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犬や猫のなど、愛玩動物を殺処分するケースを減らすため、日本でも色々な法制度が進んでいます。
一方で、犬や猫などと同じ地位を得られない牛や豚は、専門業者の手で殺処分され、肉料理としてみなさんの食卓に上がります。

白人を殺したら殺人罪、黒人ならリンチで殺してもお咎め無しとしていた1940年頃のアメリカと同じような差別待遇が平然と行われているのが日本の現実です。

哲学カテゴリーでご活躍中の皆様より、以下の2問に関してご意見、ご提言を頂きたく。
問1: 黒人の殺人と白人の殺人に関して、罪の有無、あるいは軽重をつけることに賛成か反対か。
問2: 犬猫の殺処分と、牛豚の殺処分に、倫理的罪悪感の有無、あるいは軽重を付ける事に賛成か反対か。

哲学愛好家の方々の自由な意見、提言をお願いします。

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    問1に関しては、反対の方が多いようです。
    問1に反対にも拘らず、問2に関しては賛成の方が多いのはなぜでしょうか。

    愛玩動物の殺処分には反対だが肉料理はエンジョイし続ける自分の日常行動を正当化したいだけなのか、それともそこには深い哲学的思索の結果としての思想があるのか。
    この点に興味があるので、もうしばらく問いをオープンにしておきます。

      補足日時:2019/06/02 06:14

A 回答 (44件中1~10件)

問1: 黒人の殺人と白人の殺人に関して、罪の有無、あるいは軽重をつけることに賛成か反対か。


問2: 犬猫の殺処分と、牛豚の殺処分に、倫理的罪悪感の有無、あるいは軽重を付ける事に賛成か反対か。

有る程度、アンケート的な回答は出ていると思いますので、二つ同時に答えます。

現代では「黒人だろうが白人だろうが『人間』としての人権に差はない」ので罪の有無や軽重について差があることに反対する、と言う人がおおいわけです。これは現実問題として日本人も「差別される側」にされ、デメリットを受けた経験もあるからです。
 
しかし、奴隷制や農奴制、または階級制度などが有った時代には「人は平等」ではありませんでした。平等でなければ「差があるのは当然」であったわけです。

ではどういう論理で「平等ではない」としていたかと言うと、簡単に分けて二つの言い分がありました。
①○○は人間ではない(人間として認められない)
②××は人間だが、価値が低い
です。

①は古代に用いられた概念で「宗教が違うので、価値観が違うから、彼らを人間と認めることはできない」というのが一般的でした。たとえば放牧民族からすれば、魚を捕って食べる民族は、当然に宗教観も違うし「あんなもの(魚)を食べるなんて、熊やキツネなどの動物と同じだ→自分たちのように肉を食べるのが人間として正しい」ので、魚を食べる人々を人として認める必要性がなかったわけです。

中世になると、農業が本格的になりますが、その分厳しい身分制が敷かれます。この時重要な区別だったのは「人々を支配して農業に従事させる貴族(王族)」と「農業だけに従事する農奴や奴隷身分」です。
 もし飢饉がくれば、来年捲く種もみを保護するために、王族・貴族は農奴の一部を餓死させることもしましたし、逆に土地が奪われそうになれば王族・貴族は必死に自分たちの土地を守りました。つまり農奴たちは「王族などがいるから、存在できる身分」だったわけです。となれば「王族・貴族から見て社会全体の存続に必要なら餓死など死んでもらうこともある」わけです。
 当時は農奴や奴隷には、王族・貴族による「保護による権利」は合ったものの、自立した個人としての「生存権」は無かったのです。

これが変化したのが啓蒙思想ですが、もう一つ産業革命による労働者の誕生があります。この二つが「すべての人は平等で個人の生存権が優先する」となったのです。

ですから問1は「現在の状況において初めて個人の人権が人種や宗教などを問わず広く平等であると『信じられている』だけ」という前提に気が付く必要があります。

さて、では問2の内容はどうして賛成の人が多くなるか、はもうお分かりだと思います。
多くの人は「動物は人間と違って個人的な生存権を持っていない」と思っているから肉料理を食べても倫理的な罪悪感を感じないのです。

犬猫などの殺処分に心が痛むのはひとつには「自分もペットを飼っているので、自分のペットがそのような境遇になったら胸が痛いから=ベットの擬人化」であり、もう一つは「命を粗末にしてはいけない、という観点から見て人間の都合で『役に立たない』と決めつけ処分するのは問題があると思うから(牛や豚は食料として役に立つから良い)」です。ただし、2番目の回答は日本人または仏教的な思想であり、キリスト教徒やイスラム教徒などは別の考え方で「動物を殺すことは良くない」と考えている、と言うことを知る必要があります。

