出産前後の痔にはご注意!

○○首相、××大統領、というと、首相や大統領その人を指し、敬称のように使えると思うのですが、大名はどうなのでしょうか。

たとえば、徳川大名というと、徳川氏その人のことではなく、徳川氏配下の地方の大名、というニュアンスになると思うんです。この理解は正しいでしょうか。

また、大名を敬って言うときは、何と言えばよいのでしょうか。教えてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (9件)

はい、徳川大名とは徳川氏配下の大名の意味です。



大名は官職名だけで呼ばれます。
島津は薩摩守、毛利は大膳太夫(だいぜんのたいぶ)、水戸家は中納言で、苗字は付けないのが正式な呼び名です。同じ国の守が同じときに2人以上付くときがあります(普通でした)が、そのときも苗字や名前は呼びません。
この呼び方ができるのは大樹(幕府)だけです。
徳川家の記録書(徳川実紀)も幕府の記録なのでこの呼び方です。

大名どうしはその国の略称に「殿」を付けて使用します。薩摩守なら薩州(さっしゅう)殿、出羽守は羽州(うしゅう)殿です。略称のない国はそのまま備前殿と呼びます。

家来からは「殿」と呼ばれました。
家来が他の大名を呼ぶときはその国の呼び方に「様」を付けます。薩摩守様等です。
官職はよく変わり、覚えるのが大変ですが、大名武鑑が毎年発行され、これで覚えるようでした。(江戸初期から幕末まで常に出版され、氏名、役職、官位、家紋、俸禄高、在所、大名の江戸屋敷、行列の際の道具等が記載され、大名行列を見物するためのガイドブック)
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この回答へのお礼

とてもお詳しいんですね。大変ためになりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:05

上様・・領収書などでは「じょうさま」と読みます。


「うえさま」は特に将軍の呼称ではなく、慣習として目上の方を「○○上様」・・「母上様」「父上様」のように呼ぶ習慣が昔からあり、それから転化したのでしょう。

雑学でした。
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この回答へのお礼

領収書・・・「うえさま」だとばっかり思っていました。お客さんも「うえさま」って言いますものね。間違って覚えている人は多いみたいですね。
勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:10

確かにNO,7さんのおっしゃる通です。

^^
ほとんど書く事はありません。^^

戦国時代は城でなく館を構えていましたので
お館様です。

その後城を構え、家臣とは比較にならない御殿に住んでいるので
御殿様→殿様になったようですね。^^

大名同士でも、殿は御殿様の意味ですから敬語扱いのようです。
(これは御殿に住まない侍の○○殿の使いとは違うようなのです)

また、家臣から見るとかなり上の御殿の方でもありね。^^
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この回答へのお礼

御殿様が殿様になったんですか。おもしろいですね。
勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:02

御教授誠にありがとう存知ます。



目上の方を上様と呼ぶ風習があったようです。
(領収書に上様と書く例がこれです)

最近時代劇などで、人を軽蔑する意味のある○○殿。
などが多様されてしまっているので説明には大変困っています。
(文献を誰も信じてくれないのです。^^;)

URLを探しても、TVが真実の所ばっかです。
TVで武士が、謙譲語でしゃべっています。
(無礼極まりないでしょう?)^0^;
日本人なら絶対敬語でしゃべりますよー!^^;

あらを探しではありませんので御了承下さい。
m(_ _)m
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この回答へのお礼

ふむむ・・・時代劇の影響って大きいですね。まぁテレビの影響は時代劇に限りませんが。「○○殿」に軽蔑の意味があるとは知りませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:06

上様は天下人だけに使われる言葉で、大名などの殿様には使われません。

使うと公儀から、すわ!謀反か!と取り潰されてしまいます。
一般的には家臣は殿様を殿、または殿サンと呼んでいたようです。
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この回答へのお礼

家臣は「殿」だけでいいんですか?そういえば時代劇でもそうですもんね。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:08

