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絶対的に正しいことを演繹的に定義してみました。

私たちは「大切なものを守ることは正しい」と感じます。(うん、そりゃみんなそう思うね)
では「最も何よりも大切なものを守ることは最も何よりも正しいとなる(まあ、当然そうなるな)

では「群れにとって最も何よりも抜群に大切なものは群れの命でしょう」(まあ、そりゃ~、そうだろうな)
それでは「最も何よりも大切な群れの命を守ることは最も何よりも正しい」となります。(そうなるね)
逆から言えば「何よりも抜群に最高に正しいことは群れの命を守ることである」となる。(そりゃ~そうだろう)

つまりその群れにとって、「絶対的に、何よりも最高に正しいことは群れの保存、存続である」と言うことが導かれる。
結論、その群れにとって、何よりも、絶対的に、最高に正しいことは群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ることである、となった。

私は哲学は素人なもので、どこか間違っていないでしょうか?よろしくお願いします。

A 回答 (35件中21~30件)

新しいことを始める事も大切だとしましょう。


大切なものを守るのも大切です。

どうして何が一番大切だと言えますか?
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この回答へのお礼

常識的に考えて命が一番大事であり、個人の命より群れ全体の命が大切でしょう。道徳的正しさは数学のように前提が真ではなく前提は妥当性で考えるしかないのです。多くの人がそれはあたりまえだと言うもので考えていくのです。命より何が大事なんですか?プライドですか?それでは自分のプライドの為に子供たちの命を犠牲に出来ますか?
常識的に命が一番大事でしょう。

お礼日時:2018/12/09 22:33

> 私は先の戦争は日本は正しいと思います。

自衛戦争ですから、自衛の為なら満州などを占領したことは正しい


先の戦争で、日本全土の都市という都市が焼け野原になり、兵士だけでなく女性も子供も老人も焼け死に、機銃掃射で撃たれ、あるいは非国民と獄死した。国家は無条件降伏し、GHQ に占領されて主権が剥奪され、国家体制がガラリと変わった。

これは明らかに、君の言う『群れの存続』が、できなかった事例である。そうであれば『間違っていた』と言うべきだ。
君は、あれこれ矛盾している。


まずは自分の頭の悪さと、素直に向き合うべきだと思う。
『哲学ごっこ』はやめて、ゼロからきちんと勉強すべきだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自衛戦争は絶対善です。アメリカや西洋人の戦争は私欲の戦争で悪です。群れを守るための戦争は絶対善なのですから、滅ぼうがそれは時の運です。お互い群れを守る為の戦いに善悪は在りません。強い方が生き残るのは自然の法則です。しかし群れを守ろうとすることは絶対的に正しいのです。

白人のように自国民は安泰でありながら、もっと領土、金が欲しいがための戦争は悪です。日本は他のアジアのように奴隷になりたくないと言う自衛の戦争であり善です。有色人種は日本人だけが独立を保っていたのですよ。日本が奴隷になれば白人の有色人種支配の完成です。有色人種は未来永劫白人たちの家畜として働かされたことでしょう。それを日本が解放し世界が平等になったのです。今白人と対等に口が利けるのも日本の兵隊さんたちの意影なのです。本来は有色人種たちは靖国を聖地と思い参拝しなければならないのです。

お礼日時:2018/12/09 22:27

あなたの主張は破綻しています。



大切なものを守るのは大切であるいう一般的な命題から、絶対、とか、最高、とかになって行くところの論理の積み上げがないからです。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

大切なものを守るのは正しいと感じます。そうであれば最も大切なものを守ることは最も正しいとなります。間違っていますか?

