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カテゴリを変えて質問します。古銭「乾隆通寳」が日本でいつまで使われていたか、また最終的な貨幣価値がどのくらいだったかを教えて下さい。

A 回答 (2件)

 建武の中興の時(鎌倉時代・1334年)後醍醐天皇は、乾坤(けんこん)通宝という貨幣を鋳造・発行しようと計画していた。


 しかし、僅か3年で失敗に終わったため、乾坤通宝を造る計画まで失敗に終わった。と手許の本にありますがこの事でしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。
再度調べましたら、日本では乾隆通寳が使われてないのかもしれないですね。またお分かりの事がありましたら、教えて頂けると幸いです。

お礼日時:2004/09/30 16:48

専門ではありませんので自信なしですが、「乾隆通寳」という名称から、それは中国の清で乾隆帝(在位1735年~95年)の時代に鋳造使用されたものと思われます。



さて、その時代を日本に置き換えて見ますと享保の改革(1716年に始まる)より後で田沼意次の老中就任(1772年)や杉田玄白らの「解体新書」が発行(1774年)されています。つまり江戸時代の中期にあたり、この時代徳川幕府はしっかりした貨幣政策をとっていましたから、中国製の銅貨の使用を認めていたかどうかが問題です。(この点が私には不明)

おそらく、室町~戦国時代とは異なって中国製の銅貨の使用を認めてはいなかったと思われるのですが、もし使用されて(民間で通用して)いたとしても普通の銅銭一枚と同じ価値であったと思われます。

結論として、「乾隆通寳」はほとんど使用されなかった。また、もし使用されていたとしてその貨幣価値としては慶応3年(明治維新直前)の米相場から現在の1円以下と推定できます。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございました。
日本では乾隆通寳が使われてないのかもしれないですね。またお分かりの事がありましたら、教えて頂けると幸いです。

お礼日時:2004/09/30 16:47

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