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『唯灰色の天幕の裂け目から明るい風景が見えるやうに時々ふだんの心もちになる。どうも僕は頭からじりじり参つて来るのらしい。』

二つの文章は私にはわからないほど複雑です。「心もちになる」と「頭からじりじり参つて来る」はどういう意味ですか。「唯灰色の天幕の裂け目から明るい風景」は比喩的な言葉ですか。それとも、本当の状態ですか。語り手は本当に天幕にいるということですか。そこを遅く出るという状態ですか。

『僕は夢を見てゐるうちはふだんの通りの僕である。ゆうべ(七月十九日)は佐佐木茂索君と馬車に乗つて歩きながら、麦藁帽をかぶつた馭者ぎよしやに北京の物価などを尋ねてゐた。しかしはつきり目がさめてから二十分ばかりたつうちにいつか憂鬱になつてしまふ。唯灰色の天幕の裂け目から明るい風景が見えるやうに時々ふだんの心もちになる。どうも僕は頭からじりじり参つて来るのらしい。』

(https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2328 …

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    もしかして、「じりじり参つて来る」は病気になることですか。

      補足日時:2018/09/19 06:45

A 回答 (2件)

夢からはつきり目がさめてから二十分ばかりたつうちにいつか憂鬱になる、とありますから、灰色の天幕は比喩で、目覚めている時の憂鬱な気分、その時自分に見える世界のことです。


また、夢を見てゐるうちはふだんの通りの僕、とありますから夢の中では、理性的であり北京の物価などを尋ねるほど現実的でもあり、世間で言うまともな自分である、ということになります。
目覚めている現実世界では憂鬱な幻想や想像に捕らわれる一方で、辛うじて夢の中で筋の通った明快で明るい風景の中で息ができる。そういう精神状態である、と言いたいのでしょう。
「頭からじりじり参つて来る」は、そういう転倒し錯綜した自身を危ぶむ表現です。精神的な病いへの懸念も感じられます。
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「芥川」の遺稿ですから、その頃は神経を病んでいたでしょう。

この作品は死の1年ほど前に書かれ遺稿として発表されました。事実そのままを書いていると思われます。別に比喩的な表現でもないので、詳しく内容を詮索する必要はないと思いますよ。
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