現在の日本の民主主義の度合いは強いと思いますか?私は、理由は思いつかないのですが、直感的に日本の民主主義は、民主主義の度合いが低いような気がします。皆様はどう思いますか?度合いが強いと思いますか?弱いと思いますか?理由を添えて、ぜひ意見をお聞かせてください。よろしくお願いします。

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A 回答 (8件)

こんにちは。


民主主義っていうのは、組織や体制の問題じゃなくて、国民一人一人の意識がもっとも大事だという点で、kazk さんと同じです。

ですから、私も、民主主義の呈をなしていないと思います。

なぜかですが、やはり国民が体制を倒して自分たちの思うような政府を打ち立てた経験がないからでしょう。

大昔、山城の国一揆とか、加賀の国一揆とかいうレベルではあったのですが、所詮、今でいう都道府県のレベルの一時的な自治をしたに過ぎず、それも結局体制によって打ち破られました。それ以降、幕府だの朝廷だの政府と言った物は、ほとんど世襲に近いような人たちが名前とグループを替えて統治しています。

あとよく言われるのは、日本人は熱しやすく冷めやすいといいますが、それも、熱しやすく冷めやすいように教育されているんだと思います。
今の教育を見てください。丸暗記で詰め込むだけ詰め込んで、まじめに考えると落ちこぼれる・・・こういう教育をなぜやってるんでしょう。多分自分たちの体制維持のため、考える頭を持った国民を作らないようにしてるんじゃないでしょうか・・・?
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 民主主義の度合いね。

 それよりも日本人のどれだけの人が民主主義を理解しているのでしょう。
 
 実は、私も現在勉強中なんですよ。 憲法が在って議会が在れば民主主義だと日本人の多数が思っている。でも、その中に心が無ければただの「張りぼて」に過ぎません。 法学部の学生がどれだけ憲法のことを知っいるのか? 聞くところによると司法試験に通る為だけに勉強していると聞きました?(そんな人ばかりではないと思いますが) 何か予備校のようですね。  こんな現状で、どれだけの人が民主主義や憲法を理解し議論できるのか、「政治家」や「マスコミ」さえも本当に分かっている人がどれだけいるのか怪しいものです。 そのいい例が「松本サリン事件」です。 国家権力の暴走から人民を守るために在るマスコミが、権力側についてしまった。警察発表をそのまま真実であるかのごとく報道するからこのような犠牲者が後から後から生まれてくるのです。 それと検察側に、にらまれたら99パーセント有罪とゆうのは、どう考えても高すぎる数字です。 こんな国が近代国家といえるでしょうか。 沖縄の事件でアメリカ軍の軍曹が日本で裁かれるのが、アメリカが渋るのが分かるような気がします。
 それと、近代デモクラシーの大前提は「公約を守る」ということです。 「公約」を守らない政治家は、議員を辞職しなければならない。 だのになんですか、国民を馬鹿にしているとしか思えません。  こんな政治家を許してしまう国民やマスコミは、どうかしている。 アメリカであれば、暴動が起こりますよ。
 小室直樹さんによれば、日本は250年も遅れているそうですよ。「これも戦後、アメリカから強制的に民主化させられたからだ」という議論から早く抜け出さなければ、だめです。 
 ここに集まっている人だけでも考えて下さい。 
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現在の政治は、大衆迎合主義(民主主義の衆愚政治)でこのまま行くと、全体主義への階段を転げ落ちかねない状況にあります。



ただ、おおむねでいえば、強い民主主義でしょう。
たとえば、野党に渡したといわれる機密費問題の追求はは、国民の声でうやむやになりました。また、野党の追及に対しても国民の声で打ち切りになりました。

すばらしい、民主主義ですね。
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こんにちは。

横から失礼します。kazk さんへの補足をみて、たまたま先日、夜中にみたテレビ番組(確か3チャンネル)で面白い事をやっていたので、お伝えします。

スポーツと民主主義の関係なんですが、古代民主主義がギリシャでできましたよね。もちろん奴隷制度があり、市民階級だけの民主主義ですが、そこで初めてスポーツが確立し、戦いが現代スポーツの原型に変化して、民主主義の広がりとともに文化としてのスポーツが広がったそうです。そして欧米での近代民主主義の成立とともに、スポーツでもルールが確立して残虐・格闘的要素が減って腕くらべ、競技としての要素が強くなって近代スポーツに発展してきたというお話でした。これによると、スポーツは民主主義の産物であり、民主主義の確立なくしてスポーツは成立しえなかったというまとめになってました。

