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地方名ってありますよねぇ
東北・関東・甲信越・中部・東海・近畿・中国・四国・九州 (あとありますか?)

この名前の由来ってそれぞれなんですか?

東北は東西南北の位置付けから、とかですか?

どなたか教えてください。

A 回答 (5件)

 東海は東海道から出たものです。

律令制では、全国を国に分け(だいたい現在の県に相当)、それをいくつかあつめて道をつくっていました(だいたい今の地方に相当)。道はただの国の集合体ではなく、京都から幹線道路が一本とうっています。その道路が通過する国のグループのこともひとかたまりにして「道」と呼ぶわけです。
 京都から近江に入り、美濃を出て尾張から順に東へゆき関東をぐるっとまわる道が「東海道」、その北の現在の中部地方を通って関東にゆくのが「中山道」、さらにその北のしまいに新潟にゆきつくのが「北陸道」、京都から中国の南を通って九州にゆくのが「山陽道」、北を通るのが「山陰道」、九州をひとめぐりするのが「西海道」、淡路島から和歌山へ行って四国を回るのが「南海道」(むろん船を使う)、東北をまわるのが「東山道」で、これを七道といいます。七道に属さないのが京都の近くにある、山城、大和、摂津、河内、和泉の五箇国(京都、大阪、奈良に相当)。これを五畿といい、あわせて五畿七道と称します。
 地方名の東海や近畿はここから出たもの(五畿+周辺の国という意味で「近畿」)。東海道というのは、東へゆく海沿いの道ということでしょう。中国地方の山陰山陽、北陸地方も同様です。「北海道」というのも、明治初年に五畿七道をまねしてつくったもので、かつては内部が渡島、後志、胆振、石狩、天塩、日高、十勝、北見、釧路、根室、千島の十箇国にわかれていました。現在でも道の支庁区分にこの名残があります。
 中国、九州、四国は古くからある地方名です。中国は「日本の中央=都に近い」というほどの意味でしょう。九州は漢文では「世界全国、中国全体」という意味ですが、日本ではなぜか九州地方という意味で使われています。
 甲信越はかなり新しい用語で、東京を中心とする隣接県、という性格のつよい呼び方です。たしか気象予報などで出たのが早い例ではないでしょうか。
 東海は現在では愛知静岡くらいの意味で使われています。こういう使い方も新しいものです。本来は滋賀~関東全域のことですから。古くは「海道」と略するのが通常でした。「海道下り」といえば京都から関東へゆくこと、「海道一の弓取り」といえば東海地方を中心に活躍した徳川家康のことです。
 東北は古く奥羽(陸奥の国と出羽の国だから)と称されましたが、明治以降、東京の東北にある地方だから、という意味で東北と呼ばれるようになりました。
 中部は明治以降になって出てきた「日本の真中」という地域名です。新都=東京と旧都=京都にはさまれた地域ですから「真中」なのでしょうが、京都に都があったままでしたらおそらくありえなかった名称でしょう。
 関東は関の東という意味です。古くは伊勢の鈴鹿山より東が関東でしたが、時代がひらけるにつれて箱根の関よりむこう、という意味にとってかわってしまいました。江戸時代ごろにはすでにこの交代があり、幕府の役職に「関八州見回り」というものがあります(八州は下総、上総、安房、武蔵、相模、下野、上野、常陸、の現在の関東全域)。鎌倉ごろからは坂東という言い方もします。箱根の関の坂道よりむこう、ということ。
 地方名としてはほかに、北陸、山陰、山陽、中四国(橋ができてからこう呼ぶようになった)などがありますし、さらに細かく濃尾越(美濃・尾張・越中=愛知・岐阜・富山)といった類もあります。また中部地方にはふたつの意味があり、「広義の中部地方=東海地方+北陸地方+狭義の中部地方」です。
 行政区分としては高等裁判所設置の区切りである北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州(沖縄を含む)がふつうは使われるようです。
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この回答へのお礼

大変詳しいご回答、ありがとうございます。
いろんな背景があるんですね~
今回勉強しつつ感じたことで、前の方のお礼でも書きましたが、州と言う単位はかなり古くからあったのでしょうか?
新たな疑問です。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/11/25 16:41

>州と言う単位はかなり古くからあったのでしょうか?



