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江戸時代の大名や学者といった教養がある人は、子供の頃に学校に通ったり専属の教師がついたりして、10年以上勉強に励んだと思います。

当時の世界で勉強するといったら和書と漢籍だったはずで、漢籍の学習に充てられた時間も多く、そうだったら当時の大名や学者の大半は中国語の読み書きができたのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >「中国語の読み書き」は、大半の人はできなかったでしょうね。
    → 大半ができなかったのはその通りだと思いますが、そこは質問しておらず、教養ある人(大名、学者など)について質問しています。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/29 11:51
  • >「漢籍が読めること」が教養だったので、読み下し文の法則にしたがって読めればよかったのです。
    → それは中国語が読めたということに他ならないと思うのですが、どうでしょう。

    >漢詩も作りましたが、日本語の音読みで韻を踏むので、中国音では正しい韻になりません。
    → それは中国語が書けたということに他なりません。出来が悪くても、通じれば問題ありません。

    結論: 昔の教養ある日本人は中国語の読み書きができたと。さすがに話すことまでは出来なかったでしょうが。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/29 12:11
  • 私は中国語の「読み書き」ができたかを聞いているのであって、中国語で会話できたかまでは聞いていません。さすがに会話まではできなかったと思いますので。
    思い込みで回答せず、きちんと質問文を読んでから回答いただければと思います。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/29 16:51
  • >中学で日本史の勉強してれば、そんなに難しい話ではないのだけど・・。
    → 難しい話ではないと言われている割には、最後は判らないとしか言えないとは、一体どういうことでしょうか。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/10/02 06:55

A 回答 (8件)

中国語というのは、漢文です。

漢文は読み下しなどのテクニックが平安時代には確立されていましたので、漢字が読めれば漢文も読めるようになります。これは現在でも同じで、あまり読もうとする人が少ないだけで、現在の中国語も漢文ですので、同様に読み下して読むことができます。機会があればやってみてください♪

そもそも中国語というのは漢文によって統一されているだけで、10以上の異なる言語が存在していると言われています。北京などの言葉が上海で通用しないとか、まったく異なる言葉だとか言われるのは、そういうことです。
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新井白石などは最高の知識人で莫大な漢籍を読んだようですが、会話は全くダメでした。

ですが韻を踏むくらいはお手の物で、朝鮮通信使と応対して漢詩を作り、筆談で色々話し合ったそうです。
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中学で日本史の勉強してれば、そんなに難しい話ではないのだけど・・。



そもそも江戸時代には「寛政異学の禁」に代表される様に、学問の自由は無かった。
その江戸時代に最高学府として長らく君臨したのは、幕府直営の「昌平坂学問所」であって、ここで教えたのは儒学(朱子学)であり、諸藩もこぞって藩校などを設立。
戦国時代から江戸時代の初期にかけては、武士は軍人であって、学問などそれほど重視されなかったものの、太平の世になっては「武より文」で、武士も勉学に勤しんだわけ。

とは言え、誰もが藩校に入れる訳ではなかったので、寺社なども学問所の機能を果たしたし、末端には寺子屋などの私塾が、最低限の「読み書き算盤」を教えるなどの分業体制だった。

一方、大名クラスは、藩内の学者や、全国からも高名な学者を迎えるなどが、一種のステイタスだったのだが・・。
しかし、大名の学力は、疑問・・と言うか、不明。
たとえば文書でも、大名は達筆で秀才の「右筆(祐筆)」を抱えていたので、自筆の書類などは余り書かないので。
自筆とされる書状などでも、厳密には真筆かどうかは不明。

ここら辺りは、坂本龍馬など下級武士の書状などの方が、信憑性は高い。
大名の学力テストの結果など、残っている筈もなく、大名がどの程度、漢文などに精通していたのかは、「判らない」としか言えない。
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平安時代は、公文書は中国語で書かれて


いました。
だから、平安時代の教養人なら、中国語の
読み書きは出来た人が多かったでしょう。

その後、中国語を日本語にあうように
「レ点」など、日本独自の漢文を開発して
行きます。

従って、江戸時代における
日本の漢文と、中国語は違ってきていますので
中国語の読み書きは出来なかった、と
思います。
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いちばんの問題は、漢籍の書かれた当時の中国語と江戸時代の中国語は大きく変わってしまっていた、ということです。


漢籍を修めたとしてもそれは正確には「『当時の中国語』で書かれたものを理解した」ということです。
江戸時代の中国人とは通訳を介さないと話ができません。

もう一つ、知識人は中国語でなく「中国語で書かれたものの『内容』を修めたのだ」ということです。
今風に言えば、ハムレットの原文は読めるが英会話はできない、ということです。
中国語の方が英語よりはるかに変化が激しいので、事態はもっと深刻です。

源氏物語を諳んじ中国語で講釈できる中国人がいたとしても我々と会話が成立しないのと、事態は同じです。
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No.2 への補足コメントについて。



>大名や大半の学者にとっては、中国語の読み書きができる必要はなかったでしょう。
と回答しました。

「漢籍が読めること」が教養だったので、読み下し文の法則にしたがって読めればよかったのです。
漢詩も作りましたが、日本語の音読みで韻を踏むので、中国音では正しい韻になりません。
中国人がみると出来の悪い詩だったりしています。
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「中国語の読み書き」は、大半の人はできなかったでしょうね。



日本では漢籍を読むために「漢文」という日本語訳の方法が発明されたので、それを学んだのだと思います。

中国語は語順重視の言語なので、単語の並び方が日本語とはちがいます。
でも、漢字は日本でも使われています。だから単語の意味は比較的わかりやすいです。

そこで、中国語文を日本語文法に合わせて順序を替えるための記号と、テニヲハなどの助詞を補って日本語として読む技術を開発したのです。
それが「読み下し文」と呼ばれる日本語訳です。

学校の「漢文」は中国の古典を「読み下し文」にして学ぶ教科です。
漢文は日本語文で学ぶので、どんなに漢文が得意でも、中国語の読み書きができるようにはなりません。
まず、漢字の発音が全然違いますし、文法も違います。
中国文法は語順が大事、という意味では英語に近いです。

江戸時代に中国語学者がいたのなら、中国語発音と中国語文法によって中国を読み書きできたでしょう。
そして、通訳という職業もあったでしょうから、中国語ができる人はいたと思います。
でも、大名や大半の学者にとっては、中国語の読み書きができる必要はなかったでしょう。
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出来たともいえますし、できなかったともいえます。



当時の教養の基礎は四書五経で、これを読み下し文で読んでいました。さらに高いレベルの学問を学ぶ場合漢籍をそのまま読むことになるのですが、結局読み下していたわけです。

ですから「漢文を訳しながら読める程度の漢語の知識はあった」とはいえますが、現代でも研究者などは「英語で書かれた最新の論文を読んで理解することはできるが、自分で英語の論文は書くのが難しい」と言う人が多くいるように、読めるから書ける、というものではなかったようです。
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