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例えば、ある対象について丸と四角という二つの見方があった場合
もう一つ次元を上げて、それは円柱であるとするのがより良い説明になるだろう

すると死刑制度廃止と存続
どちらも正しいとすればもう一つ上の次元から見ると何が見えるだろうか

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    やっぱり『回答』は出ないか
    まぁそう簡単にでりゃ苦労しないよな
    フフフ

      補足日時:2018/07/30 08:59

A 回答 (20件中1~10件)

#19です。



無期懲役という言葉を使わなかったのは、現行制度では仮釈放が前提としてあるからでした。
絶対的無期懲役とでも表現しておきましょうか。
これが理想形と思っているところです。
『事実上の減刑』であるのはたしかですが、それはあくまで死刑制度が確立されている現状を大前提にした場合の評価。
たしかに、極刑を課せられるべき犯罪はありますが、その極刑が死刑である必然性が果たしてあるのだろうか、ということです。
死刑賛成論者は基本的に感情論に基づいていると思いますが、では、自分の手で死刑執行のボタンを押すことができるのだろうか、ということでもあります。
仮に忌避の気持ちが湧くのなら、それはなぜなのか?
人(刑務官)に任せれば良いという問題ではないはず。
喜んでやると言うなら、後々までも絶対に後悔したり、あるいは、心理的、無意識的な弊害が発生しないという確信が本当に持てるのか?
といったあたりをよく詰めてみる必要があるでしょうね。
たとえば、家族を殺された人が犯人を射殺するなどの行為を全否定するわけではなく、国家の制度として人を殺すという死刑制度が存在することに問題がある、ということです。
人間が人間を殺すということが正当化できるのは、あくまで正当防衛の場合だけではないでしょうか。
それ以外は(というより、本来は、その場合ですら、なのですが)、「誤った行為」であると真理に照らして言えるのではないでしょうか。
理由は簡単でして、その犯罪者と自分がまったく別の人間だと思ってしまうからこそ、平気で殺せと言えるわけです。
しかし、事実としては、彼はひょっとしたら私だったかもしれないし、少なくともその可能性は大いにあり得たわけです。
オームの死刑が執行され、すっきりしたと思う反面、どこかにわだかまりが残るとするなら、それは、そうした理由ではないですかね。
そんなもの残らんと言われればそれまでですが。
ま、無意識での作用なので、それ以上は突っ込みようがなくなってしまいますが。
よく考えてみれば誰にでもわかることのはずなんですけどね。

ということで『死刑制度廃止と存続』は対立軸ではなく、死刑制度廃止=円柱、存続=丸(または四角)というイメージ。
人間は感情の動物でもあるので丸に基づく行動を全否定することはむろんできません。
ただ、感情だけの動物でもない、という単純な事実にも気づくことが、色々な意味で重要なのではないか、という気はしています。
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この回答へのお礼

理想とすることろは確かに別にあるのでしょう
ただ窃盗などと違って殺人事件という究極のところの処理方法ですから感情の生き物としては譲れない部分がどうしてもありますね
軽い罪は事務的に(理想的に)、重い罪はより感情的に処理しているのだからバランスが取れているといえばとれていると思います

死刑制度を廃止したヨーロッパは移民問題がまさに理想と現実の戦いとなっています
これは被害者遺族とは比べようもないほど影響を受ける人の数が多いです
この戦いを日本人としては高みの見物とさせてもらいましょう

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/09 22:01

未必の故意(つまり結果死刑)も辞さない終身刑



というのはお気に召しませぬか。
むろん、仮釈放や恩赦などは一切無し。
重労働的色合いが濃くなるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

未必の故意ですか
なんか北朝鮮の収容所っぽくてそれはそれで日弁連やEUが騒ぐでしょうね
まぁ終身刑と自殺の自由(リベラルが好みそうな概念)をセットにすれば収容所批判はかわせるかなw