大変感銘を受けた番組だったので、ちょっと口を出しました。

でも思えば、今格闘技ブームで一部には喧嘩への回帰を目指すような風潮が見られるけど、これは民主主義の後退と歩調を合わせてるようにも見えますね。
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日本の民主主義の生い立ちはamukunさんの御指摘の通りで補足さして頂けるなら明治維新を成し遂げたのは平均年齢が恐らく20代半ばの人々で後に外相となった陸奥宗光は12歳と言われています。


私から見れば若い人々が今の日本の社会が民主主義と思っていることが不思議でソ連邦健在なときに要人が日本を訪問したときに日本の政治体制を見て、これこそ究極の共産主義体制と誉めたと言われています。恐らく若い人達に本との民主主義の教育を教えなくて国の指導体制に都合のよい日本流の民主主義を教えた結果が明治維新のように血を流す事無く国の体制を変えることができる選挙離れ。
年寄りには非常に住み心地がよい民主主義ですが片足どころか首まで棺桶に入っている人が活躍する民主主義など私も疑問に思う。日本を民主主義に変えるには若い人が持つ特権のダィナミックな馬鹿(失敗を恐れない、純粋な気持ち)さが必要と思います。
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文化と云うものは、其の時代の人々のエネルギーが創り上げて行くものだと思います。


其の中から、文学や芸術が生まれて来ます。
或時代、芸術や文学は一般民衆から遊離したところで生み出されたような錯覚に陥りますが、それらを生み出して行ったのは、其の時代のエネルギーなのです。
其のエネルギーはどの様に生み出されるのか・・・、それは一人一人の意識から生まれてくるものだと思います。其の一人一人は其の時代の為政者でもあり、虐げられた一般民衆でもあるのです。
又頽廃した時代でも封建時代でも現代でも同じです。
其のエネルギーが強ければ強い程其の時の文化はより特徴的で創造力も大きなものです。
ここに民主主義の根本が有るのでは無いかと思います。例え其の時代が封建時代で有ろうとも。

少なくとも、今の日本の様に何の疑問も持たずに付和雷同し、個の意識が欠如し又個を認めない時代には民主主義なるものが果たして存在出来るのか、甚だしく疑問である。
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民主主義を語る以前の問題だと思います。


言っている内容をよく考えもせず、感情的にアイドルの様に某首相を支持してしまう、そして其の所属している団体までも支持率が上がってしまう。

自分自身大切な一個人であると言う意識も無い。
考えの基本は自分の所属している団体、又は「皆」と同じと言う個人としての実体のない所で語り、『私の自分自身にとっては』と言う大切な部分が欠けている。

民主主義は一人一人の「個人」が基本です。

日本は何時からこの様な国に成ってしまったのだろうか、私は一つの尺度として「文化」を考えています。
文学、芸術等其の国民衆が創造しているエネルギーです。
そう考えると、明治維新が転機であり、それ以降日本には民主主義なぞは育たない国に成って行った様な気がします。
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この回答へのお礼

私も、日本人は個人を大切にしていないと思います。自分でものを考えずに流せれてばかり・・・。
ところでkazkさんは文化とリンクさせて考えているようですが、非常に興味があります。よろしかったら、文化と民主主義について、もう一度レスをいただけないでしょうか?

お礼日時:2001/07/08 16:39

私も低いと思いますよ。


日本では民衆みずからが立ち上がって革命を起こしたなどということがありませんでした。明治維新の時も民衆主導ではなく武士階級主導でしたし、昭和の敗戦時もアメリカ主導の民主化でした。自ら勝ち取ったものでなく、お上の主導ですから身に付いていないと言う感じがします。
江戸時代、人口の9割位は農民であったそうで収穫の過多は天気まかせの部分があり、不作でも天をうらんで諦める(天候はどうしようもないので)しかないという施政者にはまったく都合のいい国民性が出来上がってしまってしまって現在に至っている、そう感じています。
日本人は毛を刈られても黙って耐える羊みたいな国民性を持っていると思いませんか?
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この回答へのお礼

確かに日本人というのは、「俺が世の中を変えるぞ!」って本心から思っている政治家がいないですね。耐えるだけではいけないと私も思います。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2001/07/08 16:36

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Aベストアンサー

たしかに民主主義は、資本主義の制約として働いています。しかし、資本主義の制約は民主主義でなくともよいわけで、聡明な独裁者がいろいろな制約のルールを作ってもよいではないかとも考えられませんか。

