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No.4
- 回答日時:
No.3です。
確かに、マルタとマリアの兄弟であるラザロと、例え話に出てくるこじきのラザロとは、同一人物ではありません。それはそのとおりです。
しかし、イエスはその例え話の登場人物にわざわざ「ラザロ」という名前を付けることによって、復活させられたラザロと関連付けられるようにされた、ということです。
例えば、マラキの最後の預言で、「エリヤが遣わされる」という預言がありますが、古代の預言者エリヤ本人が遣わされたのではなく、実際にはエリヤの「ような」または、「類似した」活動を行なう人が遣わされるという意味でしたね。そのエリヤとは、バプテストのヨハネのことでした。
「あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。」(マタイ11:14)
このように、聖書は、表面上の物事だけでなく、その背後にある「意味」をも汲み取って読み解く必要がある書物です。マタイ13章でイエスが言われたように、その「意味」を考えない人は、ただ表面だけの理解に留まり、決して「神聖な奥義」(新世界訳)には達しないのです。
イザヤの預言は、彼らによって実現した。『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。 』(マタイ13:14)
そして、神に祈って理解を求めることはとても重要ですよね。さらなる理解が得られるよう、共に励みましょう!
あぁ、なるほど、そういうことでしたか。
>このように、聖書は、表面上の物事だけでなく、その背後にある「意味」をも汲み取って読み解く必要がある書物です。
全く同感です。
わざわざ、補足いただき感謝します。
No.3
- 回答日時:
No.2の回答者さんが述べるように、ここでのラザロと、イエスによって復活させられたラザロとは関連があるに違いありません。
さらに、ラザロの復活はイエスの勝利の入城と関連付けられています。ヨハネ12:17-18にはこうあります。
「それで,イエスがラザロを記念の墓から呼び出して死人の中からよみがえらせた時に一緒にいた群衆は,証しをしつづけた。そのためさらに群衆が,彼がこのしるしを行なったことを聞いて,彼を出迎えた。」
このイエスの勝利の入城は今後来たるべきイエスの再来を預言的に指し示しているものです。しかし、イエス・キリストは確かに再び来られますが、私たちの目には見えません。(使徒1:11) しかし、その時、この現代版の「ラザロの復活」に相当するものが、その見えないイエスの到来をしるし付けるものとなり、人々はそれを見て、イエスを歓呼して迎え入れるのです。
イエス・キリストは審判のために来られます。その時、ちょうど富んだ人とラザロの物語のように、神とキリストに忠実な者とそうでない者とははっきり分けられ、各々が裁きを受けることになるでしょう。
では、現代版のラザロの復活とは何でしょうか。関心があれば、https://sites.google.com/site/jwbibleprophesy/08をご覧ください。少し難解かと思いますが。
回答いただきありがとうございます。
URL拝見させていてだきました。確かに難しいです。全然何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでした。
もっともっと勉強しないといけないのかなっておもいました。
ただ、私には、マリヤの弟のラザロとこのたとえ話の全身できものだらけの貧乏人のラザロが同一人物とは、少々考えにくいものですから、・・・。
もっと深く読まなければなりませんね。
感謝です。
No.2
- 回答日時:
ラザロには名前がついているのにお金持ちには、名前が付けられていません。
どうしてだと思いますか?○イエスは金持ちが嫌いですから金持ちは誰でも良かったのです。むしろ貧乏人の名前にラザロとしたことが意図的なのです。旧約聖書中の話で貧乏人のラザロが天国に帰ったという話があるので、それにひっか掛けているわけですが、それを引用して更に、イエスは自身が救世主であることを証明するために、実際に死せるラザロを生き返らせるという奇跡を起こしています。(ヨハネの福音書:ラザロの復活)
これは、天国からであれば死せるラザロも生き返らせることができるという証明だったのですね。
ラザロは天国に帰ったという伏線がルカの話ですね。
イエスは旧約聖書中の天国に帰った貧乏人のラザロの話をし、イエスの時代にラザロという名の死体を生き返らせるということを演出したわけです。これは転生輪廻の教えだったのですね。
イエスの弟子たちは師であるイエスがあまりに早く帰天してしまったので、イエスの話を断片的にしか理解できず本当の意味がわからなかったのですね。まあ、ヘタレの弟子たちであったが故に後代のクリスチャンは新約聖書を読んでもイエスの教え自体がさっぱりわからないのですね。
大変長らくお待たせしてしまい失礼します。
回答ありがとうございます。内容を拝見させていただきましたが、かなり聖書に精通しておられるようですね。
貴重なご意見ありがとうございました。
感謝です。
No.1
- 回答日時:
プロテスタントのクリスチャンで、統一教会、エホバの証人、モルモン教とは関係ございません。
また教会で指導する立場にあるものでもなく、神学を学んだ者でもございません。回答がなされていないので、個人的な見解を述べてみたいと思います。
>ラザロには名前がついているのにお金持ちには、名前が付けられていません。どうしてだと思いますか?
取り上げられましたルカの福音書16章19-31を読んでみますと、いくつが心を捉える言葉があります。それは
25 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
地上にある時、お金持ちは人々から注目され、より苦しみのない生活をしてきました。そのようなことは私どもの価値観からしますと、望ましく、好ましいものと思いますが、神の目からは与えられた冨や才能はそのままでは価値がないという事を暗示していると思いました。お金持ちであっただけでは天の御国では「小さい者、名のないもの」と聖書は述べているように思います。しかしラザロのように苦しんで生活をしてきたものは慰められるということだと思います。とくにラザロがクリスチャンでもなくただ庶民として苦しんでその生涯を終えた場合天において慰められるということに神の愛を感じぜずには居られません。ラザロは天においては金持ちよりはるかに意味のある存在であったという事を暗示するために名前で呼ばれれいるのではないでしょうか。
またさらに
31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
しかし最後の行においてたとえイエスがこの地上降りてきて、人々に語りかけても、そのような忠告に耳を傾ける人は少ないとも述べているようにも思います。
長らくお待たせしてしてしまい、大変申し訳ありませんでした。
貴重なご意見も有難うございました。
もしかしたら、本当にどうでも良いことにお時間をとらせてしまったのかもしれませんが、私にとっては結構重要なことなもので、ご意見いただけて助かりました。
感謝です。
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