アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

障害者に生きる価値はあるのか?

障害者って生きる価値ありますか?
私はよくこういうことを考えることが好きでちょと考えてみたので、私の意見を聞いてもらった上でそれに対する皆様の意見を聞いてみたいです。
現在障害者に対する様々な問題が起こっていますよね。障害者19名が殺された相摸原障害者施設殺傷事件とかおおごとでしたよね。私はこれに対するメディアの反応が気になっていましたが案の定「どんな理由があろうと人は殺しちゃいけない。」とか「障害者にも生きる権利がある」だのと「なぜ?」「どうして?」などと言ったら反論できないような精神論的な意見ばっかりでがっかりしました。
容疑者の供述は「意思疎通のできない人間に生きる価値はない。」でした。私はこれこそが本当は普通の考えなのではないかと思いました。もちろん犯罪になるので私は人は殺しませんが。笑
実際障害者には多額の補助金が支払われています。税金が巨万といる障害者のために使われているのです。そんなことをするならばできることは山ほどあります。実際に飢餓で苦しんでいる発展途上国の人たちやこれからの優秀な人材を作るための投資に当てた方がよっぽど理にかなっていると思いませんか?
そもそもなぜこの社会は障害者を生かすのかと考えてみました。私は[同情〕という結論に至りました。人間には他人を心配したり、他人に共感する同情という能力があります。そしてこれは人間の本能であり、人間という種族の子孫を多く残すためのものにすぎません。そしてこれが間違った方向に進んだのが障害者に対する同情だと思いました。本来自然界は弱肉強食の世界。弱いものは死ぬようにできています。そうやって弱い遺伝子はどんどんなくなり生物は進化していくのです。動物の中にも生きる見込みのないと思った子を親が見放すケースがあります。なので障害者を保護するということはいわば悪い遺伝子を増やすだけの悪循環なのです。障害者に対する差別も人間の正常な反応なのではないかと私は思います。なので私はこの際障害者には何の援助もせず己の力で生きていくような社会にすればいいのではないかと思います。要は特別扱いしないということです。
今回は大勢のの方に返答してほしくちょっと挑発的なタイトルにしてしまいました。
皆さんの綺麗事なしの意見をお待ちしています。

質問者からの補足コメント

  • 回答してくれた皆様にはなるべくコメントを返します。

      補足日時:2018/10/29 19:53
  • これからコメントする人はこの捕捉を読んでからコメントしてください。私の考えは植物人間、意思疎通不可レベルだと生産性は無に等しいと思うので生きる価値はないと思います。臓器提供するという手が一番の使い道。ですが他の障害者はその人に見合った仕事はだいたいあると思います。つまり意思疎通のできない人間以外は少しでも生産性があれば生きる価値はあると判断しました。なのでこれからの議題は障害者に対するお金の支給は必要かということにさせてください。障害者に対する金の支給がなくなったからといって仕事ができなくなるわけでわない。そしてこの税金をもっと有意義なことに使えばいいと思います。援助がなくなり生きていけなくなる障害者は生産性0でむしろ金を送るだけでマイナスになっていると言えます。このように援助がなくなれば生産性のな(生きる価値のない)障害者は自然消滅すると思いました。手間もかからず効率的じゃないですか?

      補足日時:2018/10/30 08:31

A 回答 (38件中1~10件)

では、あなたは自分がその立場になったら殺されてもいいと?


目も見えて耳も聞こえて思考が正常で、ただ自分の意思表示ができないという障害を負ったらさっさと死ぬべきだと思うのでしょうか。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あなたのような意見は必ず来ると思っていました。それに関しては安楽死の制度を作ればいんじゃないかなーとか思いますね。色々と問題は発生するでしょうが。
私の場合もしその立場に立ったら生きたいとは思いません。いわば死ぬべきと思われて当然なのではないかと思います。あなたはつまり何が言いたいのですか?

お礼日時:2018/10/29 19:41

じゃ自分のこどもが障害を持ってうまれてきたら殺すの?


