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募集します。日本中の景観とか街並みとかを良くする方法です。
私は規制とか補助金のような物しか思い浮かびませんが大胆なアイディアはありますでしょうか。
良いアイディアが回答として付けば政府に送ろうかと思います。

質問者からの補足コメント

  • 分かりました。では各自政府に意見を送ってください。
    私が送ろうと思いましたが、回答者さんが送ってくれるようなので助かります。
    ありがとうございます。

      補足日時:2019/08/20 20:48
  • 最後で言っている意味が分かりません;
    様々な人々がいるのは当たり前の事で雑多な景観とか関係ありませんし
    平和の象徴はさらに関係がありません。
    ロボットが住んでいるわけでは無いのだからどの地域でも様々な人々がいる方が自然です。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/20 22:50
  • 政府や行政がやっているから正しいとかお上を批判するなと言いたいわけではありません。
    ただ前提については法的にも根拠はあるしそもそも国や行政側がやってきたことなので、このようなことを前提にする事自体は間違っているとは思いません。

      補足日時:2019/08/21 20:47
  • 余談ですが景観を良くする動き自体は別に珍しいものでは無いと思います。現に景観ニュース(学校での景観学習が行われたとか、景観を改善するために住民が何の活動をした)とかは割と見かける気がします。
    社会的に批判したければ批判しても良いんですが「バリアフリー普及が何のメリットがあるのかきちんと説明すべき」と言われている気分ですね。今の時代当たり前でしょ?という感情を抱きます。
    そう考えると政府に意見を送るべきなのはむしろ批判的な人の方な気がします。

      補足日時:2019/08/22 08:47
  • 継続して考えてみたんですが2件不明です。
    【平和の象徴】あえて景観に平和を持ってくるとするとすっきりした景観こそが平和の象徴になりませんか。雑多な景観のような、調和も無い、どのような町にしたいかという住民の自然な想いも見えてこない、美化する余裕もない、訪日外国人旅行客の数に悪影響があるかもしれない、電柱がバリアフリーを阻害する、地震などの災害で倒れてきて死者が増えるかもしれない、救助活動さえも妨害する、平和でも令和でもなくないですか。

    【ご指摘の「雑多な景観」にも、人は生活していますし、その歴史を
    「雑多な景観」と言う乱暴な言葉で、処理してよいのでしょうか?】
    話の前後の繋がりがわかりません。歴史と言われたので思わず歴史的なデザインを増やすと良いとか、看板を規制して文化財を見えやすくするという案が浮かびましたが。元の投稿では凡そ逆の意図で書かれているようです。

      補足日時:2019/08/24 22:43
  • 人が住んでいるという話でいえば、そもそもここは日本だし、人が住んでいるんで整備するんだと思います。

    アイディアについては結構頂いたのでここらで箇条書きにでも整理しようかと思います。

      補足日時:2019/08/24 22:45
  • アイディアを簡単に整理しました。単体で目標とされているものもあれば、具体的手段のようなものもありレベルに差がありますが気にせずに一緒に記載しています。

    ・電線地中化
    ・土地利用に関して個人の権利を規制する
    ・歩道を拡張等の道路整備
    ・建築物に対する規制
    ・屋根を四寸勾配に統一する
    (これは地域差が無いかどうか不明)
    ・「ゴミ箱を増やす」「ゴミを入れたらお礼が出てくる」等の仕組みを作り放置ゴミを減らす
    ・国土交通省職員の負担を軽減する
    ・観光収入など、景観による継続的な利益が地域に齎されるもたらされる仕組みを作る。
    ・高速道路等のすでに今あるもので老朽化しているものがあるのでメンテナンスを行う
    ・自治体や共同体でテーマを決めて景観改善運動をしてそれに補助金を出す。

      補足日時:2019/08/25 21:30
  • 景観改善は住民の責務として定められていますよ。
    (住民の責務)
    第六条 住民は、基本理念にのっとり、良好な景観の形成に関する理解を深め、良好な景観の形成に積極的な役割を果たすよう努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する良好な景観の形成に関する施策に協力しなければならない。

