推しミネラルウォーターはありますか?

明らかに悪い扱いをされ、いやな思いをさせられたよな、という人を心の中ででもクズ呼ばわりすることができません。強い怒りを感じたこともありますが、一応は同じ人間だぐらいに思っています。同じ人間だと思うと相手への期待値が上がり、余計行き所のない怒りを感じたり、理解しようとして自分を彼らの下に置くような考え方をしたり、自分をかえって傷つけている気がします。落としどころがわかりません。

A 回答 (5件)

その人も人間です。


嫌な事を人にして、自分もそのうちされて考えながら生きていかないといけません。
考える時期がずれているだけです。
あなたの方が早く気が付いただけでしょうね。
きっとその人も気が付きます。
気が付かないと一生嫌な奴で終わります。
自分がそいつと同じ事をしなきゃ良い。

単なる反面教師です。
理解する必要はない。
見て自分の勉強にすれば良い。
世の中にはいろんな人間が居るんだから、出来るだけたくさん見た方が良い。
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この回答へのお礼

同じ人間であるのに理解を示せないことに罪悪感を感じて自分を傷つけてしまいます。
しかし、いろんな人間を見るということをせず人間関係の幅が狭すぎるから堂々巡りの考え方をしてしまうのだ思いました。頭だけで考えていても分かる日はこないと思いました。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/10/20 15:33

そうですね。



「働いたら負けだと思う。」

この言葉を聞いてどう思いますか?

この言葉を思い出すたびに、何故か微笑んでしまいます。

「まさか、戦っているとは思わなかった。で、何と戦っているんだい?」

と聞きたくなります。



本当に負けたくないのは、働いていないと言って自分を見下す人でしょう。

しかし、相手を見下したり、戦ったりと、なんだか嫌な関係ですよね。

どうしてそうなるのか?

こちらを考えて、対策するほうが得のはずです。

そうした話をします。



本来、「勝ち」「負け」と言うのは、生産的な競争で使います。

ネガティブな競争での勝ち負けは意味が無く、一般的には使いません。

・テストの低得点競争で勝利した。

・全国嫌われ人間コンテストで優勝した。

・嫌な性格偏差値85で全国区クラス。

いかがですか? 嫌味を言われているだけに思えますよね。


学生時代に表彰されるものは、スキルや能力です。

学校は働くために必要なスキルや能力を教える場所です。

そして、働くと言う事は「有難う」と他人に感謝され、生きていて欲しいといわれることです。

「有難う。これは私が他の人から有難うといわれ、

 『どうか、これを使って生き延びてください。またあなたと出会いたいから。』

 と言われて頂いたものです。その方も同じようにしてこれを頂いたそうです。

 私は、そうして頂いたものをあなたに差し上げます。

 単に、お礼を言って済ますのでは申し訳ない。

 普段はそういうこともあります。

 しかし、今回は本当に感謝をしています。

 ですから、あなたが生きるために必要なものを僅かではありますが差し上げます。」

と言うコミュニケーションを指すと思います。


「誰がなんと言おうと、自分だけは、この件に関して、このくらいの量であるが、

 この人は生きているべきと言う価値を示したと思う。」

と投票をしているんですね。

実際にこの投票数の総量により、その人の生存確率が変わります。

確実に影響を与えますから、白黒がつきやすい。

また、攻撃的ではなく、感謝を示して生き残らせようとする行為ですから助けでもあります。

さらに生き延びた後、同じ気持ちで他の人に投票できるわけです。

連鎖として繋がっています。とても素晴らしいことでしょう。

お金とかサービスとか、言葉で表現してしまえば、意味が良く分からなくなりますよね。


しかし本当に自分が作ったモノを人に売ってみればわかりますよ。

「これ、出来悪いじゃん。こういうところ不便だよ。

 他の製品見てる? この値段は高くない?

