高校の時の倫理で「4つのイデア」というのを習った気がするのですが
どうゆう内容か忘れてしまったので詳しく教えてください。
たしか洞窟の例えだったと思うんですが・・・

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

ありましたね・・・たしかイデアではなく、イドラだったような気がします。

イデアはプラトンの考えで、永遠の実在などと訳されています。
事柄の正確な認識を妨げる人間の先入観、偏見などをフランシス・ベーコンが4つのパターンに分け、それを4つのイドラと言います。
市場のイドラ・・・言語による偏見
洞窟のイドラ・・・個人的偏見(自分の世界観が狭いこと)
劇場のイドラ・・・伝統的思考による偏見
種族のイドラ・・・人間という種族そのものによる偏見
    • good
    • 2

私も、marutaroさんと同じく、「4つのイドラ」のことだと思います。



イドラ(idola):フランシス・ベーコンが「ノヴム=オルガヌム(新機関)」の中で言った、事物を正しく認識する歳に妨げとなる偏見や先入観のこと。これらが排除されるべきことを説いた。偶像・幻影などと訳される。

各イドラに対する説明はmarutaroさんがされているので、例示を示させて頂きます。

市場のイドラ…市場で誤った風聞が立てられるのに例えたもの。
洞窟のイドラ…洞窟の中にいて光が遮られている状態に例えたもの。
劇場のイドラ…劇場で演じられるものを盲信することを例えたもの。
種族のイドラ…自然の擬人化など。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

よく理解することができました。どうもありがとうございました。
本当は皆さんを良解答としたいのですが・・・。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2001/07/16 12:13

プラトン「国家」中に出てくる「洞窟の比喩」ですね。


壁に映った影→影の元になっている人形→洞窟の外の実物の影→実物
という具合に生成から存在へと知が進んでいく、という喩え話だったと思います。
くわしくは参考URLの解説をどうぞ。

参考URL:http://www.onyx.dti.ne.jp/~saitone/ethics/05.htm …
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qイデア論【洞窟の比喩】の矛盾点?

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くしていることになります。
なので、太陽のあるイデアの世界に行って当然のように目を悪くして洞窟にトポトポ帰ってきたソクラテスを「お前、目を悪くしたんだってなぁ~!」と言って殺すのは、何とも理不尽だと思えてなりません。

この結末は、ソクラテスの弟子であるプラトンが、
師ソクラテスは理不尽な理由で殺されたことを示すために、ワザワザ設定した矛盾のあるストーリーだったのではないでしょうか?

どう思いますか?
ご意見ご指摘ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。
モヤモヤして困ってます。

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くして...続きを読む

Aベストアンサー

或る者は直接太陽を見つめても目を悪くしません。

洞窟に戻ってきて彼の目がぼんやりしているとは、真理を見たが体得していないために、真と偽を簡潔に判別できないということ。長い期間、骨を折るということ。
上の世界(真理)に連れて行こうとするものは、為政者、富裕層にとって都合が悪いために、殺してしまおうということ。

上文のように、ソクラテスを比喩したものではありません。はるか昔から、当たり前のことを当たり前として、
行う政治家や人々は殺されています。

Q【梵我一如という言葉を高校の倫理の授業で習いますか?】日本では国民がみな梵我一如という言葉の意味を高

【梵我一如という言葉を高校の倫理の授業で習いますか?】日本では国民がみな梵我一如という言葉の意味を高校で習って知っているんですか?

梵我一如の意味を高校の倫理の授業でどのように習うのか教えてください。

梵我一如ってどういう意味ですか?

Aベストアンサー

ウパニシャッド哲学(インド哲学)の、バラモン教(教典ヴェーダ)の中で学習すると思います。
梵(ブラフマン)と我(アートマン)が同一だと言う事を自覚する境地を「梵我一如」と言う言葉で表現します。(バラモン教の場合は、これにより輪廻から解脱できると考えます)
梵は、宇宙の根本原理を意味します、我は不変の自己(輪廻する自己そのもの)を意味します。
仏教(原始仏教)の場合は、正覚、正道により、一切の執着を捨て、悟りの境地に至る事により解脱出来るとしているのが、違いです。

Q文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、 文学や倫理学や心

文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、

文学や倫理学や心理学等に関しては幾らでも難解な本を読み、その分野についての知識や教養、また、洞察力や分析力、裏読み等には秀でてはいても、

何か仕事をする時で、特に雑用や、単純な細かい作業を行う時に、咄嗟に機転を利かせたりパッと仕事を覚えるのが得意ではなかったり、要領はあまり良くなかったり、
簡単な工夫すら思い付かず、

「もうちょっと頭を使えよ。」、「それぐらい、考えりゃ分かるだろう。」等と、普通の人から言われて諭されたり等しますね。

やはり、得手不得手があり、賢さにも幾つか類型はあり、100%全ての面において賢くなるのは無理でしょうし、機知と英知はまた違いますし、
人から何を言われたからと言って、気にする事はないですよね?

