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「父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる」
⬆この防人歌の情景を教えてください!!!

A 回答 (3件)

「父母が頭かき撫で幸くあれていひし言葉ぜ忘れかねつる」


<歌の情景を教えてください!!!>

情景を描写する為には、その当時の人々の状況や気持ちを想い、
イメージを膨らませなければいけません。それで背景から。

当時の日本を支配していた大和朝廷は唐(現在の中国)と
新羅(現在の朝鮮の一部)と戦争状態にありました。
戦争の発端は、朝鮮半島の南に有った百済が新羅に攻められ
滅亡しました。その再興を測る旧百済勢力が日本に支援を
求めました。日本は支援に応じ、軍を派遣しましたが朝鮮半島の
白村江での海戦で大敗北しました。1000隻の軍船の内400隻を
失ったと言われています。

今度は日本が唐・新羅に攻められる恐れが出てきました。
大和朝廷はこれに対する対策として北九州の守りを固めました。
この防衛の任務に当たった兵士が防人です。
防人は東国(とうごく)から集められました。東国は今の静岡、
山梨、関東地方の県です。
防人はこれらの地方の正丁(せいてい、21~60歳の健康な男子)
から選ばれ、3年間の任務が義務付けられました。
東国から北九州迄は、各自が自分の費用で徒歩や船で行かなければ
なりませんでした。
任務中は武器も食料も自己負担で、任期の3年で帰れないことも
多かったと言われています。この期間に税を免除される事も
ありませんでした。厳しい務めだった様です。
帰路も自己負担で、途中で行倒れして亡くなる者も多かった様です。

さて、当時の人々の寿命は短く50歳程と言われています。
防人は21歳以上ですから、両親は40歳中頃~50歳中頃の範囲で
しょうか。

さて以上を背景として歌の情景を考えて見ましょう。

辛い防人の務めの為に、遠い九州に旅立たなければならない。
長い旅路と務めが待っている。ひょっとするとこれが永遠の
別れになるかも知れない。老いた父母は子供の頃の自分を
愛おしむ様に頭を激しく撫で「幸せで居る様に」と言ってくれた。
その言葉が繰返し想い出される。

情景はこんなところでしょうか。

万葉集の防人の歌は84首有るとされています(万葉集以外にも
防人の歌は有り、それらも含めた防人の歌の総数は94首)。
その約40%は妻や恋人を、40%弱が父や母を、10%が望郷と
悲哀を詠ったものです。天皇の為という忠君は僅か3.4%でした。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます!

お礼日時:2019/01/12 04:17

失礼しました<・・・・言葉ぜ忘れかねつる>ですから、


「・・・言葉を忘れられない」です。

情景は次の様に成ります。
辛い防人の務めの為に、遠い九州に旅立たなければならない。
長い旅路と務めが待っている。ひょっとするとこれが永遠の
別れになるかも知れない。老いた父母は子供の頃の自分を
愛おしむ様に頭を激しく撫で「幸せで居る様に」と言ってくれた。
その言葉を忘れることができない。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!

お礼日時:2019/01/30 18:44

この歌を歌ってている人が、防人として太宰府に行きます。


防人は決して安全な仕事ではなく、命がけのこともあります。
そのため、両親が「幸くあれ」(元気でねという感じのニュアンス)と言っておくりだします。
その言葉を防人は忘れないと歌っている感じですかね。
所々誤った部分があるかもしれませんが、大体はこんな感じです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2019/01/12 04:18

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