 すこし値引きしてくれたら買うよ。」

嫌な客に見えるかもしれません。

しかし、自分が作ったものである場合全く違うんですよ。

「ああ、この人、本当に欲しいんだな・・・必死に値段の交渉をしている。

 欲しいと思わないとやらないよなあ。

 なんか、凄い嬉しい。」

これまでは、

人が作ったものの売買を見てきただけでした。

ですので、違った捉え方をしていたんですよね。

値段の交渉をされているというのは、口説かれているのと同じ愉悦です。

それだけ欲しいと言うのが分かってしまうからです。

他の人にどう見えようと、頑張って相手の話を聞きますし、大事にしますよ。

お客さんっていうのは、そういう存在です。

「悪いけど、これは私のお客さん。酷いことを言わないで欲しい。」

となります。

他人が見れば、すごい立派な人に見えるでしょう。

「だって、凄くけちつけられてるでしょ? 嫌な思いしていない?

 それを我慢できるって、なんか立派ですね。」

と言う感じでしょうか。


もし、自分が作れないもの、作ったものじゃないものを売ったらどうでしょう?

例えば、自分の体の一部、自分の時間、他人の作ったもの。

まったく逆の気持ちになるんです。


自分の持ち物を売りますと、

「もっと価値をつけて欲しい、だって、売ったらなくなるんだ。」

自分の手でまた作れないものは、こうなりますよね。

けちをつけられれば、哀しくなります。

また、他人の持ち物を売りますと、

「確かにそうですね。私がやったんではありません。悪くありませんよ。

 きつく言っておきます。」

となります。

更に面白いのは、自分で作ったモノであっても、他人が売りますと、

「ケチ」をつけられたとして落ち込みますし、怒りも生じます。

自分の手で作り、自分で対面して売ることで始めて成立するんです。

「欲しがっているという仕草や言動を見なくてては、苦労をした意味がない。」

と言う事ですね。



さらにお金やものが移動しない評価があります。

これでは嘘もつけます。本人の懐が痛まないからです。

自分の印象で好き勝手に言えるでしょう。

別の作為をもって、評判を下げたり、あげたりできます。

これを味わってしまうと、自分が偉くなった気がしてしまい、執着が生じます。

不必要に他人を評価し、快感を得ようとして辞められなくなるでしょう。

これも苦しい依存になります。



あなたが手習いでイラストを描いたとしましょう。

ネットに投稿し、色んな批判を受けたとしてみましょう。

とても落ち込むと思います。

「なんで、私は下手なんだ。どうすると上手になりますか?」

誰かに聞きたくて悩むでしょう。

しかし、

「・・・という理由があるので、これは50円くらいにすべき。それなら買う。」

と付け加えられたらどうなります?

「え、買うの? そういう意味だったの? ああ、売ります。

 嬉しいです。次ぎ頑張ります。」

となりませんか?

50円でも10円でも、全く気分が逆になるんですよ。

金額としては小さくても、自分自身にとっては違うんです。

たったこれだけで、凄い頑張れるんですよ。


ではこうした事が出来ない、学生はどうなるんでしょう?

