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日本の歴史についてです。
「1881年、政府は北海道開拓のためにつくった官営工場や鉱山を、政府と関係の深い大商人に安く払い下げようとしました。」←なぜですか??

自由民権運動〜国会開設の勅諭あたりの話なのですが…。

A 回答 (3件)

極めてシンプルです。


新政府内の権力闘争の道具としたのです。
薩長土肥でなされた明治維新と新政府発足ですが、平和になった結果、当然にして薩長土肥間にて権力闘争、主導権争いになりました。
薩摩の黒田は、自分の部下や薩摩出身の商人に安く(1400万円のものを39円等、事実上無料で)払い下げ、
薩摩出身者の財力を増大させ、新政府内での薩摩出身者の影響力を増大させようとしました。
長州出身者達は逆にこれを利用し、薩摩出身者を中枢から追い出すことに利用し、これに成功しました。
長州の他を制する政治的立ち位置は、今も引き継がれている部分があります。
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民間企業がまだ未成熟だったので、


官営にしました。

しかし、官営は効率が悪いのは今も昔も
同じです。

それで、赤字を税金で補填することになる
のですが、西南戦争で財政が苦しくなり
維持出来なくなったので
民間に払い下げたのです。
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その問題は、ズバリ東大の入試問題で問われた事がある。


詳しくは、相澤理『入試問題で歴史を推理する 東大の日本史超講義』を読んでみて。

概略だけ書くと
西南戦争の戦費調達のため国債乱発
→ インフレ
→ 地租による税収は定額の為、インフレの結果、税収が相対的に割安に
→ 松方正義による歳出カットおよび政商への資産売却、通貨のデノミ
→ デフレ
→ 農産物の物価が低下し、大地主と小作農(貧農)に分かれる格差社会。貧農の娘は女工哀史の世界に。
→ まだまだ続く
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