電子書籍の厳選無料作品が豊富!

ザクッとググってみたところ

スターリン
共産主義の理想国家作りに萌えていた→税金をごまかして私腹を肥やそうとする人間ばかりなのでショックで発狂した。
・・・スターリンがトップになった時には既にレーニンによって社会主義体制がけっこう進行していた。

毛沢東
自分の権力を脅かしそうな者共を皆殺しにした。
・・・毛沢東は権力争いを繰り返した後にトップになった。中国は反半共産主義みたいな感じで超大金持ち達が跋扈していた。

という風に感じたのですが、どうなのでしょうか?

A 回答 (3件)

岩波文庫


必ずしも当面は大月でなくてもいい。
資本論はあくまで弁証法の特殊な場合を記述したものです。思想史というより、体系の一部。
ヘーゲル哲学の体系の穴うめ。絶対知思考

この質問がある事自体が問題。思考の意味を理解してください。人類思考の歴史の円環円周らせん螺旋の認識過程としては物ごとを見ること。



法哲学と法制史。哲学と哲学史。
世界がどうあるべきか。
ルソーの立法者、ヘーゲル法哲学と弁証法論理学が
必要。http://takamuratetugaku.org/003/003_5_text.html

http://www.univcoop.or.jp/70years/interview/inte …

真理すなわち普遍的意志に到達するするためには
弁証法論理学が必要
質問のいみは、真理とその方法をその2つをおたずねしているようですが、どちらのいみでも、

なんのために生きるのか。バカなアホな質問。とお答えします。格差がなぜ悪いか。わからないのと本質的には同じなのです。
ごめんなさい品位がなくてつい反弁証法形而上学主観的観念論者すなわち思考停止免許停止者のことをそう呼ぶクセがあるから。

仕方がないというか学習してないとわからないだけ。
でも、ここが一番かんじん重要、
ソクラテスじゃないけど答えは教えてくれません。問答法産婆術は今私がしてますが。生きることは死ぬこと。過程だから。
でも、これは勉強方法を教えてくれなかつた小中高の先生方々にいってもムダ。

三項法または三分法問題の解きかたというか答えを教えてくれる人はいない。論理がわからないということです。例えば自由と平等というすぐにニ項対立アンチノミー二立背反にとらえてしまう。
でも、しよせん狭い範囲でしか通用しません。
形式論理学の論理は、そう広い範囲では使えない。なぜか。自然と現実はそうではないから。

自分で解くしかない。なぜか。理論と実践の統一。
泳ぎを覚えるのにカントへの悪口批判でヘーゲルは水に入らないでするたたみの上の水練。なにものかを認識するより前に、認識能力そのものを批判しておこうとするカントのこころみは、できません。なぜか、理性能力を批判するということ自体が理性によって行われているであり、ひとつの認識だから。ヘーゲル先生がやったように認識能力の自己批判、自己吟味というやり方でだけできるのです。自己吟味を続けて行く過程で認識能力が発展する事がわかるのです。認識能力もまた、発展するというのが、この問題の弁証法的見解です。わかりましたか。ゆ〇ふわこさんほか無党派層のもろもろのみなさん。カントを読むのを骨折り損だというのは、こういうことです。ヘーゲル先生を読むのが一番。
カントほか主観的観念論は骨折り損より、百害あって一理ありません。
でもヘーゲル先生の読む特に精神現象学わかりにくい、レーニンの唯物論と経験批判論も。



論理学試験。
悟性しか持てないならば思考停止、嗜好や好き嫌いとは違います。理性とか立法者とは客観と主観が統一したもの。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど!!

お礼日時:2018/02/24 07:55

しくじり先生の格差の無い国はどこか。

無人島は名回答です。
哲学カテゴリーが
くだらないとなぜ感じるのは、そのなぜかが問題課題なのです。
ターミネーターがあるのか?
興味は社会と宇宙世界に向けられるようです。でも、大ブルジョワ法学は、役立たずということがあらためて再認識させられました。2つの講座を比べるとルソーの扱いが
異なるのがなぜかということを理解すべきであり、その過程は、ヘーゲル弁証法哲学思弁のかたち、さかだちの手法を用いた形態の弁証法的唯物論と諸科学の関係性は、やはり人間の絶対的思考の完成への道過程本体とその補充補足なのです。ヘーゲル弁証法哲学は崩壊などしていない。ということがはっきりしている。所詮その後の哲学は、穴埋め補充補足にすぎない。いわゆるマルクス主義なるものはない。ヘーゲル主義の一部。体系の中の宝の希望の願いごとの日本国憲法のもちぐされはそういうこと。いわゆる無党派層なる方々は使いこなせていない。理解していない。というよりわからないですむ問題ではないではないのです。説明不足と言わせません。
2つの講座
http://takamuratetugaku.org/list.html
資本論解説あり。
http://y-ok.com/philosophy/