動物を殺すことについてペットの場合も食肉も人間と平等であり、だから「殺すべきではないし、食べるべきでもない」という思想が近年じわじわと流行っていますが、ここには「動物も人間と同じように個々の生存権が保障されるべき」という基本思想があるわけです。

特に西洋哲学の動物の生存権の流れは次のようになっています。
(かつて生存権の差があった人間同士と動物を比べた時に)
A論理の普遍化は人間同士だけでなく動物に波及することが可能である
B(人種による差異があるのだから)遺伝的差異だけでは人間と動物を倫理的に分ける理由にならない
C動物も人間と同様、悲しみや痛みなどの意識を持つ。特に知的に高度な動物であればあるほど意識が鮮明である
D動物と人間を区別しているとされる、個人の能力などは障害者など限界ギリギリの能力をもつ個人にも人権が与えられていることを鑑みれば、動物を区別する理由にならない
です。したがって、動物を人間の生存権を分ける差異は存在せず、動物も人間同等に保護すべきだ、というのが啓蒙思想から論理的に導き出させる「動物の生存権である」とするのが西洋哲学の基本になります。

だから西洋人は「(知能の高い)クジラを殺すな」と叫ぶわけで、多くの欧米人はヴィーガンの「屠殺をやめよ。肉食をやめよ」という主張に疑問を持ちつつも、実はヴィーガンも一般の肉食をする人々、日本人から見れば同じ延長線上にいるのです。

では「日本人の価値観、倫理観、哲学」で考えた時に、西洋的な論理構成のどこが間違っているといえるのか、です。
それは
ア。日本人(多くのアジア人も)仏教思想から動物と人間の差異は無く「他の命をもらって生きることはカルマ(宿業)であり罪である」という哲学があること
イ。西洋人のもつ「保護の哲学」ではなく、社会参加が個人として認められる最低限のレベルであること
が思考の基準になっている、ということです。

まず日本人にとって西洋的なDの考え方は非常になじみが悪いものです。これは突き詰めれば「限界ギリギリの人間的なコミュニケーションや能力を持たない個人であっても、それを人間として扱い、保護するのは当然である」ということです。
たとえば、植物状態で意識も自発呼吸もできない状態であれば「通常の人の権利も義務も全うできない」ので、これを「人間とみるか?」という命題がある、と言うことになります。

 西洋人の考えでは「限界ギリギリの状態でも人間という形をしているなら当然に権利者である」わけです。これは中世の「人間の形をしていても、奴隷などは人間として扱わない」という反省があり、そのアンチテーゼとして「人間の形をしている以上はどんな場合でも人間として尊重されるべき」となるわけです。

だから、尊厳死なども「本人の意思確認ができれば可能」になり、ここに「人間としてギリギリの状態で選択しうる条件を自分で選べる自己決定権」が優先されることになります。尊厳死などが西洋では合法なのはそういう理由があります。

しかし日本人の場合そもそも「人間は個人ではこの世に存在しえない」という仏教的または儒教的な価値観をもっています。母がいなければこの世に存在しないのだから「植物状態でも自分一人で死を選択できるのか?」と言う命題に日本人はまた答えを見つけていない、とも言いかえることができるでしょう。西洋的な「人権」とは別の価値判断基準がそこに存在するわけです。

となると日本人の「人間」という区分けは「社会性」という概念が含まれる、ということになります。逆をいえば「いくら知性があろうと、社会に参加しなければそれは『ないも同然』と考える」ということです。日本の障害者差別が欧米のようには減っていないのは「社会参加の有無」が価値観の基本にあるからで、引きこもりに対して厳しい意見が多くなるのも生存権が「社会参加」と一体だと考えられているからです。

となれば、動物は社会参加するのか?という命題がそこに生まれます。日本人の考えでは「動物は一部を除き社会参加しない」です。ペットは「人間の都合で」という前提はつきますが、社会参加しているとされているわけで、だからペットなどを処分することは日本でも強い批判があります。

しかしクジラだろうが、牛・豚だろうが「社会参加」と言う点では人間と一線を画しているのは明白(と多くの日本人は考えている)ので、これらを捕獲または屠殺し食べることに何の痛痒も感じません。
 いや感じていないわけではないのです。なぜなら仏教的に「命をいただくのは業であり罪である」と言う自覚はあるからです。だから日本人は古来からクジラなどの犠牲に対して供養してきましたし、屠殺場にも供養塔が設置されています。