卑近な例では、進まぬ行財政改革や公務員改革に対して、現行の民主主義のシステムを嫌悪して政治のルールを破ったり無視したりしてでも新しい事態を作っていく首長が一部で人気を集めたりもしています。結果的に聡明であったかどうかは別として、このような国家的実験がいまのロシアで過去に行われたことはよく知られています。トップダウンで物事を解決していく政治システムとなっていました。

人間が行動するためには「正しい」とか「善」であるという意味付けとか、価値の付与が必要です。人を思いどおりに動かすという権力にも正統性が必要ですね。人が警察官の指示に従うのは法律によって警察官に権限が与えられているからです。為政者例えば総理大臣は日本で最も権威のある憲法に則って権力者となっているため官僚はその指揮に従います。法律は憲法に則って国会で決められたから国民はそれに従います。

しかし、何が正しいとか、善であるかは相対的なものであり、容易に判別できるものではありません。あなたの最愛の人が警官に追われてあなたの家に逃げ込んできました。警官が家の戸口に立ちました。最愛の人を守るためいないというのか。うそを付くのは悪いので警官に引き渡すのか。戦場です。人を殺したり傷つけるのは悪いのか。祖国を守るため、また横の仲間を守るため敵を銃撃するのか。

権力の正統性も同様です。その源泉は神であったり、自然法であったり、長く続いていることであったり、人民の総意であったりと権力者は自己の権力が正統であることを説明します。人民がそれを受け入れるか受け入れざるを得ないということであればなんでもよいということになります。

大衆社会になってからはメディア、うわさなどを巧みに使って人民にその気にさせるという作業が行われており、100人がそう言えばそれが事実か真実かとなってしまう状況ですね。ナチスなどが有名です。


そこで民主主義が資本主義の制約とか修正のために登場したというのではなくて、資本主義がもたらした国民の生活の状態、裕福に資産を持つ人や、雇われて仕事をするしか収入がない人、従来からの大地主や貴族などいろんな人があって、これ以上資本主義を徹底したい人や、なにも持たないので従う人、怖さを知らない人、このままでは没落してしまう人などいろいろな経済的立場として存在し、争議や内乱も含め政治的な主張や軋轢を繰り返かえすという状況が生まれたと考えます。

それぞれの国の歴史的背景、対立の勢力分布、対立の根の深さなどいろいろな要素があってなにも持たない人をどう取り込むかという解決の方法が、日本では働くしか収入がない人を政治参加に取り込む方法であったのではないかと考えます。

彼らを取り込む以上彼らの主張の一部を受け入れることとなり、結果資本主義の制約なり修正が生まれました。日本では、こうした修正した資本主義経済が発展したところ、国民が全体的にそれなりに豊かになってきたため本人の経済的立場というものがあまり気にされなくなりました。経済的立場からの発言や団結なども少なくなりました。この事態には宣伝の効果も大きいと思いますが、国民全体の所得が向上したのも事実であると考えられます。


近年の資本主義重視への揺り戻しは、小さい政府や規制緩和の動きとしてみられ、新自由主義的な政策と呼ばれますが、初期にも政府は何もしないほうがよいという考え方はありました。ワーキングプアというような現象を生み出しましたが、個人の責任をより強く吹聴することによって、社会の仕組みの変化により生じたものであるというという事実がぼかされているとも見えます。

働かざるもの食うべからずという言葉は聖書や旧ソビエト連邦の憲法の条文であり、また資本主義では持てるものは別に働く必要もないわけですから、自己責任というのは資本主義由来の言葉とは少し違うのではないかと考えます。

「持てるものが楽をして儲けて何が悪い。儲けやすいように変な規制なんか廃止しろ。わしが儲けた金に何で税金なんか払わせるのか。」そのように言ってはみもふたもありませんので、使い方や制度が悪いという問題を国民全体に啓蒙し小さな政府に誘導する必要があります。

大衆というものは、自分を自宅にプールがあるような人とは比較しないで、となりの人が海外旅行に行ったことをうらやましがるように出来ていますので、うまく不平不満をその人たちの身近に見つけてあげ誘導することが大切です。そうすれば結果的に投票者当人に不利益になることでも受け入れられます。

そこで資本主義は後ろに隠すべき物です。

たしかに民主主義は、資本主義の制約として働いています。しかし、資本主義の制約は民主主義でなくともよいわけで、聡明な独裁者がいろいろな制約のルールを作ってもよいではないかとも考えられませんか。

