A 回答 (14件中1~10件)
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No.14
- 回答日時:
(神よわれをつかいたまえ)は信仰者の生活ですね。
きわめて柔軟な生き方に思えます。わたしの思い描く時間割では、一瞬一瞬その枠が変動していそうです。
おそらくは、時計をチラチラみるようなせかされかたはしないのに、時間を守れているような感じでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ (神よわれをつかいたまえ)は信仰者の生活ですね。きわめて柔軟
な生き方に思えます。
☆ ゆだねているということは 必ずしも つねにどういう具体的な
行動をもって仕えるかは 分かっていないのですが。
★ わたしの思い描く時間割では、一瞬一瞬その枠が変動していそう
です。
☆ そうですか。そのつど 課題のようなものが見えて来る・または
見えて来るのを俟つといった感じでしょうか。
★ おそらくは、時計をチラチラみるようなせかされかたはしないの
に、時間を守れているような感じでしょうか。
☆ あぁ すでにいまの生活にコミットしているといったことでしょ
うか。つまり 実存(現実存在)ですね。アンガージュマンですね。
No.13
- 回答日時:
(労働)は自己の生活の要請から生じる必要なもの、
(活動)は様々な必要の割合を調整するような働きかけ、
(仕事)その労働と活動の調整如何がうまく言葉にできるか、あるいはそのような言語化されるものをある程度の世界観としてイメージできるようにできるか
のようなイメージでいます。おそらくアレントさんのいうところの、労働と仕事と活動のいうところとはずれているかもしれませんが、わたしがわたしの奴隷となり行うものと、わたしがわたしの主人となって行うものと、わたしがわたしの代表者となって他者に語り掛けるものの配分はあるような気がします。
掃除、洗濯、食事、風呂は昔をイメージすると、木を集めに行ったり、川に行って衣服を洗い、帰りがけにバケツに水をくんでくるようなものは、現代にとっては違うものですが、わたしがわたしの奴隷になって行うもののように思います。
いまでは、ガス栓を捻れば、炊事ができる、蛇口を捻れば水が出て、飲むこともできれば、風呂桶に溜めることもできる。
わたしがわたしに行う奴隷の行為は減っていますが、それを支払うなにか別のサーヴィスを考えなければなりません。
なにかこの労働と活動と仕事は、流動的であり、社会もまた流動的に見えます。
いま、思っていることは、ヘーゲルさんの『精神現象学』をうけて、フロイトさんは心理学をつくっていたのではなかったか、
ヘルマン・ヘッセさんはどれくらい、ニーチェさんのことを知っていて、ニーチェさんのなんらかの仕事を受け継いでいないかどうか考えてみたいと思っています。これはまったくの荒唐無稽でしょうか。
あと、神から当然ひとに与えられているプロパティーはなにであって、ひとがひとを支配するプロパティーは誰にも与えられていないとするとき、ひととひととの関係はお互いに人同士で決めるべきであって、わざわざ神を呼び出して、ある意味神にその判断を任せて、都合のわるい結果になった時には神のせいにしなければならなくなる。もともと人間同士で話し合うべき問題を神の責任にしてはいけないので、恩寵の話をわざと回避している、という考え方はないでしょうか。
わたしは屁理屈をこねまわしていると思いますが、なにかヒントをいただけますか。
ご回答をありがとうございます。
★ (労働)は自己の生活の要請から生じる必要なもの、
(活動)は様々な必要の割合を調整するような働きかけ、
(仕事)その労働と活動の調整如何がうまく言葉にできるか、あるいは
そのような言語化されるものをある程度の世界観としてイメージでき
るようにできるか
☆ わたしは 一日24時間ないし一生をゆだねています。神よ わ
れを使いたまえと。
★ いま、思っていることは、ヘーゲルさんの『精神現象学』をうけ
て、フロイトさんは心理学をつくっていたのではなかったか、
☆ 神経症の治療・研究から入って それは 性的な欲動・欲求――
それが 抑圧された結果 無意識として作用するようになったという
ふうである――にほかならないと《決めつけた》のだと思います。
★ ヘルマン・ヘッセさんはどれくらい、ニーチェさんのことを知っ
ていて、ニーチェさんのなんらかの仕事を受け継いでいないかどうか
考えてみたいと思っています。これはまったくの荒唐無稽でしょうか。
☆ ヘッセって 車輪の下とかを書いた小説家ですよね?