死刑を廃止した場合、代替になる刑は終身刑ってことになるのだと思うのですが、果たして死刑と終身刑が同等と言えるのかと思うんですよね
現行の無期懲役と何が違うのか、事実上の減刑ではないのかと

被害者遺族:罪の償い
 一般市民:殺人犯を社会から隔離する

死刑以外でこの二つの条件を満たせばいいのでしょうけど

今回のお題は視点の次元を上げるでしたが、そもそも上の次元というものがあるのかというのも分からないですね
お題として挙げておけばそのうち脳が勝手に答えを見つけてくるかもしれませんのでそれを待つとしますかね

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/09 10:09

大前提ですか?


狭いものの見方ですね。

次元の違う見方を取り入れましょう。

天国地獄など、見る人の頭の中にあり、人それぞれに違うもの。

実際にもあるかもしれない。けれども、ここを天国だと信じる人には天国で有り、貴方の考える前提など、通じる通りもないのでしょう。

システムは、常に進化する。
想定上、天国としか呼ばれないだろう世界なら作れます。

貴方は、この次元風に言えば、
『悲観』の考え方にすぎませんよ。
片側に寄せてものを見ている。

まぁ、いい。少し言い過ぎましたね。まだ時代に追いつけないのなら仕方ない。

不躾失礼。

おサヨウナラ。

貴方の世界に、希望の星が輝きます様に…

エル ミル システィーア☆
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/06 22:43

時代かな、その場合の 次の次元とは。



死刑はない方が良い。これは私の持論。

しかし、時代や状況において、例えば、治安の観点で見ると、
昔は 戦争が起きる 事を止められない。若い 手段がない
または、交渉能力の欠如 (言語の不通も考えられる)
時代に、争いの際の罰を与えなければ止まらない。
とも言え、
また、クーデターが起きた。
その場合首謀者が死刑か?
はさて置き、状況柄、
治安が乱れる 場所で掠奪、強姦が起きている
などの場合、武力をもって示さなければ、収まりがつかない
その場合、相応に死者も出る。
これもまた、私刑による、死刑。

これらに関する正義とは?

詰まるに、
可及的状況!の無力さに換算
される数式を作れます。

つまり火事場には、家が崩れたり、火が回りきったりして脱出できなくなるタイミング、それがいずれは来る。
最初は脱出や救助が容易に見えても、時間が経つほど難しい。

例えば、テロリストが、核ミサイルの 地下基地に侵入して、
核爆弾の発射ボタンまで、あと三メートルと迫った、としたら?
それを射殺するのはどうりに近い!と呼べる自体、とまでなるわけ、なのです。

人は正義も時間的やエネルギー的な、可能範囲がある。
いずれは死刑などない世界がいい。
しかしは、
やらざる終えない時に、
やらないことで出続ける被害を、未然に防ぐことは、完全なる善を手に入れられない我々の、やらねばならない義務である時もある。

時代の正義は、残念ながらあるのです。

しかし、日本はもう死刑いらないと私は信じてますけどね。
人に許す心が、強く備われば、または、犯罪者の生まれる理由に、人間が社会を良くしきれないから。これがある真の理論を、思い 見極めれれば、
人は隣人を愛せる様になります

あなたが罪なき人として
一般人の隣人は万引き犯
万引き犯の隣人はスリ
スリの隣人は泥棒
泥棒の隣人は 強盗
強盗の隣人はごうかんしゃや、殺人者

これらも、隣人論理。
近しい人の気持ちを理解すれば、いずれ友達の友達という様に、遠くの人の気持ちも理解できる。
隣人の隣人の気持ちを理解しようと、出来れば、人は…


今の人は心に余裕なきことが悪を生んでいることを、まだ理解が足りません。

罪なき人はいない。
虫を殺さないと言っても
歩けばありを踏むことになる。
誰にも迷惑をかけてないつもりでも親の腹を蹴って生まれて来る。
動物を殺さないと言っても、豚や鳥の肉を食べる。

では何故?まだ、世界で餓える人、
とめるひと
そして、罪を犯さずにいられない人がいるのですか?