卑近な例では、進まぬ行財政改革や公務員改革に対して、現行の民主主義のシステムを嫌悪して政治のルールを破ったり無視したりしてでも新しい事態を作っていく首長が一部で人気を集めたりもしています。結果的に聡明であったかどうかは別として、このような国家的実験がいまのロシアで過去に行われたことは...続きを読む

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 基本的に(むしろほとんど)NO.4の方の回答の通りだと思います。以下、もう二十年も昔の大学時代のうろ覚えの知識で補足を少々。

 民主政体(治者と被治者が同一である政治体制)に、二種あります。多数決により全てを決定できる絶対民主制と、多数決によっても奪うことの出来ない個人の権利や国家作用を認める自由民主制です。後者の、法律の限界を規定する規範を憲法と言うので、立憲民主制とも言います。
 なお、法律で奪うことの出来ない個人の権利を認める主義を自由主義と言います。
 形式的に「憲法」が存在しても、その改正手続きが法律と同じ(軟性憲法)ならば、絶対民主制ですね。必然的に立憲民主制の憲法は、改正手続きが法律より厳しくなります(硬性憲法)。共産圏は私有財産制を認めないので、絶対民主制になりやすいのでしたかね(うろ覚え)。日本は、基本的人権の保障・硬性憲法なので立憲民主制すなわち自由民主主義ですね。

 次に、自由を強調して「近代国家は、基本的人権たる自由権を侵してはならない」とすると、「競争に負けて死ぬ自由」というのも保障しなければなりませんね。このような近代国家の最も出発点的な国家間を自由国家観と言います。このときの国家モデルでは、国は徴税・防衛・警察だけしていれば良いと言うことになり(国家は出来るだけ手を出さないと言う意味で消極的国家観とも言います)、「小さな国家」でよいということになります。
 これに対し、自由国家観では競争に負けたものは死を待つのみであり、また競争も形式的平等になり(つまり既得権を持つ奴が有利なので実質的に不公平)、弱者に酷であるとともに、経済活動が却って沈滞してしまう不都合が生じました。
 そこで、自由競争原理にある程度制限を加える(実質的平等)と共に、敗者の生存を確保するため、自由権にある程度の制限を加えて国家が積極的に関与することを認める福祉国家観(積極的国家観)が生じました。社会民主主義とはこの福祉国家間を意味するものと思います。
 日本国憲法は基本的人権として自由権(内心の自由、表現の自由など)の他に、生存権(幸福で文化的な最低限度の生活の保障)を保障するので福祉国家観、つまり社会民主主義の国と言えます。
 もっとも、憲法25条をプログラム規定(つまり載せているだけ)との判例・実務ですので、極めて不完全だと思います。小泉政権では市場主義経済への指向が著しかったので、さらに自由国家観の強い政治体制になってしまいました。
 補足になってませんでしたか?やっぱり

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 民主政体(治者と被治者が同一である政治体制)に、二種あります。多数決により全てを決定できる絶対民主制と、多数決によっても奪うことの出来ない個人の権利や国家作用を認める自由民主制です。後者の、法律の限界を規定する規範を憲法と言うので、立憲民主制とも言います。
 なお、法律で奪うことの出来ない個人の権利を認める主義を自由主義と言います。
 形式的...続きを読む

Q間接民主主義と議会制民主主義。

最近、学校で習ったことなのですが・・・。
「間接民主主義」と「議会制民主主義」の違いがあまりよくわかりません。

教科書によると(東京書籍「新しい公民」61ページ)
「代表者を選挙で選び、代表者が国会で話し合って決めるというやりかた(間接民主主義)」とあります。

一方で、(68ページ)
「民主政治は、一般に、国民の代表者である議員がつくる議会によって行われます。これを議会制民主主義といいます。」とあります。

先生にも質問してみたのですが、明確は答えは返ってきませんでした。

両方の違いは明確に説明できる人、回答よろしくおねがいします。
まだ中学生なので、専門用語等使わず、わかりやすく説明してくれると、ありがたく思います。

Aベストアンサー

 こう考えましょうよ。議会制民主主義は間接民主主義を具体化した原理の形で、つまり、議会制民主主義は間接民主主義の一つ。イコールですよ。違いはありません。
 間接民主主義の政治形態の国は、一般に議会議員を選挙する議会制民主主義の形ということですよ。

Q社会民主主義と民主社会主義の違いが分からない

ウィキペディアの民主社会主義の項目を見ても、社会民主主義との関係が書かれていますが、社会民主主義との本質的な違いについては触れられていません。
よく分からないので教えてください。