お礼日時:2018/12/09 21:30

その人は大切でも他の人にはゴミで捨てるのが正しくなる


他の群れからは敵に見える場合もあるでしょ
正義をそのように相対的に論ずる事はできません

善とは
社会的な規範に是とされる存在、「行為」

正義とは
人間の行動・志操・道徳で、「ただしい」とされる「概念」



正義の概念は
非常に難しいもんだいです
国際的な問題 個人間の問題そしてまた家族間の問題
その他 様々な次元で 争いや対立や利害の衝突もあるが
こちらが正義であちらが悪と 明確に判別できない事が
あまりにも多い

卑近な喩えかも知れないが
夫婦喧嘩だって どちらが正義が悪か
よくわからないでしょう

日本には「勝てば官軍」と言い
勝った方が正義 負けたほうが悪
と言う考えがあるが それは矛盾が大きい
現実には 正義が負けて邪悪が勝ってしまう場合も多い

そもそも正義と悪・・善悪は 人類にとって
永遠にわたる 重大な問題といってよいと思います
古今東西 様々な哲学的議論はありますが
それらを踏まえて 結論すれば

「人を殺す事は絶対悪」と言う事です
「人を救う行動は 正義であり善」と言う事です

信は正義  結合 理性 勇気 幸福 平和 不可能を可能にします
不信は不正義 分断 裏切り 臆病 不幸 戦争 可能を不可能にします

「生命を豊かにし輝かせるのが善」
「生命を委縮させ 生命を手段にするのは悪」
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>正義とは人間の行動・志操・道徳で、「ただしい」とされる「概念」<

ですから絶対正義を演繹的に定義したのです。絶対的に正しい事とは絶対正義のことです。

>「人を殺す事は絶対悪」と言う事です<

いいえ、ちがいます。最高に正しいことは「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること」ですので、その為に人を殺すことは善です。「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること」の為にはあらゆることが善になります。

お礼日時:2018/12/09 19:34

No10の訂正



×『現代史資料』(みみず書房)
○『現代史資料』(みすず書房)
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どこが間違っているかどうかは、あなたがいう「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること(以下、「群れの存続」とします。

)」の定義の説明がされていないので分りません。


例えば、アドルフ・ヒトラーの「生存圏」は、「群れの存続」に該当するのか。
例えば、吉野作造の「自存権」は、「群れの存続」に該当するのか。

アドルフ・ヒトラーの「生存圏」は、「群れの存続」に該当しないが、吉野作造の「自存権」は、「群れの存続」に該当するのであれば、私のイメージする「群れの存続」に近いといえますが、その線引きがあなたの文章では見当たりません。

あなたの文章を読む限り、「群れの存続」の定義が不明ですので、あなたの主張が間違っているかどうかは良く分かりません。




(補足)

吉野作造の「自存権」は、ヒトラーの「生存圏」と似た意味だと思われる人も多いですが、全く違います。

「自存権」は満州事変当時の言葉ですが、1929年世界大恐慌以来、世界各国は保護貿易を推し進めブロック経済化していきました。日本では事実上の経済封鎖を受けているようなものでした。しかも、日本が権利を有する満州では、法外な排日・反日運動が展開しています。満州事変というのは、このような状態に置かれた日本が民族生存のために起こした行動です。あなたの言葉で言うならば、「群れの存続、群れ社会の安寧秩序を守ること」のための行動と言えます。

(当時の排日・反日運動が、どれほどの壮絶なものだったかは、『現代史資料』(みみず書房)の「満州事変(正、続)」の巻に詳しく書いています。或いは、外交資料館の「外務省記録」には膨大な一次資料が残されています。)


ヒトラーの「生存圏」は、水晶の夜以降、暴走しますが、ラインラント進駐やオーストリアの併合までのミュンヘン会談までは、ヒトラーはウイルソン主義を実践しているだけですので、ウイルソン主義を肯定する人からすれば必ずしも否定は出来ないでしょう。(ウイルソン主義者は、ミュンヘン会談までのヒトラーの行動がウイルソン主義であると認めたがらないかもしれません。)

しかし、当時のオーストリアは国内でドイツ人を襲撃したり、オーストリア政府がそれを率先して推し進めるなどの、満州で起きているような排日・反日運動などは起こっていません。ドイツ側は国際法で認められている自力救済をオーストリアに行う権利は無いと言えます。それを、民族自決というウッドロー・ウイルソンが提唱した、国際法にもなっていない新しい概念を利用して、「同じドイツ民族が一緒になりたがっているのだから、いいじゃないか。」としてウイルソン主義を用いて併合しました。これがミュンヘン会談以前のヒトラーが暴走する前の「生存圏」ですが、吉野作造の「自存権」とは根本的に意味が違います。

