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日本の代表的な象徴詩ってどういうものがあるのでしょう??
北原白秋とか、三木露風なんかが有名どころなんでしょうけど、
あまりにも有名すぎていまいち興味が持てません。
それに、みんなと同じようなレポートを出すのも。。。
なので、あまり有名でない人でもいいのでとにかく象徴詩を教えてください!!
よろしくお願いします。

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A 回答 (2件)

こんばんは


時節柄、上田敏「落ち葉」などはいかがですか?

 秋の日のヴィオロンの
 ためいきの身にしみて
 ひたぶるにうら悲し 
 ……
 げにわれはうらぶれて
 ここかしこさだめなく
 とび散らふ落ち葉かな

有名すぎますね。(^^::

隠れた象徴詩人には以下の人もいるようです。
参考まで……

参考URL:http://www.google.co.jp/search?q=cache:Gj2RNFRdN …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。『落ち葉』素敵です。
三富朽葉にしようかなっと思ってます。
教えていただいて初めて知ったのですが、気に入りました。
ただあまりにも参考する文献が図書館に入っていないので、
やり始めてから変えちゃうかもしれません。
とにかく、ありがとうございました!!

お礼日時:2004/11/23 08:18

宿題に類することには無闇に答えてはいけないと、さる方から強く諌められているのですが(笑)。



明治期の象徴派の双璧は薄田泣菫と蒲原有明と言われています。

泣菫の代表作「ああ大和にしあらましかば」は
 ああ、大和にしあらましかば、
 いま神無月、
 うは葉散り透く神無備の森の小路を、
 あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
 斑鳩へ。(以下略)
といった歌いぶり。

有明の代表作だと、たとえば「茉莉花」、
 咽び嘆かふわが胸の曇り物憂き
 紗の帳しなめきかかげ、かがやかに、
 或日は映る君が面、媚の野にさく
 阿芙蓉の萎え嬌めけるその匂ひ。
以下と続きます。はっきり言ってかなり難解。(というか、象徴詩はたいてい難解です。)

上田敏の翻訳詩集『海潮音』(明治三十八年上梓)によって、
当時の西欧の「曩(さき)の高踏派と今の象徴派とに属する者」(海潮音序)の大部が紹介されてから、
本邦においても本格的な近代象徴詩運動がはじまったとされています。
ですから、大正期以降の詩人はみな多かれ少なかれ、この影響下にあると言えると思います。
 
近代を代表する詩人、萩原朔太郎はしばしば象徴主義的であり、
また、大手拓次に至っては象徴主義と倒錯的な婚姻をしたとさえ言われています。

大手拓次小辞典
http://ww4.tiki.ne.jp/~toon/takuji_index.html

以上を参考に、個々の詩はWeb上を検索するなり、ご自分で図書館に行くなりして当ってみてください。
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この回答へのお礼

>宿題に類することには無闇に答えてはいけないと、さる方から強く諌められているのですが(笑)。

そんな中、ご回答ありがとうございます。重々承知しております。
もちろん、レポートの中身である分析は自分で考えます!!
なので、わかってください(涙)
薄田泣菫&蒲原有明、有名ですね!!授業でも出てきました。
授業で出てくるのはみんなとかぶるかなぁ~と思って質問いたしました。
でも、個人的には「ああ大和にしあらましかば」は好きです。地方柄。

お礼日時:2004/11/23 08:30

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Q写実主義と自然主義

日本文学の、写実主義と自然主義の違いがよくわかりません。
写実主義は明治初期に坪内逍遥が提唱して二葉亭四迷が確立したものですよね?
自然主義は明治末期より田山花袋などの私小説的なものをいうみたいですが、なんだかどっちも人間の心理とか真実とかを描き出すことには変わり無いと思うんですが・・。
主義というだけには何か決定的なものはないのでしょうか?ただ単に時期が違うというだけなんでしょうか?日本の自然主義はヨーロッパのものとはまた違うなどあるみたいですが・・。
便覧見ても人に聞いてもいまいちしっくりこなくてしこりを残してます。