    >まさか、「住まわれている方々」では無いでしょう?
    >一生懸命、生活されている結果としての「景観」でしょうから。

    これの言いたいことが私では分かりません。
    法律を見ると社会的に考えて第一義的には地方行政やそこの住民が行うべきものという風に読めます。

    No.19の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/08/30 20:10
  • 生活の結果の意味が私では分かりません;すみません。
    一体どこを生活に入れてどこを生活から除外しているのかその線引きが分かりません。
    こうしたいという思いや人々の活動が生活では無くて、生命が存在する必要最低限の話だけをしているのならば、別に人間が住む必要は無いでしょう。

      補足日時:2019/08/30 20:45

A 回答 (25件中1~10件)

大胆なアイディアというか「欧米と同じやり方」なら方法はありますよ。


それは「都市と呼ばれる地域は『個人の権利を規制する』ようにすればいいのです」

アメリカはまだ新しい国なのでちょっと別にするとしても、欧州の国の街並みがそろっていて景観がよいのは、西洋人が「美的感覚にうるさい」からではありません。

単に「都市というものは私権よりも公共のための規制が優先される」という歴史を有しているだけなのです。

欧州の国家は都市国家に始まります。都市国家というのは、街を城壁で囲い、日中は城壁の外で農業や酪農を行い、夜や敵が来たときには城壁内に避難して、安全を確保するやり方です。

城壁で囲っていますから、当然ながら「スペースは有限」で簡単に増やすことはできませんでした。また城壁を作り維持するためには莫大なコストがかかるため、所有者である支配者階級の権力は非常に強かったし、民主制の都市国家でも城壁内の土地所有は原則としてできませんでした。

これらの事から欧州では「都市の発展のためには政府が様々な規制を行なうのは当たり前」だったのです。
また、中世になると、都市景観が「強大国の証」になっていったために、戦争抑止の意味も含めて「整然とした都市でありながら、立派な建物をいくつも並べられる豊かな国」を他国民に見せるために、競って景観規制をしたのです。

日本の都市は「為政者が全く手を入れてないで発展した」もので、江戸市中でも防火対策や水対策などは幕府がしたものの
、都市そのものの形成は町民たちが自分たちの自治で発展させたものになります。

日本では古来から土地所有権が個人にあり、都市であっても「私権を制限してまで景観や都市計画を守る」という考え方が発展しなかったのです。

だから日本では小さなペンシルビルが立ち並んだり、大きなビルでも町全体の景観に配慮したものではない場合も多くあります。

日本の都市で景観規制をしたいなら、個人に「都市景観の重要性」を説いても意味がないので、けっきょく「欧米の都市なみに私権を制限し、土地活用を政府などが一律に計画できるようにする」しかありません。

それができないなら、どんな規制も補助金も無意味です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/08/20 20:20

観光地は既にやっています。

住宅なら建て売りならそれなりのものはあります。

全地域はお金がもったいない。そんなお金があるなら子育て支援に回すべき。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
子育て支援が必要なのは当然ですね。これから消費税増税になりますが税金は有効活用して欲しいです。
景観改善も法的根拠があるので新築・観光地のみならず全地域をやって欲しいです。

お礼日時:2019/08/28 20:13

> 私は昭和時代に生きていたわけじゃないので昭和レトロというのがオールウェイズ(映画のね)のようなものでしか見た事がないのですがゴチャゴチャとした感じが売りと言うのはどういうものなのでしょうか?



「昭和」(特に戦後~高度経済成長あたりの時代)というのは、「経済発展」の時代です。
町中に電線が張り巡らされることを、胸を高鳴らせて待ち望んだ時代です。
たくさんの自動車が街中を走ることが「素晴らしいこと」だった時代です。
高速道路が日本橋の上に作られることに、それほど疑問を感じなかった時代です。
カラフルなポスター、電飾、プラスチック製品などが、喜ばしいものだった時代です。
ものがたくさんあることが、すなわち「豊かである」と言われた時代です。
今の日本の景観の大元を作った時代です。
試しに「昭和レトロ」でGoogleの画像検索をしてみてください。
細かいごちゃごちゃしたものがぎっしり詰まっていたり、壁にポスターや看板がべたべた貼られている写真がたくさん出てきませんか?
一見渋い色合いに感じるかもしれませんが、それは古くなって褪色しているからで、元々はもっとどぎつい色合いです。
貴方の指している「良い景観」とは、だいぶ違うのではありませんか?
今の「清潔感」「統一感」などを重視する傾向に息苦しさを覚える人たちが、この「ごちゃごちゃ感」に、懐かしさだったり新鮮さだったりを感じるのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は昭和と言えば、景観法がまだなかったとか公害があったとかそういう悪い点はあっても、家や街のデザインには揃っていたような落ち着いたイメージはったのですが。あれは色が落ちていただけだったのですね。
この辺りの違和感がうまく説明出来なかったので雑な補足要求になってしまいました。すみません。