ニーチェは ゼロだと捉えています。
★ あと、神から当然ひとに与えられているプロパティーはなにであ
って、・・・もともと人間同士で話し合うべき問題を神の責任にして
はいけないので、恩寵の話をわざと回避している、という考え方はな
いでしょうか。
☆ 神とわれとのカカハリは タテの関係であり 人どうしは ヨコ
の関係です。
タテの関係において・わが主観の内部でとしては 絶対性が――主観
のかぎりで――あらわれ得ます。
タテとヨコとは 基本的に切れています。
ヨコの関係は 基本として 相対性の世界です。
こんな感じに捉えています。
No.12
- 回答日時:
蛇足だとおもうところをすこし喋ってみます。
浪人生のときに、テスト問題をたくさん解いてヘロヘロになったときは、気晴らしに 7 階か 8 階くらいの大きな書店に向かいます。いちばん上の階まで行って、フロアーの本を一通り眺めて、(およそタイトルと著者だけをみて)、気になったものだけを取り出して、目次だけを読んで、棚に戻します。
一階まで戻って来たら、「これらのものごとが、すべて心の中に収められているとは、到底思えないよな。」とつぶやきながら、絶望した気持ちになって予備校に戻って勉強します。
大学に入ってから、アレントさんの、労働と仕事の違いについての問題をみたことを思いだして『人間の条件』を買いました。
引用が多くて、いろんな人の名前がでてきて、すぐに意識があっちこっちに飛んでしまいます。
これは、いろんな人たちの生きた時間と場所を位置づける時空間が必要だな、と思いました。
まずは、プラトンから読まないといけないのかな、と漠然と思っていてような気がします。
それから、だいぶ時間が過ぎましたが、わたしにとっての(労働)と(仕事)と(活動)との関係、割合はどうなっているのだろう、と反芻しています。
24 時間が与えられていて、8 時間が労働、7 時間半が睡眠、残りが、仕事と活動でしょうか。
掃除、洗濯、食事、入浴、はどこに入るでしょうか。
じぶんの身のまわりだけではないようにも思います。
一番大事な祈りの時間は一時間で充分でしょうか。
ソクラテスさんは、つぎにうまれかわるまで、千年の準備期間をおいていたように思います。
かってに想像すると、直接民主制の自由人として生まれるには、十人ないし十二人ほどの、それ(ひとりの自由人)を支える従者が必要である。と考えるのは可能でしょうか。
この自由人は従者の 10 ~ 12 の気持ちを代表すれば足りるのでしょうか。逆に従者を配慮していない点についてあれこれ考えていないでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ それから、だいぶ時間が過ぎましたが、わたしにとっての(労働)と(仕事)と(活
動)との関係、割合はどうなっているのだろう、と反芻しています。
☆ いやぁ。そういう区分になるんですかねぇ。いや 分かりません。しっくり来
る解釈があるとよいのですが。
★ 一番大事な祈りの時間は一時間で充分でしょうか。
☆ そんなに長い時間を当てているのですか? 知らなかった。
(わたしは 就寝するときに ちょっとだけです)。
★ ソクラテスさんは、つぎにうまれかわるまで、千年の準備期間をおいていた
ように思います。
☆ これは 分かりません。同じ遺伝子の人間が過去にいたことはないと思いま
すし。
★ かってに想像すると、直接民主制の自由人として生まれるには、十人ないし
十二人ほどの、それ(ひとりの自由人)を支える従者が必要である。と考えるのは
可能でしょうか。
☆ 《直接民主制 / 自由人》と《従者》とは 相容れないのでは?
