重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

子供の時、韓国のテレビの討論番組で、漢字が必要なのか何とかの主題での討論があって、漢字を反対する側の人が、"「雪嶽山」[sɘl ak san]は日本人が読むと「せつがくさん」だ、(韓国人が)「せつがくさん」と聞いて雪嶽山だと分かると思うのか。(だから漢字の表記は無駄だ)"のような主張をしてことを今でも覚えています。

でも、ふと見て完全に違うような発音にも、両国に関係があることが少しわかって、例えば、「朗」なら韓国では[raŋ]で、日本では[ro:]なんですが、辞書にある日本の昔の発音は[rau]です。この[au]がまるで英語やフランス語の場合と同じく[o:]に変わっているようです。これは大体すべての場合に適用されて、今韓国で[ŋ]で終わる漢字は日本ではほとんど昔[u]で終わっています。(「精」みたいに[i]で終わる場合もありますが。)

しかし、もともとなぜ日本では[ŋ]が[u]になっていたんですか。「朗」の場合、いまの中国でも韓国でも[ŋ]で終わるので、多分昔中国から[ŋ]ではないかと思いますが、今の日本で外国語の[ŋ]の発音は「ん」か「んぐ」などで表記していますよね。ではなぜ「朗」は最初から「らん」にしなくて「らう」にしたんですか。昔中国での発音が[ŋ]ではなく、[ŋ]と[u]の間のなんか第三の発音だったんですか。

「第三の発音」の例は他に読んだ事があります。上の「嶽」みたいに韓国では[ak]、日本では[gak]である場合は、元の中国の音は[ŋak]みたいな音で、その音の無い韓国や日本では[ak]と[gak]の様に変わったと言う話です。

A 回答 (3件)

いくつかの理由があります。



・言葉の発音は常に変化すること
・標準語の基準は時代によって変化すること
・支配者が変わると輸入される言葉が変化すること
です。

まず同じ言語でも時代によって「発音」は変化しています。現代日本の標準語でも50年前には「がぎぐげご」に鼻濁音と正常音があり、使い分けをするとされていましたが、現代では鼻濁音が無くなってきています。
また、ハ行の発音も長い時間を掛けて変化していることが知られていて、戦国時代のハ行は「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」に近かったと言われています。母は「ハハ」ではなく「ファファ」だったようです。

これは日本語の話ですが、中国語でも韓国語でも同様に時代によって変化しています。

また標準語とされる言葉(発音)も時代によって異なります。日本なら江戸開闢以来、江戸が日本の中心地になり標準的な言葉は江戸言葉とされました。当時は今以上に各地の訛りが強く、各地から来た武士は能の言葉使いを基準に各地の訛りを修正し、庶民は浄瑠璃を基準に言葉を修正して、それが江戸言葉の基本になっていきました。
 江戸期の前は京都が日本の中心でしたから、日本語の基準は京都にあり、京ことばと江戸弁の発音の違いは、そのまま時代の発音の違いになっています。

これらの内容も外国でおきていて、中国においては北京・長安・南京などに首都が変更になった時代によって、標準語が変化しました。日本では漢字の音読みを呉音・漢音・唐音と分けていますが、呉音は南京/漢音は長安/唐音はそれ以降(宋・元・明などとのと交流による)に分けられます。
 
「朗」の読みは「ロウ:呉音」「ラウ:漢音」で「ラン」に相当する音(たぶん宋や明の時代)は日本に入ってきていないのでしょう。逆に韓国は明の時代に中国文化に深く傾倒し、明の次の清は明代までに出来上がった中華文明を満州族が乗っ取った国ですので、そのまま明代の発音が引き継がれたのだと思います。満州族は朝鮮半島にも多大な影響を与えていますので、朝鮮の発音も明・清と影響を受けているのでしょう。

日本は明代まではともかく、元や清の時代は「漢民族ではない」ということで貿易ぐらいしか行っていませんでした。彼らは支配民族として漢族より上に立っているくせに、文化としては漢人の作った中華文明を乗っ取った形になっていたからです。

こういう時代時代の要件によって、言葉の流入や、言葉をどこから学んでくるかが変わってきます。中国と陸続きで支配王朝が変わっても、否応なしに付き合うことを余儀なくされる朝鮮と、島国で自分で付き合い方を選べる日本とでは、漢字の流入の歴史的経緯が違うのです。

ですのでそれらの経緯から、現在の中国や韓国などで[ŋ]である漢字の音が日本語では「う」と発音される、ということで、偶然が入り混じった結果ですので、具体的な理由は存在しません。

以下は蛇足
>子供の時、韓国のテレビの討論番組で、漢字が必要なのか何とかの主題での討論があって、漢字を反対する側の人が、"「雪嶽山」[sɘl ak san]は日本人が読むと「せつがくさん」だ、(韓国人が)「せつがくさん」と聞いて雪嶽山だと分かると思うのか。(だから漢字の表記は無駄だ)"のような主張をしてことを今でも覚えています。

これ全く話が逆で、中国のように広大な地域ではそもそも発音(訛り)が異なるのが当たり前でした。ですから表意文字である漢字を使うことで「発音の違い」を克服したから中国では漢字が生き残ったのです。

現代でも北京の標準語と香港周辺などで話される広東語は全く発音が違い、使う単語も違いますが、それでも漢字そのものの「意味」が同じであれば、基本的には何がかかれているか明確に伝わるのです。

だから[sɘl ak san]だろうが「せつがくさん」だろうが「雪嶽山」ならどの山なのか明白であるのが、漢字のもっとも重要な点であるとされていますので、上記の学者さんの指摘はまったく逆、ということになります。

もし今でも韓国が漢字を使っていたなら、中国人と韓国人と日本人は漢字を使った筆談である程度までは意思疎通ができたでしょう。ヨーロッパ言語はこれができません。同じ意味の単語がそれぞれの言語の発音に合わせてスペルが変わってしまっているからです。

たとえば人名でいえばイギリス人のポールもドイツはパウル、イタリアはパウロ、スペイン語ならパブロ、ロシア語ならパーベルです。ロシア語のサンクトペテルブルクは英語でいえばセイント・ピーター・バーグで「聖ペテロの城」と言う意味になります。
発音が違うと、それだけで意味が通じにくくなるのですが「聖彼得城」なら中国人でも韓国人でも日本人でも発音は違っても意味は全く同じに取ることができるでしょう(彼得は中国語のペテロの当て字)
    • good
    • 0

日本語の発音(音韻というのがいい)には、[ŋ]の音はありませんでした。

(今では鼻濁音に現れるといわれます)中国から伝わった漢字の「ん」の音は、[n]、[m]、[ŋ]の3種類あったのですが、[ŋ]は本来日本になかったので、早くに[u]に変化しました。[m]は一部残ったのですが、ほとんど[n]に変化させました。時たま「三位」を「さんみ」と読むのはその名残です。(ということは「三」は中国語では[m]だったということです)「三郎」を「さぶろう」と読むのもそれが原因だそうです。[m]と[b]という発音は日本語では変化しやすかったのです。「さびしい」と「さみしい」「さむい」と「さぶい」
 (朝鮮語の発音はよく分からないのでパスします。)
    • good
    • 0

ん、の音を曖昧にした日本人は、英語などの聴き分けがとても難しくなってしまった。


amazingなどは、アメイジングとグ(gu)の音をわざわざ追加するのに。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!