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君が代ってどう思いますか。
ちなみに私の周りでは儀式などで唱うときはほとんどだれも唱ってなかったし、周りはかなり気まずい雰囲気があったように記憶しています。
また、テレビでアメリカのある大会で君が代が流れたけど、そこにいた日本人は気まずい顔をして突っ立っているだけで、
唱うことすらできなかったです。対照的にそこにいたアメリカ人は誇らしげに唱っていましたが。
ということで今回の質問では
1君が代を自信を持って唱えるか
2君が代を自信を持って唱えない人を見てどう思うか
3君が代を自信を持って唱うべきか
4外国に言って国歌を唱ってよと言われてかつ、周りの人が全員唱ったあとだったりして断れないときどうするか

などについて聞きたいです。

A 回答 (25件中1~10件)

1 歌えます


2 個人の自由だと思います
3 なるべく歌った方がいいと思います
4 国際親善のためになら歌います
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1、唄いません。

(唄ではなくて単なる歌なら鼻歌程度に歌えます)
2、別にどうも思いません。歌うか歌わないかは個人の自由だと思います。
3、自信がないなら唄うことはできません。(1と同様)
4、まあ、こんな歌もありますよ程度に歌うと思います。

和歌自体はいいと思いますけど、なんであんな変な伴奏をつけて国歌にしちゃったんでしょう。いけてない。センス無い。伴奏なんか付けなければ良かったのに。。。

スポーツ大会などで自国の国歌を歌わない選手なんて日本人に限らずいっぱいいますよ。寧ろアメリカの方が異常。サッカーのワールドカップの時にちょっと注意して見てみてください。

もっとも国歌がサザエさ○の「お魚くわえたどら猫~おいかけて♪」とか
ドラえも○の「あんなこといいな、できたらいいな~♪」とかだったら
もっと歌わないと思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ちなみに私も君が代の雰囲気にはなじめない気がします。

お礼日時:2001/08/03 07:41

「君が代」は作られた当時の意味を(歴史的資料として)踏まえた上で、


解釈を変えてしまえば問題ないのではないでしょうか。

スポーツの国際大会などで歌われる「君が代」は
『日本代表チームよ、君たちの時代はこれからも
続くよ』と歌っているように感じて、悪い気はしません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2001/08/03 07:39

1.歌えます


2.知識あるいは愛国心の欠如だと思います
3.当然です
4.歌います

アメリカ人は支配範囲を広げる歌をよくもまあ恥ずかしげも無く歌うものだと思います。
君が代は世界の国歌の中で最も優れた歌詞と評価されています。
君を大君=天皇と訳したのは明治からで、それ以前はそういった規制は無く自由に祝い歌として歌っていたものと考えられます。(古今集・和漢朗詠集など原典は「わが君は」)
天皇家は「わが世」と歌っているでしょうか。

平和なときも戦のときも国を護り国民の幸せのために国民が協力してきたのが我が国の歴史でしょう。
敗戦によって国歌や国旗を変えたイタリヤやドイツとは違って天皇制が維持できたことを、国民合意の政治を貫いている日本という国の誇りと考えています。
 
君が代を歌うとき私はそばに居る友人や会の主催者の幸せを祈りますが、それが外国人であっても構いません。
すばらしい歌だと思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
国民合意の政治を貫いていると言う点が少し引っ掛かりますが、
君が代を大切にする気持は伝わりました。

お礼日時:2001/08/02 11:44

 「君が代」は歌えますけど、私は高校ぐらいから内容に疑問を持ち始め、歌わなくなってしまいました。

子供の学校の先生にも「あんまり物心つかないうちから勝手に刷り込まないでよね」と言いたいんですけどね。

 個々人のアイデンティティのうちで、日本人であること、他ならぬ日本の文化・風土の中で育ったことというのは、国際的な場においてはかなり重要なウェイトを占めると思います。
 そこには排他的でない意味での誇りや自信があってしかるべきだし、また、日本人がいろんな機会にそのアイデンティティを確認するような国歌も必要かも知れません。
 
