しく表せるかどうか」ということであり、今まではそれを担保するのに政府や法律などの保障が必要であったわけですが、兌換紙幣が世界中から無くなった時点で、信用を裏付けるモノの担保がある通貨はひとつもなくなり「すべての通貨は信用だけで成り立っている」ことになったといえます。

信用は実態がないわけですから、通貨に実態を求める必要性もない、というのが現在の状況の本質であり、ネットやコンピューター社会は通貨を表す媒体として紙以外の選択肢を提供したのです。

これらが段階的に進んできたことが「お金はどうして実態がない方向にどんどん進化しているのか」と言う問いに対する、最終的な答えになります。
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>そしてそれを政府又は公的団体や大企業が責任をもって管理するようにしたら、ビットコインそれに取って代わられ、いずれ消えるでしょう。



責任をもって管理するっていう言葉を信じる根拠はなんでしょうかね?恣意的なものでしょ?それによって、どれくらいの不正、改ざん、あるいは利権産業があるのかを見れば、その仕組みだけでも完全でないことはわかります。


>法定通貨は国が法律により価値を保証しているわけなので、その点では実態がありますよ。

国の法律だって別にその国でしか本質的には有効でないんだから、国際的な資産価値という意味で言えば限定的な話ですよ?日本の裁判所で出た判決を海外で遵守する必要性がないのと一緒のことですし、その逆もしかり。通貨だって米国で日本の円の価値が必ずしも保障されてないのと一緒。ま、ないとかなくなるとか言ってるわけではないですけど。

>法定通貨は国が法律により価値を保証しているわけなので、その点では実態がありますよ。

別に日本が100円でいくらの買い物ができるなんて保障はしてませんよね。法定通貨とは、そもそも各国の経済基盤の根底を維持することを保障するためのものであって、それが間接的に国民の資産と経済活動を安定させること利害が一致するにすぎないから大きなインフレやデフレが起きないというにすぎません。極論言えば法定通貨同士の為替なんてのは、各国の経済的優位性を取るための国家戦略の一つでしかありません。日銀の介入だって、FRBの利上げだって、中国の人民元切り上げがどうという話や関税だって全てそいういう思惑のもと、各国が牽制しあってやってるにすぎないものです。あなたのいいかたを逆手にとれば、それは自由市場という「資産の実態」ではなくて「国家戦略」のもとに作り上げられた恣意的な「実態」ともいえますけどね。

>貨も、しっかりした企業や団体が保証していれば実態があると言えるのですが、人でなくプログラムしか価値を与えるものがないので実態がないと言っています。

プログラムの完全性に関して言えば、そんなのを保障するのなんて銀行の資産だろうがなんだろうが不可能です。ただし、中央管理であれば都合が悪い問題が起きればそれを強制的にキャンセルしたり、介入して誤魔化したりすることができる点管理者の意図しない悪意にたいして予防することはもちろん可能ですけどね。特定の団体や企業が保障すれば実態あり、そうでなければ実態なく、しっかりしてないっていう表現は明らかにブロックチェーン技術の意味を誤解してると思います。「しっかりした?」企業や特定の政府が認めてる通貨は実態があって世界のビットコイン利用者及びマイナー100万人以上が価値を保障してる通貨には自体が実態がないとする理由はなんでしょうか?

>コンピュータの世界は日進月歩なので、ビットコインのシステムよりさらに安定性があり、そして便利なプログラムが今後開発される可能性は高いでしょう。そしてそれを政府又は公的団体や大企業が責任をもって管理するようにしたら、ビットコインそれに取って代わられ、いずれ消えるでしょう。

だから、ビットコイン自体の仕組みは現状の仕組みでは原則改ざん不可能ですし、プログラムだから実態がないとする根拠もよくわかりません、広告収入でしか成り立ってないFacebookの企業価値がトヨタ自動車よりも株式総額が高いからおかしいと言ってるようなもんです。そもそも日本が管理できるのは日本国内の話だけであって、中国や米国でそれを禁止することはできませんから。

責任を持って管理するようにしたら、という意味がよくわかりませんが、中央管理というのはそもそも原理原則論として特定の集団に独占的権利を与えざるおえないという決定的な問題があります。また、そもそも特定の人物が詐欺的な投資話を仮想通貨をツールに行う行為自体は、仮想通貨自体の実態とは別の議論ですから、日本の法律で守られてますよ。

>私は別に何が価値があり、何に価値がないという話はしていません。
そしてビットコインという民間企業すら管理・保証していないお金が登場し、実態がほぼないといってよいでしょう。
お金はどうして実態がない方向にどんどん進化しているのでしょうか?