No.11
- 回答日時:
よき友との関係もとても精妙で深いものに感じます。
友が転びそうになったり、自分が転びそうになったり、共同生活を始めようとしても、夫婦であるひとと独身であるひととのすり合わせが難しかったり、それでも、いろいろな出来事や、遍歴が、醸し出されて、(時が熟していって)、取って読めにつながる。
おそらく、なにものも無駄ではなかったといえるときが、まさに恩寵を実感するときなのかもしれませんね。
わたしがそのようにまわりに感謝できるところまでいけるとよいのですが。
蛇足のような話はやめておきます。
あぁ アリピウスと言いましたか。のちのちまで よい関係でしたね。
ご回答をありがとうございます。
なかなか読みこんでおられますね。
わたしは 告白より三位一体論のほうに入れ込んでいました。二・三
年のあいだ 来る日も来る日も 一日10ページほどでしたか アッ
トランダムに拾って読んでいました。通しでは 二度ほど読みました。
No.10
- 回答日時:
きのうの夜、あなたと話して、新しい宿題ができたと思いました。
今日、起きてみて、焦りのようなものが膨らんできています。
雑多なものをありのままにのべつ幕なしにしゃべり続けるようななにかです。
できることならコンパクトに話したい。
ハナ・アーレントの『人間の条件』(ちくま学芸文庫)をなにげなしに開いてみると、428 - 429 ページ、
アウグスチヌスは母の祈りに育てられ、さまざまに遍歴を重ねながら、友人たちとも交流を重ねた、愛は神を求めることであって、隣人を愛する愛とはどのような関係にあるか、アンブロシウスは彼のなす振る舞いすべては、まさに聖書が人間の体の形をなしていきているかのように見えたのかもしれない。
ヴォルフさんを調べるよりも、「取って読め」というような気もします。
アレントさんの『人間の条件』はプラトンさんおよびその弟子が設計し立てたような建物にみえたというようなことなのでしょうか。
取って読むには、わたしのポケットのなかの小銭によるところがあって、しばらくあとになりそうです。
ポケット叩いて増えるとよいのですが。
ご回答をありがとうございます。
『人間の条件』の中のそのくだりについては 忘れています。
いぢのわるさを発揮しましょうか。
▲ 愛は神を求めることであって
☆ げんみつに行きますと 神を愛するようになるのは 恩恵を受けて
そうなるのだというのが 恩恵と自由意志との理論です。
アンブロシウスは アウグスティヌスにとって よき師匠だったようで
す。
《取って読め》は 劇的・感動的です。
ただ 読んだ箇所は あまりにも道徳的ですね。(わたしには かも知
れませんが)。
わたしは 不用意にものを言っているかも知れません。気にしないでく
ださい。
No.9
- 回答日時:
わたしも、ヴォルフさんのことはなにもしりません。
また、シュヴェーグラーの西洋哲学史の下巻あたりをながめてみようとおもいます。カントさんの入門書もすこし見てみようとおもいます。
しかし、アウグスチヌスの『告白』はいい本ですね。アレントさんの処女論文がどんなものか気になっていて、そのアウグスチヌスさんというのはどんなひとなのだろうとずっと気になっていました。三位一体論といってもわたしはキリスト教徒ではないので、読んでみたところで理解できるのだろうかと思っていました。いろいろあなたに教えてもらったことで、なにかうまく読むコツを伝授してもらったような気がします。
歴史のながれでみて、ひとりひとりの考えは類型的、キャラクター的にはそれぞれそのように、イケイケであったり、シミジミであったりにみえるけれども、ひとりひとりは、それぞれひとつの世界観をもっていて、ひとつの秩序があると思います。そのなかには、個性を遠めにみたキャラとはちがって、恐ろしいほどの大胆さがどこかに隠れている、ということもあるのでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
わたしは 水による洗礼を受けていません。アウグスティヌスにしてみれば
もってのほかであるかもしれません。
そのほか いくつかこの師匠にさからって ものを言っています。イエスは
自分がキリストであると言って 大嘘をついたとか。
アレントを読んだのですか。読みづらかったです わたしは。まちがっては