人はまだ、自分の罪を深く理解はしてない。

愛されているから余裕がある。
幼少期愛されて育ったものたちが、罪を犯さないことが当然でも、
愛されず生まれ育ち 来たものたち、その深き悲しみを知らない。

まだ我々は、成人者ならば、
この世界で、平和をきづけなき 罪を犯していること。そこを反省する社会が、もうすぐ来るといいんですが。

私は福音とともに、罪の灰を撒こう

そう思います。
どうぞ心ある人は、ともに祈りましょう。

世界が真に平和となる様に。
amen




結論を言うと次の次元とは
完全性から見ると、人がそもそも人を殺す意味を持たない。意義がない時代なら、誰も 人を殺さなくなっているから、死刑そのものや死刑反対論もない。となります


まあ、次元の意味がもう少し、基盤的に提示されている場合、こちらとは方向の違う次元もあるかもしれませんね。

ご質問ありがとうございました
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この回答へのお礼

この世界はそもそも地獄として作られていると私は思いますねー
それが大前提でそこは動かせない、つまりここを天国にすることはできないと思います
だからこそではどうするのかと常に問われるのだろうと
天国に行きたかったらそれこそ次元を超えなきゃ

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/05 13:12

回答が出ないと言うより、そもそも設問が間違ってると思う。



たとえば死刑の上にも、「凌恥刑」などの残酷刑の類いが存在するよ。
まあこの類いは、最終的には死に至らしめるので、死に至らしめない範囲で、受刑者が「殺してくれ~!」と懇願する様な刑罰が、死刑存廃論の両者を満足し得る答えの一つではあるだろうな。
現代なら、そんな刑罰を考え出すことは、そんなに難しくはないだろうね。
覚せい剤中毒にして、覚せい剤を与えないのを繰り返したり、死なない程度に、一部の臓器を摘出しちゃうとか、いくらでも考えられそう。

死刑廃止しつつ、死刑存置派にも多数の支持が得られそうな答えではあるでしょ?
ただ、この答えでは全く解決し得ない話であって、なぜなら全く人道的ではないから。
たちまち人権論,人道論が生じる訳で、現代の死刑存廃の議論の本質も、そこにある訳。
すなわち、少なくとも死刑廃止論側は、犯罪者の人権問題と言う、甚だ一義的な話であって、多義的とか多元的な話ではないと思うよ。
まして次元の話では有り得ないし、そう言う方向性で考えるべきではないことかと思う。
どちらかと言えば、論旨のすげ替えとか、逃げだわ。

あるいは、そもそも死刑存廃議論における矛盾とは、国民の生命を守ることが国家の責務であるにも関わらず、その国家が国民を殺すことが死刑でると言う部分だよ。
前者を尊重するのが死刑廃止論であることは、明らかなんだけど・・。
一方の存置国の理屈は、そんな単純ではないんだな。

無論、独裁国家などにおいては、国家の責務と同時に、国民の命をも軽視する様な、死刑廃止国と対極的な死刑存置もあることは確か。
でも、これも少なくとも日本などの死刑は、決して死刑廃止国とは対極的な立場ではない。

丸と四角と言うほど、単純でもなくて、その間にいくつもの形も存在してる訳で、廃止論が割と一義的であるのに対し、存置論は甚だ多義的。
言わば、国家が守るべき人権や人命を至上とする考え方と、それ以上に大事なものがあると言う考え方の違いで、後者には、その大事なものが、国によってイロイロある。

北朝鮮などの死刑は、さっさと廃止しちゃえば良いと思うけどね。
しかし日本の場合、現状の刑罰のバランスで、たとえば「世界でも屈指の治安」を手に入れてる訳で、それと引き換えにしてでも、国家の責務や人権や人命を、尊重すべきなんてことが、簡単に言えるかい?

