お酒好きのおしりトラブル対策とは

説明できることですか?

質問者からの補足コメント

  • 散逸構造の理論は 人文・社会科学の分野としては ケ・セラ・セラと
    〔安心して言えると〕言っていますか?

    単純に運命のさだめのごとく決まった単一方向にのみすすむかたちで 
    ほろびることはないと。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/17 08:50
  • ★ 人文科学は以前の主張を修正しながら発展してきましたが、自然科学
    は以前の主張を拡張しながら発展してきた。・・・

    ☆ ニュートンを――まるきり否定してではなくそれを――超えてアイン
    シュタインが出て来たという話は 承知していたのですが。

    ★ 自然科学の発展は以前の理論が間違っていたことを示すことではなく、
    以前の理論を内包するように拡張してきたところにあります。
    ☆ という事態の一般性について 認識不足でした。おそわりました。

    ★ ですから、今後自然科学がどんなに発展しても、以前に論じらていた
    理論の適用限界内の現象は、その説明が間違っていたということにはなら
    ないように、自然科学は発展して行くのです。

    ☆ デカルトとやらが 精神と身体との分裂をつなぐ松果腺がどうのこう
    のという説を発表したというのは 理論ではなくまだ仮説の段階であった
    という捉え方をするということですね。

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/17 13:53
  • №19つづき

    ★ だから、ケ・セラ・セラで出来てくる複雑な構造という最も本質的な部分
    を強調して「散逸構造」って名付けられたんだ。ここでの会話の成り行きだっ
    たら、「ケ・セラ・セラ構造」って呼んでも良いね。

    ☆ たぶん哲学としては 《成るように成る / 成るべくして成る》構造〔過程〕
    に棹を差しつつ しかもその同じ流れを 人間として・人間のチカラで演出する
    ことが出来るか? という問題に究極としては行き着くでしょうね。


    なにせ:
    ▲ わたしは 命を捨てることもできるし ふたたび命を得ることもできる。
    ☆ なんて言った人間がいたのですから。

    とんでもない飛躍ですが。

    散逸を統合する主体・・・といったイメージですかね。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/02/18 23:14

A 回答 (28件中11~20件)

こんな感じの大臣がいると、日本のひとが滅びる

「《ひとがほろびる》とは どういうことです」の回答画像18
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この回答へのお礼

えっ? 切り取り引用だったんではないの?



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/18 21:50

>★ 等速直線運動


☆ って 慣性の法則があてはまる場合を言うのですかね。

お主、いい感覚している。前回、

>同じ実験を惑星間飛行を終えて太陽系から飛び出たボエージャーのような飛行体で、さらに、隣のシリウスからも十分離れていおり、、、

と言う条件を書いたのは、ニュートンの第一法則(慣性の法則があてはまる)が成り立つ「慣性系」での実験であることを慎重に書き添えておいたんだよ。ネットの解説に詳しく書いてあるように、ニュートンの運動方程式(ニュートンの第二法則)が成り立つためには、その座標系が慣性系であることをはじめに確認しておかにゃならん。その条件を満たしているとの前提で初めてNo.16の言述が意味をなして、力が働いていないとの結論が無矛盾であることになっている。

要するに、この宇宙空間には慣性系が十分良い近似で成り立っている領域が存在していると言うのがこの宇宙の特徴、すなわち、この宇宙の個性であることを明らかにしたのがニュートンの法則だ。そして、学問の発達の中で、この宇宙の個性って何なのって発想に数学的に先鞭をつけたのがニュートンだった。

数学って、出来るだけ一般化して、何にでも当てはまる無矛盾な理屈を探り出そうって言う学問だ。しかし、その反対に、物理学って、そんな一般的な理屈の可能性なんかに興味がなくって、この宇宙にだけ当てはまる超特殊なこの宇宙の個性って何なのかを明らかにしようって言う学問だ。だから物理屋は数学屋とは真逆な方向を見ている。

だから物理屋と数学屋の内積はゼロ、すなわち、互いに直交していて重なりはゼロなんだよ。だから、物理屋と数学屋の間には会話が成り立たない。話し合えばわかるなんて仲じゃないんだ。ま、日本人と中国人が会話しているようなもんで、文化が違いすぎる。カオスの力学をやってると、それが非線形数学に絡むもんだから、力学と名がついているのにけっこう数学屋も入り込んでくる。あたしゃ、いろんな数学屋とカオスの力学の議論したけど、こいつらと話していても時間の無駄だって悟ったね。

序でに言っておくと、数学屋は自分の言っていることができるだけ一般的に成り立っていることに恍惚としている連中だ。だから、彼らが論文を書くときには、その論文を書くに至った動機をできるだけ隠すように論文を書く傾向にある。そして、いろんな定義やらそれから出てくる定理を散々書き連ねた最後になって、んで、「あたしの定理はこんなとこに使える」って書く傾向にある。

一方、物理屋ははじめからこの宇宙の特殊なある個性に興味があって論文を書くもんだから、まず初めにできるだけ明瞭にその論文を書くに至った動機を書く。そして、その特殊な事例を論じるために、ああだこうだという数学の定理を述べ立てる。そして、その目的が終わってからConcluding remarks なんかで、ここで論じた問題って、初めに述べた動機を超えて、けっこう一般的にも成り立っているんだよねってな注意書きを添えたりする。