お礼日時:2019/08/28 01:06

wellowさんの仰ることも分かるなーと感じます。



私が子供の頃に住んでた町は、江戸時代に結構繁栄した町なんです。
今では田舎の地方町(地方都市ですらない)ですが、一応、観光ガイドブックにも載ってます。小さくですけど。
当時の豪商の家も数軒残っています。
で、観光客を呼びこもう!ってことで、その古い商家がある通りの外観を統一したんです。
もちろん、全部の家じゃありませんけど、役所関係とか銀行とかお店とか。今は電線も地中化してあるみたいです。
で、これが、びっくりするくらい安っぽいんですよ(苦笑)
そんなにお金かけられないから、結局、昔風に作ってるだけで、ちょっと見れば柵は金属を茶色(木材風)に塗ってるだけ、とか、瓦っぽく見せてるけど、今時の安い屋根材だな、とか。
しかも、そこに普通のカラフルな車とか自転車とか置いてあるわけで。
子供心に、「かえって恥ずかしいよ!」って思いました。
それなりに歴史の裏づけのある街ですら、そんな状態です。
「地域単位で個性的に」と仰ってますね。
日本の大多数の場所は、私の出身地と違って、元々はただの田んぼです。
その土地の歴史を考えた景観に統一するならば、大多数は、板張りの掘っ立て小屋以上にはしようがありません。
もうちょっと時代が下ったところで、となっても、昭和レトロがせいぜいでしょう。でも、昭和レトロっていうのは、混沌・雑然とした感じがウリなので、「統一的景観」の真逆ですし。
結局、これといった特徴のない町が思いつくのは、wellowさんの仰るように、「花を置きましょう」「壁の色は」「屋根の色は」が関の山だと思います。
でも、そうやって住民に強制をするならば、それによって住民がなにがしかの「良いこと」がなければ、やってられませんよね。花の手入れするのだってそれなりに手間がかかるし、園芸が好きな人だけならともかく、土だの虫だのが嫌いな人もいるし。
「良いこと」がなければ、結局そのうち、なんのかんのと言い訳して脱落していく人が出てくるだけでしょうね。
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この回答へのお礼

貴重な体験談をありがとうございます。
関係のない材料で無理に代用しようとすると違和感の元なのでしょうね。安っぽく感じるというという事は、見る人は本物の素材が分かるからでしょうか。その点はデメリットではなくてメリットのような気もします(いえ、景観関係ないけど)。
現代風アレンジ・・・という高評価の仕方は無理がありますよね、きっと。安っぽく見えているわけですから。
それでも、例えば無関係デザインとか海外の素材にこだわった輸入住宅のような「上質な、場違い品」よりは、「低質な、場所にあった品」のほうがましな気もします。これは極端な比較なのであまり意味ないですけど。

丁度いい伝統的な住宅が無い地域というのは問題ですね。
和モダンデザインや大正デザインとか日本が世界に自慢できるようなデザインはあるとは思いますけど、地域ごとの特色や伝統となると行き詰りそうですね。思わぬ壁にぶつかった気分です。
私は昭和時代に生きていたわけじゃないので昭和レトロというのがオールウェイズ(映画のね)のようなものでしか見た事がないのですがゴチャゴチャとした感じが売りと言うのはどういうものなのでしょうか?