Aベストアンサー

ウィキを見てみましたが、本質的な違いも書かれていますよ。ただし、それを読み取るには啓蒙主義と共産主義を理解している必要があります。

ということで、啓蒙主義
そもそも民主主義は資本主義とセットになっています。資本主義は個人の自由な経済活動を必要としますし、個人の自由な活動には個人の権利保障が重要だからです。
そのため、16世紀頃のヨーロッパでの経済活動の発展に伴って、啓蒙思想(市民は平等で個人の不可侵の権利がある)が発展しました。ようするに貴族がいて庶民がいるような階級社会だと、せっかくがんばって金持ちになっても権力者である貴族が「俺に金をよこさないとお前の財産を没収するぞ」という脅しを入れてくるからです。
そのため、庶民を含めてすべての個人は自由であり平等である、という思想が発展したのです。これが啓蒙主義です。

そしてこの啓蒙主義のおかげで、フランス革命が起き周辺諸国も民主化するようになり経済活動がますます発展するのですが、そうなると資本家(当然元貴族も含みます)はますます儲かり、逆に何も持っていない庶民(以下労働者)はますます搾取される、という具合になります。
これが19世紀初頭までに顕著になってきました。

ここに搭乗するのがマルクスとレーニンです。マルクスは資本論で資本主義の本質を著わし「富める者はますます富み、搾取されるものはさらに苦しくなる」だから政府などによる調整と富の再分配が必要である、と説きました。
これにより労働者に対して資本家側から富を分けてもらう、という発想が生まれます。健康保険や年金、税金による福祉政策などが実際に行う再分配の方法です。でありこの再分配を行う方法が「社会民主主義」と呼ばれるものになります。

ところがレーニンがもっと過激なことを主張します。いわく「資本を持つものと持たない者の差を埋める事は出来ない。だからすべてを全員の共同資本にしよう」です。
ここに共産主義(資本家の否定と全労働者の権利の保障)が生まれるのですが、資本家を無くすためには二百年前におきた王族や貴族などの封建社会の否定=革命と同じことが必要になる、と考えたため、共産革命を目標にする、という事態になりロシアに共産革命が起こり、中国や様々な植民地で共産革命組織(非合法)が生まれることになります。

これも労働者の権利を守るための行動ですから社会主義的な行動であることは事実です。そのため、啓蒙主義(個人の権利の平等)をより強く求め、資本家と労働者の差を少なくする方法は社会主義と呼ばれるようになります。そしてその中に共産主義も含まれるのです。

しかしロシアの急激な変化を見た周辺国は、共産主義に対して警戒感を強めます。そのため穏やかな社会主義的な組織も弾圧を受けるようになりました。そこで社会主義的な組織の中で「共産主義との決別」「共産革命の否定」を宣言して、民主主義の枠組みの中で社会主義を実現する組織が現れます。
これが民主社会主義と呼ばれるものです。

この歴史的な経緯をまとめると、
資本家と労働者の対立を背景にして生まれたのが、富の再分配や市民の幸せを最大限希求する社会主義の流れです。そしてこれは社会民主主義とも言うのですが、共産主義を民主的ではないと考える人々は「社会民主主義」の中に共産主義を入れるのを嫌います。しかし、共産主義的な手法をなるべく穏やかに実行したい人は、修正共産主義という意味合いで「社会民主主義」という場合もあるので、意味が2重になってしまうのです。

「民主社会主義」は明らかに共産革命を否定しており、民主的な方法で社会主義を実践していくことを目的にしているといえます。

ですので社会民主主義は大きな枠組みでその中には共産主義と民主社会主義が入ります。
共産主義と民主社会主義は、資本主義を否定して社会民主主義を実践するか、資本主義を否定しないで社会資本主義を実践するか、という違いになるといえます。

ウィキを見てみましたが、本質的な違いも書かれていますよ。ただし、それを読み取るには啓蒙主義と共産主義を理解している必要があります。

ということで、啓蒙主義
そもそも民主主義は資本主義とセットになっています。資本主義は個人の自由な経済活動を必要としますし、個人の自由な活動には個人の権利保障が重要だからです。
そのため、16世紀頃のヨーロッパでの経済活動の発展に伴って、啓蒙思想(市民は平等で個人の不可侵の権利がある)が発展しました。ようするに貴族がいて庶民がいるような階級社会だ...続きを読む


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