だから、物理屋が数学屋の論文を読むときは、真面目な意味で、終わりから初めに向かって逆さまに読まないと、何を論じているのか分かんなくなっちゃうんだよね。

同じ数学を使って飯食っているのに、数学屋と物理屋じゃこんなにも会話が通じないんだ。ましてや言語学をやっているブラブラさん相手じゃ、お互い理解し合おうってな発想で会話してても、あまり意味がなさそうだ。それより、「へー、そんな発想で世界を見てるんだ」ってなことで会話と楽しんでりゃいいんじゃないの。
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この回答へのお礼

ふうーむ。――ご回答をありがとうございます。

★ 同じ数学を使って飯食っているのに、数学屋と物理屋じゃこんなにも
会話が通じないんだ。
☆ なんだか 分かり合える方法はあるって言っているようにも聞こえま
したよ。

つまり:
★ 物理屋が数学屋の論文を読むときは、真面目な意味で、終わりから初
めに向かって逆さまに読まないと、何を論じているのか分かんなくなっち
ゃうんだよね。
☆ 互いに相手の性格(?)あるいはクセを会得すれば 理解しあえると
いうふうにも読めますが それは ただなお部分的に過ぎないのですかね。
(って 推測です。印象です)。


★ ましてや言語学をやっているブラブラさん相手じゃ、お互い理解し合
おうってな発想で会話してても、あまり意味がなさそうだ。それより、
「へー、そんな発想で世界を見てるんだ」ってなことで会話と楽しんでり
ゃいいんじゃないの。
☆ あとのアドバイスはそうしてみますが わたしの場合は 文系の数学
(そして確かに受験科目として 物理も取りましたが)までですので 素
養が〔ふたたび使いますが〕《非平衡》ですよ。



ひとつ質問があります。

ケ・セラ・セラと言っていてよい確率は ふつうの人間のけんかだとか社
会的対立の場合に 50%を超えるのですか? それとも もっと少ない
のですか?

あるいは ケースバイケースの多様性があり過ぎますか?

お礼日時:2019/02/18 20:09

ニュートンの法則によると力がゼロなら加速度もゼロで、等速直線運動する。

その逆も真。だから、力は働いていません。
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この回答へのお礼

うっひゃあ。――ご回答をありがとうございます。

★ 等速直線運動
☆ って 慣性の法則があてはまる場合を言うのですかね。

そこでは:
★ 力は働いていません。
☆ ――お手上げです。これについてわたしは 無知です。しゃれた
言葉をにじり出すことも出来ません。

非平衡です。

開放系ですので 第三者の解説者が来てくれるといいのですが。

ちょとつ氏が 一人二役でもいいわけですが。

お礼日時:2019/02/18 11:21

すみません


ぼくもやんでるかもしれまん
意図的に脱進する目的がありまして
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この回答へのお礼

どう脱進しているのか よく分かりませんが:

わたしの問い求めでは・その問い求めを回答者さんの回答をもたたき台
にして 自問自答の形式ですすめて行きます。

つまりもしそのとき 寄せてもらった回答であっても その内容がすで
にわたし自身は通って来た道であったりすると かなりスムースに――
だから上から目線であるかのように――考えるところをつづって行きま
す。

それを見て それは操作しているのではないか? と感じたということ
でしょう。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/18 09:54

感情が害されたときがチャンスだと思います

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この回答へのお礼

海のおもてに波風が立つ・・・に過ぎません。





ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/18 09:39

操作が目的


だから深読み誘う
not fake but fake
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この回答へのお礼

自分の見解を示して――つまり たたき台として提出して―― 問い求め
をみなさんにお願いすると マッチポンプだと言われた。

(実際には もしそうだとしても ポンプマッチなんですが)。


わたしに答えの分からない問い求めをおこない 寄せてもらった回答に 
自分の考えるところを書き込んで行くと 操作だと言う。



カッテニシヤガレ。


オマエハ すべからく浅読みをせよと脅しているのか。



ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2019/02/18 08:37

★ もし私が人工衛星の中で石を話しても下には落ちません。


☆ 素人ですが 石は落ちている。衛星といっしょに自由落下の状態
にある。のでは?

人工衛星は確かに地球の周りを回っているので、話が複雑になっていますが、もし、同じ実験を惑星間飛行を終えて太陽系から飛び出たボエージャーのような飛行体で、さらに、隣のシリウスからも十分離れていおり、測定の誤差範囲内で等速直線運動をしてる飛行体(等速直線運動からのずれの測定が不可能なほど小さい)の中で上記の実験をしてみたら、自由落下はしていませんよ。
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この回答へのお礼

そうなんですか。――ご回答をありがとうございます。

★ 惑星間飛行を終えて太陽系から飛び出た
☆ ところでは 落下はしない。つまり 石を手放しても 引力の影響
を受けない。
――というように理解してよいでしょうか。

あるいは 四方八方から引力のようなチカラを受けている。
――でしょうか。

これ以上は よく分かりません。

失礼しました。

お礼日時:2019/02/18 08:32

>デカルトとやらが 精神と身体との分裂をつなぐ松果腺がどうのこう


のという説を発表したというのは 理論ではなくまだ仮説の段階であった
という捉え方をするということですね

デカルトのこの主張は科学的な主張ではなくて、合理的な主張の一つです。合理的であるということだけを基準にした論理には無限の可能性があります。ところが、我々が埋め込まれているこの宇宙はたった一つしかない。だからこの無限の合理的な論理体系の中のたった一つだけしか実現していない。したがって、科学は数学や論理学や哲学で論じられているように、その主張が如何に論理的、合理的であることを確認されても、それはその事象の説明や理解の十分条件が示されただけで、そうでなくてはならない必然性を論証したことにはならない。

