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どうして旦那とか妻が不倫して、傷つきながらもずっと
一緒にいたいとか、許さなきゃって頑張るんですか?
依存ではないと言い切れる理由はなんですか?
本当にそれって愛なんですか?

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    皆様‼それぞれ貴重な回答をありがとうございました(*'▽')
    色々考えることが出来て、自分のためになりました。

      補足日時:2019/02/26 13:32

A 回答 (7件)

自立していないので、依存の方に努力した方が楽だからだと思いますよ。



「愛」にも色々ありますが、少なくとも「相手への愛」ではないですね。

「自分のため」とか「子供のため」とかでしょう。
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既に心が壊れちゃってるんだと思います。


対等な関係から、いつの間にか耐えなきゃ一緒にいて貰えない関係になっていることを自然と受け入れてしまっているのでしょう。
冷静であれば立場上、不倫された側が優位にあるということに気づくはずです。
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愛かもしれないし、依存かもしれない。


ケースバイケースです。

そして、愛の中に依存が含まれることもあるし、依存の中に愛が含まれることもあります。
人間の愛は、しょせん感情の一部ですから、純粋無垢なわけはないです。

子供に対する愛だって、純粋に愛おしさもありますが、「この子を守れるのは私」という自己有用性の確認も含まれます。
「自分の遺伝子を引いた存在」と信じればこそ、の自己実現欲求が満たされた満足感も含まれます。

だから、愛と依存をきっちりと分けることなどできません。
依存がダメなのは、依存することで自分や相手に不都合が生じる、自分自身で自立して生きられなくなる、といった面が大きくなった場合です。

子供への「守らなくちゃ」という感情も行き過ぎれば、束縛になり、子離れできないダメ親になります。
こういう場合に「それは愛ではない、依存だ」という言い方になります。
「相手の幸せを願っているのではない。本当の愛ではない」と言った方が適切です。
でも、「本当の愛」って何ですか?という疑問も出てきますが。

不倫した配偶者を許そうとして苦しむ、という場合も、愛と依存をきっちり分けることはできません。

つまり、愛は理性ではないので、理屈だけでは割り切れない、ということです。
「純粋に理性的な愛」というのは、もしかすると自分の損得勘定=合理性だけで自分の感情を割り切れる人、なのかもしれません。

なんか冷たくないですか?
それは愛っていえるの?という疑問がまた出てきてしまいます。

それほど「愛」はわけのわからないものです。
「愛とは○○である」という簡単な答えはないと思っていた方がいいです。
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今の生活を崩したくないとか、彼ならまた戻ってきてくれる。


ってどこかで信じてるのかもしれないですね。
人は間違いを犯す生き物ですから
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答えは一つではないですね。



情、執着、子どものため、経済力、体裁、築いてきた年月の重み、変化が怖い等が混ざり合っていて表現できないですね。

でも元には戻れないですけどね。
まだ別れるには手放せない何かを不倫した相手に感じるから葛藤しながらやり直すんですよ。
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●どうして不倫を許そうと努力して自分が苦しむのか?



 ↑タイトルに対する意見です。現実と気持ちの乖離が発生するからです。総合的に判断すれば、許してやり直すべきだと判断しても、気持ちが納得していないからです。現実を気持ちが受け入れられていないのです。
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江戸時代までなら、よくあった事でしょうが


当時とはモラルが違うので不倫はNG。

チンパンジーなどは、あいさつ代わりに色んなオスとメスが
性器をこすり合わせる習慣があるから、
不倫をするのは発達していない人なのかと。
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