お礼日時:2019/08/26 22:09

>アイディアを簡単に整理しました。



電線はどーでもいいかな。歩道が広いのは良いかも(でも、そのせいで車道が狭いのは嫌だな)。
でも、何でかな、個人的には総じて「そんなとこ、住みたくない」感が満載。米国の住宅街(イメージ的にはSFOのHW101近辺か)にある、押し付けられた健全感がある。

あくまで、個人的には、ですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
押し付けられた健全感というのが私では分かりませんが。
その地域で使われてきた歴史的なデザインの建築を増やすと見た目日本的にはなるかな?とは思います。

お礼日時:2019/08/25 22:56

>だからその後の「原理主義的に」以降との話の繋がりが分かりません。



統一感と個性の競合ですね。私は個々の差異の方に心惹かれますけど、ほとんどの場合は、その地域で「ベランダに花を置きましょう、この通りは赤い花、あの通りは黄色い花」とか、「壁を白く塗って統一感を演出しよう」という、景観原理主義に陥る例が必ず入ってきます。その牽制と思っていただければ結構です。

実際、ギリシアのとある島で真っ白な建物ばかりなのは、そうしないと熱いからだったり、チュニスで青い扉が多いのは聖なる色だったりという背景があるからで、文化背景も何もない「やってみよう」には呆れしか感じません。

>>ま、そういった機微が理解できないなら、町中の家々の壁を真っ白に塗りたてればよいし、新規に建てる家の外見は合掌作りでなければならないと規制すれば良いのです。w
>日本中で統一すべきという話ならばこれは国交省の資料に対して矛盾していませんか。

これは景観原理主義(国交省の資料の中でも感じる部分はあります)に対する皮肉です。
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。
しかし私ではまだ良くわかりません。
私の場合ですが景観の考えでは地域単位では個性的に、住宅等の建築物単位では統一的にすべきと解釈してます。
景観原理主義というべき人が、日本のその地域の歴史や文化を考慮せずに海外の模倣だけで統一感を出そうとしてしまうことがあるという事なのでしょうか。そちらでしたらやはり問題だと思います。
住宅メーカーが輸入住宅でデザインを統一した地域を売りに出したみたいな記事があった気するのですが。それは違うだろと思った記憶があります。

お礼日時:2019/08/25 22:52

>どのような景観が良いとされているのかって部分は統一的な基本的な基準があるようです(

http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data …)

なるほどね、これでは狭い範囲での統一化しか図れないでしょう。様々な利害の折衷案であることを表に出すことなく(もちろん「省庁間の利害もあって統一見解なんか出せません」という国交省の泣きも見せることなくw)、とりあえず絵を書いてみましたという国家戦略無き上から目線は充分に感じました。本来なら文化庁(文科省)が旗振りをして、観光庁(国交省)が協力するような図式で、あえて言うなら内閣府が取りまとめるような「観光戦略」なんですけどね。

なので、京都を都市として世界遺産に推すこともできない。あくまで個々の古刹の範囲です。少なくとも、京都旧市街とかそういった単位での登録を目指せないなら、「みんな頑張ってぇ」という程度の基準です。というか、基準? ガイドライン? こうだったらいいなの絵?
ベトナムのフエとか、ラオスのルアン・パバンの町が都市単位、もしくは旧市外単位なのに。ちなみに「ルアン・パバンなんか狭いだろ」と仰るならば人口と経済規模を考慮して下さい。多分、日本に置き換えて考えれば、大阪か名古屋です。大阪の旧市街とか、名古屋の旧市街が世界文化遺産になっているという感覚です。

ちなみに、電線があると景観が、という点、チェコのプラハではトラムが走っていますので上空には電線があります。プルゼニュやマンハイムやミラノもそう(場合によってはトロリーバスの架線も)。これは賛否両論だとは思いますが、これをもってプラハの都市としての世界文化遺産に傷が付くということはありません。個人的には、古い欧州の味のある景色という感覚です。日本でも在来線鉄道の架線とか高圧鉄塔の架線というのも、日本の風景を代表するシーンとしてよく映画のカットに使用されたりします。

個人的感覚としては、国境を越えるごとに、電柱の形が変わったり、長屋的な商店の作りが変わったり、宗教的境目で寺院やモスクの形状が折衷型になっているところをみつけたりというのは、果てはコインロッカーの使い方が変わったりするのは、文化の接点や違いに触れる瞬間で、実に興味深いことと思っています。原理主義的に古い形を守るのも観光資源としては有用かとは思いますが、個々の性質を有している特徴を「べき論」で破壊するのは、多分、50年後、100年後に後悔するんじゃないの、という気がします。

文明開化の流行かぶれな130年前の写真、大正デモクラシイの洋装文化拡大期の写真などを見ても、どこかに捨てきれない日本らしさが残っているものですが、多分そういった些細なところが日本的なところであったり、売りであったり、西洋人が見るところのエキソシズムなわけです。