Aベストアンサー

 実は僕も疑問に思いまして、調べてみたことがあるんです。
 本当に、疑問に思われても無理もないことだと思います。というのは、明治の文学史を見てみると、ひっじょーに奇妙なことが起こっているからです。
 まず、写実主義の方は、おっしゃるとおり、坪内逍遥の『小説神髄』に始まり、二葉亭四迷の『浮雲』を本格的な出発点とする流れです。言文一致が特徴ですね。文字通り、現実を描写するという意味で写実的でした。
 で、自然主義にいく前に、浪漫主義という流れがあったのをご記憶でしょうか。雑誌『文学界』を拠り所に、北村透谷や初期の森鷗外らが活躍しました。その『文学界』の創刊当初のメンバーに、あの島崎藤村がキッチリ顔を見せているのです。彼は、浪漫主義抒情詩人として出発していたのでした。これがハナシをややこしくする元なんです。つまり…日本においては、自然主義というのは、写実主義からではなく、浪漫主義から派生したと言える部分がある、ということです。ヨーロッパとは全然ちがう経緯を辿っている。そのため、「自我」であるとか「内面性」であるとか、そういう浪漫主義的要素を多分に引きずることになりました。
 さらに、日本における自然主義の出発点をなした、藤村の『破戒』、これがまた問題なんです。
 ヨーロッパにおける(つまり、もともとの)自然主義は、写実主義の客観的描写姿勢を受け継ぎつつ、より科学的・実証的・体系的に現実を捉えようとする、実験的な文学様式でした。現実を、あるがままに、しかも、歴史的状況や因果関係や社会全体の中での位置付けも視野に収めて、現実のナマの姿を浮き彫りにしよう…みたいな。
 で、『破戒』なんですが、まず、被差別部落問題を背景としている点に、上記の意味での自然主義の特徴を認めることができます。一応。あくまでも、一応。
 ところが、作品全体として見ると、明らかに焦点は主人公・瀬川丑松の内面的苦悩に置かれています。被差別部落問題は、ただ単に「背景」でしかなく、作品を通してこの問題の核心を追究しようという姿勢は、もうぜーんぜん見られない。つまり、本来の意味での自然主義文学としては、要件を十分に満たす作品ではなかったのです。
 にもかかわらず、『破戒』は発表当初から「自然主義小説」として宣伝されてしまった。おまけに、小説としての完成度が高かったことから絶賛を浴びた。大成功を収めた。…これが、皮肉なことに、日本における自然主義文学の方向を決定してしまったのです。社会的視点を欠いた自己告白的小説が「自然主義だ」ということになってしまった。藤村自身が、「いやー、実はねー、自然主義って、ほんとはこうなんだよ」と、ちゃんとフォローするような仕事をしてくれていればよかったかもしれませんが…やってないんです、結局。
 こういういきさつで、要するに、日本では写実主義も自然主義も、中身に大したちがいはないんです。強いて言えば、自然主義の方は、「浪漫主義混じり」のせいで内面描写に突っ走ることになり、自己告白が露悪的な方向に傾きがちになった点に、写実主義との違いがあるでしょう。写実主義の方にも露悪的なものはありましたが、どちらかというと、「現実って、こんなに厳しくて悲惨なんだよ」という、現実世間の描写でしたから。

 どうでしょ? これで、「しこり」、消えます?

 実は僕も疑問に思いまして、調べてみたことがあるんです。
 本当に、疑問に思われても無理もないことだと思います。というのは、明治の文学史を見てみると、ひっじょーに奇妙なことが起こっているからです。
 まず、写実主義の方は、おっしゃるとおり、坪内逍遥の『小説神髄』に始まり、二葉亭四迷の『浮雲』を本格的な出発点とする流れです。言文一致が特徴ですね。文字通り、現実を描写するという意味で写実的でした。
 で、自然主義にいく前に、浪漫主義という流れがあったのをご記憶でしょうか。雑誌...続きを読む


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