いないのでしょうが 幾何学的な城を建てるかのように文章をはこんでいる
と思えます。『人間の条件』も そのようだったと思います。
No.8
- 回答日時:
ライプニッツさんのあとにヴォルフさん、ヴォルフさんのあとにカントさん
ヴォルフさんの独断論を行き過ぎだと思って慎重にしたのがカントさんのように思っています。
光合成をするような細菌から、次第に地表面がマイルドで豊かになって、35 億年、
サルが木から降りて数百万年、直立歩行して前足が自由になり、脳が大きくなるのと、手先が器用になるのと数十万年、
定住したり、放牧したり、しぐさ以外のサインをつくりはじめて数万年、
一万年で、言葉を駆使し、文字を考案して、なにか伝えよう、なにか残そうとしてひとは思う。
死者を弔うことと、自らは有限であることをおぼろけながら知ることになったのはこれくらいの時期でしょうか。
ことばによって気持ちを表現するなかに、それまでの恩寵がないといえるとは思えない。
一生懸命生きてるのに、ご飯が足りない、着たい服がない、あついさむい、落ち着くところが欲しい、肩が痛い、腰が痛い、目が疲れた…
そのようなつらいことがあるにしても、満ち足りて有り余るほどの恩寵をうけていないのでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 満ち足りて有り余るほどの恩寵をうけていないのでしょうか。
☆ いまから述べることは 単なるわたしの感想です。哲学でも
何でもありません。
とおことわりして述べることは 《わたしは そのようには(そ
こまでのことは)よう言わない》です。言えません。ただ そう
感じます。
神はいない・恩寵はゼロだという神論を持つひとが 満ち足りる
恩寵を受けているという神論をみとめ 両立すると見ているなら
互いに 同じひとつの普遍神を信じているのだと思います。
★ ヴォルフ
☆ については 何か言えるほど知っていません。おしえてくだ
さい。
No.7
- 回答日時:
ニーチェさんの「神は死んだ」のほうしか考慮に入っていませんでした。
あなたはつねにわたしのすぐそばにいながら、わたしは勝手にあなたから遠ざかっていると思っている。
ひとびともまたあなたから遠ざかってると考えながら、そのような遠いところにあって傷ついている人をつれてわたしはあなたのもとに帰ります。
というように考えることが可能なのでしょうか。
永劫回帰のほうはまったく考慮にいれてませんでした。
映画のマトリックスが流行っていた前後のころに、自分が食べられる側で、誰かの口に入り、うんこになるまでを想像したりしていました。自分が食べられる側を想像してみて、ご飯を頂くとき、まさに「いただきます」の気持ちが深まって、どうしようもない自分だけど、少しはひとの役に立てる仕事がしたいな、と考えていました。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~~~~~~
あなたはつねにわたしのすぐそばにいながら、わたしは勝手にあなたから遠
ざかっていると思っている。
ひとびともまたあなたから遠ざかってると考えながら、そのような遠いとこ
ろにあって傷ついている人をつれてわたしはあなたのもとに帰ります。
というように考えることが可能なのでしょうか。
~~~~~~~~~~
☆ 前段で反省し 後段でその結果 人びととあることにも思いを致しその
共生をも実践する。――というところでしょうか。
《あなた》がもし神のことなら 反省も実践も時を移さず いつも一瞬の出
来事――ヒラメキ――ではないか。とも思ったりします。
★ ~~~~~~~~
永劫回帰のほうはまったく考慮にいれてませんでした。
映画のマトリックスが流行っていた前後のころに、・・・(中略します)・
・・・自分が食べられる側を想像してみて、ご飯を頂くとき、まさに「いた
だきます」の気持ちが深まって、どうしようもない自分だけど、少しはひと
の役に立てる仕事がしたいな、と考えていました。
~~~~~~~~~
☆ 文句ありませんしケチをつけるつもりもありません。
ただし もしニーチェに関連づけるとすれば そういった思いが何度でも永
遠にやって来るとでも言っているのではないかと 推測され得ます。何とも
やるせない内容のことを解釈で得させかねません。
No.6
- 回答日時:
