1. 聖書の次のくだりを読みます。
▲ (ルカ福音 7:36-50 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://bible.salterrae.net/kougo/html/luke.html
7:36 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、その
パリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。
7:37 するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で
〔イエスが〕食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつ
ぼを持ってきて、 7:38 泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、
まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻
して、香油を塗った。
7:39 イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、
「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな
女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
7:40 そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うこと
がある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。
7:41 イエスが言われた、
「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひと
りは五十デナリを借りていた。 7:42 ところが、返すことができなかったの
で、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛
するだろうか」。
7:43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。
イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
7:44 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、
「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を
洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛
でふいてくれた。 7:45 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女
はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。 7:46
あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を
塗ってくれた。
7:47 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆる
されているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
7:48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
7:49 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえす
るこの人は、いったい、何者だろう」。
7:50 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救
ったのです。安心して行きなさい」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2. この女の人は すでに罪がゆるされて〔いるという主観における体験を
得て〕おり 自然本性なるわれに還っている。と捉えます。
3. そのことが イエスなる他者の存在に触れて 確かめられた。と捉えま
す。
4. ならば もし神が普遍神であるならば われがわれに還る自己還帰は
すでに到るところで・いつでも 起きていて あとはその自覚だけではないだ
ろうか?
5. 聖書関係の聖職者も一般の信徒も そのように受け取るほかないのでは
ないか?
No.3
- 回答日時:
クリスチャンお手本道理信じているけど実際には毎日罪を犯している悔い改めの祈りをするしかない、以外の人達は何も考えてないし読んだこともないし関係ない世界。
ご回答をありがとうございます。
★ クリスチャンお手本道理信じているけど
☆ クリスチャンであることとは 基本的に関係しません。
つまり:
☆☆ (趣旨説明欄) 5. 聖書関係の聖職者も一般の信徒も その
ように受け取るほかないのではないか?
☆ と クリスチャンに向けても 呼びかけていますが それ無しでも
成り立つ質問です。
★ 実際には毎日罪を犯している
☆ ひとは おのれの心に逆らってウソをつきそのように負の善(これ
が悪と呼び変えられている)をおこない勝ちです。
そして このウソ・イツハリを おのれの信じる神と向き合って捉える
とき その神に対して罪を侵したと認識します。
《毎日侵している》にせよ その侵すごとの罪について《赦されている》
と感受する体験があたえられ そのとき 《われは われに還っている》
と知る。――という意味です。
★ 悔い改めの祈りをするしかない、
☆ 負の善(つまり 存在ないし命なる善あるいはそれとしてにの心を
傷つけるイツハリのおこない)さらにあるいはそれとしての罪を 《悔
いる》ことがあり それらの赦されることを《祈る》ことをも ひとは
おこないます。おこないますが 《イツハリや罪が赦される》のは あ
くまで 人間のチカラを超えたナゾの何ものかのチカラによるはずです。
人間が自分で罪を侵し 自分でそれを赦す・・・なんてバカげたことを
まさか考えているのではないでしょうね。
言いかえると 悔いるや祈るにかかわらず 赦されるものは赦されます。
そのことの気づきと自覚について 問うています。
クリスチャンに向けても 問うています。
★ 以外の人達は何も考えてないし読んだこともないし関係ない世界。
☆ ご自由に。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
実のところ
「罪が許されていることが
自然本性なるわれに還っている」
というのがよくわかんないんですけど
自然本性てのがそもそもわかんない
ただ
「罪が許されている」と感じることは
あるだろう、という理解です
そして仲介があろうとなかろうと
それが本当に許されてるのかは
確かめようがないですよね
「われの主観がどこまで普遍性を持つか」
に関しては
主観が普遍性持ったら
それはすでに主観じゃないかと思うんですけど…
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~
実のところ
「罪が許されていることが
自然本性なるわれに還っている」
というのがよくわかんないんですけど
~~~~~
☆ あぁ そうでしたか。《生まれつきそなわった身と心との行為能力》
を 自然本性と言っています。
つまりは 特に心=精神としての知性や意志のことであり その意志と
ともにおこなう身=身体の運動能力や会話をつうじての社会的な行為能
力です。
★ 自然本性てのがそもそもわかんない
☆ 《自然》がついているのは――または ついているからには――な
おまだ手つかずの状態にある身と心とを言います。
生まれたままの状態だけでは 社会的動物としてまだ立ち行かないでし
ょうけれど その状態がすでに能力をそなえて基礎としてあり この基
礎の上におのれのクセ(主観)を発揮しておとな(社会人)としての基
本を身に着けるものと思います。
つまり 《われに還る》ということは わが自然本性に還ることであり
そのときには それまでおこなって来た意志の・主観的な片寄りについ
て よく分かる。
自分の侵したマチガヒやあるいは時には罪についても よく理解するこ
とが出来ます。
さらには 心の明けを持ってよき知恵を啓き他人(ひと)に対する片寄
りのない接し方を身に着けるといった高い境地を目指すことも 含まれ
ましょうが 基本としては 《わが自然本性への還帰》において 《わ
れは すくわれた》と言えるのではないでしょうか。
以上のような意味においても:
★ ~~~~
ただ
「罪が許されている」と感じることは
あるだろう、という理解です
~~~~
☆ というその内容を共有していると思うのですが。
★☆ ~~~~
そして仲介があろうとなかろうと
それが本当に許されてるのかは
確かめようがないですよね
~~~~
★ ~~~~
「われの主観がどこまで普遍性を持つか」
に関しては
主観が普遍性持ったら
それはすでに主観じゃないかと思うんですけど…
~~~~~
☆ おそらくこれは――やはり主観的なながら――《確信》の問題で
はないでしょうか。
つまり 《普遍神》とのカカハリが わが自然本性において成ってい
て(証拠はありませんが) 相対的で片寄りのあるわが主観が 普遍
性を分有している。あるいは 普遍性に触れられている。
No.1
- 回答日時:
そうなんじゃないですか?
でも自覚しても
それが本当にそうかは、なかなかわからないですけど
ご回答をありがとうございます。
★ そうなんじゃないですか?
☆ つまり:
☆☆ 2. この女の人は すでに罪がゆるされて〔いるという主観における
体験を得て〕おり 自然本性なるわれに還っている。と捉えます。
☆ でよろしいですか?
つまり:
☆☆ 4. ならば もし神が普遍神であるならば われがわれに還る自己還
帰は すでに到るところで・いつでも 起きていて あとはその自覚だけでは
ないだろうか?
☆ ではあるけれど:
★ でも自覚しても それが本当にそうかは、なかなかわからないですけど
☆ という但し書きがつく・・・のですね?
ということは:
☆☆ 3. そのことが イエスなる他者の存在に触れて 確かめられた。と
捉えます。
☆ という《仲介》の問題がある・・・ということでしょうか?
あるいは 《自己還帰についての自覚》のために 目に見える具体的なシルシ
が必要ではないか・・・といった問題でしょうか?
《われ》ひとりなる存在にとっては その主観が どこまで普遍性を持つか?
・・・この問いは なお《自覚》のあとにも 尾を引くでしょうか。
神は すでに普遍神なんですけれど。・・・
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