どうするの?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私はそもそも子供は作らない予定ですね。私自身、生まれて生きることには何の意味もないと思っている人間なので。お金もかかりますしね。
考え方は人それぞれで面白いですね^_^

お礼日時:2018/10/29 19:48

>それに関しては安楽死の制度を作ればいんじゃないかなーとか思いますね。


死にたくない人も一定数いるでしょうから、問答無用で安楽死は早計だと思います。
百歩譲って、そうなった場合に安楽死を望むという、法的に有効な文書を作成していた人のみ安楽死させるというのはどうでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます。
そーですよね。もちろん死にたくない人はいるでしょうね。私には理解できませんが。生への執着ってやつですかね。問答無用で安楽死なんてことは考えてません。もちろんその人が死にたければ死ねばいいと思います。ただしこれは障害者だけの特権にしないと人口が大きく減少してやばそうですよね。社会的に。笑

お礼日時:2018/10/29 20:16

難しい問題提起だと思います。

障害者の程度により、意思疎通ができない(植物人間)人や、意思疎通はできるのですが、社会に対して生産性に乏しい。と、貴方の中で、このような分類ができるのでしょうか?
 植物人間の場合は、医療の現場(延命装置など)でも問題視されつつありますよね、生産性に乏しいという観点では、結婚しない人も子孫を残さないという意味を残します。
 また、親の財産を引き継いだだけの資産家。既得権益にしがみついて離れない輩。などなど、沢山の人が生きているのが現実ですよね。
 社会に迷惑をかけたという理由で司法が殺人を実行する制度についても、被害者と加害者がいる。その両方を満足させる術を考える時期なのかもしれません。様々を踏まえ、臭いものにふたの時代を終焉させる議論。必要なのでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
世の中難しいですね。でもこういうことを大勢で議論するって面白いですよね。こういう問題について社会全体が認知して考えられれば世の中変わると思うんですけどね。

お礼日時:2018/10/29 20:28

>そしてこれは人間の本能であり、人間という種族の子孫を多く残すためのものにすぎません。

そしてこれが間違った方向に進んだのが障害者に対する同情だと思いました。
うーん、どうでしょう。人が本能に従ってすることが全てですので、間違いという概念すらないように思います。
そもそも、本質的に間違い正しいの判断基準が思いつきません。
8割の人がそう考えれば2割の意見は無視する。こんな事であれば成立するかも知れませんが、人類の目的や生きている意味の価値観は時代と共に変化しますし個人によって考え方が大きく異なる場合もありますので本質的に正解がないと思います。
例えば、人によっては絶滅を考えたり無関心であったり障がい者も含めて全員が助からなければ意味がない色々考えている物と思います。
あなたの場合、進化論を信奉しそれを理想としているのか、人は子孫を残し繁栄すべきだという価値観をお持ちのように感じます。
そのため、敢えて進化論的な話ですすめようと思います。
但し、これが重要なのですが、そもそもの前提として、人が生きるべき価値観というのは極めて多様で個人個人の資質によるところが多いですのでまずはこの部分を検討すべきかと思います。


進化論的な話で・・・
歴史を見れば、ナチスや日本の優生保護法などもそうですが障がい者を抹殺する方向でした。
どこまで障がい者を保護するかという話になるかと思います。

例えば、先日亡くなりましたが人類最高峰の物理学者は一人では食事も言葉も発することが出来ません。しかし、見捨てることなく保護し続けたため人類に多大な貢献をしたと思います。
他にも、アインシュタイン、彼は自閉症の傾向がありました。時代が時代であれば社会に適応できないと言うことで処分の対象になったかも知れません。
ユダヤというのも当時のドイツでは障害と見なされていましたので危険であったようです。
しかし、弱肉強食の一例として戦争がありますがWWIIの結果はドイツ、日本の敗北です。
更に昔ですとスパルタという国もありましたが残念な結果になっています。

人以外の動物の場合、生きるために必要なリソースが足りていませんので自分の糊口を確保できないものは死ぬしかない場合が多いようです。
しかし、人類史を振り返ってみると文字が残せるようになりましたのでその重要性が減っていますが、年寄りは知恵者と言うことでとても重要な立場であったかと思います。
しかし、歯が抜け自分の歩くことも難しければ重度障がい者同様一人で農作業することは困難でしょう。しかし、知恵という物は蓄積されており人類の進歩に大きく貢献したことは間違いないです。

現代
障害というのは人と大きく異なる個性だと私は思っています。YESマンばかりの会社は弱肉強食の世界では残念ながら残ることが出来ません。また、優秀であっても同じような個性(全てを国立大学出身で埋めたような会社)がありましたが価値観が似通っており伸びない会社になったようです。人が最も成長できる状態というのは多くの個性がある状態だと思うのです。その個性には一時的には社会の負担になっても長い目で見ればそれが長所のようになることもある。様々な障がい者がおりそれが直接すぐに経済的メリットになる事例は思いつきませんが例えば将来あなた自身が疾病を負った時にはその知見が役に立つかも知れません。
例えば、日本の高齢化。一般には悪いことだとされていますが、世界経済で見れば高齢者は増えますし、高齢者も快適に過ごせる商品の需要も多くなっています。また、高齢者が多く活躍できるビジネスモデルも良いかもしれません。日本の場合、高齢者が多くおりますので社会全体で新しい商品を販売してそれを使って貰いフィードバックを繰り返し、世界の高齢者に向けて販売するなどデメリットがメリットになるかも知れません。とりあえず、寿命が長くなれば誰もが長い老後がありますのでそこへの商品開発は日本が最適になりそうです。
最近ではLGBTqなどもそうですが少数とは言えない人が子孫を残すという以外の性質を持っていますよね。子孫を強く残したいという人がいることは人間を見ていれば分かりますが、そうではない人も決して少なくない数います。
そして、人という種全体で見ると積極的に子どもを残したい人、まったくそう思わない人。それらのバランスで成り立っているように見えます。
仮にですがLGTBqは生存に不利だから全て抹殺などすると人としての社会が味気ない物になりそうです。