 ただ、それがどうして「君が代」なのか、もっと言えばどうして「君」なのかというのが理解できません。日本は戦前の立憲天皇君主制から民主制になったのに、「君が代(天皇中心の世の中)は千代に八千代に…」なんて、何を今更という感じで私は歌う気がしません。
 歌というのは共感するから歌えるのであって、心にもないことを自信持って歌えるものではないです。

 日本の近代の歌曲に良いのがいっぱいあるし、そのどれかにすればとも思います。
 ただ、多くの人があえてこの曲にこだわるんだとしたら、いっそのこと「君が代」を「民(たみ)が代」と置き換えるというのはどうでしょうか? 一字違いで歌の意味合いがまったく変わってくると思います。歴史への反省も込められ、これなら国歌として歌ってもいいという人が増えるのではないでしょうか?
 
 子供の学校行事に参加する都度ひっかかっていたので、ちょっとお邪魔させていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
かなり同感ですね。
ちなみに天皇に関しては、主権はない者の、象徴として尊重したい気持もあります。
主権との兼ね合いで微妙ですがね^ー^。

お礼日時:2001/08/02 11:37

再登場、すみません。

No.11の者です。
返事、ありがとうございました。嬉しかったです。

返事を見て、私には、ある姿が目に浮かびました。すごく勝手な想像です。
小学校に入った幼いppooooさんが、式での「君が代斉唱」の場にいる。まわりのほとんどの人が歌わない、または小声。ピアノ伴奏だけが流れ、30秒近くの気まずい時間が流れる。そんなのを2,3度経験したら、(特に幼ければ)誰だって、「あ、君が代は、あんまり歌ってよいものではないんだ。」と、マイナスのイメージでこの曲の先入観念を叩き込まれるはずです。

そして、そんな中で、この歌詞の解釈を聞くこととなる。…まあ、こんな経緯を経た人がいたとしたら、おそらくこの曲は歌えないでしょう。しかも、この曲は、歌いにくい。息継ぎ、難しいですよ~(笑)

だから、私はppooooさんからの返事を見て、ポンとひざをたたきました。そうです。幼い頃から、まわりが「歌っている」環境だったら、絶対に違っているはずなんです。

繰り返しますが、私は君が代の、音楽的な良し悪しを、頭を白紙の状態で判断するべきだと思います。歴史的背景も、政略うんぬんも考えず、音楽として鑑賞する。それでも程度の低い音楽に聴こえてしまうのならば、(すなわち麻原某の「修行するぞ修行するぞ」と同じレベルに聴こえてしまうのならば)仕方ないかもしれません。

私の知っている、あるえらい音楽の先生が、「軍艦マーチって、戦争のことさえ考えなかったら、世界に名だたる行進曲の名曲ですね。」とおっしゃいました。なるほど。あれなど、全体主義の権化のような曲ですけど、考えてみればスーザの一連の行進曲など、全てアメリカの兵隊の意気高揚のために作られた曲です。音楽的評価、高いですよね。

また、音楽を判断する言葉に、「明るい、暗い」の2つの言葉でしか分類できない人が多いのにも閉口します。おそらくその手の方々は、歌舞伎も能も雅楽も長唄も追分型の民謡も、全て「暗い」の一言で片付けてしまうのでしょう。

ppooooさんがこの曲についてマイナスのイメージを持ってしまったのは、もしかしたら、音楽的な価値に触れる前に刺されたくぎが多すぎたからではないかと思われるふしがあるのです。
私は、馬鹿がつくほどの音楽好きです。そして、とりあえず、君が代を気に入ってしまっております。これによって洗脳された覚えもないし、あったら教えてもらいたい。この曲が好きになるように仕組まれた覚えもありません。しかしもちろん、私が間違っているという可能性も、大いにあります。

もしかしたら、私たちの世代でも、既にだめなのかもしれない。でも、次の世代には、是非純粋な耳で、音楽的評価をさせたいものです。味わう耳が育つ前に、思想で全てを否定してしまうとすれば、音楽がかわいそうです。