別にそういう考えだと言い切るなら納得してもらうつもりはないが、そもそも仮想通貨自体に「実態がない」と言い切ってること自体がお金そのものの価値担保の仕組みを前提から全否定してるんだから、間違ってると言ってるんだけどね。

ビットコインを否定する人は傾向として、全か無で考える人が多いんですが、法定通貨がなくなることは日本や米国が消えない限り基本的にはないのは当たり前であって、それ自体は否定するものではありませんよ。ただ、だから仮想通貨等が幻想だとか、必要ないとする考え方もよく分からないし、それ自体が開く需要だってあるよといってるのです。直接p to pで会ったことないから、インターネットだけでのでのやりとりは「実態がなく」、いずれなくなるだろうなんていう人は当然いませんしだからと言って逆に実社会での友達づきあい人間関係形成が不要だという人なんていないのと一緒だと思いますけどね。

ま、納得しないならしょうがないですが、、、。
この回答への補足あり
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お金の役割とは、資産価値としての安定性及び保証と、物物交換の手段としての解決策が主な役割になります。



前者は、おそらく最も歴史の長いのが金で、それは金という限られた資源を基準にしてあらゆる物事の対価を一つの基準にしてしまおうというのが始まりです。ここで、金の価値が資源や工業的利用価値だとする人は多いでしょうが、実際はそんな価値など金の”お金”として信用されてる総実需資産額に比べれば大したことないのです。つまり、金がお金として信用されてるのはそうした希少価値や工業的価値を基盤とするお金としての”歴史”という方が厳密には正しいのであって、価値を作り上げてるのはその歴史による信用にしかすぎません。

法定通貨の歴史というのは人類の歴史を見れば実はいうほど長くはないです。さらに言えば、今のような自由取引による為替市場が金本位制から脱却して国の信用や経済基盤を担保に紙幣を発行しだしたのは意外かわかりませんが近代のせいぜい100年から数十年ぐらいのことでしかなく、特に今の体制になったのは戦後のことですからいうほど歴史なんてありません。さらに極論言えば、国際為替市場が一般的でなかった時代なんてドル円の適正相場なんという概念すらそもそもそんなになかったとも言えるわけである意味やすいものもあれば高いものもあるし、それ自体の利ざやで儲けようと思えばやり放題ってことにもなったわけです。

そういう意味で言えば歴史的に誤解を恐れずにいうと、現在の法定通貨というのは決して絶対的なものではなくて、特定の集団がある意味恣意的に築きあげた仕組みという言い方もできます。法定通貨の仕組みを考える上で銀行の仕組みが始まりという考え方もできます。もともと銀行というのは、資産をもて余らせてる人から資産を預かって、そのお金を他人に利息をもらって貸すことで儲ける金貸ビジネスです。銀行は金(あるいはなんらかの資産)を預かった代わりに預かり証を発行していたのがはじまりにすぎず、いつしか金ではなくてその預かり証自体がやりとりされるようになったのが紙幣なのです。紙幣同士のやりとりが主流になると、今度は当然「そもそも資産を受け取らなくても紙幣を発行しまくれば、たくさん金を動かせるんじゃないの?」となったのが銀行の仕組みなのです。例えば、米国ドル札であっても日本円であっても決して政府が直接発行してるわけではなく日銀や米国ならFRBが、政府の監視の元で発行してる手形、これがそもそもの紙幣なのです。そこで、米国であれば大手銀行の組合であるFRBが国と仲良くやることでその独占的発行権利を受けて紙幣を発行したのが始まりです。国にとっては、経済基盤を安定させるためにはお金の流通をある程度コントロールできるのは欠かせないため、彼らと手を組んで政府の監視のもとで流通量をコントロールし、自国経済を発展させようとしたのが今の仕組みです。