最後に、本能について
人について子孫を残したいというのは有るでしょうが、それ以外にも人の強い本能として人を殺したくない。殺されたくない。みんなで仲良くできるなら、仲良くやっていきたい。このように心の奥底から感じている人も多いように思います。
例えば、強盗ですらとりあえず抹殺してから盗むのではなく可能な限り生かしたりしますよね。(勿論そうではないものもいます)
以前は、リソース(食料)が足らず場合によっては涙を呑んで仕方なく姥捨て山に連れて行ったなどあったでしょう。子どもについても間引きが行われていたという悲しい歴史もあるようです。
しかし、現在では生存に必要なリソースが十分に足りていますので、より忠実に本能に従った行動が出来るようになったような気がします。



飢餓問題は?
遠くの人はどうでも良いのでしょう。様々な人がいますが基本的に人は想像力が乏しく生活圏内でのできごとに多くの関心があるように思います。生活圏や考え方がグローバルな場合多くの懸念を持っている人は多いかと思いますが・・・知人ですが結婚するまでは自分のことばかりでしたが結婚すると生活圏が広がりそちらにも興味関心がでました。他の知人は国際結婚をしました。より広い範囲が日々考える事に含まれるようになりました。すこし遠くの人にも感心が生まれるようです。飢餓問題について、多くの人は対岸の火事であり興味や関心が無いという事だと思います。同じ日本で震災があっても他県どころか地域が違うだけでもそこまで積極的に助けたりはしませんよね。勿論、一部の人が異なりますが全体で見ると微妙です。何となくこんな気が致します。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人は本能ですることが全てという意見を聞いて少し考え込みました。
例えばカラスは知能が高いことで有名ですがカラスはあえて道路にたち車にぶつかる直前で飛び立ちスリルを味わうということをすることがあると言います。本能ではないことの定義は生きることには必要のないことだと思っていました。すなわちカラスのこの行動は生きるためということには程遠いいです。そう、これは遊びです。遊びは人間が一番やってますよね。だから人間が一番本能以外のことをしてると思っていましたがたしかに楽しむという行為をする事でストレス解消やリラックスなどの色々な良い効果のことをを考えるとこれも人間の本能かもしれませんね。でも私はやっぱり生きることに絶対的に必要な行動が本能だと思ってっていてそれが正解だと思っているので障害者に対する同情、保護は本能は悪い遺伝子残すだけ、いわば人間のいう種族が生きるために必要のないことなのでの失敗だと思います。私は正解は議論するネタの定義さえ明確ならば必ずあると思います。その問題に対して最もに最適な策、それが正解ではないでしょうか。
それから私は人は子孫を残し繁栄すべきとは考えていません。そもそも生きることに何の意味もないと思っている人なので。むしろ地球のことを考えたら真っ先に人間は絶滅すべきだと思いますけどね。それからあなたのいうアインシュタインやホーキング博士のような障害を持ちつつも突飛つした才能を持つ方もいますがそういう方々は人類にとっても十分な貢献度があるので私は大事にすべきだと思います。私は決して「障害者だったら何だろうと役立たず」とは決めつけていません。でもこれは極めて異例。ほとんどの障害者はこの能力にものすごく長けているといったことはないでしょう。むしろ能力に欠けている部分が多いいです。ですのでこれを個性として捉えても何のメリットもないと私は思います。活かす方法がないどころか悪いとこばかりです。

お礼日時:2018/10/29 21:18

障害を負うのは本人になんの責任もないからね。



同情?

基本的人権の尊重って習わなかった?