さらに、自然科学はカントが明らかにしたように、総合的真偽の判断で成り立っているのであり、数学のように分析的真偽の判断で成り立っているのではない。分析的真偽とは、「例えば、ある命題が真ならば、その対偶も真である」というような真偽の判断です。それに対して総合的真偽とは、「私がこの石を離したら下に落ちるのは真である」というような真偽の判断のことです。実際、もし私が人工衛星の中で石を話しても下には落ちません。ですから、総合的真偽は、その言述の論理的整合性を論じるだけでは判断できず、必ず観測や実験を通して検証しなくてはならないのです。ですから、自然科学ではその主張が合理的であるばかりでなく、観測と実験でその主張が実際に成り立っていることを実証して行かなくてはならない。

デカルトはその真偽の判断に関する多義性を理解していなかったので、自分の主張の合理性だけを論じて、松果腺に関する主張を述べていた過ぎません。その後、彼の主張が実験的に実証されたという話は聞いたことがありませんので、その主張を信じている科学者ないないでしょう。

この総合的真偽に基づいた物理学者の徹底ぶりは常人には分からないところがあるかもしれません。例えば、化学反応の分析から16世紀以降ラボアジェやドルトンなどにより世界を構成している単位は原子であるとの原子仮説を提唱していました。この仮説は化学実験で次々と定量的に実証されていました。そして、19世紀後半には物理学者の間でも、あの電磁気学の基礎を完成させたマックスウェルやエントロピーの力学モデルを提唱したボルツマンらによって、気体分子運動論と呼ばれる研究分野に発展して行きました。

ところが、アインシュタインに多大な影響を与えたことで知られている、マッハ1、マッハ2、、、と音速の単位にもなったマッハが、液体や気体が不連続な粒子でできているという仮説に基づいた気体分子運動論の成果と、液体や気体が連続体でできてるという仮説に基づいた流体力学の成果と比べて見て、直接観測されたことのない分子なる概念の導入対して、大変説得力のある論調で反対していました。事実、難しいとは言え流体力学で取り扱うのは、密度と運動量のx,y,z成分とエネルギーのたった5つの変数だけです。しかし、気体分子運動論では各粒子に付随て、10の23乗個の数の変数を取り扱わなくてはならないので途轍もなく難しい。だからマッハの論じていた当時は、流体力学で得られる知見に比べて気体分子運動論で得られる知見はほとんど無いに等しかったのです。

19世紀後半になると、物理学者は分子原子論を受け入れる前から、マリー・キューリーなどの放射能の研究を通して電子仮説が出てくるなど、原子分子の存在が主張されていました。しかし、物理学者がその存在を受け入れたのは、これらの多大な検証の結果ではありません。1905年にアインシュタインがブラウン運動を論じて、液体に浮いている巨大な塊がゆらぎによって移動する距離を分子論に基づいて計算し、その移動距離から、1molに含まれている分子の数(アボガドロ数)を算出できることを示した数年後になってからです。実際、その後にフランスのジャン・ペランがその理論に基づいた精密な実験を行い、アボガドロ数が10の23乗個であることを示して、分子の存在を誰も疑えないものとしてからなのです。もちろん、その結果が、以前学者たちが傍証として検証していた膨大な測定資料と整合していたので、その結果はすんなり受け入れられました。しかし、それでもアインシュタインの理論とぺランの実験がなかったら、化学者たちがなんと言おうと、未だに物理学者は原子分子仮説を最終的なものとして受け入れていなかったでしょう。

アインシュタインはこのブラウン運動の理論と、写真はなぜ映るかの原理から光が粒子であることを明らかにした光電効果の業績でノーベル賞をもらったのです。相対性理論でノーベル賞をもらったのではありません。

ことほど左様に、物理学者は常人には着いていけないくらい疑り深い連中なのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。あんがいお付き合いしてくれますね。
ありがたいですが。

★ デカルトのこの主張は科学的な主張ではなくて、合理的な主張の
一つです。・・・科学は数学や論理学や哲学で論じられているように、
その主張が如何に論理的、合理的であることを確認されても、それは
その事象の説明や理解の十分条件が示されただけで、そうでなくては
ならない必然性を論証したことにはならない。

☆ いつも鬼のごとく茶々を入れますが 哲学ないし人文科学として
は 感性を前提としてふくみ持つ理性が いわゆる形式論理だけでは
なく 《飛躍》をともなうヒラメキを受け容れて さらには良心(恥
ぢの意識など)をもおもんぱかって 人間としての総合的な合理性を
思っています。
――そうして最終的な判断を成します。よ。

(だから 《ただしい。誤謬をまぬかれている》とは言えませんが。)


★ カント
☆ は ダメです。という立ち場です。

★ 総合的真偽・分析的真偽の判断
☆ なる区別は 要らないという見方です。
☆☆ 【Q:《数学的判断はすべて綜合的である》か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10806356.html


★ もし私が人工衛星の中で石を話しても下には落ちません。
☆ 素人ですが 石は落ちている。衛星といっしょに自由落下の状態
にある。のでは?