ま、そういった機微が理解できないなら、町中の家々の壁を真っ白に塗りたてればよいし、新規に建てる家の外見は合掌作りでなければならないと規制すれば良いのです。w
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
景観は地域ごとの特徴を生かすべきものなのでそうなるのかなと、そんな気がしますね。
例えばPDFには、良好な景観は地域の自然・歴史・文化等と人々の生活、経済活動との調和が不可欠。と書いてあります。存在する文化財は地域ごとに違うわけだし国交省では細かく指定できないのかなと。例として東京都景観計画が挙げられているページはありますね。

あと観光戦略と言えばこんなサイトが検索で出てきましたよ。今見つけました。(https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kanko_vision/k …https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kanko_vision/i …

首相官邸サイトなんですが内閣府とは違う?違いが今一つ分かりませんが。2020年を目途に、原則として全都道府県・全国の半数の市区町村で「景観計画」を策定とかの記述があるのはここですね。
ミラノを画像検索して見ましたけど電線が走ってますね・・・。日本よりはましですけど。これくらいは仕方ないのでしょうか・・。

あと回答でところどころ言っている意図が分からないところがあります。

>個人的感覚としては、国境を越えるごとに、電柱の形が変わったり、長屋的な商店の作りが変わったり、宗教的境目で寺院やモスクの形状が折衷型になっているところをみつけたりというのは、果てはコインロッカーの使い方が変わったりするのは、文化の接点や違いに触れる瞬間で、実に興味深いことと思っています。

これって国交省の資料に書かれている内容と概ね同じですよね?(電柱の存在は防災上問題ですけど)
資料には例えば地域の個性とか、地域の自然・歴史・文化等と人々の生活、経済活動との調和が不可欠って書かれているわけですから。
だからその後の「原理主義的に」以降との話の繋がりが分かりません。

>ま、そういった機微が理解できないなら、町中の家々の壁を真っ白に塗りたてればよいし、新規に建てる家の外見は合掌作りでなければならないと規制すれば良いのです。w

日本中で統一すべきという話ならばこれは国交省の資料に対して矛盾していませんか。

お礼日時:2019/08/25 21:15

>日本中の景観とか街並みとかを良くする方法です。



先ずは、良い景観、良い街並みというやつの定義をしないと、方向がブレます。

旧来の景色、白川郷とか棚田とかを良い景観とする場合もあるでしょう。電線が地中埋没された街並みを良い街並みとする場合もあるでしょう。
統一された色で家の屋根や壁が塗られているというのあるでしょうし、米国の住宅街のように芝生が整えられ広々とした道があるようなものも良い街並みと言えるでしょう。

反面、欧州のトラムがある街並み、こういうところは、トラムがあるので空中は電線だらけです。複数路線が乗り入れている辺りでは、縦横に電線が張られています。でも不快ではありません。味がある街並みです。狭い道、急勾配な道、良い街並みとは言い難いと言うだろうと思いますが、サンフランシスコや九份老街、伊香保温泉の石段街、函館、長崎、尾道はどうでしょうか。

古い町並みと洗練された新しい街並み、電線の有無、広い一本道と狭くて蛇行しているような道、相反する例を出してみました。世界遺産(文化遺産)なんかでもアントニ・ガウディの作品群のように見た目が一見奇抜なもの、プラハのようにヨーロッパの建築博物館と言えるような荘厳美麗なものまで幅があります。

>私は規制とか補助金のような物しか思い浮かびませんが大胆なアイディアはありますでしょうか。

多分、自治体とか共同体とかでテーマを決めて(とはいえ難しい。全員ベランダで花を育てましょうといったところで実現はなかなかできない)、それに対する補助金を出すぐらいしか思い浮かびません。もしくは、自分達は普通と思っている景観でも、70年とか100年以上前のものがあるとか、レトロっぽい街並みがあれば、それの周辺を整備して維持することに補助金を出すとか。
勢いが付くまでが大変。勢いがあれば全て良い方向に転ぶ。サグラダ・ファミリアなんて2200年ぐらいに完成見込みだったものが、世界遺産に登録されたら2026年完成見込みだそうですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
どのような景観が良いとされているのかって部分は統一的な基本的な基準があるようです(http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data …
テーマを決めるですか。例えばその地域で歴史を持つ建築デザインを地域の推奨デザインとして定義してハウスメーカーや住宅を買う人に補助金を出す方法はどうでしょうか。
白川郷といえばこんな家というようなイメージがあると思いますがそれを他の地域でも行うのです。