また、文武両道であるからと言って、すんなり人生がうまく行くとも限りませんし、
人間は、頭脳や身体能力が全てでも無く、大切なのは心であって、
他に、感受性や素直さや芸術的センス等、誰でも何かしらの得意な分野も苦手な分野もあるものですね?

Aベストアンサー

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けていて思うんです。No6の猪突先生のおっしゃることはごもっとも。人間、左程変わりません。だからその悩んでいる人には、お書きのように、言ってあげたらいいと思います。100%の人はいません。

ただ人間、環境が伴わない限り、幸福にはならないのです。仮に職場の部下にサルトルがいたと想像してみてください。誰も使いこなせないでしょう。話もあわないでしょう。職場環境をぶっ壊す可能性大です。彼みたいな人はフリーの物書きでないと生きていけません。

しかしもし仮に、こういう人が諸事情で、普通の職場に入ってしまったら、どうなのか。環境に溶け込むか。当人の思うままに追求するか。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』がちょうどこのテーマですね。

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けて...続きを読む

Qカント倫理学と功利主義の倫理学

この二つの倫理学を比較した時、それぞれのメリットとデメリットはどんなものがあると思いますか?

個人的な意見でも構いませんので回答していただけると有り難いです。
参考にしたいのでよろしくお願いします。

Aベストアンサー

哲学の専門家ではありません。しかしながら、大学で応用倫理学の講義を受け持っています。
その立場からの見解です。

カントの倫理は意思に基づくもの、功利主義(ベンサム)の倫理は結果に基づくものです。
前者は善い行いをしようとする意思に価値を置き、後者は結果が社会全体の幸福を向上するものであることに価値を置きます。

さて、メリット、デメリットですが、私の意見では、さほどの違いはありません。

道徳規則を守る→倫理規則、倫理規定、法。
結果を重視する→結果責任、刑事責任、賠償責任
という考え方では、昨今の企業不祥事が防止できていないことからも、どちらも効果的ではありません。

むしろ、個々の状況に応じて、自分の頭で考えて判断する、という過程が重要なのだと思います。

Q倫理の教科書位に出てくる倫理学者の楽しく読める本

高校の時の倫理の授業が楽しかったので、高校のころの倫理の教科書に出てくる哲学者やそれよりもっと難しいものでもいいのですが、
楽しくいろいろな倫理学者の考え方を学べる本はないでしょうか?
教科書はせいぜい2ページ程度で、一人の倫理学者がおわってしまうので、ものたりないです。
何人かの倫理学者がでてくるものがいいのですが。
よい本があったら紹介してください。
出版社と著者と本の題名を教えていただけると助かります。
よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

最近出た、小泉義之『ブックガイドシリーズ基本の30冊 倫理学』(人文書院)は超面白いです。
古代から現代まで、30人の思想家・倫理学者の著書を一冊づつとりあげ、その倫理思想のもっとも鋭い箇所を引き出し、膨らませるような読解が披露されています。
ベンサムが同性愛擁護論者であるとか、単純に教科書載ってないようなことも知ることができるので、その点でも面白い。
倫理の教科書とは内容があまり被らないので、場合によっては何言ってるか分からないかもしれませんが、論じる一冊ごとの文章は短くまとまっています。
なにより、教科書よりずっと身に迫った問題が考えられていると感じました。一度しっかり読めば、この先ずっと思考を刺激し続けてくれるような記述が多いです。
「自己に内的制裁を加える『良心の呵責』は不道徳の極みであり、それは社会的な『病理現象』にすぎない。こうして、義務も制裁もない道徳、生の道徳が始められることになる」(ジャン・マリー=ギュイヨーについて、上掲書p.20)
おすすめです。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報