西洋では「貴人による庶民や奴隷の保護の歴史」があるゆえに「平等」そのものが「貴人と同等に生存権を持つこと」とされていて、だから「庶民や奴隷が感じてきて痛みは動物でも感じる」「庶民や奴隷などの生存権を人種などで分けることができないなら、動物との境界線も設定できない」「となれば奴隷などの身分を平等に扱うなら、動物と言う身分もおなじではないか」という論法で人間も動物も共に生存権を持つ、とされているわけです。

しかし日本人は「貴人による保護の歴史」そのものがなく自助の歴史でしたから「社会性が人間と動物の境界線」であると考えているのです。そして仏教的な「業」という倫理観がそれを支え「すべての生き物は命があり、それに感謝が必要」となり、感謝があれば「屠殺や捕獲してもよい」とかんがえることになります。

そこに矛盾はありませんし、私は日本的な価値観を支持します。
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この回答へのお礼

なるほど。

グルーピングが生物学基準である西洋人と、
グルーピングが社会学基準である日本人の、
思考過程の違いですね。

日本の社会学的基準によるグルーピングだと、グループの外側に分類されたホモ・サピエンスの個体はどのように処分するのか、とういう問題に答えを出しづらいですね。

有難うございました。

お礼日時:2019/06/02 17:42

この写真の花はサンカヨウといって、


私もずっと前に
他の方から教えていただきました

ちょうど今くらいの時期に
咲きます

花びらが雨に濡れると透明になるそうです
この写真くらい透明になるのも
珍しいらしいですが

これも食用になるとは
言われてます
甘いらしいですが、
私は食べたことはありません
とてもキレイです❀
癒やされます

他にも
ホワイトスターという花も
好きなんですが、
茎を切ると白い乳液のようなものが出てきます
私にはそれが、
人間の血液のように思えてしまうんです

人間は身勝手ですね
屠殺はほんとに
言葉を失います

少なくとも肉を食べなくても
生きていけるように
どうにか変えていきたいです
「ペットと家畜の屠殺に関して。」の回答画像44
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モクゾウさん


ありがとうございます

命すべてだと思います

屠殺が残酷だから
というだけでなく
生きていくことは
何かの命を奪うこと
になる

ここを忘れては
いけないのだと
思います

少なくとも
生きる為には
自分以外の命の序列が
できてしまっている


もし、
人間を食さなければ生きていけないくらいの
未知の生命体が現れたとすれば
私たちは餌になる覚悟が
必要になるのかもしれません
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こんばんは、木造100年さん。



わたしは豆腐や納豆や卵の他、チーズやヨーグルトもたつぷり摂ってゐますし、ホエイプロテインも飲んでますし、今のところそれほど飢えていないので、ときどきしか肉を喰らいません(胃にもたれる上、単価が高いのでそんなに喰らえません)。

今はお金さへ払えばスーパーマーケットで動物の肉を簡単に買えるやうになつてゐますが、もともと人間ごときの運動神経では野兎一匹捕まえるのも困難極まりなく、4本脚動物の肉を喰らうのはごく稀な事態だつたのではないかと想像します。雀一匹捕まえるのも同じやうに大変でせうから鳥の肉についても同じ。

ところでわたしはお祭りですくった金魚も食べませんし池を泳いでゐる錦鯉も食べませんが、鮎やニジマスやイワナやアマゴなどは釣ったすぐに串刺しにして塩で焼いて食べてゐます。これは淡水魚に対する人間の都合による差別になりませうか。家畜の屠殺というお題目からは少し離れますが、ペットに関しては4本足の哺乳類に限る、とは書かれてゐませんのでつい。

なほ、本当に飢えたら、身近に居て捕まえやすい動物性蛋白質、例へばメダカやドジョウやサワガニやカエルや蛇やカメやイナゴやバッタなどを、真っ先に捕まえて食すと思います。野生動物と格闘するやうなエネルギーは、他の行動の為に温存したいと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。

単に生命倫理の問題として論ずるにとどまらず、哺乳動物を捕獲して食すためのcost vs effectivenessも重要な基準となりますね。

動物の尊厳を蹂躙した牧畜が無ければ、全ては狩猟によって捕獲するしかなく、狩猟の労力の多さと失敗確率の高さに鑑みればgibierの肉を食するなんざは、それほど日常になるわきゃねえだろ、ってことですね。

