10秒目をつむったら…

朝鮮戦争とは何か
それがなぜ起こりどのような影響を残したのか
説明しなさいという問題が出ましたが
調べてもあまり理解出来ません。
誰か分かりやすく教えて欲しいです!!

A 回答 (8件)

>朝鮮戦争とは何か


>それがなぜ起こり

第二次大戦後、日本の統治を離れた朝鮮半島で、ソ連の支持で北朝鮮が、米国の支持で韓国が成立。北朝鮮は中ソの容認と支援を取り付け(実際には両国を欺いた)、ソ連製火器供与を受けて南進、これが朝鮮戦争の契機。当初は北朝鮮軍が優勢。

国際連合安全保障理事会決議において、米国が指揮する多国籍軍の編成および北朝鮮への武力行使が認められ(これが国連軍、でも実質米軍)、国連軍対北朝鮮軍の図式となった。国連軍が優勢になると、西側主体の軍が中国国境へ接近することを狙った中国が、自主的に編成された義勇軍という名目の中国人民解放軍を大量導入、ソ連軍事顧問も軍籍異動で北朝鮮軍として航空戦などの参戦。

戦闘は膠着化し3年を経て、国連軍、朝鮮人民軍、中国人民志願軍の間で停戦、今に至る。

>どのような影響を残したのか

北朝鮮では金日成独裁体制確立の契機となり、韓国では軍事政権下での長期体制運営の契機となった。どちらも政治経済体制が硬直化し、韓国は1970年代まで経済的に浮揚することはなく、北朝鮮に至っては年代を経る毎に悪化傾向にある。
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西のと東のが南北朝鮮をたきつけて争わせた。


火つけはうまくいったが、朝鮮人が余りにあれで火消しに失敗してぐだった。
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そうだね

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朝鮮戦争とは何か


  ↑
1950年、北が突如、南に奇襲侵略した
戦争です。
不意を突かれた米韓軍は、釜山まで追い込まれ
ましたが、
マッカーサーの仁川作戦が成功して、逆に
平壌まで攻め込みます。
そこへ、中国軍(建前は義勇兵)が参戦し
人海戦術で、米韓軍を38度線まで押し返し、
ここで休戦になりました。




それがなぜ起こり
  ↑
米ソの代理戦争です。
米国が、朝鮮半島は防衛ラインではない、
としたため、チャンスとみたソ連の意を受けた金日成が
半島を統一しようと、攻め込んだわけです。



どのような影響を残したのか
  ↑
1,半島の分断が固定化した。
2,戦争特需で日本経済が活性化した。
  米国の指示で、日本の再軍備化が進んだ。
3,中国が、軍の近代化を推し進めた。
4,米国への影響はほとんど無かった。
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米中ソを巻き込んだ、朝鮮の派閥争い。


極東なので、特に影響は無し。

幾らコストを掛けても、緩衝地帯以上にはならない。
緩衝地帯以上には、コストを掛けない。
これが、教訓。
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簡単に言えば東西冷戦の陣取り合戦でしょう、ソビエトのヨシフ君にケツを叩かれた中国も参戦して一気に攻め込んだんだね。


プサンあたりまで押し込められたが、アメリカ軍および国際連合軍に反撃されヤバくなったところで休戦協定で現在に至る。
何せ欲深い金日成と李承晩の戦いですが、李承晩などは追い込まれて国民を見捨てて日本に逃げようとしていたヘタレ。
漢江人道橋爆破事件などは自分の事しか考えないヘタレの悪事だね、何ら金日成と変わらない李承晩が偉そうにして国民を殺しまくった事件も有ります。
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キーワードは


アメリカ・国連VSソビエト連邦・中国
代理戦争
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国
です。頑張ってください。
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朝鮮戦争は朝鮮半島において、1950年から始まった大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の戦争です。


死者は南北合わせて500万人にものぼるといわれています。街は荒廃し、多くの戦争孤児が出るなど、朝鮮半島は大混乱となってしまったのです。
約3年にわたって泥沼化したこの戦争において、 アメリカではマッカーサーが原爆の使用をも検討していました。結局当時の大統領トルーマンにより解雇され、また世論もあって現実になることはありませんでしたが、第二次世界大戦以降初めての核戦争の危機があったことは事実です。
政治体制や経済状態も大きく異なる朝鮮半島の2国、韓国と北朝鮮は、もともとひとつの国でした。

1897年から1910年までは大韓帝国という国が半島を統一していたものの、1910年からは「韓国併合」により日本の統治下となります。

1945年の第二次世界大戦の終結とともに日本が撤退。その後朝鮮半島の統治に乗り出したのが、連合国側であったソ連とアメリカです。北緯38度線を境に、北側をソ連が、南側をアメリカが占領することになりました。それまでひとつの国だった朝鮮民族が、この時、分断されたのです。

その後もアメリカとソ連の対立が続き、両国が統一されることなく時間が過ぎていきました。

1948年8月15日、李承晩(イ・スンマン)が宣言を行い、38度線より南側に大韓民国が成立します。

それに対抗するように同年9月9日、ソ連の後ろ盾を得た金日成(キム・イルソン)が北朝鮮の成立を宣言。同じ朝鮮民族が暮らし、統一の可能性が模索されていた2国でしたが、これを機に本格的な分断へと至ったのです。

1950年6月25日、北朝鮮が突如北緯38度線を越えて南下を開始。朝鮮戦争が始まりました。国連の安全保障理事会は停戦を呼びかけると同時に北朝鮮を非難する声明を発表しましたが、停戦に至る様子はありません。3日後には、北朝鮮軍は韓国の首都ソウルを制圧しました。

韓国には日本に駐在していたアメリカの援軍が向かい、反対に北朝鮮には中国から大量の戦闘員が流れ込み、戦闘が続きます。

韓国と北朝鮮の対立の背景には東西冷戦から続く、アメリカとロシア・中国の対立が存在します。朝鮮戦争前、アメリカは朝鮮半島全域にロシア(ソ連)の支配が及ぶことを恐れて、南朝鮮に大韓民国を成立するよう働きかけました。一方の北朝鮮は、ソ連のバックアップを得て成立します。

戦時中も、韓国にはアメリカが、北朝鮮には直接介入を避けるソ連の代わりに中国が本格支援をおこないます。もともと資本主義と社会主義で相いれなかった両国ですが、この戦争でさらにその対立を激化させていきました。

1953年の7月27日に、南北の代表とソ連およびアメリカの代表が会合をおこない、休戦協定が成立しましたが、実質的な終戦にはいまだ至っていません。
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