★ 自然科学ではその主張が合理的であるばかりでなく、観測と実験
でその主張が実際に成り立っていることを実証して行かなくてはなら
ない。
☆ おっしゃるとおりなのだと思います。経済政策も じっさいには
施行したなら 実験しているのだとも見られます。


★ 物理学者の徹底ぶり: 原子仮説 / 電磁気学 / 気体分子運動論

★ マッハ:流体力学

★ マリー・キューリー:電子仮説

★ アインシュタイン:ブラウン運動・分子論・光電効果・(相対性
理論でノーベル賞をもらったのではありません)。

★ ジャン・ペラン:アボガドロ数が10の23乗個であること

★ ことほど左様に、物理学者は常人には着いていけないくらい疑り
深い連中なのです。
☆ 哲学としてはわたしも疑り深い鬼ですよ。

お礼日時:2019/02/18 04:40

なります。


そうしようという心構えが菩提心です。

ciaopolpoさんの回答を見て思いました。
聖書で云う救済と滅びの着地点は、天国と地獄でしょう。
神の御心に叶う生き方をすれば、天国へと救済され背けば地獄へと滅びの道を歩む事になる、という事だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ なります。
そうしようという心構えが菩提心です。

☆ また縫い合わせればよいということですよね。

或る意味 そういうことなのかもと思いますが そういう状態に落ち入る
ことを 《ほろびる》と言うんですかねぇ。なんかなぁ。




★ 神の御心に叶う生き方をすれば、天国へと救済され背けば地獄へと滅
びの道を歩む事になる
☆ これは 明らかに間違いでしょう。もしそういう仕組みであるなら
いつでも・何度でも ほろんで よみがえり また滅んで再生するといっ
たことができるものと思われます。

――それは ないでしょう。違うでしょうか。

もしそういう浮き沈みがあったとしたら そのとき引っ張り上げてくれる
のは 何ものか霊性のチカラでしょう。人間の能力と努力ではなく。

お礼日時:2019/02/17 20:49

滅びるとは、綻びるに同じかもしれません。



d_y_nさん、さっきは呼び捨てでごめんなさい。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 滅びるとは、綻びるに同じかもしれません。
☆ 服の縫い目がほころびる。――ふうーむ。

だったら また縫い合わせればよいとなりますか?

お礼日時:2019/02/17 18:44

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自分で色々考えてますがたまには
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私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

「話が噛み合わない現象なんて起きてないよ!」
って思う人はこの質問スルーしてください
尚、この質問は哲学的な問答を求めていません
アンケートみたいなものです

Aベストアンサー

>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃないので噛み合うはずがない。

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>私個人の現在の考えでは
「質問という体で問いかけしてるが
実際は(質問者にとって)優秀な弟子、賛同者が
欲しいだけなんとちゃうかな」
って考えが主流となってますね

顕著ですね。
基本的に素人の集まりにすぎないので、質疑を交わすこと自体が問題を次第に掘り下げていく形になる場合が多いと思います。
持論を述べるのはむしろたたき台として必要なわけですが、しかし、賛同者を求めるのが目的の人は、その過程を重視せずに、相手を持論に引きずり込むことだけを考えている。
最初から質問が目的じゃな...続きを読む

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Q絶対善はあるのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

そしてその群れ社会の安寧秩序を守る為に最も優れた方法が「私より公を優先すること」なのです。でも「私より公を優先すること」と言われても何か分からないでしょう。ですから分かり易く言えば愛や思いやりや慈悲心などですと説明しています。これはキリストが説いた愛です、孔子が説いた仁、つまり思いやりです、そして釈迦が説いた慈悲の心です。そしてこれらに内包、共通しているのが「私より公を優先する心、行為」です。

「私より公を優先する」とは分かり易く言えば「私欲という自分の思いを少し抑えて公の為とみんなで考え行うこと」です。自分の私欲の心を少し抑えて、一人一人がみんなの為と考えることです。これは民主主義を示しています。そして「みんなの為」と考えるということは皆さん一人一人がリーダー、その群れのトップの立場に立って考えると言うことです。それは強い責任感をもって考えると言うことです。そのような心を一人一人みんながもって、みんなで考えれば最も正しい答えに辿り着ける確率が高くなるよ、ということです。これ以上に優れた方法が何かありますか? これが私の言う絶対善なのです。

その群れ社会にとって絶対的に正しいことは社会の安寧秩序であり、そのために最も優れた方法が「私より公を優先する事、つまり愛や思いやりや慈悲心」なのです。もちろんこれは最高の方法を示しているので一般的にはなかなかできないことです。しかしそれを目指す事こそが最もより良い社会が創れるのだ、と言う事なのです。

私は絶対善はあると主張していますが、皆さんはそんなものなどないと否定されます。でも私が言いたい事は常識的なことなのです。

この群れ社会において最も大切なものは何か?それは群れ社会の安寧秩序です。これは社会が平穏でルールが守られ安心して暮らせることです。これを守る事が最も正しい事なのです。この群れ社会においてこれ以上大切なことはないのです。これに異論がありますか?

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「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

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「あんたの言いたことはなんとなく判るんだが、そのような言葉の用法はその内容と矛盾しており、間違っている」

などと言って、言葉の使い方が間違っているから、あなたの言う内容も間違いだ、などと考えてしまう人もいくらでもいます。だから、芯木さんが言いたいことの本質を論じようとするのではなくて、絶対の意味などの言葉の使い方がこだわった回答が多くなっているのです。

そのような人たちは、左を指差しながら、「右、右」と言っている人の心を察することができず、その間違いを言いつのる傾向があります。この場合、常識的に見て、指を差している方向をその発信者が言いたいのは明らかですのに。

物事を論じるためには、その内容も、その言葉の使い方も、両方とも重要です。しかし、その両方を同時に論じることにどれだけの生産性があるか、自明ではありません。大論文でもない限り、それを意識せずに両方とも同時に論じてしまうと誤解を招き、混乱さえ起こしかねません。ですから、何かを論じる場合には、内容か、形式か、そのどちらにより重点を置いているのか、文面から明確にわかるように書いておく方が、生産的な議論のやり取りができます。

