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偏向報道について。

よくマスコミの偏向報道云々〜と言われますが、よくないのでしょうか?というか、よく批判されている偏向報道って具体的になんなんでしょうか。

全く事実無根の情報や捏造ネタを出すのはダメでしょうが、何かしら事実(最近だと文書や告発など)が出てきて、それに対して「ああじゃないか」「こうじゃないか」というのはいけないことなんですか?そのテレビ局や批評家、新聞の推察をどう感じ取るかはこちら側の問題だと思うのですが……。

政府対マスコミの構図も別に問題があるとは私自身は感じません。だいたいマスコミは権力側に批判的なものだと思っていますし、ある程度そうあるべきとも思っています。
私はまだ二十数年しか生きていないので昔の事は知りませんが、民主党政権でもそういう感じだったと記憶しているので、自民党政権にだけ厳しい報道があるわけではないと思うのですが……

今偏向報道と批判されているマスメディア等は具体的に何を批判されているのでしょうか?
また、偏向報道批判って昔からあったんでしょうか?それとも最近出てきたものなんでしょうか?

無知ですみませんが、わかりやすく教えていただけると嬉しいです。

A 回答 (22件中1~10件)

>民主党政権でもそういう感じだったと記憶しているので



違うな。

民主政権下でのマスコミ言い替えワード例
【自民の場合】 → 【民主の場合】
 強行採決      迅速採決
 派閥・世襲     グループ・サラブレッド
   独裁        リーダーシップ
 お友達内閣     最強布陣内閣
 庶民感覚がない   セレブ感覚
 高級料亭      日本料理店
 派閥抗争      政策論争
 閣内不一致     多様な議論
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発言や情報の一部を切り取って報道することはよくあります。


そうすることで見る側に与える印象を操作しています。
捉える側の問題というのは全ての情報が公平に公開されていることが前提です。
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あなたより何かが分かっているわけではないですが、権力のある側が「偏向報道」と批判するときには、自分の意に沿っていない報道だということですよね。


だから、報道側はがんばって報道していると言えることが多いです。
反対に、権力のない側が「偏向報道」と批判する場合は、報道側が権力側に寄り添っている傾向があるように思います。
偏向報道をしないようにという姿勢を利用して、権力側におもねることもあるように思います。
「偏向報道」の意味は見る立場でまったく質が違うものになってしまうようです。
あなたがおっしゃるように、権力側に批判的であることがバランスとして大切だと思います。
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NHKもこんなこと言わせたり。


(ずっと続いてたのは民主党政権じゃねぇよ、と突っ込みましょう)
「偏向報道について。 よくマスコミの偏向報」の回答画像4
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政府の広報は「安倍政権のいいところ」ばかり言って「安倍政権はいいこともしたが悪いこともした」と言わないので、そのまま信じて伝えてしてしまっては、いわゆる大本営発表です。

だから本当は「ああじゃないか」「こうじゃないか」というのも含めて、報道機関が「悪いところ」を広報するくらいでちょうどいいバランスなのです。大本営発表のようなをネットメディアを支えたり、既存メディアを露骨に敵視するようになったのは最近のことです。
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例えば安倍首相や麻生大臣が記者の呼びかけを無視して帰っていく姿がよく流れますよね。


あれは
①質問がもうないか確認
②ないということなので帰りかける
③記者が「なぜか」呼び止める
④質問がまだあるのか聞く
⑤誰も質問しない
⑥また帰りかける
⑦ ③~⑥を何度か繰り返す
⑧時間が無くなったし質問がいくら聞いても出ないので急いで帰る
⑨呼びかけを無視する動画の出来上がり
というものです。

また事件があると近隣の一般人にもマイクを突きつけピンポン鳴らしまくりでうろつきまわります。
不審者と同じかそれ以上に迷惑です。(数も多いし逃げないし)
自分たちのそういう迷惑行為は全く写しません。