生きる価値があるか?もなにも、日本では
障害者も平等に生きるための権利があるんだよ。

動物界じゃねーんだから。

ハンデを負っている部分に税金を使うのは
当然だろ?
    • good
    • 4
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
何の責任もない。→はい。責任はないです。責任があるからどうしろとは別に言っていませんが?ただそのような人たちが生産性に乏しいのはたしかです。
人権について習わなかった?→はい習いました。しかし私が思うに人権というのは簡単に言えばを思いやることですがその本質はこの社会を無難に進めるようにするルールだと思います。どういうことかというともし人権がなかったら自分も嫌な思いをさせられるし相手も嫌な思いをしますよね。そうです。人権というのはお互いにメリットがあるのです。自分がされて嫌なことは相手にしない。これもよく言いますがお互いにメリットのがあります。
おそらくあなたのような情を大切にする人、非論理的な人は私とは意見がありません。私の言っていることも理解できないでしょう。理解しろとは言いませんが。

お礼日時:2018/10/29 21:37

「なぜ?」「どうして?」などと言ったら反論できないような精神論的な意見、はお嫌いと言うことですね。


それでは何故、「意思疎通のできない人間に生きる価値はない。」のでしょうか。
「実際障害者には多額の補助金が支払われています。」が、それだけではありません。何故、障害者に多額の補助金を支払ってはならないのでしょうか。
(できましたら、障害者に直接、多額の補助金が使われている例をお教え頂きたいです。)
「実際に飢餓で苦しんでいる発展途上国の人たちやこれからの優秀な人材を作るための投資」、何故、障害者への投資は除外されるのでしょうか。
特別扱いせず、「際障害者には何の援助もせず己の力で生きていくような社会」にすると言うことは、全ての国民についても同様の対処、補助金など一切ない社会にしたい、と言うことでよろしいのでしょうか。

現在、「障害」という言葉はあまり使われなくなりつつあります。「障碍」や「障がい」と言う表し方が増えています。それがなぜだかおわかりでしょうか。
大昔、まだ人間が完全な人間でなかった頃、今より発症数は圧倒的に少なかったでしょうが、「虫歯」は大きな「障害」でした。ものを充分に食べることができないせいで寿命が尽きるまで生き抜くことは困難だったでしょう。現代の日本においては、まさか「虫歯」程度を「障害」などと考える人はいないでしょう。つまり、過去に、また今現在、「障害」と考えられているものの中には様々な克服できるものが多く含まれていると言うことなのです。現に、かの有名なホーキンズ博士は機械の助けなくして、他人と意思の疎通はできませんでした。しかし、機械の力を借りることでその障害を乗り越えたのです。そんな障害はもはや「害」ではなく、ただの個々人の特徴でしかないのではないか。ですから、「障害」と言う言葉は使われなくなりつつあるのです。

つまり現時点で意思の疎通ができないからと言って切り捨てることは余りに刹那的すぎると言える様に思います。「飢餓で苦しんでいる発展途上国の人たちやこれからの優秀な人材を作るための投資に当て」るのであれば、「障害者」にも同様なことが望まれるのではありませんか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
意思疎通できない人間はなぜ生きる意味がないのか→意思疎通できない人間に何かを生み出すことはできません。生きているメリットがありませんね。つまり生きる価値がないのです。
なぜ障害者に多額の補助金を支払ってはならないのでしょうか?→一つここで大事なことを言いますが例外は除きます。あなたのいうホーキング博士は突飛つした才能でいくつもの発見発明をし、大変生産性に優れています。ですがほとんどの障害者は能力が欠けているだけです。つまり生産性は一般人よりも低いのです。なのでなぜその人たちのために大事な大事なお金を使わなければいけないかわからないのです。(補助金の例 障害者年金 )
すべての国民についても補助金が一切ない世界にしたいということでしょうか?→いいえ。そうではなく生産性のある人たちには補助金は出せばいいと思います。まあ要は補助金出した分のメリットがあることが重要ってことです。
私は宗教第二生で産まれながらに入れられていて精神論が嫌いになってしまったようです。笑笑

お礼日時:2018/10/29 21:58

>ただしこれは障害者だけの特権にしないと人口が大きく減少してやばそうですよね。

社会的に。笑
大丈夫、死にたくない人はたくさんいます。
殺すのに手を下すのは嫌な人は、もっとたくさんいます。
それと不正が心配ですね。
安楽死希望の文書を偽造された挙句狙われたら、たまったもんじゃありません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そうですかね。
私自身生きたいと思っていないし楽に死ねるならいつ死んでもいいと思っているのでそうは思いませんでした笑笑やわり色々な問題が発生しますよね。
有意義な会話ができて嬉しいです。
ありがとう(^ ^)