(「水晶の夜」以降のヒトラーの「生存圏」は完全に暴走していて、「群れの存続」としてめちゃくちゃです。1801年のコペンハーゲン焼き討ち事件を、イギリスは古代ギリシャの寓話「カルネアデスの板」を持ち出して、それと同じ緊急避難(「群れの存続」のための正当な避難行動)だとしましたが、それ以上にめちゃくちゃな「群れの存続(あなたの「群れの存在」の定義に該当するかは不明)」です。)
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

majimemaruさんは見識ある方でとても尊敬しております。

そうですね、吉野作造の「自存権」と同じだと思います。私は先の戦争は日本は正しいと思います。自衛戦争ですから、自衛の為なら満州などを占領したことは正しいと思います。限度というものはありますが。

私はこの演繹法で絶対的に正しい事=「群れを守ること、または社会の安寧秩序」であると見つけたと言うことです。これはいわゆる絶対正義です。その絶対正義を守る為に最も正しい方法が絶対善である「私より公を優先する行為」なのです。

詳しくは下記のリンクを覗いてください。絶対善を定義していますから。読まれましたら、コメントください。

https://ameblo.jp/shinwood/entry-12277885699.html

お礼日時:2018/12/09 19:29

その群れにとって、何よりも、絶対的に、最高に正しいことは群れの存続、


群れ社会の安寧秩序を守ることである、となった。
 ↑
正しいですよ。

これが全体主義の論拠です。



ただ、絶対、という言葉は使わない方が
良いです。

絶対、というのは例外が無い事、
相対的で無い事、を意味します。

群れの為に、個人が犠牲になることがあるが
それでも正しいのか。

他の群れ、群れ以外のモノにとっては大切で
ない場合もあるでしょう。
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>これが全体主義の論拠です。<
>群れの為に、個人が犠牲になることがあるがそれでも正しいのか。<

全体主義かどうか知りませんが演繹的にこのように出たのです。恣意的なものではありません。

>他の群れ、群れ以外のモノにとっては大切でない場合もあるでしょう。<

他の群れにとっても自分たちの群れを守ることは絶対的に正しいのです。自分たちの群れを守ることは正しいと出たのです。

お礼日時:2018/12/09 19:16

私は哲学的では無いですが回答します


「その群れにとって」正しい事ですね
ただ、それは蟻とかの真社会性動物にとっての正しさです

しかし、群れの外側の生き物のは当てはまらないので
「絶対的に」正しい訳では無い
(こういう思考を構造主義って言うらしいよ)

最初の「大切なものを守ることは正しい」
これってホントなの?
「大切なものを守ることは正しいは本当に正しいのか?」
をまず考えた方が哲学的なんとちゃう?
な~んか結論ありきの持論の展開に感じました
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。

>最初の「大切なものを守ることは正しい」これってホントなの?<

大切なものを守ることは正しくありませんか?お金でも子供でも、正しいと思いますよ。

お礼日時:2018/12/09 19:12

これについては既に答えは出ておりまする。



あまりに正しいこととは何か
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9252227.html
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

>それはこの宇宙である。宇宙は存在する。これは絶対的に正しい。<

リンク先を読ませていただきました。宇宙が存在するのが絶対的に正しいといかにして導かれたのかが分かりません。

お礼日時:2018/12/09 19:02

どこが演繹的?


定義と公準は何?

大切、守る、正しい、群れ、何より、最高、存続、・・・・、これ等の定義は。
定義した要素間の関係を示す公準はどれ?
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この回答へのお礼

返信ありがとうございます。

「大切、守る、正しい、群れ、何より、最高、存続」みんなが共通した概念でいいと思います。

そうなると定義の定義は?となりますのでみんなが感じている概念でいいと思います。

お礼日時:2018/12/09 19:00

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