さらに昨日あった日大アメフトの選手の会見ですが、マスコミはネットでバンバンたたかれています。
ひたすら大学生の顔をアップで写しまくるからです。
弁護士らがしゃべってるときもドアップ。
彼の将来や人の道を考えれば差し控えるべき行為でしょう。

偏向もありますが人の道も外れてると思いますねえ、今のマスコミ。
最初に書いたのも政治家がマスコミ嫌いになるのもわかるねつ造と言ってもいいものでしょう。
あと総理大臣にインタビューに来るのは全社一年目の新米記者だそうです。
そりゃ国の代表に一年生を送り付けるんだからイラっとしますよ。
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てんてんたろーさんの、御年齢がわかなないので


何とも言えませんが、ちょっと前まで
テレビ・新聞の影響は、今より大きいモノでした

今は、ネットの普及で、
いわゆる既存と言われているテレビ・新聞の、報道内容についての
発言が、視聴者の立ち場として良くも悪くも出来る様になった。

また、番組出演者の言動へも、発言して
その番組自体の評価も併せて、発言してる。

その際、その番組内容や記事内容に
反政権だとして発言し、それを
偏っている。との意味合いで
「偏向報道」と言ったのでしょう。

その偏向報道だとして言われた、
番組、新聞記事に触れる際
自分が感じる感覚と、同じであれば
自分が感じたことを、投稿している事も事実です。

ま、
ある意味、メディアが政権の監視役だと言うのであれば
ネット民の投稿は、メディアの監視役になったのかもね・・・
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マスコミが権力側に批判的って本当にいいのかね。



 この間なくなった岸井さんは「政権が誤った方向に行っていたら引き戻すのがジャーナリズムの仕事だ」って考えだったらしい。あなたがおっしゃる通り政権側に批判的であれって前提なんだろうと思う。でもそれは「ジャーナリズムが絶対正義」って前提があっての話。俺たちが常に正しい、だから政権に批判的でなければならない、そんなことを考えているとしたらそれはもう驕りもいいところ。
 確かにその政権の政策が間違っているのであればジャーナリズムは批判するべきだろう。しかしながらその政権が誤ってる・偏ってるという判断はジャーナリズムではなくて国民が判断するべきことでしょう。ジャーナリズムの仕事は本来その判断のための正確な情報を国民に提供すること。それを勝手に判断して自分たちのフィルタに欠けた情報を国民に提供しているとしたら、あまつさえジャーナリズム自身が「正しい」と判断する方向に国民を誘導しようとしているとしたら、それは戦前戦中の大新聞がやったこととどう違うのか、ということ。

 今ジャーナリズムが批判されているのは、明らかに自分たちの望む方向に国民を誘導するために情報をフィルターにかけることが常態化しているためじゃないかな。
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質問者様の疑問を一言でいうと「メディアリテラシー」といいます。



メディアリテラシーの大原則は「どのような報道であっても、誰かの視点で書かれている以上偏向が必ずある」ということです。

たとえば事実だけのように見えるこんなニュース「本日、バス事故があり11人もの犠牲者をだしました」でも「11人もの犠牲者」と聞けば「ああ、犠牲者が多かったんだな」と思いますし「犠牲者は11人で済みました」と聞けば「犠牲者には申し訳ないが、その程度で済んで良かった」と思うものなのです。

ですから「メディアが発信するニュースは常に偏向している」とおもうことが大切です。

そのうえで、偏向報道と批評は別のもの、であると認識されるのがいいでしょう。
報道とは「偏向があるかもしれないが、事実そのものを伝えること」であり、コメンテーターなどが非常を加えているのは「視聴者に対して分かりやすく解説している」ということだからです。もちろんコメンテーターの立場や価値観によって、さらに偏向があるのはその通りです。

>また、偏向報道批判って昔からあったんでしょうか?それとも最近出てきたものなんでしょうか?
日本は戦前に、大本営発表というものをやっていた実績がありますし、共産国では検閲がありましたから、偏向報道そのものは昔からたくさんあったといえます。