例えば、


会社で、○○部長、○○課長の事を、敬語や、さんを付けなくて良い。
こう言うしきたりがあります。

敬語のしきたりで、敬う必要が無い。こうなっています。
○○首相、××大統領の場合、官職氏名の例です。
官職(公務員)は、警察官も自衛隊員も、○○警視、と○○2尉などと呼ばれ、さんや殿などは付けないようです。

ちなみに、上様と言う言葉は、自分が雇われている殿様に使うもので、徳川家の事は、直属の家臣以外は将軍様と呼んでいたらしいです。

家臣は大名を上様と呼んでいました。
武士は目上の武士を○○様と呼び、見下した○○殿は決して使いませんでした。

もちろん、直属の上司でない他家の大名を敬う必要はありません。
しかし、たまたま合ってしまったら、格が違いますので恐らく、毛利家の大名でしたら、毛利様、伊達家でしたら伊達様となるのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

○○殿に見下した言い方があるというのは複雑ですね。使い方が難しそうです。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/20 16:10

徳川幕藩体制というのは、実力者が朝廷の国家体制を乗っ取ってしまった側面が強いですね。

「大名」というのも元々「大名田堵」(大きな領土を持っている者)から来た言葉で、あまり公式な呼称ではありません。
徳川大名 という言い方自体、あまり例がないですが、まあ「徳川時代の、徳川幕府に従う大名」くらいの意味になりますね。
さて、現に江戸時代の人間が、目の前にいる大名に敬意を表して呼ぶとすると、以下のような呼び方になるかと。
1 氏(名字)あるいは居住地(大名の場合であれば領土の所在地)に、
2 その大名が朝廷からもらっている公式な官職を合わせて呼ぶ。
つまり、
会津藩主松平容保なら「会津中将」
水戸藩主徳川光圀なら「水戸中納言」
伊勢安濃津藩主藤堂高虎なら「藤堂和泉守」
この呼び方を、目上・目下の関係で、呼び捨て・殿・様をつけるのが正式かと。
もう少しくだけた言い方なら、上の場合、
「会津候」「水戸候」「藤堂候」と呼んだと思います。
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この回答へのお礼

とてもお詳しいんですね~~。
本当に参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/19 16:05

大名は一般名詞なので呼びかけなどの敬称としては使えません。



大名を敬って呼ぶ場合、相手との上下関係によって変わってくるでしょうが、臣下が呼ぶ場合は、若様ー若殿ー殿ー御前ーご隠居などと年齢に応じて変わったと思います。
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この回答へのお礼

一般名詞なので呼びかけに使えないんですね。なんだか変な気がしたのはそのためだったのでしょうか。例を挙げていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/19 16:06

「殿」とか「領主」



かな?
(言われてみればワカラナイナ)
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Q大名・旗本

大名同士はどう呼び合っていたのでしょうか?
例えば島津修理太夫と伊達陸奥守は互いにどう呼び合っていたのでしょうか?
「陸奥殿、薩摩殿」でしょうか?「薩摩守殿、陸奥守殿」と「守」をつけて呼んだのでしょうか?
「島津殿、伊達殿」と苗字で呼ぶ事もあったのでしょうか?

守名乗りをしない旗本同士だとどう呼んだのでしょうか?

Aベストアンサー

大名は官職名だけで呼ばれます。
島津は薩摩守、毛利は大膳太夫(だいぜんのたいぶ)、水戸家は中納言で、苗字は付けないのが正式な呼び名です。同じ国の守が同じときに2人以上付くときがあります(普通でした)が、そのときも苗字や名前は呼びません。
この呼び方ができるのは大樹(幕府)だけです。
徳川家の記録書(徳川実紀)も幕府の記録なのでこの呼び方です。