つまり、お金というのはそもそもそれ自体は一定の価値を取引したい者のお互いが合意できさえすればそもそもは何でもいいのです。逆に言えば一定の中央管理のもとにするならば電子マネーや通帳取引なんかの単なる数字上の値がどうなろうが、仮に友達同士で貸し借りノートを作って鉛筆書きしようが口約束だろうが一定の信頼の元で管理できればそれ自体は成立しますし、いくらでも作れます。ただし、不特定多数の無関係な人間が例えば国単位でそれを利用するとなると話しは違ってきますから当然イカサマや錬金術は避けねばなりません。どの国でも紙幣偽造の罪は殺人の次ぐらいに非常に重い実刑が付きますが、それは逆にいうと紙幣制度を悪用されるとその国の経済基盤が崩壊しかねないからです。先に言った銀行等の金貸業であっても、彼らの資本以上の金を他人から借りて流してるわけであって、何倍もの金を動かすいわば”錬金術”だからこそ、銀行などの金貸業は国の法律で厳しく取り締まられてるというわけです。

デジタル化という意味で述べると、従来はそのお金の実態の信頼性を担保するのに実際に現物を動かすか確かめる必要があったのが、コンピュータ技術や電信という取引によってその信頼性が担保できるようになったため人的ミスや改ざんリスクをなくして扱えるようになったからだと思います。先にも述べましたが、価値が担保できるならば動かす必要なんてないわけですし、ものを動かす(現物取り扱い)ということはそれだけ手間暇費用がかかるのですから当然です。また、クレジットカードなどの信用取引もそのためですし、先に述べた「ブツブツ交換の手段としての解決策」として一つの消費機会としての利便性が上がったと言えるでしょう。

ビットコインなどの仮想通貨は、記録の完全性という意味において分散型のデジタル台帳という仕組みを導入することで中央管理の仕組み抜きに成立させてます。この辺を誤解してる人が詐欺だの円天と同じだと叫んで居ますが、そもそも設計思想自体が全然ちがうし、円天というのはどちらかというと胡散臭い企業が発行してる法定通貨に近い通貨にすぎないのであって、これははよくわかってない批判にすぎません。ただし、それ自体にはメリットも色々ありますが、デメリットも当然ありますし、まだ市場が小さい以上流通経路や仕組みを悪用する大資本がいればどうしても仕手的なやり方で儲けられるリスクがあるのは事実でしょう。しかし、仮想通貨(ビットコインとは限らないが)自体には、法定通貨には超えられないメリットもあるのですから、その辺の需要を考えればそんなに悲観的になる必要もないとは思いますけどね。

話しがちょっとまとまってないですが、要するに法定通貨、仮想通貨、それ以外の電子マネーそれぞれ目的と利便性は違いますから、どれがいいどれが無価値なんていう議論が不毛なんですよ。ただ、仮想通貨は最近特に槍玉に挙げられやすいですが、そもそも実態がないというのは誤解がありますし、法定通貨を銀行貯金で持ってることは実態があって、仮想通貨には実態がないという言い方はお金というものをよくわかってない人の言い方にすぎません。しかし、仮想通貨はその性質上価格の上下(ボラリティ)が激しかったり、まだ発展途上なので仕手戦のターゲットにされたケースにまで管理が回ってないリスクがどうしてもあるということは事実でしょう。

ちなみに日本語の仮想通貨=Cryptocurrency ですが仮想=幻想のようなイメージをつけやすい日本語約は本当は間違ってて、直訳するなら暗号通貨と言った方が正確です。つまり暗号技術による帳簿の分散管理を基盤とした価値のやりとりというのが基本的な仮想通貨の設計思想です。もちろん物によって色々あります。
この回答への補足あり
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正しい答えではないと思うけど。


管理が楽だから。
の一言に尽きると思う…

遡れば貨幣価値は石の塊から始まってたと思う、コレを金属の塊や宝石まで縮小軽量化していき、双方の損が小さくなるように物品価値を細分化していき、国家の信用という後ろ盾で貨幣を極限まで軽量化しようとしてるのが基本的な現在の貨幣価値だと思う。
ここまでも基本的な考え方は保存と管理のしやすさが求められた結果だと思う…
そこから電子マネーという貨幣の仮の姿というか媒体に代わり、実態すら便利にして行くのが未来に向かってる現在の貨幣価値。

哲学的に問うのならわからない。

ネットワークという世界のあり方に合わせた結果なのかな…個人的に思う事はこんな事。
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人が本来必要のないものに 価値を見出すようになってきたからかな。



娯楽 余力 楽 そして時間つぶし と。

そして肝心な痛い所からは目をそらす。

だから実態をなくす。
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