この喜びを全く知らないはずです。

精神的に可笑しくなっても不思議じゃないですよ。

生きていて良いのか悩み、人の言動に傷つき、どうしても頑張れず自分を嫌いに成るでしょう。

そのため余計に人を傷つけて悩むでしょう。


そして、自分が作ったモノを自分が対面して売っていない人は、大人になっても同じはずです。

「どうして私は、あの人みたいに立派になれないんだ。

 あの人は苦労をして作り上げ、自分で売ろうとしてお客に頭を下げ、

 その上でケチをつけられて買い叩かれている。

 嫌なことばかりじゃないか。

 どうして我慢できるんだ。どうして続けられるんだ。

 こんな嫌な事をしないと生きていけないなんて、人生に何の意味があるんだ。」

こんな風に見えてしまうんではないでしょうか。

そこで、

「どんなものにも面白さがある。仕事の中から面白さを見つけていくんだよ。」

と諭す人もいます。

余計にマゾイ話に聞こえますよね。


つまり良くある悩みと、良くある助言は、共に、

自分の手で作り、自分が対面してお客にモノをうっていない人の感じ方であり、

そこから抜け出さなくては、苦しさが消えないんです。


自分を嫌いに成るのは、そうじゃない関係に身をおくからです。

「こいつ、どうしたって、俺の作ったものが欲しいんだな。

 チキショウ嬉しい。だけど、安売りすると生活も出来んし。ここは我慢我慢。

 チキショウなんて嬉しい我慢なんだ。」

こういう気持ちがずっと続くことが大事であり、これで自分の人生を埋め尽くせばいいんです。


世の中の分業が進むと、こうしたことが出来なくなり、

人の精神が疲弊してきます。

つまり、ストレス社会ですね。

① お金やモノの移動を伴う関係であること。

② 評価に対して評価する人が個人としてお金や持ち物を持ち出すこと。

③ 自分の作ったものであること、または手伝ったものであること。

④ 自分が対面して売ること、または手伝うこと。

①から④のうち、一つでも欠けるものに関わると、ストレス貯まります。

どう頑張っても、そこに長くいる人の性格は歪みます。

これは仕方がありません。


SNSやその他のコミュニケーションが増えていますが、

仕事に活用しているひとと、そうでない人では、ストレスの度合いが違います。

モノ作りや商取引に使用している場合は、どんなに活用しても疲弊しません。

それ以外に活用をすれば、危険だと言う事です。

執着が生じ、依存も生じ、自分を自分で制御できなくなり、落ち込むことが多くなるでしょう。


友人や家族に傷つけられた。

仕事仲間に傷つけられた。

こう感じたとき、当事者がおかれている関係は①~④を満たしているか考えましょう。

そうでない人同士が必ず引き起こしているはずです。


大人はこの法則を知り、緩和のために、

お金の話をし、お客の話をし、★お客に合わせ、

★モノ作りと営業を互いに手伝うように指導します。

「★」がついていることをサボりますと、お金の話も、お客の話も嫌なことに感じます。


心の中で折り合いを付けるのではなく、

関係を確認し、不足部分(売買の関係、モノ作り、対面売り、手伝い)を補って対応しましょう。

それを妨害する人はいないはずです。


人は人として制約を受けた生物ですから、

「どうしてもそうなる」

と言う関係があります。

関係が偶然出来てしまうことに注意をし、個人の資質としないことが大事です。


以上、ご参考になれば。
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この回答へのお礼

自分のことを人任せにしているところがあるから悩むんだと思いました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/20 13:57

自分は自分、他人は他人でしょうね。

人それぞれ持ってる正義感が違いますから。
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この回答へのお礼

頭では理解していても、人それぞれのはずなのに何かしらの感情を抱いてしまう私はだめだと思うなど、感情が上下してしまいます。ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/10/20 13:44

相手のことを考えてしまうのはよくわかりますが、他人をどう思うか ではなく、自分に焦点あてて受け入れて考えたほうが楽になれますよ。


自分は今こういう気持ちなんだな。と受け入れて、理解する。そう思っても良いんだよ、と自分を許す。
それでも自分を傷つける感覚があるならば、もう相手には「余裕がなく可哀想な人だ」同情の感情を抱いたほうが精神衛生上良さそうですね。
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この回答へのお礼

可哀想と上から目線で見ることに罪悪感を感じてしまいます。いつかニュートラルな気持ちになるかもしれません。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2017/10/20 13:40

生き方に正解はありません。

みんな自分なりの方法で
この世界に適応しようとしています。
その人も、心の中では必死にあがいているんでしょう。

その人への評価はやめて、付き合い方だけ考えていればいいです。
考えるというのは簡単でも、考えないというのは難しいですが、
あなたはその人に苦しめられているんではなく、その人に苦しんでいる自分に
苦しめられています。それは必要ないことです
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この回答へのお礼

単に考えないというニュートラルができないんです。おっしゃったように自分なりの方法で生きている同じ人間だと思おうとすると、それに怒りを感じた私はひどい人間だと思ってしまうし、逆に見下して意に介さないということもできません。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2017/10/20 13:36

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