余り安易に死刑を弄ばない方が良いと思う。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/02 23:11

シヴァのリンガとか


丸とか資格ですね。

おばq温度が歓呼君男鹿なのが気になりました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/08/01 11:10

死刑の判決を 受ける くらい..なのだから、


さぞ 素晴らしい世界でも夢みてるのだろ..


ならば..おくって(^_^*)やりましょうぞー♪


今すぐ!月の世界へ..きっと次元も違かろう


「罪人単独飛行 無酸素 月面遊覧 新境地」


「ゆっくり.. 上の次元を 楽しみ なされ..」


以上..
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この回答へのお礼

いわゆる流刑ですね

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/07/31 08:22

死刑廃止で尊厳死をみとめる国はどれくらいあるでしょうか。



薬局に行って、自殺用の薬はどのようにして購入できますか。

自殺と見せかけて、他人を殺すのをどうやって防ぎますか。

自殺用の薬を買うときに、正しい名前と住所を提示して確認できないとまず薬を買えない、薬を買って、ある一定の期間内にそれを使用しない場合は、特定の人にその薬を変換しなければならない。

自殺するには、自殺専用の機関が用意されていて、その場所以外での自殺は禁止されている。


これでうまくいくでしょうか。

いっときの気の迷いで自殺するのを防ぐ工夫はあるでしょうか。


自分の精神状態に自信が持てなくて、いつか発狂して他人に迷惑をかけるのではないかと悩んでいる人がいて、そのひとがちょうどいいころ合いにちょうど良く死を選ぶ方法が確立されているのなら、自分は自分で殺すことが怖くてできないので、歩行者天国に出かけて何人か殺せばよい、と考える人を防ぐことになるでしょうか。


ひとの死をひとが決めてよい、というふうになっていないとすると、誰でもないひとにそれを決めてもらうしかないように思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/07/30 21:57

>どちらも正しいとすれば


>もう一つ上の次元から見ると何が見えるだろうか

「混同か照合」のどちらかに「視点が傾く」と思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/07/30 20:47

法律に取り込まれている価値観の内大きなものに善悪があると思いますが、例えば文化と言ったようなもっと広範なものを法律に取り込んだ場合、法律の持つ裁量の性質が、形而上学的善悪観からもっと人々が肌身に感じるような人生観に変わり、この死刑制度や懲罰制度を別の角度から見直すことになるんじゃないかと思います。



例えば死刑囚にも故郷があって、両親がいるであろうと思います。好みの音楽や好きな物語、行きたい場所もあるでしょう。そのようなことを思い起こさせるようなプログラムを懲罰に組み込むことで、死刑囚が自分の犯した罪の意味を感じ取ることができるかもしれません。その意味を感じ取った死刑囚を見て、また復帰判定と言いますか、新たな法律の文化的裁量でもって死刑判決を改めるという事も考えていいと思います。

ただまた、コストと言う観点でそのような高く付く法律体制を敷くべきか、ということは、経済的な側面から議論されることにもなるでしょう。これは、円か四角か、いや、円柱だと回答をしたところに、そのような処理をするコストをどうやって社会が負担できるのかと言う現実的な検討をするという事でもあります。二次元処理の方が三次元処理よりも圧倒的にコストが低いという通念感覚があるでしょう。このコスト感覚も、何に重きを置くか、その時の世間の持つ価値観によって左右されるのであり、単純な生き死にの判定ではなく、QOL(クオリティオブライフ)に重きを置くならば、あらたな法律や経済の進化もあり得るでしょう。
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この回答へのお礼

死刑制度は殺人という罪をどう償わせるかという問題でもありますね
死刑の代替としてすぐに思いつくのは終身刑ですが、現行の無期懲役と何が違うのか、事実上の減刑ではないのかという懸念が生まれます
文化的な視点を加えるというのはいいアイディアだと思います

ご回答ありがとうございました

お礼日時:2018/07/30 20:47

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