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夫の母親が、jwクリスチャンです。。私の両親も同じく、jwクリスチャンです。
私の母方のjw祖母もクリスチャンで、夫を通して、親や、祖母の悪口を言ってきます。
私は、それを聞き、不快に感じ、悩みをかかえたため、会衆の長老兄弟や、近所で訪問してくださる方にいろいろ相談しました。すると、夫の母親は、あなたはクリスチャンじゃないんだから、相談するのはおかしいと言ってきました。そのほかにも、留守中にタンスの中を、勝手に開けたり、勝手にカーテンを変えられたり、突然アポなしで、勝手に家に上がってこられたり。。。。。。クリスチャンでない場合は、嫌がらせにちかいことをされても耐えなければならないのですか。
黙っていると、ずっと陰湿にやり続けられると思い、お話しました。
教えてください。特にいやだったのは私の愛する親や祖母の悪口を夫経由で聞かされたことです。

A 回答 (4件)

>特にいやだったのは私の愛する親や祖母の悪口を夫経由で聞かされたことです



それ、伝えてくるご主人もどうかと思いますね。
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>クリスチャンでない場合は、嫌がらせにちかいことをされても耐えなければならないのですか。



全然、そんなことないですよ!
クリスチャンっていっても、案外、冷たかったり、世の中にたいして「上から目線」で
「ヒトがしてくれることは当たり前」、なんでも神さまに結び付けて自分に都合よく解釈してるだけ、という場合も
よく見てきました。

宗教っていうよりも、その人の性格ですね。
まぁ、だれでも「根はわるいヒトではない」とも思いますけど...
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実際の信仰者の行動がどうあれ、宗教には一つの共通点があります。


「自分のものの見方を変えよ」
ということです。

俗な言い方をすれば「ピンチはチャンス」ということなのですが、
これに気づいて実践できる人とそうでない人は、内面から見た幸福の度合いに大きな差ができます。
完全に悟りきった人は、たとえ困窮の中耐え難い苦痛の中若くして死ななければならなかったとしても、その中に意義を見出し、
「おれは幸せだ」と言いながら世を去ることができます。

あと、べつに耐えなければならないということはないです。

法華経の中に「常不軽」という菩薩が出てきます。
彼はどんなに罵詈雑言を浴びても「あなた方はやがて仏になれる人です」と言い続けましたが、
危害を加えられそうになったらさっさと逃げました。
そして遠くから、それでもなお「それでもあなた方は仏になれる人です」と叫び続けたのです。
この常不経さん、法華経ではブッダの前世だったとしています。
要するに悟りの境地に達したということです。
彼の名前の由来は「お経など一切読まずただ『あなたを軽んじません』と言い続けるだけのどーしようもない奴」という軽侮の意味で付けられたと言います。
それでも悟りの境地を得られるのです。

法華経では他にも「こういう生き方をした」という例が何人か紹介されています。
絶対こうでなければならないということではないのです。
それは自分が見出し、自分で実践しないといけません。

別に法華経を読めと言うことではありません。
私がたまたま仏教徒のためこの話をしただけです。
カトリックにだって聖人という模範がいます。
カトリックが「信仰に生きるとはこう生きるということだ」と示した例です。

「聖人なんだから偉いんだね」では信仰的姿勢とは言えません。
「どうして苦難に耐えられたのか」「何が彼の心を保ち続けたのか」「そしてどういう結果にたどり着いたのか」
ということを分析し自分に引き換えできるところはできるように努力し少しずつ聖人のものの見方考え方に近づいていく。
そうすることによってより聖人に近い悟りだとか結果だとか、そういうものを得られるようになるのです。

当然ですが、物の見方や性格は人それぞれなので、同じ聖人でも捉え方が違います。
分析は自分でしないといけません。
聖人に加えた人の意図を読み取れるか、読み取るにしても1を読み取るか10まで読み取れるか、どうしてもある程度の修養が必要となります。
ここを辛抱できるかどうかです。
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クリスチャン以前に、タダの嫁いびりだから、タダのご近所の噂話としてたくさんの方にお話すればいいと思いますよ。

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この回答へのお礼

はい。。分かりました。ありがとうございます。そうしたいとおもいます。

お礼日時:2019/04/04 20:07

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