 日本の国(現在の県)に相当する行政区分を中国では古く州と言いました(その後、郡になる)。州の刺史というのがその地方の行政のトップです。
 日本の場合はだいたい「薩摩守」というときの守がこれに相当するのですが、平安時代ごろの人々はこれをあこがれの国中国ふうに「刺史」と呼ぶことがありました。なんとか商店のかわりになんとかコーポレーションとするようなものです。
 ところが「伊藤コーポレーション」というのはやはりしっくりこない。どうせなら「イトー・コーポレーション」にしたいと思うのは人情ですよね? 「薩摩の刺史」では中途半端だから、いっそ中国みたいに「漢字一字+州+刺史」にしちゃったほうがかっこいいだろうと思う人が出てきた。本格的に使われだすのは江戸時代に入ってからだと思いますが薩摩の殿様を漢文ふうに「薩州刺史」なんて呼ぶことがあります。
 それ以外にも、「国を中国ふうに言うと州」という発想は古くからあったらしく、平安末期ごろから「日本六十余箇国」とするべきところを「日本六十余州」とした文献はたくさん見られます。平安期から徐々にこうした表現が力をたくわえ、ついに江戸時代に入って「薩州刺史」というあたりまでゆきついた、と見るのがいいのではないかと思いますが、そうなると「州」は日本語のなかでもかなり古参者だということになるようですね。
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この回答へのお礼

またまたすばらしきご回答ありがとうございます。
当方感激でございます!

>そうなると「州」は日本語のなかでもかなり古参者だということになるようですね。

そうですね、なんか以外な感じがします。州っていうと現在のアメリカも日本語で州をつかって分けてるじゃないですか。そのイメージが強くって歴史ある言葉に思えなかったと言うか。

大変勉強になりました。ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/25 17:29

こんにちは。



ほかのは出てるので、近畿について・・・。

近畿の「畿」は「みやこ(都)」という意味です。
昔は京都が中心で、一番の「みやこ」だったので、京都周辺を「畿内」と言いました。
畿内の近辺だから「近畿」という事ですね・・・。
ちなみに京都の「京」も「みやこ」という意味です。
つまり当時の京都は「みやこの中のみやこ」ですね。
(^^ゞ
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この回答へのお礼

はー
「畿」=「みやこ(都)」だったんですか!
これは勉強になりました。
あとは東北か~
あ!北海道ってどうなるんだろう?
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/25 16:12

九州は


九つの州があったと聞いています。

筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・日向・大隅・薩摩
です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
結構単純なんですねぇ。
ちなみに州って んーいつごろ なんで。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2004/11/25 16:10

LINERSさんこんにちは。


確かに気になりますよね~。ではわかるものから一つ一つご回答していきましょう。

関東:八世紀前後の日本の中心はもちろん京都でしたが、その周辺にある意味で「それ以外の言わば未開の土地」を分けてその出入りを管理するために、京都周辺に関所が設けられました。そのうちの一つが現在の岐阜県にある「不破関」で、これが都の再東端でした。この場所から東、つまりは「関」の東で関東なりました。ですから、今の岐阜県以東は「関東」だったわけですね。

甲信越:それは昔の国名である「甲斐(山梨県)」信濃(長野県)」「越後(新潟県)」の頭文字を取ったものです。

東海:おそらく「関東」と同じ原理で、都から東の海のあるところという意味ではないかと・・・。

中部:これは最近になってできた地理的な呼称だと思います。

中国:現在の中国地方が「都から中くらい遠い国」という由来からみたいです。

四国:四国の島(?)に昔の国が4つ(讃岐、阿波、伊予、土佐)があったからです。

九州:四国と同じです。昔の九州には国が9つ(豊 前、豊後、肥前、肥後、筑前、筑後、日向、薩摩、大隈)があったからです。

すいません、東北と近畿は不明です。東北はやはり地理的なものだと思いますが、近畿は・・・。また分かり次第書き込みます。
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この回答へのお礼

早速のご回答感謝いたします。
なるほど~
関東は特に疑問だったのですが、良くわかりました。
地方名と一言でいっても意味合いからみると基準はばらばらなんですねぇ。
ありがとうございました。またお願いします。

お礼日時:2004/11/25 16:08

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