ただ、現場にいるわけでもない普通の人、いやたとえ現場に居たとしてもその人が「ニュースで言っていることは間違っている本当はこうだ!」とはなかなか伝わらないわけで、マスメディアの報道に人々が疑いを持つようになってきたのはインターネット以後のことだといえます。

もちろんそれ以前からメディアリテラシーが高い人はマスメディアの報道を疑っていたとはいえますが、情報が正しいかどうかを確認するには相当な手間がかかっていました。

>政府対マスコミの構図も別に問題があるとは私自身は感じません。だいたいマスコミは権力側に批判的なものだと思っていますし、ある程度そうあるべきとも思っています。

私もその通りだと思います。しかし、日本の場合批判的でありつつも記者クラブのように権力ベッタリの部分もあります。マスメディアには問題がある、ということを知って利用することが重要でしょう。

また最近の傾向として「メディアを批判する側に偏向がある」という傾向もでてきています。たとえば安倍政権を批判するにも応援するにも「自分たちの都合のよい論点しか選ばない」という部分があります。

例を挙げるとここ最近のモリカケ問題がそうです。
昨日あたりに公表された愛媛県の文章に対してでも

安倍政権支持側は「安倍首相の答弁では以前から加計の獣医学部について案件として知っていたが、マスコミは答弁の日時である1/20の特区諮問会議のときだったと印象操作している」というもので、
逆に反対派は「答弁がどうのではなく、安倍首相が加計氏と面会したという事実はどうなんだ」ということを追求しています。つまりかみ合っていないわけです。

これは「証拠」がみつからない限り水掛け論にすぎず、どちらでもいいというか、証拠がない限りどうしようもない問題のはずで、本質的に見るべきところは別にあるはずなのです。

たとえば加計氏と会ったかどうかについては「首相官邸の記録」という問題点があります。
安倍首相は昨日5/22にマスコミに対して「「ご指摘の日に加計孝太郎理事長と会ったことはございません。念のために昨日(21日)、官邸の記録を調べたところですが、確認できませんでした」と答えています。

しかし、安倍首相は4月11日衆院予算委員会で「総理官邸に入館した方の記録は基本的に定期的に廃棄をしている」としています。

昨日の「加計氏面談した」のは3年前の記録ですから、4月11日衆院予算委員会の答弁を踏まえれば「いくら官邸の記録をしらべても確認なんかできない」わけです。

物事には必ず動機があって、それは必ず痕跡を残します。上記の「官邸の記録は定期的に廃棄しているのに『記録が無かったと発言する』矛盾」には何らかの意図があるはずなのです。

そして同時に愛媛県が文書を出してきたこと、それが作成された経緯や意図なども踏まえると、初めて真相がみえてくるといえます。

メディアはウソはつかないかもしれないが偏向がある、政治家などもウソまでは言わないかもしれないが「絶対にしゃべらないことがある」、しかし、様々な事実(本人の答弁は記録に残っている事実)に含まれる様々な内容を検討していると、だんだん矛盾が見えてくる、ものなのです。

そういう力を身に着ければいいと思います。
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あくまでも一般論と私見が入り混じってはいますが。



朝日の慰安婦報道・民主党への偏向報道。毎日のAIIB偏向。左翼記者が自分たちに世の中を変えると政治家を育てるとか考えていろいろ問題を起していると思います。これ以外にも、NHKのジャパンデビューや朝日のKYやもろもろ過去にありましたよ。

■そのテレビ局や批評家、新聞の推察をどう感じ取るかはこちら側の問題
>でしたら、それらのマスコミを批判するのは問題ないのではありませんか?

■だいたいマスコミは権力側に批判的なものだと思っていますし、ある程度そうあるべきとも思っています。
>その権力は選挙により成り立っています。民主政治です。それに対してマスコミが何を言えますかね?

■民主党政権でもそういう感じだったと記憶しているので、
>これまったく違いますね。民主政権は偏向報道により生まれました。
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