ここでの主題は「公に対する奉仕」なのだと思いますが、例えば、「公」という言葉一つとっても、人によってその意味がだいぶ違い、芯木さんが言いたい意味では受け取ってくれない場合が散見されます。いわんや、「絶対」などという、一神教の影響を受けた西洋文化大好連中が好んで使う言葉は、哲学好みの人たちには刺激的すぎて芯木さんの言いたい内容よりも、その刺激的な言葉に拘ってしまう人がいくらでもいます。

出来るだけ刺激的な言葉を避けてご自分で言いたいことを表現することを工夫すると、芯木さんのご主張に賛同する方も増えるのではないでしょうか。また、どうしても「絶対」と言う言葉を使いたいならば、論述を始める前に、ここでのこの言葉は、、、、を意味するものとして特殊な使い方をしている、などと一言を入れておくと、読者もそのつもりで読んでくださると思います。

いろいろな人がいっぱい書き込んでくれて、芯木(shinwood)さんは今回いろいろ学んだんじゃないでしょうか。芯木さんの今回の作戦の誤りは、世の中には、形式を重要視する人と実態を重要視する人の両方がいることを無視して、実態を重視する芯木さんの一方的な表現を使ってその主張がなされていることです。

「手術は成功した。しかし、患者は死んだ」

要するに、患者の生死の実態よりも、手術の手順と形式の正確さの方に興味を持つ方がこの世の中にはいくらでも居られるのです。そして、哲学好きな人にこの形式...続きを読む

Q泣く子と地頭には勝てぬ

泣く子と地頭には勝てぬとは、道理の通じない者や権力者にはどうやっても勝てないから、無理を言われても従うしかないということ。
http://kotowaza-allguide.com/na/nakukotojitou.html

時と場合によりけりでしょうが、どうでも良いことに関してなら妥当な諺だろうと思います。
「道理が通じない者」かどうか、みなさんは、どういった基準で判断しますか?

Aベストアンサー

1.信念というものを持たない人だと判断した時。

2.信念を持っているものの、それに対する全体観を持たず、点で理解している人だと判断した時。

3.私を軽く見ている人だと判断した時。(反撃はします)

4.私のことを憎み、ダメージを与えることしか頭にない人だと判断した時。(やはり反撃します)

5.自分の手柄が一番と考えている人だと判断した時。

6.価値観が著しく異なる人だと判断した時。


申し上げたいことがもう少しありました。

「泣く子」というものの本質は、人間として未熟であるため、無理を通すということに羞恥心
がないということだと思います。従って1.2がそれにあたると。

「地頭」というものの本質は、力を持っているため、人を軽く見て、自分のエゴを通そうとす
る、という点にあると思います。従って、3.4.5がそれにあたると考えます。

また、人間は複雑であるので、この二つがミックスされたケースが考えられます。
これを「泣く地頭」と今後呼びたいと思いますが、これは厄介です。

それから、価値観の相違ということの中に、信念・哲学を持たない(あるいは捨てた)、という
ことが紛れ込んできていると思っています。
その人(状況)では、詭弁もありますが、何か判断のつかない論理を使います。

これがミックスされると「泣く腹黒い地頭」となり、究極に厄介です。

1.信念というものを持たない人だと判断した時。

2.信念を持っているものの、それに対する全体観を持たず、点で理解している人だと判断した時。

3.私を軽く見ている人だと判断した時。(反撃はします)

4.私のことを憎み、ダメージを与えることしか頭にない人だと判断した時。(やはり反撃します)

5.自分の手柄が一番と考えている人だと判断した時。

6.価値観が著しく異なる人だと判断した時。


申し上げたいことがもう少しありました。

「泣く子」というものの本質は、人間として未熟であるため、無理を通すと...続きを読む

Q科学

超初歩的な質問です。

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それは、何故ですか?

Aベストアンサー

基本的には、科学が形而上学でないと言う事が違いなんだと思います。(これに関しては、量子力学の「解釈」は、その実体を観察できない以上「形而上学」に過ぎないと言う批判はあるでしょう)
あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは、その立場としては、科学的でしょうが、それを思想的な衝動とした時点では、哲学的と言えるでしょう。
20世紀初頭は、現代の科学的な方法論は、ほぼ確立していましたが、現象の解釈と言う点では、まだ自然哲学から抜け出ていなかったと言えるでしょう。
実際問題としては、「科学」、狭義には「自然科学」の厳密性を担保するのは、「現象」そのものです。(現象以外は、基本的に検証の対象にならないと言えるでしょう)
「哲学」は、その性質上、形而上の存在も対象としなければいけません。 したがって、その厳密性の担保は、哲学が方法そのものから、生み出す必要があります。(これが、「哲学」が一筋縄では行かない所以です)
厳密性が一定の範囲で、確実に担保できるのは、形式科学としての「数学」ですね。(むしろ、厳密性が担保できる「形式」を見つけるのが、「数学」なのかもしれません)
宗教もある意味、「数学」に似ています。 それは、宗教の信仰者からは、そのようなものでは無いと言われるかもしれませんが、何らかの信仰対象に対して、信仰者がある形式で、その信仰を行う活動と言えなくも無いわけです。(その形式の分析は、宗教では無く、「宗教学」と呼ばれるでしょう)
古代ギリシャにおいては、これらは、全て「哲学」の領域にあったと言えるでしょう。(「数学」、「自然学」、「形而上学」は、「哲学」の中で混然一体として議論されていたわけです)
ヨーロッパにおいては、ローマ帝国によるキリスト教の国教化に伴い、しばらくは、(キリスト教)「神学」は、自然哲学や「形而上学」としての、プラトニズムと混然一体として、「哲学」としても、蜜月を迎えましたが、16世紀以降は、暗黒時代を経て、「哲学」からは、それぞれ「神学」、「自然科学」として、分科していきました。
分科した理由はさまざまでしょうが、基本的に「哲学的」な厳密性では、上手くゆかなくなったのが、一番の理由でしょう。
(キリスト教)「神学」は、その宗教的理由から、教義にかかわるような議論を嫌ったわけでしょうし、「自然科学」は、原因を追究するより、現象の法則の科学的解明の方が重要だったと言う事です。
「数学」も、論理実証主義により、その厳密性を確立する事を目指しましたが、ヘーゲルなどにより、その基盤が確実で無い事が証明されてしまいました。(したがって、一定の形式における論理的整合性の検証に特化したわけです)
これらは、「Why(何故)」から、「How(どのように?)」への転換と言えます。
「哲学」が追求するのは、「Why」でしょう。
「科学」は、「How」であり、一部の解釈は、「Why」となります。(ただし、解釈は、あくまで解釈であり、実証は成されていないでしょう)
これが、「哲学」と「科学」を分ける境界なんでしょう。