うう、また長くなった。でも、まだ言い足りないような。申し訳ない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ちなみに私は君が代は悪いと言ったことを教育としてはうけなかったように記憶しています。
自分で判断してね、といった感じだったと思います。
^ー^
そして自分で判断したつもりにはなってましたが、
実際はほとんど考えることもなく高校の卒業式を向かえてしまったわけです。
考える機会はたくさんあったと思います。(議論する機会は少なかったですが。皆無でした。)
考える機会があったにも関わらず考えなかったと言うことは、平和ボケしてまじめに考えるのはめんどくさいと思っていたのだと思います。
でも結局4のような事態を想定するとそのときまでに何らかの結論は出しておくべきなので、
君が代の勉強は必要ですね。

お礼日時:2001/08/02 11:33

国歌がどうこうということではなく、国家に誇りがもてるかということでしょう。



君が代も日本的で良いとは思うのですが、歴史的な見地から疑問視
する人も多いので、いっそ君が代も含めていくつか候補を選び、
国民投票で決めたら良いのでは。

個人的には『水戸黄門』のテーマ曲なんかどうかと思います。
誰もが口ずさめて、なんかつらいときなんかも勇気づけてくれる、
それでいて極めて日本チックな情緒をかもし出していると思うのですが。

♪じーんせい・らくありゃ・くーもある・さー

どうでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なかなかおもしろい意見だと思います。^^;

お礼日時:2001/08/02 11:22

こんにちは。

初めまして。
なかなか大胆なご質問に惹かれまして、おそまつながら回答をさせていただきたいと思います。
一応、一通り回答している皆さんの意見を読ませていただきましたが、おおむね「君が代」には賛成というご意見が多かったので、バランスを考えて反対の考えも述べたいと思います。

率直に何故「君が代」が問題になるのかと言うと、当然その歌詞に原因があります。この歌詞の一番最後の節「こけのむすまで」という歌詞の意味が重要なのです。
この歌詞の意味はいわゆる天皇主権を賛美するもので、「天皇陛下のご繁栄を永遠にお祈り致します」という内容であると言われているのです。
よって、今の憲法における「国民主権」に反する内容であるとして、歌うことが反対されているのです。
また歴史的に見て、この歌は明治政府が天皇主権を浸透させるために思想教育の一環として用いられているという経緯も影響しているとも言われてます。この後の歴史の歩みについては特に述べる必要はないと思いますので省きます。
学校の先生方が反対するのは、戦争後の教育方針に「戦前の
教育には二度と立ちかえらない」という大前提があって、これを元に新たな教育体制がスタートしたという経緯があるからです。
その戦前教育の象徴とも言えるこの歌を、生徒に歌わせることは
「その原則に反するではないか」というのが大きな理由です。
また、この歌は最近になってようやく法定化されたばかりで、それまではきちんと国歌と既定されないまま、慣習的に用いられていたに過ぎないのに「国歌」として強制されていた、ということもいえるでしょう。
他にも問題点が有るかと思いますが、私が知り得ている限りのこと(間違って認識している事もあるかもしれませんが)を述べさせていただきました。

年配の方の中にはやはり戦争体験からこの歌を歌うことを、いまだに拒んでいる人もいます。
また、中国、韓国などでこの歌は植民地支配時の象徴とされていることもあります。
あっと、すみません。これは余計な話だったかもしれません。

他の人の回答には「国際感覚」とか、「誇り」とかカッコイイことが
書かれていましたが、本当にそれについて考えたことがあるのでしょうか。歴史の経緯や歌詞の意味を知らずにこの歌を「良い歌」と思っている方がよほど恥ずかしいと私は思います。
(ちょっとキツイ言い方かもしれませんが)
こんなことを書くと一部の人たちから、やれ「サヨク」だの「ジギャクイデオロギーの妄信者」だといわれるかもしれませんが、この歌には「こういった考えもあるだな」と知ってもらえれば幸いです。
(すみません。なんか押し付けがましい堅苦しい話をしてしまって)