自分が生きて行くために動物性タンパク質を摂取したい者どもは、昆虫(ゴキブリを含む)を採取して、これを粉末にし、ご飯にかけて食べるのが良いでしょうかね。昆虫の生命倫理には踏み込まずに、昆虫から動物性タンパク質を摂取する事のcost vs effectivenessの良さを考えたらねぇ。

牧畜業者と食肉商人の存在が、不必要なレベルでの大量屠殺を生じさせていると言う見方は、なんとなくカールマルクスっぽくて、左翼インテリとかには好まれそうですね。

どうも有難うございました。

お礼日時:2019/06/05 01:54

モクゾウさん、お礼ありがとうございます



いつもモクゾウさんの回答を見ていて
短文の中になんだか説得力を感じさせられるものが
ありましましたので
どういう視点で考えているのか
とても興味がありましたが、
なるほど
そうですね
私もまだまだやりたいことは
ありますが

もし生き残るために
誰かを殺すとなったら
その時は自らが他の生命のために
肥やしになろうと思ってます

なので
これを考えていたら
モクゾウさんが仰るように
命は同じといいながら
同じではないといえます

結局、私は人間は殺さず
他の生命は殺しているのですから

こういう視点も考えさせられます
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この回答へのお礼

命の序列をつけるのは、なんだかんだといっても、結局は自分の人生観に依存していると言うことが明白になりましたね。

ラブサイコさんの投稿により、自然の摂理を援用した屠殺正当性の主張は一気に根拠を喪失した感じです。

どうも有難うございました。

お礼日時:2019/06/05 01:59

モクゾウさん、こんにちは❀



少なくともわたしは
食べるために生きているのではなく
生きるために必要最低限度で食べています

先の回答で
命を無駄にしないと書いたのは
全ての生命についての意で書きました

例えば
植物にキレイだねというと
キレイに咲きます
これを愛らしいと私は感じます

でも先も回答をしたように
必要最低限、命を食さなければ
私たちは生きていけません
でもそれは
その命が必要だからであり
決してその命が不必要だからではないです

私はベジタリアンとかウィーガンとかではないですが
基本的に普段は肉とか魚とかもあまり食しません
野菜と穀物類を少々と
たまに果物を食します
私一人が減らすだけでも
他の人に分け与えられる分が増え、
またその分、他の命の
消費量も減ります

確かにモクゾウさんが仰るように
贅沢しなくても生きていけますね

かわいいペットである命は食さず
ペットではない命は食す
けれど、
どちらも私たちに必要な命に変わりはなく
もしそこに身勝手さが生まれてしまうなら
そういう命の生成と殺処分については
減らしていくべきとは思います
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この回答へのお礼

有難うございます。

僕は肉を食す時には、その肉を持った動物が殺される瞬間を想像するようになったので、自然と消費が減りました。
でも、ヴィーガンでは無いので、注文せずに供された肉料理は食べるし、パスタ系を食べたくない時など、チキン料理を注文したりします。

クリティカルシンキングの一環として、自分が生き残るために他人を殺さなければいけない状況を想定し、知らないキリスト教徒、知らない仏教徒(創価学会)、知らないイスラム教徒、知ってる嫌な奴、知ってる良い奴、と選択肢がる場合に、どれから先に殺処分をするか、時々考えています。これも哲学をする者の悲しき性(さが)でしょうね。

お礼日時:2019/06/04 14:56

お礼をいただきまして、ありがとうございます。

No.25です。

>という考えが含まれるのでしょうか?
はい、含まれます。
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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2019/06/04 14:44

罪悪感は持たないけれど、その代わり“感謝”の念を持つのが日本人の心だと思います。

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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2019/06/04 14:44

たった今、ユーチューブでNHKのクールジャパンを見ました。


テーマは竹、バンブー。
日本人の竹にこだわることの“なぜ?”にトライした番組です。

工芸品としての竹の利用はもちろんの事、癒しとしてのオフィスに取り入れられる緑の竹などが紹介される中で、竹の子が出てきました。
もちろん、食するという目的のために。

竹の子。要するに子供です。

この子供を地面から鍬を用いて掘り出し、台所でまな板の上に乗せ、食べやすいように切り、味付けをして煮込みます。

子殺し、という意識は全くありませんね。

植物と動物との大きな“違い”ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2019/06/04 14:44

植物への殺傷感はあまりないけど、哺乳類の殺傷には罪悪感が起きますね。



これは“神”の啓示かと思います。
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この回答へのお礼

そうですか。

お礼日時:2019/06/03 13:39
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