基本的には、科学が形而上学でないと言う事が違いなんだと思います。(これに関しては、量子力学の「解釈」は、その実体を観察できない以上「形而上学」に過ぎないと言う批判はあるでしょう)
あらゆる形而上的な概念を排除しようとした、マッハなどは、その立場としては、科学的でしょうが、それを思想的な衝動とした時点では、哲学的と言えるでしょう。
20世紀初頭は、現代の科学的な方法論は、ほぼ確立していましたが、現象の解釈と言う点では、まだ自然哲学から抜け出ていなかったと言えるでしょう。
実際問題...続きを読む

Q公理って何?

再び初歩的質問です。

「公理」を辞典で調べますと、

・数学で、論証がなくても自明の真理として承認され、他の命題の前提となる根本命題。

・論理学で、演繹的理論の出発点として、証明なしに採用される命題。

・現代においては、自明な命題ではなく、理論の前提となる仮定。

等の記述があります。

1.学問がないので、いまいちピンとこないのですが、具体的にはどのようなものがあるの
でしょうか?そして、どう理解したらいいのでしょうか?

2.「理論の前提となる仮定」から組み立てられた理論というものが、自然科学においても
検証されるとはいえ、何故、事実・真実と言えるのでしょうか?

Aベストアンサー

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わりに

(1)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は何本でも引ける」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。それがいわゆる非ユークリッド幾何学の始まりでした。この幾何学で表現されている空間は曲がった空間なのです。

その後に、リーマンが

(2)「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一本も引けない」

としても、数学的に無矛盾で閉じた論理体系を構築できることを明らかにしました。この公理(2)が成り立つものとして構築された幾何学をリーマン幾何学と呼びます。一方、上記の公理(1)が成り立つものとして構築された幾何学をロバチェフスキー幾何学と呼びます。

さらに、リーマン幾何学の一つの具体的な例が球面状の幾何学であることもわかるようになりました。その場合この非ユークリッド幾何学を球面幾何学と呼ぶこともあります。

上記の事実の発見は、人類に多大な知的進展をもたらしました。なぜなら、自分の主張の論理的矛盾性をいかに証明しても、それでこの世界が解ったわけではないことが明らかになったからです。例えば、我々が埋め込まれている宇宙が上記のどの幾何学によって記述されている世界なのかは、論述の無矛盾性や整合性をいくら明らかにしても、判定できないことが明らかになったからです。

その判定には必ず実験や観測が必要である。すなわち論理的な理念の整合性に加え、事実はどうなのかを実験や観測で判定しなくてはならない。その判定をするのが自然科学なのです。そして数学は、命題の間の無矛盾性を論じる言語学であり、すなわち人文科学の一つであり、事実を論じる自然科学ではないことが明らかになったのです。

公理で一番有名なのは、平行線公理(平行線公準とも呼ばれる)でしょう。

「一つの直線上にない一点を通ってその直線は一つしかない」

この命題を証明することはできません。以前はこれを証明しようと多くの数学の天才たちが試みました。しかし誰にも証明できなかった。ロバチェフスキーが1829年に『幾何学の新原理並びに平行線の完全な理論』を発表して、彼が1826年に発見した新しい幾何学を提示して、上記の命題が証明不可能な公理であることが明らかになったのです。

ロバチェフスキーは、上記の命題の代わ...続きを読む

Q哲学とは何か?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学とは何かということについて、野矢氏は、次のように述べています。

ごく簡単に哲学史を述べれば、アリストテレスは哲学を学問として捉えていた。
トマス・アクィナスにとっては、哲学は宗教であった。
デカルトは、哲学は学問の基礎であると考えていた。
現代においては、哲学者の数だけ定義が存在すると言って過言ではない。

私(野矢氏)にとって哲学とは、人間の言葉を使った複雑な思考の中の問題として
1.思考の全体を見通せていない、2.思考を支えている多くの暗黙のものを自覚し
ていない、3.全体の曖昧さ、矛盾を分からないでいる、これらの問題を解決する
ことである、と。

確かに、哲学というものの定義は、様々であることは実感していました。だから、
「さあ統一しましょう」といったところで、そううまくはゆかない。せめて、各々
の定義を理解し合えたら、もう少し意義のある対話ができるかも知れません。

さて、あなたの「哲学の定義」はというと、どういうことになりますでしょうか?