恩寵はじつはあふれてありあまるほどにひとびとは受けているのに、にんげんのほうでは、自分の都合にあわない点だけを悩んであたかも恩寵がないように感じていることのほうが多い、というようなイメージでいたのですが違うのでしょうか。
ライプニッツさんは数学も得意な哲学者で、さらにいろんな政治的な部分にも入っていくひとで、どちらかというと、イケイケタイプのひと、カントさんはどこにそのような記述があるのかわかりませんが、わたしに許されることは何かと考え、土台をじっくりと作り上げる地道の人というイメージなのですが、ハイネさんの言う、カントが神の首を切り落とした、ということもやはりなんともしっくりこないはなしに感じます。
恩寵は満ち溢れて有り余るほどだから、どんどん進んでよい、というような形だと、ペラギウス的なのでしょうか。
近頃は、神はわたしがどうあっても、びくともしない、だからわたしがどんなことを言ったとしても許されると、ニーチェさんは考えたのだろうか、とも思っています。
もしかしたら、究極のツンデレなのでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
★ 恩寵はじつはあふれてありあまるほどにひとびとは受けているのに、
にんげんのほうでは、自分の都合にあわない点だけを悩んであたかも恩
寵がないように感じていることのほうが多い、というようなイメージで
いたのですが違うのでしょうか。
☆ そうなんでしょうね。ただ実際には 受けているという実感は あ
まりないかも知れず むしろあたまでそういった考え方をしてみるとい
うのが 実態であるかも分かりません。
(つまり 吹聴するのも 行き過ぎかも分かりません)。
★ ライプニッツさんは数学も得意な哲学者で、さらにいろんな政治的
な部分にも入っていくひとで、どちらかというと、イケイケタイプのひ
と、カントさんはどこにそのような記述があるのかわかりませんが、わ
たしに許されることは何かと考え、土台をじっくりと作り上げる地道の
人というイメージなのですが、ハイネさんの言う、カントが神の首を切
り落とした、ということもやはりなんともしっくりこないはなしに感じ
ます。
☆ 切り落とし方に問題があるのかも分かりません。その結果として:
▲ 汝の意志の格率が,つねに同時に普遍的な立法原理と見なされうる
ように行為せよ
☆ というのは むしろそのほうが人間の意志による《イケイケタイプ》
であるようにも思われます。
★ 恩寵は満ち溢れて有り余るほどだから、どんどん進んでよい、とい
うような形だと、ペラギウス的なのでしょうか。
☆ いや これは違うと思います。恩恵を受けるまでもなく 人間がそ
の意志で成し遂げようと思い成し遂げられることがあると宣言している
ということだと思います。
★ ~~~~~~~
近頃は、神はわたしがどうあっても、びくともしない、だからわたしが
どんなことを言ったとしても許されると、ニーチェさんは考えたのだろ
うか、とも思っています。
もしかしたら、究極のツンデレなのでしょうか。
~~~~~
☆ もしそういう思いと意図とがあってもろもろの発言をおこなったの
だとしたら 見直す余地があります。
でも そのときにも 言っていることについては 意味がないと考えま
す。永劫回帰って 何のことですか?
No.5
- 回答日時:
恩寵じたいのとらえかたが難しすぎるような気がしてなりません。
ご回答をありがとうございます。
じつは 《無い神》を――普遍神のシルシのひとつとして――えらんでいて
神とわれとのカカハリ(つまり 信仰)は持ち得ていると言える場合があり
ます。
つまり 《恩寵》もゼロであるとして そのおのが《無い神とわれとの関係》
を保っているという場合です。
ただ カントにあっては 恩寵も神をも自分の中から閉め出しているものと
思います。
(精確には 神にしかるべき席を用意しようとはしており 恩寵を想定して
いて しかもこの神ないしその恩恵のちからを 人間の自由意志よりあとに
置いている。ということです)。
このようなペラギウス主義なる思想は 人間至上主義になりますから 先ほ
どの《無い神》派の信仰を じつは表わすのだと解釈しないかぎり ちょっ
と いただけないと思います。
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