お礼日時:2019/08/22 21:38

ここの人が思い付くレベルってもう話し合われてたり後回しにされてたり実行されてたりするような気がするんだけどなぁ


仮にあなた個人がこれどうですか?っていったところで「もうすでに話し合ってます、別のところで手が一杯です」的な感じなんじゃないのかな?
もしかしたら「はーい、あとでみるね!」レベルでぽいかも

なんかもっと規模の小さいところで沢山署名集めたりお金集めたりする活動とかはしないの?
あくまでもアイディアを募集して届けるだけ?
あなたが金はらって何とかする訳じゃないんだもんね?

ちなみに私はなにか変えるよりも先に直した方がいいと思うんだよなぁ
なんかあれなんでしょ?一気に沢山高速道路たったから今一気に老朽化ヤバイんでしょ?
そういうのって高速道路だけじゃないと思うんだけど、私はそっちに金かけたほうがいんじゃないかなって思うんだよなぁ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにそうですね。遅れて出発した素人のマラソンランナーが、先発のアスリートを抜けるのか?と。
でも、もしかしたらマリオカート(任天堂のレースゲームシリーズ)的なショートカットが見つかったら幸いです。

金については良さそうなところを見つけては寄付はしています。でも一般的一個人が払える金はたかが知れていますので目立つ効果はありません。
孫正義氏、前澤友作氏のような富豪は別にしてもですね。
署名・・・については何の内容で集めればいいのか悩みますね。

高速道路の老朽化も問題ですね。危ないだけでなく景観も悪化しそうな気がします。まるで空き家問題のようです。

お礼日時:2019/08/21 21:24

具体的なアイデアがあるわけではないのですが・・・。


物事を大きく進める原動力は、やはり、「経済的利益」です。
質問者さんの仰る「良い景観」「良い街並み」というのが具体的にどのようなものを指すのかは分かりませんが、どのような内容であれ、その景観・街並みが「金になる」ならば、多くの人が自主的にそのようにするでしょう。
と言っても、それが規制(罰金)や補助金では、弱い。
罰金は反発心を生みますし、規制を行う側(行政)に人手が必要になるので、先々までしっかり運用されるかは怪しいです。
補助金は、結局のところ自分たちが払った税金から還元されるだけの話ですし、たいていの場合は建物などの建設時1回きりで、長い目で見た時の「お得感」が薄いことが多いです。
「良い景観」「良い街並み」を作り、維持することによって、その地域やその地域に住まう人に継続的な利益があること。
それも、大企業の経営者(資金を出してくれる人が推進してくれないと意味がない)から、一般庶民(大多数の人が守らないと意味がない)まで、広くその恩恵を感じられること。
そういう仕組みを作れるか、かなぁと。
まあ、手っ取り早いのは、観光でしょうけどね。
白川郷などは、あのような景観を保つことによって観光客を呼びこみ、利益を上げている。利益が上がるから、地域の人も、いろいろ不便や不満はあれど、維持するための努力をする。
ただ、観光はみずものですからねぇ・・・。景観をよくしたからと言って必ずしも観光で利益が出るわけじゃないし、そもそも観光客が来て騒がしくなることを好まない人も多いでしょうし。
あとは、「住みたい」と思ってくれる若者(特に若い夫婦)を惹き付けて、地域活性化=経済的利益を、とかもよくあるパターンでしょうか。
うーん、あとは・・・なんでしょうかねぇ・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
罰金による反発心、規制を行う手間という課題があるというのは素晴らしい視点ですね。もしかして私が知らなかっただけ?
観光については日本の国策なので外国人旅行客をもっと呼んで利益をあげましょうというのは一つの宣伝文句になりそうですね。
騒がしくなるというと観光客が殺到するオーバーツーリズム問題が世界中で起きているそうですが、オーバーツーリズム問題を解消するために魅力的な観光地を他の地域でももっと作るべきだという考え方も出来なくもない気もします。

ところで良い景観については国土交通省のサイトを見れば分かりやすいかもしれませんね。(http://www.mlit.go.jp/crd/townscape/gakushu/data …

お礼日時:2019/08/21 20:39

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