哲学とは何か?この第一歩から考えてみたくなりました。

野矢茂樹氏の「ラジオ深夜便」出演の話はどなたかが紹介していましたが、
私も一度聞いたことがありました。
改めて聞いてみると、嬉しくなるほど分かりやすいと思いました。なんだか
分からない話を随分聞いてきたせいでしょうか?

どんな分野でも、言っていることが明快な人は、その中身をよく理解してい
る人で、逆に言っていることが何だかよくわからない人は、結局分かってい
ないのだという世間一般の定説は正しいものでしょう。

哲学...続きを読む

Aベストアンサー

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人間の尊厳の確認であったかのような印象があります。

その旗頭であるソクラテスが牢獄に繋がれ、毒をあおって死ななければならなかったため、何か、陰惨な印象を持っていましたが、何年か前、彼の牢獄であったと伝えられている岩屋を訪れる機会があり、その場所が、アクロポリスを見渡せる、風光明媚な場所であったため、何だか、足元のはしごを外された気分、というか、牢獄でさえ、知的でした。

おっしゃる通り、哲学は、対話によって、曖昧なものや無意識に受け入れていた事柄を、明確にしてゆく役割を担っているのだと思います。中世以降のヨーロッパでは、キリスト教が邪魔になりましたが、現代の日本では、いかがでしょうか。

キリスト教が発達してからの西洋哲学は、キリスト教を隠れ蓑にしていた人間のインモラルな部分に、風を通して、本来の人間性を取り戻そう、という、初々しいものではなかったですか。

ルネサンス美術と同じで、西洋の精神世界の理想である、ギリシアの昔のように、キリスト教を離れて、自由に思考をしたかった。もう一度、自分の頭で考えてみたかった。

ギリシアで発達した哲学は、言葉遊びのきらいもありますが、(多分に、貴族の暇つぶしだったでしょう)、発想は、もっと自由で、はつらつとしたものでした。人...続きを読む

Q存在理由=レゾンデートルの味

人は、それぞれ(仕事や近親者への情愛など)何かしらの具体的な存在理由を実感して生きているものだと思います。しかもそれは一つではなく数えれば限り無くあるでょう。言葉にはし尽くせない程に。

ところが、自分一つのシワの少ない頭を過信して、それだけであーだこーだ考え、しょぼい人生の言い訳作りをする事が哲学だと思っている様な人は、レゾンデートルをあまり実感出来ずに狭い思考空間の中に自己を幽閉してしまっている様です。

その様な人には何が起これば、自己の存在理由を味わう事ができるのでしょうか。
たとえばそれは喪失感でしょうか、失って初めて気付く様な大切なことなど。

Aベストアンサー

存在理由など考えないで生きている人が大半なのではないでしょうか。考える暇もないというか、時間に忙殺されてる人も多いし、逆に何も考えずに時間に流されている人も多い。ただ、その前提には個人的なゆるぎない背景というものがあるはずです。家族への愛情、仕事に対する情熱など。
存在理由、立ち止まって考えることができる時って、きっと出会いや別離、深い喜びや悲しみに遭遇したときなんでしょうね。そう思います。

Q気付かなかった真実

「男が女のすべてを学んだ時に初めて女の上にゆける」
こう言った人がいました。

これは真理でしょうか?

※今時ですから言いにくい部分もあるかと思いますが、哲人たちのご意見を乞う。

Aベストアンサー

#18です。お礼ありがとうございます。
>男が女から生まれたという、どうしようもない「引け目」とともに、母親に
躾られたという、一度女性に支配された経験を心に強く持つのだと思います。

ですから、男は女をよく知って、その精神的な支配を乗り越えないと、どうも
一人前にならないような気が、これは経験上ですが思ってきたのです。

また、男は女に認められることが大きな幸せであり、それにより男としての自
信がつくという生き物であると思います。

ここまで全く同意です。そもそも「男」というものの本質は「女性を得るために様々なことをする」動物と言うことに尽きるでしょう。

>男にとって、女の存在は不思議なことに極めて大きなものであることは間違い
ありません。

逆もまたしかりだと思いますが、女性はこういうことはまず語りません。女性は
男性よりはるかにガードが堅いものです。その固いガ―ドのスキを狙い、女性の
本心、ありのままの姿を知ることが、ひょっとしたら男にとって一番勉強になる
のかも知れないなどと思います。

私の女性に対する見解は少し違います。男が「女性を求める」本質をもっているなら、女性は「どれだけ自分を高く売れるか」という本質だと考えます。

だからやみくもに安売りはしませんし、ガードが堅いことこそが「売値をつり上げる」ことにつながると思います。手の内を見せずに掛け金を吊り上げるポーカーと同じです。
だから「女は目を見つめたまま嘘がつける」でしょう。


>戦争のことについては以前少しやり取りしましたね。これを語ると長くなるので
今は止めまして、「憎しみ」のことについて少々。

>戦場では武装しているから男性でなくてはならないということはないのではない
か?
危険な作業場であっても、基本的に機械化されているので、男性でなくてはなら
ないということもないのではないか、と。

戦争や憎しみを別としても、自然災害や火災・犯罪などの問題が残ります。男は常に「(戦争も含めて)女子供やその他家族さらに財産などを守る」存在であったといえますし、今でもそれは変わりません。現代は「機械化」されているのでそれが見えにくくなっているだけです。

