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君が代ってどう思いますか。
ちなみに私の周りでは儀式などで唱うときはほとんどだれも唱ってなかったし、周りはかなり気まずい雰囲気があったように記憶しています。
また、テレビでアメリカのある大会で君が代が流れたけど、そこにいた日本人は気まずい顔をして突っ立っているだけで、
唱うことすらできなかったです。対照的にそこにいたアメリカ人は誇らしげに唱っていましたが。
ということで今回の質問では
1君が代を自信を持って唱えるか
2君が代を自信を持って唱えない人を見てどう思うか
3君が代を自信を持って唱うべきか
4外国に言って国歌を唱ってよと言われてかつ、周りの人が全員唱ったあとだったりして断れないときどうするか

などについて聞きたいです。

A 回答 (25件中21~25件)

(1)唄えます


(2)教育のゆがみを感じます。また、国際感覚のない人であると感じます。
(3)国際人であろうとするなら、世界の常識を考えるなら、当然のことでしょう。
(4)唄います

国際競技大会などで他国の国歌や国旗に敬意を払うという世界常識の欠如した選手や観客‥ほぼ間違いなく日本人ですネ。
原点に帰って考えてみましょう。
君が代の歌詞は世界に類をみないような平和的な内容です。
そして、1100年も前に作られた『古今和歌集』巻第七賀歌を出典とする世界で最も歴史のある歌詞でもありますネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
うーん。世界でもっとも古い歴史を持つ歌詞だったとは知らなかったです。
とても勉強になります。

お礼日時:2001/08/01 19:57

1.歌えます


2.どう思うでしょうね。少なくともすばらしいことをしているとは思いませんね。
3.自信がどうかは知りませんけど公の場では歌うべきでしょうね。
4.歌います。

問題は2番目ですよ。
konojiさんがおっしゃるとおりです。
学校教育で、どう教えるか、悪いところだけを教えれば、どんな歌でも悪く感じるでしょうしね。
まあ、好き嫌いもですけど、問題は公の場で他の外国の方が歌われて、自分たちは歌えないというのは情けないですよ。否定するのはかまいませんけど、メリハリはつけるべきですね。
嫌だから、今にそぐわないからただ歌わないならず~っと変わりませんよ。
それに感じも悪いでしょうし歌わなくていい結果が出るとも思いませんよ。
もし変えたいなら、歌う場では歌い、変えたいなら他の方法で行動を起こすべきだと思いますけどね。私には、歌わない人は背景などを考えたとしても、良い行動をとっているように見えませんね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
君が代に対してうやむやな立場をとり続けて来た人は、
4のような状況でかなり困るのではないかと思われます。
私のような人ですが^^;
賛否のけじめをつける必要性を個人的にも感じます。

お礼日時:2001/08/01 19:55

1  はい歌えます。


2 「歌えない」のでは無くて「歌いたくない」もしくは「歌う気がしない」のでは無いかと思います。
3 必要無いと思います。
4 たぶん「君が代」を国歌として歌うと思います。
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この質問の回答はかなり意見がわかれると思います。


・・
歌詞の意味を承知した上で私自身は抵抗なく歌えます。
(私は天皇崇拝者ではありません)
*自信を持って歌うべきか?・・・質問の意図がよくわかりません。
国家の歌い方までアメリカナイズされる必要は無いと思います。

これは,日の丸問題と共によく議論されますが
この議論の根本的な原因としては
教育現場における教師側の指導にも問題があると思います。

いわゆる,戦時中の天皇崇拝の名残として扱われますが,表に現れている一面だけを問題化しているように思え,ある意味そのような議論自体に不快感を感じます。

君が代の「君」は確かに天皇のことです。
しかし,それは古事記にある神話の時代をへて現代までつづく日本の歴史そのものです。これを除外して今の日本を語る事は絶対に出来ません。

なぜ,日教組がこれについてこれだけ問題化するのかよく理解できません。

美しい歌だと思います。
又,大声で肩を組ながら歌うような歌ではなく,もっと内面的な物の美しさをもとめた歌詞だと思います。
そういう意味でこの歌には日本の,“わびさび”というものが込められた世界に誇れる国家だと私は思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
たしかに君が代には現代では独特の雰囲気があると思います。
私ももう少し君が代について勉強したいと思います。

お礼日時:2001/08/01 19:51

回答は年代によって大きく異なるでしょう。



1.歌えます。
2.教育の影響、犠牲者、かわいそう。
3.歌うべきです。
4.下手でも歌うべきです。

戦争によって国家感、価値観が大きく変わり、新憲法のもと、新生日本がスタートしました。しかし、憲法に国旗、国歌の明記がなかったために教育現場で様々な解釈が生まれました。時の文部省は日教組との摩擦や教育現場での混乱を恐れて、明確な方針を示すことが出来ず今日にいたっています。国歌はスポーツで国を代表する歌になり下がっています。世界の国歌で国民投票によって決められたのはほとんどなく、独立時の事情で決められた国歌が歌い継がれているのがほとんどです。従って、中には平和な現代にそぐわない歌詞もありますが、変更されることもなく歌われています。これは学校教育で国の独立に至る歴史を教え、その歴史の中から生まれた国家を大事に、誇りを持って歌うよう教えているからです。

日本の場合、外敵と戦って独立した歴史がなく、明治維新は徳川体制を倒した新政府が国家意識の乏しかった国民に強引に欧米の国家感や制度を押し付けてきました。国が独立した喜びを歌った欧米の国歌を真似て急遽制定したのが現在の国歌なのでもともと国民が感激して歌う国歌ではなかったと思います。第二次大戦に敗れたときが新しい国歌制定のチャンスだったはずですが、当時の政権担当者にも国民にもそのような心の余裕がなかったのだと思います。その後、国歌は長い間、政党や日教組にもてあそばれて来たように思われます。一歩、国を出ると日本の国旗や国歌感がいかに歪められ中途半端に放置されているかがよく分かります。世界の隅にある国ならあまり注目されませんが、第二の経済大国日本が、国民が等しく誇れる国旗も国歌も持たない国だというのは情けなくなります。このような国は、いったん経済力が落ちれば尊敬するに値しない国になるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご意見参考になります。

お礼日時:2001/08/01 19:38

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