本来のご質問の回答ですが、今までの主張から言えば、1~4まで全て「歌えません」「歌う気はしません」となると思います。
以上です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ちなみに私は4でも唱えないという立場です。
個人的に歌を唱うのがカラオケなどを含めてあまり好きじゃないのと、君が代自体周りが唱っていなかったからといった事情からです。
戦後50年間もあってなお天皇に関する解釈が日本国民の間でうまくまとまっていないという感じがします。
それが君が代を何となく拒否するという姿勢となって現れているのではないかと感じてます。

お礼日時:2001/08/01 19:32

(1)自身を持っては歌えない。

歌詞を覚えてないしあまり好きな曲じゃないから。
(2)どうも思わない。人それぞれだから。
(3)一国歌くらいで「~べき」という考えた方のものではないと思う。自由主義国である以上、歌おうが黙ってようが本人の勝手だと思う。
(4)あえて「歌って」とお願いされたら、その時の気分によっては歌ってもいい。「歌いたくないなー」という気分の時に断りずらくても歌わされても、だからどうという事はない。

「君が代」については、ただ「国歌」と習って覚えただけで、私にとってはただ昔からある古くて暗い歌としか思えない。

この回答への補足

みなさん、ありがとうございます。
ご意見とても参考になりました。

補足日時:2001/08/01 20:16
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 どなたも言及されていないようなので補足させてもらいますが、


 少なくとも「先進国」と呼ばれる国で、学校行事の参加者一同「国歌」を歌うのは日本ぐらしかないはずです(アメリカ合衆国だってそうだ、と言われるかもしれませんが、すべての州・学校がそうとは言えません)。特にヨーロッパでは地域・州ごとの独自性が強い(例えばスペインやドイツ、イギリスなど)ので、学校行事で国歌や国旗だけを出すことの方が問題だったりするのです(州旗・州歌に強い愛着を示す一方、国旗・国歌にはまるで無関心・無頓着な人もかなりいます)。
 日本の場合、それぞれの地域への愛着などを一足飛びにこえて、国の旗をどうする、国の歌をどうする、という話になってしまうのが私にはどうも気になります(これには文部科学省-都道府県教委-各校校長という現代日本の中央集権的な仕組みもかかわっているでしょう)。
 また入学式や卒業式は基本的にそれぞれの学校が新しい人たちを祝い、去っていく人たちを見送る式であって、日本のように国の旗をあげ国の歌を歌って、国・民族との結びつきを確認する、という儀式的色合いが強い国はさらに少数派です。それが日本の伝統じゃないか、という意見もあるでしょうが、君が代を歌いたい人に歌う機会がないことと、歌いたくない人が歌わなければならないこととでは心理的負担の大きさが異なることは、少なくとも心にとめておいて欲しいと思います(歌いたい人には歌える場所が学校の外にたくさんあります)。
 それから、パスポートの件は一見説得力のあるお話ですが、それはそういう既成事実があるというだけのことであって、それらすべてに私たちが感謝し、恩義を感じ、文句など言ってはならないということではないと思います。私たちの国が何かを決めるのと、それに私たちひとりひとりが抗するのとでは、圧倒的に力の差がある、という現実が忘れられています。この校長先生は、他の国でも政府の方針に批判的な人はパスポートを返上するのが当然だというのでしょうか?
 私は、海外生活中に日本の「国旗・国歌」についてたずねられた時、歌詞の内容を説明し、これこれこういう歴史的背景があって、他の人はともかく私は歌いたくないのです、と言うと大抵は理解してくれます(特に先述の国々の人は)。どうしてもという場合にはテープやCDを用意していますが、普通そこまで要求する人はいません(でも『日本の美しいメロディーですね』と言われるのは事実です…本当は純和風じゃないんですけど)。自分が生かされている国の抱えている問題や、ひとりひとりの見解の相違をきちんと伝えることの方が、国際社会に生きる上でむしろ誠実な姿勢だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
他の人と少し違った意見なのでその意味で参考になりました。
4のように、周りが皆唱ったあとに自分は唱わず、且つその事情を説明するというのは少なくとも最近の日本人にはしにくいことかなと感じます。
日本人は迎合的とも言われていますからね。

お礼日時:2001/08/01 20:15

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