大名どうしはその国の略称に「殿」を付けて使用します。薩摩守なら薩州(さっしゅう)殿、出羽守は羽州(うしゅう)殿です。略称のない国はそのまま備前殿と呼びます。

家来からは「殿」と呼ばれました。
家来が他の大名を呼ぶときはその国の呼び方に「様」を付けます。薩摩守様等です。
官職はよく変わり、覚えるのが大変ですが、大名武鑑が毎年発行され、これで覚えるようでした。(江戸初期から幕末まで常に出版され、氏名、役職、官位、家紋、俸禄高、在所、大名の江戸屋敷、行列の際の道具等が記載され、大名行列を見物するためのガイドブック)

Q公家、実際の呼称について

武家ではなく、公家の世界での敬称・呼称について教えてください。

公家ではその家の長を殿様とか、その家の長男や次男を若さま、
のように呼びますか?

また、武家ではお姫様の読みが、将軍家とその他の家では違うそうですが、
公家のお姫さまは、なんと呼ばれていたのでしょうか?

※よく、ひいさんとかひい様という呼び方を聞きますが、
これは関東でもお嬢様、のような感じで使われていたようですね。

Aベストアンサー

例えば、「レファレンス協同データベース>レファレンス事例詳細」では、
「江戸時代に公家・公卿が使用していた言語(特に口語)に関する資料はあるか。」の
質問に対しては、下記URLのとおり
「御所言葉(御所詞、女房詞とも。)に関する資料はいくつかあるが、
江戸時代の公家・公卿の使用していた言葉(口語)について
まとめられた資料は見つからなかった。」とあります。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000021684

そこで、ネット限定ではありますが、
上記URLの参考資料を手懸かりに少し調べてみますと、

〇「門跡の言語生活からみた女房詞の研究(I):御所ことばを訪ねて/井之口有一・堀井令以知」
『西京大學學術報告. 人文 9/京都府立大学/1957-11-15』(115-84頁)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000412544
※要注意、前後逆順※<32/32→1/32>
<6/32>(110頁)&<5/32>(111頁)
『公家言葉集存』
(一)敬称(二)人称 公家衆の自称及その家中よりの称呼
(三)小児語 敬称
の「1~64」の語などが見出せます。

<32/32>(84頁)~<30/32>(86頁)の冒頭文からは近世から引き続き使用されていたとの
様子も伺えますが、明確ではありません。

続いて、下記URLでは、
「ここに収めた語彙は尼門跡で現用されている御所ことばを、
尼門跡の言語生活の録音や方言調査表などによって調査するとともに、
従来の女房詞文献所収のものを広く集成したものである。」とあって、
近世を含む情報ではあるようです。

〇「<資料>御所ことば語彙の調査研究:続編,食物を除く/井之口有一・中井和子・堀井令以知」
『京都府立大學學術報告. 人文 15/1963-11-25』(52-22頁)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000057145
※要注意、前後逆順※<31/31→1/31>
<20/31>(33頁)
V 人倫・官職
914/うえさま/上様。天皇
915/うもじ/お内儀様。妻の敬称。
[915-2/おおもじ/915-3/おかもじ/916/おまえさま/917/かかさま/918/かもじ/]
919/おうらさん/お裏様。武家から降嫁の室、清家以上で用いる。
920/れんちゅうさん(御簾中様)
921/おかみさん(御督様)/一般公家の家庭で用いる。
922/おおごっさん/大御所様。摂家・清家・大臣家以上のご隠居
923/おおじご/領主殿。先祖。女または子供の言

<19/31>(34頁)
930/おおとのさん/大殿様。諸家殿上家の主人のご隠居
931/おおみやさん/大宮様。皇太后宮。
932/おかたさん/お方様。方領米を拝受する公家の息
933/おかた(お方)
934/おかみ/お上。天皇
[935/きんちゅうさん(禁中様)/937/しゅしょう(主上)/938/とうぎん(当今)]
938-2/おかみがた/宮様方
941/おこたち/子供たち
[942/おさない(子供)/943/こたち/944/とりとり/945/わかご]
946/おごりょう/女。御御料は御御料人の略
949/おそもじさま/「あなた」の敬称。「おまえさま」「そなたさま」より
身分の低い人にいう。なお書くときは「おそもじさま」。
950/おたたさん/御多々様。宮中・宮家・摂家・精華・大臣家で、
母君をいう小児語
/おたあさん/「おたあさん」諸家・堂上家・賀茂の社家で使用する小児語。

