都道府県穴埋めゲーム

これまで、<形容動詞という誤り No.2>他の下記質問で、現在の学校文法、日本語教育文法、世界の言語論の誤りについて問いを発してきましたが、今回は象徴的な<助動詞>理解の誤りについて指摘し、ご意見を伺いたいと思います。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11229304.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11225788.html
https://oshiete.goo.ne.jp/articles/openqa/2457/
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11232737.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11221613.html
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11236898.html

<形容動詞>の問題にも深く関係する<格助詞>「で」「に」について、過去の質問を取り上げます。

<「に迎える」「で迎える」―助詞について>
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9256190.html

で、内容は次の通りです。

1. 「友達を駅に迎える」
2. 「友達を駅で迎える」

【場所】に迎える、【場所】で迎える、どちらが正しいでしょうか。
よろしくお願いします。

これに対する回答から問題点を明らかにしましょう。

#4 の回答は次のように述べています。

【場所を示す「に」と「で」の話はかなり奥が深く】、いろいろなケース・バイ・ケースがあって簡単には説明できません。
 とりあえずご質問の例の場合は、「駅で迎える」のほうが自然でしょう。

また、#3では、次のように述べています。

「場所」を表すという点では似ています。本来古い時代に「にて」と言っていたものが「で」に変わりましたから共通点があって当然なのです。
 しかし、現代では動詞を受ける場合、「に」は静的な動作作用(ある・いる等)を受け、「で」は動的な動作を受けると言われます。したがって、どちらかと言えば今では「で」が「迎える」という動作にはふさわしいと思います。

この、【場所を示す「に」と「で」の話はかなり奥が深く】という回答は、要は回答者が助詞とは何かが全く理解できていないことの言い訳、弁解に過ぎません。そのため、以下に無批判に辞書の解説を盲信し羅列するだけになっています。それに対する反省が未だありません。

そして、誤った解説をしています。

また、古い時代に「にて」と言っていたものが「で」に変わったのはそうかも知れませんが、だからと言って共通点があって当然などという根拠にはなりません。そして、<「に」は静的な動作作用(ある・いる等)を受け、「で」は動的な動作を受ける>というのは誤りです。

「大阪に行く」「飛行機に乗る」「母にめぐりあう」のように、動的な移行の結果としての位置付けの表現にも使用されます。「で」も「湖で待つ」「時計が地震で停止した」のように、「動的な動作を受ける」のではありません。

結局、回答者は<助動詞>とは何かの本質が判らないまま、適当な回答をしているに過ぎません。

そもそも、この質問自体が、外国人が、日本語教育の本から「に」「で」が場所を表わすと教えられ、では、二つの場所を表わす表現のどちらが正しいかを質問しているわけで、回答者もまた「に」「で」が場所を表わすと思い込み回答しているところに根本的な誤りがあります。

辞書の記述も同様です。

実際、長年に亘って日本語教育に携わっている研究者もまた、同様のことを記述しています。

では、何が誤っているのか。

それは、

1. 「友達を駅に迎える」
2. 「友達を駅で迎える」

の<助動詞>「に」「で」が場所を表わす、という解釈自体が誤りであるということです。この二つの文で、場所自体を表わしているのは「駅」であることは明らかです。

「万年筆に名前を彫った。」 「万年筆で名前を書いた。」の場合、格助詞「に」「で」が何ら場所を表わしていないのは自明です。

格助詞「に」「で」の意義は場所を表わすのではない。

この単純、明解な事実を現在の学校文法、言語論は明らかにすることができていません。

時枝は語を詞と辞に区分し、<助動詞><助詞>を辞とし、話者の客体に対する主観を客体化することなく直接に表現するもので、それは客体界に対する主体的なものを表現すると明らかにしています。

付属語などという形式的な区分は、語の意義を何ら明らかにするものではないことを今一度反省し、克服しなければ科学的、論理的な言語論、文法論を構築することは不可能です。

試験の回答以外には役立たず、試験が終われば綺麗サッパリ忘れ去るか、辻褄の合わない回答をする他ない現在の文法論、言語論を転換すべき時ではないでしょうか。■

A 回答 (1件)

「に」は【着点】を表わす格助詞。


「で」は【拠り所】を表わす格助詞。
と規程してよろしいでしょう。
そうした【主体的な】意図によって我々は無意識的に使い分けている。
着点・拠り所といっても色々な場合があるので、それを詳しく語釈しているのが辞書という書物です。

1. 「友達を駅に迎える」

「に」は「迎える」という動作の【着点】としての場所が「駅」であることを表わしている。
「駅」という場所に密着する形で友達を迎える、という意図。

2. 「友達を駅で迎える」

「で」は「迎える」という動作の【拠り所】としての場所が「駅」であることを表わしている。
「迎える」という動作の主体は、家でもなく道でもなく、駅という場所を「迎える」という自らの行為の拠り所として選択した、という意図。

>格助詞「に」「で」の意義は場所を表わすのではない。

あくまで、
1. 「友達を駅に迎える」
2. 「友達を駅で迎える」
というケースについての回答なのですから、「着点、あるいは拠り所としての場所を表わす」で良いかと。
「着点・拠り所」の説明は、それぞれ回答者の自由だし。
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