>それにより女性の男性に対する信頼が崩れ、侮蔑が生まれる。男性というものは
先ほど申し上げたように、女性から認められず、信頼されず、まして侮辱されな
どしたならば、たちまち自信を失うものです。

女性が男性に対する信頼が薄れたのは皮肉なことに「機械化」が進んだからです。
目に見える形で「男性に護ってもらう」必要性を感じなくなっているからです。だから「なんでも自分でできる」と思い、自分の行動や権利を縛ろうとする男性を憎むのです。

>女性が女性の権利の主張をするほどに過去にいかに差別を受けてきたかを知ることになり、男性に対する憎しみが募るとは、エマが言っている通りでしょう。

逆に権利を主張しない(できない)、イスラム女性はむしろ「男性に守られていて安心」であると評価する人も多いです。権利を主張し平等であればあるほど「憎しみが増す」のは皮肉だと思います。

私は男性も含めてまずは「人間は自分一人では何もできない→社会が必要」と知ることが重要だと思います。男性だけでも社会は成り立ちませんし、女性だけでも成り立ちません。

それを踏まえたうえで「各々ができることをきちんと行い(男女の別なく)認め合う」事が必要だと思います。

#18です。お礼ありがとうございます。
>男が女から生まれたという、どうしようもない「引け目」とともに、母親に
躾られたという、一度女性に支配された経験を心に強く持つのだと思います。

ですから、男は女をよく知って、その精神的な支配を乗り越えないと、どうも
一人前にならないような気が、これは経験上ですが思ってきたのです。

また、男は女に認められることが大きな幸せであり、それにより男としての自
信がつくという生き物であると思います。

ここまで全く同意です。そもそも「男」というもの...続きを読む

Qアラシ投稿の阿呆さについて ご意見をどうそ。

1. ひとは あたかも《カカハリ(関係)の絶対性》なるさだめのもとに 他人
(ひと)とのマジハリ(交通)に入ることになる――と言ってもよいかも知れませ
社会性とは そういうものではないかと。

2. 馬の合う人とはもういい加減にしたらというほど長い時間を過ごすこともあ
れば あいつはイヤだと思っていて・しかも一緒になる機会が多く寛い心でツキア
ヒをつづけざるを得ないこともある。そして もう耐えられない・絶交だと言って 
マジハリを解き・互いに離れて社会的なカカハリを持つ場合もある。

3. これらの例は ふつうに自然に起こる人間どうしのヨコの関係です。そして
ここで問題としたいのは このヨコのではなく もしその互いの間に上か下かとい
うタテの関係が生じたなら どうするか? です。



4. 抽象的に規定しますと 《互いのマナザシがどちらか一方が他方よりも上か
ら差して来る》といった上下の関係です。(まだほっかほかの質問として マウン
ティングの問題が出ていましたね)。


5. まづ このタテの関係については ふたつの種類があると思います。
( a ) ふたり――といった単位体を例に採りますが――のあいだにそれこそ自生
的に生じたもの。気楽なマジハリ。
( b ) そして あとは 人為的に作為的につくられたタテ関係。

6. 大昔には 身分の世襲制によって 人びとそれぞれのマナザシは どのよう
にそそぐか(注がれるか)は 決まっていたとも言えます。

7. では 現代では このマナザシは 自由の精神をもって( b )の作為的な上
下関係を打ち破っているか? マナザシは 完全に自由になったか?

8. 家族の中での――遠慮の要らない――マナザシの錯綜関係もあるでしょうし
けっきょく果ては 国と国との関係における〔こちらは〕深謀遠慮なるアマアガリ
戦術としてのマナザシ照射も 起きるのかも知れません。

9. ここで問うのは こうです。アラシ回答は アマアガリ・シンドロームに落
ち入った阿呆なるマナザシ合戦である――という命題をめぐって 思うところを述
べてくださいと。

10. また広く人間のマナザシ関係について 見解を述べてくださっても結構で
す。制約はありません。

1. ひとは あたかも《カカハリ(関係)の絶対性》なるさだめのもとに 他人
(ひと)とのマジハリ(交通)に入ることになる――と言ってもよいかも知れませ
社会性とは そういうものではないかと。

2. 馬の合う人とはもういい加減にしたらというほど長い時間を過ごすこともあ
れば あいつはイヤだと思っていて・しかも一緒になる機会が多く寛い心でツキア
ヒをつづけざるを得ないこともある。そして もう耐えられない・絶交だと言って 
マジハリを解き・互いに離れて社会的なカカハリを持つ場合...続きを読む

Aベストアンサー

荒らし投稿するのは、真面に自分の意見を持たずきちんとした考慮も無く唯単に字面を追ってそれ
に対して本能だけ(に思える)反応をし、短絡的な回答を(恰も自分の意見は正当だと思いながら)
述べているに過ぎないとボクは考えます。
そうで無い思慮深い人がそういった回答を読むと何て浅はかなといった感想を持つでしょう。
このサイト内での回答はそういった浅はかな人だけでは無く人生相談的な質問には相手の立場に
立って考え的確な回答をする人も沢山居ますし、技術的な質問に対する回答は自分の技術やスキル、
問題解決の手段を検索出来る力を持った人達が矢張り的確な回答をしてベストアンサーを沢山獲得
しています。
自分が回答出来る様な人間では無いのにしゃしゃり出るのは短絡的且思慮の浅い(AHO--)と思うのは
ボクだけでしょうか?
貴方からの補足をお待ちしています。


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