お礼日時:2018/10/29 22:07

昔、障害者は、親が殺していた、犯罪にもならない、


人生に不満が有り、正義感、責任感でやってしまう、これは 戦争へとつながって行くと 振り返ります、倫理、と言うものが からんで、、
遺伝子組み換えで、才色兼備、文武両道な人間だけを作り続ければ良いのかな?空も飛べればすごいね。
    • good
    • 3
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
全く同じ人間ばっかだとつまんないからやだな。いろんな人の思想やアイデアがあるから面白いんだよねー
空飛べたらいいよねー

お礼日時:2018/10/29 22:50

生きるために絶対的な必要な行動について、人類は38億年ほど文字通り弱肉強食の中で生き残りました。

その長い試行錯誤の結果が我々人類と今居る生物全てです。
一見、頭で考えて不正解だと思うような行動も、長い目で見ると(38億年くらいの期間)、回り回って実は有益になると言うことがあるのではないでしょうか?それ故に、38億年の長い年月でもその様に思い行動する遺伝的形質が失われることなく、その行動様式が残っているとは思えませんか?

自然界の競争はとても厳しいです。それを38億年も続けているわけです。仮に、その様な優しい遺伝子が生存に不利だとすれば、リソースをそれに割いた個人や集落、国家は子孫を残すことが出来ず、ある意味スパルタみたいな国家が普通になったと思います。しかし、実際には高度に技術を発展させられた先進国と言われる国では福祉サービスは充実しています。理由はすぐに分かりませんが、進化論的な見地から考えるとこの方向性の先に正解がある可能性が高いのではないかと思ったりします。根拠は38億年の裏付けです。
勿論、本能に反して知能で考えて本能に背くことをするのが正解の可能性がありますが、38億年の研鑽の結果に異議を唱えるわけですから普通に考えると何かしらの不利益を被るのではないかと思います。勿論、正解の可能性もありますが・・・(背きたがるという本能もあるでしょうが)
ただ、人の場合もそうですが、個性がありどちらの考えを持っている人、どちらの考えも持っている人がいますので、全体で見れば、競馬で言えば全部賭け状態です。なかなかに賢い生存戦力という気がします。

なお、ホーキング博士の例ですが、21歳の時にALSを発症しています。そこから手厚いサポートがありALSの平均寿命5年を大きく上回わる76歳で亡くなりました。仮に当時が物資などリソースが不足していれば切り捨てられた人材だと思います。しかし、リソースを注ぎ込むことが出来き人類は多くの知見を得ることが出来ました。21歳でその人が将来人類に貢献するか否かを見通すことなど不可能でしょうし結果を見るまでは分からないという一例になるかも知れません。
他にもユニーク、人と変わっていると言うことはそれだけで役に立つかも知れません。例えば、人の病気を調べる場合に遺伝とその発現を調べるには実際のDNAと生きている人が必要になります。遺伝子を操作してその様な人を作ることは社会的にダメでしょうが実際にいる人に協力して貰うならあり得る話かと思います。ただ、これは遺伝子技術が進歩していないと意味がありませんし、2000年頃であれば無視された話です。しかし、技術が進歩した現代であれば意味のあることに思えます。

正解について、ネタの定義が明確ならとのことですが、
人類の幸福についてであれば切り捨てられる人がいることに深い痛みを感じ不幸せと感じるかも知れません。その場合、正解は助ける事を含めた進歩になるでしょう。
人類の生存についてであれば正解は確かに有るでしょう。しかし、囲碁というボードゲームをご存じでしょうか?正解はあるのですが想定できる盤面の数は宇宙にある素粒子の数よりも多いそうです。事実上無限といっても良いと思います。しかし、その中に正解は1つしかありません。この1つを見つけることは不可能といってもいいでしょう。人の行動とパターンを考える場合の本当の正解は囲碁のように19*19のマス目どころではないパターンが想定されます。そうしますと、本当の正解は1つしか有りませんが、それを求めることは不可能ではないでしょうか?また、この正解をいつ判定するかですかが重要ですが、株価や歴史を見ていると思うのですが、10年後は正解でも20年後には不正解。こんな事は日常茶飯事です。そもそも、正解という物は求められるのか?このように思ったりします。
なお、あなたがこの世界に無情を感じておられるようですので少し補足しますと、物理現象に不確定性原理という物があります。例えば財布の中に100円玉があります。しかし、これが厳密な意味で10秒後にもそこに存在し続けるとは限りません。100円玉が私の財布や全く別の形に化けている可能性があります。100%の正解という物はこの世の中に存在し得ないと思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度ご回答ありがとうございます
たしかに長い目で見れば有益になっている可能性はありますね。
人間の行動パターンも無限にありますからこれが正解とかはないですね。

お礼日時:2018/10/30 11:24
1  2  3  4 次の回答→

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!