[
* コラム * 脳とコンピューター
最近の認知科学の発展により、脳は情報処理機関としてとらえられるようになってきました。それにともない、同じ情報処理機関としての脳とコンピューターとの異同も議論されるようになりました。コンピューターにも意識はあるのか、もしあるとすれば、それは人間と同じような意識なのか、それともそれとは異なる意識なのかも、これからの研究課題となってくることでしょう。
そうしたことに関連して、ヘーゲルは『現象学』において、人間の意識は、意識から自己意識へ、自己意識から理性へと、真理を求めて発展することを論じています。では、そもそもなぜ人間は真理を求めるのでしょうか。それは脳のはたらきと関係があるのでしょうか。
哲学は英語で「フィロソフィー」といいます。フィロソフィーはギリシア語の「フィロソフィア」に由来するものであり、「フィロ」とは「愛する」、「ソフィア」とは「知」を意味していますから、哲学とは「知を愛する」学問ということができます。
ソクラテスは、その哲学によって青年たちを惑わし、神を信じなかったという理由で告訴され、裁判を受けますが、その法廷で「わたしの息のつづくかぎり、わたしにそれができるかぎり、決して知を愛し求めること(哲学)を止めないだろう」(プラトン全集①八三ページ、岩波書店)として、死刑の判決を受け入れるのです。
こうしてみると、人間はコンピューターとは異なり、知を愛すること、つまり真理を求め愛する存在であるということができると思われます。ではなぜ人間が知を愛し、真理を求めるのかを、脳科学の観点から考えてみると、脳とコンピューターとの違いに起因しているように思われます。
脳もコンピューターもどちらも情報処理のシステムですが、決定的に違うのは、コンピューターが与えられたプログラムに従って情報を処理し、出力することを目的とするシステムであるのに対し、脳は出力することをつうじてコンピューターのプログラムに相当する「情報処理のアルゴリズム(処理方法)」(松本元『愛は脳を活性化する』五ページ、岩波書店)を獲得、強化することを目的としているシステムということができます。
いわば脳とコンピューターとでは目的と手段とが逆になっており、脳では情報処理の仕組み(ネットワーク)の形成が目的であって、出力はその手段であるにすぎないのに対し、コンピューターは、出力を目的として、情報処理の仕組みを手段としているのです。
脳は、経験をつうじて記憶を質・量ともに発展させ、記憶された情報のうち、使用に耐えうるものを知識に変化させ、蓄積させていきます。記憶自体も「外部から取り入れた情報がそのまま保持されているものではない」(仲真紀子編著『認知心理学』一〇六ページ)のであり、ましてや記憶を知識に変えるには「主体による記憶情報や現実世界に対する積極的な働きかけが必要である」(同)と考えられています。すなわち「記憶や知識は外部から受け身的に入ってくるものではなく、記憶主体が自ら積極的に作り上げていくものである」(同)との考えが、一般的なものとされています。こうした知識をつかって「思考(考えること)」がおこなわれます。思考とは、入力された新しい情報が提起した「何らかの問題を解決する」(同一四九ページ)ことを意味していますが、「思考の本質は推論」(同一五六ページ)にあります。こうして脳は「感じる」「知る」「考える」「創造する」というすべての機能をつうじて新しい問題を解決することにより、主体的により発展した神経細胞のネットワーク(アルゴリズム)をつくりあげていくのです。
このように脳は出力することによって、脳の情報処理の仕組みを発展させますので、知を求め、真理を探究することは、脳にとって神経細胞のネットワークをより発展させる作業であり、脳はその作業を「快または善」として受けとめます。脳は、新しく知ること、真理を探究することによって自らの情報処理能力を発展させることから、こうした作業をすることを「快または善」として受けとめるのです。ソクラテスが哲学することを止められないと言ったのも、それが最も人間らしい心の働きだからということができそうです。]
ということであるそうです。

無党派層の方々に言いたいのは、哲学すなわちヘーゲル哲学が難しいとさけていくのは、学問に王道なしであり、また、無知の知の自覚をさけることすなわち現実課題から目をそらす現実逃避そのものです。欅坂の歌の歌詞の
サイレントマジョリティとはそういうこと。
翼はいらない。ワープはできません。
歴史を学習する目的は過去から現在から未来へと発展する人類の思考の過程を把握するのです。
http://takamuratetugaku.org/012/012_15_text.html

学問に王道ありません。経済学批判というよりそれ以前の問題。

資本論解説
http://takamuratetugaku.org/005/005_text.html

http://takamuratetugaku.org/006/006_text.html
哲学講座音声解説一部あり
全講義リスト
http://takamuratetugaku.org/list.html
全講義リストにルソーとヘーゲル法哲学の意味がわかる内容があります。


哲学講座
http://y-ok.com/philosophy/

わかってないわかりやすくとかんじる哲学講座
https://www.philosophyguides.org/
但し、読んでもわからない理解不足が空想から科学へ自体とそれをよむ後世代人々にある。なぜかそれは歴史的制約というより、哲学と科学と弁証法の内容過程を理解不足にある。洞察力の洞察がないと理解不足乖離が大きくなる。



諸科学の講座
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/course-search/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

良くわかりました。

お礼日時:2018/02/24 07:55

変わりません。

指導者です。人です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うむ・・・

お礼日時:2018/02/24 07:54

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!