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徳島県生まれの祖父。たしか明治の終わりの生まれだったと思います。長らく戦争に行っていたようですが、寡黙だったのでまったく戦争の話は聞かないまま、私が子どもの頃に亡くなってしまいました。悲惨な体験談を話したくなかったのかもしれません。のちに父から聞くところによると、ガダルカナルやラバウルのような激戦地の南の島に潜水艦で上陸した。戦車がたくさんの死体を踏み潰していたのをみた、と祖父から聞いたことがあるそうです。しかしこれもうろ覚えで、一体どこに行っていたのやら。潜水艦には普通の歩兵も乗れるのでしょうか?特殊技能があるわけでもなく、当時すでに30才を過ぎていたはずの祖父です。もし祖父の出兵先を知るヒントがあれば教えてください。

A 回答 (6件)

徳島県に住んでおられたのでしょうか。



通常、日本軍は連隊区と言われる地域区分で徴兵・応召されていました。
徳島の連隊区に該当するのは以下のものです。
(専門家ではないので、抜けていたらごめんなさい)

・第11師団 43連隊
  戦時中は満州にて治安維持。一部はグアムへ抽出後壊滅。
  本隊は終戦直前に四国へ帰還して終戦。
  ちなみに、初代師団長は乃木希典。

・第40師団 235連隊
  日中戦争で中国に派遣され、戦時中のほぼ全期間中国にて活動。
  南昌に移動中に終戦。

・第55師団 143連隊
  グアム・ラバウル攻略後、ポートモレスビー攻略で壊滅的打撃をうける。
  再編後にビルマのアキャブ作戦で敗退、仏印にて終戦。

・第111師団 243連隊
  1944年創設。満州の警備後、済州島に移動して終戦。

・第120師団 260連隊
  1944年創設。満州の警備後、京城(ソウル)に移動して終戦。

・第121師団 263連隊
  1945年創設。済州島に移動直後に終戦。

・第155師団 450連隊
  1945年創設。いわゆる根こそぎ動員による沿岸配備師団。
  そのまま四国で終戦。

・第344師団
  1945年創設。これも沿岸配備師団です。
  徳島からも参加したようですが、資料がないのでよくわかりません。

この中で、南の島に該当するのは第11師団と第55師団。
第11師団の一部はグアムで玉砕(つまり全滅)しているので、
激戦を生存されたなら、たぶん第55師団のニューギニアだと思います。
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この回答へのお礼

Thank you

非常に詳しい情報をありがとうございます。ベストアンサーに選ばせていただきました。
ニューギニアに行った部隊があるのですね。全滅した部隊もあるとのこと…悲惨ですね…。出身県で行き先が絞られるということは知りませんでしたので、すごくよくわかりました。もう少し祖父の配属などについてわかることがないか、実家を探してみたいと思います。

お礼日時:2018/05/11 21:13

徳島歩兵第143連隊のNHK動画をご覧下さい。


https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/b …
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この回答へのお礼

ありがとう

このような動画があったことを知りませんでした。ありがとうございます!参考にさせていただきます。

お礼日時:2018/05/11 21:14

マニラでしょう。


日本陸軍の潜水艦、三式潜航輸送艇が歩兵の移送に利用されています。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます。三式潜航輸送艇というのですね。南のほうというのは確かなようなのでマニラかもしれません。もう少しヒントがないか実家を探してみたいと思います。

お礼日時:2018/05/11 21:08

明治45年生まれだった私の父は、通信兵でした。

戦地がどこだったのか(聞いたかも知れないが)明確な記憶がありません。ですが中国人の悪口はよく聞かされ、中国人のことをチャンコロ人と言ったり、日本人は洗った顔を手に当てたタオルで拭くときは手を動かすが、中国人は顔を動かす、だから見分けがつく…などと嘲笑していました。どうも満州に行ったのではないか、と思うんです。
戦地の話はありませんでしたでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます。なかなか戦地がどこだったかまで書き残したりしている方は少ないのでしょうね。徳島からも中国のほうに多くの兵隊が送られたようでした。戦地では我々が想像できないような苦労があったでしょうね。祖父が生きているうちにもっと話を聞いておくべきでした。

お礼日時:2018/05/11 21:06

私の父は、明治39年生まれでした。

昭和12年召集され、30歳で南支派遣軍として、アヘン戦争で有名な虎門要塞に敵前上陸して各地を転戦したそうです。香港攻略戦、マレー敵前上陸、シンガポール攻略、ラングーン攻略、ビルマでの英中軍の反撃の阻止、挙句は、独断でのインパール進出(戦史には載っていない)後、印面国境で除隊後、内地帰還。後再招集され、ミンダナオで戦い、昭和20年9月に降伏し、翌年帰還しました。

実は陸海軍は連携が良くなかったそうですが、福建省福州撤退時は、海軍駆逐艦が撤退の援護射撃をしてくれ、同艦隊に収容後馬公経由で広東迄輸送してくれたそうです。そしてマレーでは、海軍の爆撃機が、部隊輸送の為派遣されてきたそうです。

父の同級生は、上海の敵前上陸で多くを失い、生還したクラスメイトは、たった1名のみだったそうで、戦った戦場により命運が大きく異なったようです。そして香港で戦った郷里の知人は、静岡連隊(東海林支隊)のヘンダーソン基地突入を支援し、その後命からがら、駆逐艦に収容され、ラバウルに帰投したそうです。

現在は第二次大戦の戦史編纂は終わっていると思いますが、防衛省には、旧戦史編纂室の継続組織が存在する筈で、こちらを当たれば、可なりの事が分かります。そして各地の図書館にも郷里の部隊の記録が残っているので、貴方のお爺さんの戦歴を解明する手掛かりとなります。旧軍は、本籍地を元に編成されているので、兵士なら本籍地の図書館が頼りですが、将校は異なりますので、まず戦史編纂室の資料から当たるのが良いと思います。

ガダルカナルのネズミ輸送は、潜水艦を使用し、細々と続けられたのは、有名な事実で、これに同乗して陸軍将校が作戦指導した事実は間違いありません。本来の用兵から離れたこのような輸送は行うべきでなかったのですが、潜水艦で送り込んだ将校の判断で、駆逐艦による生存部隊の撤退となった様です。

蛇足ですが、お爺様の所属部隊が分かれば、必ず慰霊祭などを実行していた筈なので、部隊の戦史を編纂している事と思います。これは公式な戦史ではありませんが、より「日報」や「戦闘詳報」に近い事実が記載されています。部隊によては、誰が何処で何をして負傷したか、戦死したか、武勲を立てたか迄記載されています。先ず所属部隊を探し、その遺族を見つける事です。因みに日報を元に戦闘詳報が作成され、上部の司令部に集約されます。この為、日報を公開すると言う事は、軍隊の手の内を公開する事となり、敵の作戦や、テロに活用されます。だから現在の自衛隊の日報問題は、自衛官をテロ組織に売り渡すことと同じ事になります。
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この回答へのお礼

ありがとう

非常に詳しくありがとうございます。遺族会とは思いつきませんでした。当時の所属部隊だけでもわかればわかりそうですね。何か手がかりがないか、実家などを探してみたいと思います。

お礼日時:2018/05/11 21:04

ラバウルには陸海軍の航空隊あり。


ガダルカナルは地上戦なら陸軍。


>激戦地の南の島に潜水艦で上陸した

物資を輸送した例はあるけど。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/JP/jsub7.htm
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます。
たしか潜水艦と言っていた気がするのですが、聞き間違いもあるかもしれません。元気なうちに聞いておけば良かったと悔やむばかりです。

お礼日時:2018/05/11 21:01

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