<18/31>(35頁)
962/おちごさん/諸家・諸上家の子息
966/おもうさん/父。宮中・宮家・摂家・精華・大臣家で父を称する小児語。御申様。御孟様。
967/おでえさん(お出居様)/諸家・堂上家で父を称する
宮廷では「サン」、武家では「サマ」を用いた
969/きみさん/君様。皇太子妃。皇族の妃、宮様からご降嫁の室
[970/みやすどころさん(御息所様)]
971/~きみさん/皇族の妃殿下または摂家・清家の子息及び子女。
975/ごしょさま/御所様。天皇・上皇・法皇をはじめ、宮門跡にもいう。
なお、摂家・清家のあるじにも用いることがある。
[976/ごっさん(御所様)/977/いんごしょさま(院御所様)]

<17/31>(36頁)
997/(だい)さま/(大聖寺)様。頭文字だけをとり後を省略する呼び方が、
公家社会ではよく用いられる。
1001/とおさん/諸家・堂上家の子息・子女。特に父母から子を呼ぶ時に用いる。
1002/とのさん/殿様。諸家・堂上家の主人。
1007/はるのみやさん/春宮様。皇太子
1008/ひもじ/姫
[1009/おひもじ/1010/ひめ/1011/ひめご/1012/むらさき/
1013/~ひめさん(諸家・堂上家の子女)]

<16/31>(37頁)
1106/~まるさん/丸様。諸家・堂上家の子息の元服までの呼方
1019/みだいのかた/御台の方。貴人の妻の敬称。
1025/わかごっさん/若御所様。摂家・清家・大臣家以上の若主人
[1026/わかとのさん/若殿様/1029/わかさん/若様。諸家・堂上家の子息]

以上 「女房詞」の断片情報に過ぎませんが

少しでも 疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

例えば、「レファレンス協同データベース>レファレンス事例詳細」では、
「江戸時代に公家・公卿が使用していた言語(特に口語)に関する資料はあるか。」の
質問に対しては、下記URLのとおり
「御所言葉(御所詞、女房詞とも。)に関する資料はいくつかあるが、
江戸時代の公家・公卿の使用していた言葉(口語)について
まとめられた資料は見つからなかった。」とあります。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000021684

そこで、ネット限定ではありますが、
上記URLの参考資料を手懸...続きを読む

Q上様、殿様、お屋形(?)さま

戦国時代を中心とした時代(あるいはその前後)、領主である人や
大名である人を呼ぶ時の呼称が色々あるように思います。

実際はどうだったのかは知りませんが、大河ドラマなど、織田信長は
相手によって「殿」とか「上様」など時期にもよりますが、色々な呼ばれ方をしています。

こういう呼称について、深い意味分けはあるのでしょうか?
お詳しい方がいらっしゃいましたら、どうか教えてください。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

お屋形さま
室町時代幕府に貢献あった守護大名に「屋形号」を与えました。  管領の細川氏などです。  お相伴衆と呼ばれ名誉職でした。  白傘袋(宮中に参内の時使用)などがNo.2さんの通り許されました。  本来は一代限りでしたが、実際は相続されました。
応仁の乱以降戦国時代になると、お相伴衆はふえました。  朝倉、今川、大友、武田、北条、毛利氏などありました。  謙信も生まれの長尾家は守護代でしたが、将軍より守護を許されました。  50金を献上すれば屋形号を許されたと言われています。  
信長の織田氏は尾張の守護代のはしくれでしたので、お屋形さまとは呼ばれませんでした。  信長は尾張を掌握しても、権威など無視して申請もしません。  天下人になり、上様と呼ばれるのを望んだわけです。
殿様
武士の世界では大名のような、領地の支配者が殿様でした。  しかし尊称、敬称は時代が進むにつれ、同様価値が下がります。  小領主でも殿様になり、江戸時代徳川の家来では、旗本以上が殿様と呼ばれ、御家人以下はそう呼べないしきたりでした。  旗本と御家人の境はそう明確ではないが、稲垣史生氏によると禄200石以上が旗本の目安であるという。  このほか知行取り(一応領地持ち)か、蔵米取り(米で給与を貰う)で分けるとか、お目見え以上、以下で分けるとかあるが、奉行所の与力(200石)は殿様と呼ばれるので、この辺が妥当でしょう。
上様は普通は天下を掌握した人の称号です。  織田信長は完全ではありませんが、中央で天下に号令する前ですから天下人でしょう。  

お屋形さま
室町時代幕府に貢献あった守護大名に「屋形号」を与えました。  管領の細川氏などです。  お相伴衆と呼ばれ名誉職でした。  白傘袋(宮中に参内の時使用)などがNo.2さんの通り許されました。  本来は一代限りでしたが、実際は相続されました。
応仁の乱以降戦国時代になると、お相伴衆はふえました。  朝倉、今川、大友、武田、北条、毛利氏などありました。  謙信も生まれの長尾家は守護代でしたが、将軍より守護を許されました。  50金を献上すれば屋形号を許されたと言われて...続きを読む

Q江戸時代の「藩」の呼び方について

我々が歴史を勉強するとき「○○藩」と呼ぶ「藩」ですけれど、これは後世の学者がそう名づけたとのことで、江戸時代には「藩」と呼ばれていなかったと聞きました。

それでは江戸時代には藩のことを何と呼んでいたのでしょうか?ご存知のかたおりましたらお教えください。

Aベストアンサー

藩の字は中国から伝わり、室町時代には使われましたが、現在の盛岡藩のような使われ方はしませんでした。
徳川幕府は大名は将軍から領地、住民を貸与されている形をとりましたので、土地につながる藩の字を避けたのでしょう。
徳島藩内といわず、松平阿波守領内といいます。
徳島藩士でなく松平阿波守家臣(家来、家中)です。    徳島藩邸でなく松平阿波守(様、御)屋敷です。    松平阿波守邸ともいわれました。
ただ非公式には一般名として、藩主、藩士、主藩、支藩は使われることも少しはあったようです。   

これが崩れたのは江戸末期になり、藩士が大名の家来の意識が薄れ、土地の侍の意識が高まったからです。
幕末になり長州藩士桂小五郎などと名乗る人がふえ、藩、藩士の言葉が普及し、明治維新で大名領を藩名、のちに県名に変えることになりました。

以上は武士の話で庶民の間では、公式名でない、水戸様、加賀様というようなことも普通でした。

Q徳川将軍の呼び名

「上様」とか「公方様」と呼ばれていたそうですが、どのような場面で、どのような身分・階層の人が「上様」「公方様」「御所様」と呼んだのでしょうか。
「話し言葉」が今に伝わっている例は少ないと思いますが、具体的な例を教えてください。

例えば、将軍家御典医の娘で『名ごりの夢』の著者今泉みねは、幼少の頃、桜田門外の変直後、自宅に集まった幕臣の話の中に「上様」という言葉を聞いたと、著書で述べています。
また、駿河国70万石をあたえられた慶喜は、自分のことを「上様」と呼ぶようにまわりの者たちに言っています。
他の例を探しています。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

岩波文庫に「旧事諮問録」(副題:「江戸幕府役人の証言」)という本があります。この本は、旧幕府の役人から幕府の制度・諸役などについて聞き取った質疑録であり、話し言葉で記述されています。
この冒頭に「将軍の起居動作等」という章があり、これによると、幕臣の立場での将軍の呼び名(3人称)は「将軍家」であったことがわかります。


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