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曽祖父が書いた手紙です。
書いている文字と、訳も教えていただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。m(_ _)m

「古文書(明治時代)の解読おねがいします。」の質問画像

質問者からの補足コメント

A 回答 (13件中11~13件)

no.1です。



ご返信ありがとうございます。
幾つか忘れないうちにと思い、早々に書かせていただきました。

先にお名前のほうはご子息「権左郎」様ではないかと思いますが……。間違っている可能性がありますので、他の方のご意見もお聞きになったほうがよろしいかと思いますね。
また、中様と書いたのですが、「申様」だと思います。訳の方がだいたい似通っているので訂正はまだしないことにします。



曾祖父様の生前の経緯をお聞かせていただき、ありがとうございました。
最後までおおまかに読める箇所だけ読み、現時点で受ける印象ですのでまったく正確ではない予想ですが。

このお手紙は恐らく、地方にいらっしゃる際のものではないでしょうか。
亡くなられる翌年から数年前ではないかと……。
非常に気落ちされている印象があります。亡くなられたことだけでなく、ご自身の医術に関しても……。

この手紙の送り相手であるAさんのお父様が秋に亡くなられているのですが、
旧暦で考えなければならないのではないかと思います。
恐らく、7~9月(10月)の間に送り主の御父上は亡くなっているのでしょう。
そして、手紙は最後に11月に書いたと書かれているので、当時でいう冬ですね。
(ただ、その年によって1年が12~13月と変動しているという話や明治改暦もあるので、大まかな解釈でお願いします)

文章を読む限り、初秋(7月)にAさんのお父様と曾祖父様は一度会っている可能性があるのではないかと思うわけです。
ですから、お亡くなりになったのが8月(9月)なのではないかと思うのです。(四十九日)
親しい場合、お通夜・お葬式などに行かれるでしょうから。恩師や先輩、どうでしょう同級生の可能性も多少は……。
ただ、当時お子さんであるAさん自体が文章を読めるほどのご年齢であれば、お父様は年上の先輩か恩師なのでしょう。
どちらにせよ、とても親密な関係のように思えますので、行かれたのだと思いました。

ただ、11月(冬)に書いたというのにAさんのお父様が亡くなった秋の話をしているところを読むと、感性豊かな方(繊細)だったのではないかと思います。
思い出して書かれているという事ですからね。また非常に読書家でもあったのではないでしょうか。漢文に詳しかったのではないかと……。

間違っている部分も多々あるかもしれませんが、欠けた一文を含めてまた後日ということで今日はここまでにします。
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

権左郎・・たしかに権の旧字のようですし、変わった名前ですが左に見えますね。

自分に医術に関して気落ち・・そのとおりです。私も含め落ち込みやすい、ややマイナス思考があります。祖父の殉死も本人が絶対生きたいと思えば防げた部分もあり、伝記に抜粋された生前の手紙(印刷文字)をよむと、殉死は男として本望という美学半分と、あとの半分は医学で人を救えると素直に信じていた部分が崩れ無力感を感じていた様子があります。それが死につながったとおもいます。自死したわけではないのですが、消極的自死と言われても否定できないような・・

なるほど、編者は同郷の人ですが、同郷のつながりというだけではなく編者の父が同じ医学界の人で何か繋がりがあったのですね。はじめて知りました。

感性豊か(繊細)もあたっています。私と息子を含め5代そろってそういう気質です。読書家で漢文にも詳しいはずです。伝記に、大変文才があり文章を書かせたら学校ではトップだったと書かれていました(でも回答者様たちをてこずらせている様子をみると、字はあまりきれいではないのかも??)
本人(曽祖父)の弟は弁護士で、もうひとりの弟は高校の国語の教師なので兄弟そろって読書家になるような家庭環境だったのだと思います。

seeandarrows様の文章を読んでいて涙がでてきました。伝記には曽祖父が父に宛てた手紙の抜粋が多く掲載されているのですが、その様子と一致していたので。
現代は情報多寡で、例えば予防接種などといっても私は効果など信じていないし、風邪すら直せないし、病気の原因の1割も判明していないと言われますが、当時は情報が少ない分、曽祖父は純粋に医学を(万能だと)信じていた様子で、私からみると信じられないくらい素直で健気で、父や教師に対して神様のように敬い、医者としてやっていくには純粋すぎて早逝したような気がします。

私は文字そのものを見ても意味がほとんどわかりませんので、現代訳はもちろんですが、そういう手紙から受ける印象というのをうかがえると非常に助かりますし嬉しく思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2019/11/21 22:24

こちらも、不明箇所が多いですが、とりえず読めた(と思われる)ところのみ。

。。

 □ハ只かりそめ□事とは
 存じ(?)百年二百年の□□
 を計り奉り居り□□□一
 昨日の御手紙□□□御□□
 □□□□□□□□承り
 □□憂苦致し居り候□今 …[憂苦]思い悩んで苦しむこと
 □□□訃音□□□ふ …[訃音]訃報に同じ
 何とも申様無久(く)候曩尓(に)ハ …[曩(さき)尓(に)ハ]先にはと同じ
 御令息權太郎様の御不
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この回答へのお礼

またご参加いただきありがとうございます。
十分です。本当に難しいと思います。
私が分かったのは、かりそめと百年二百年だけなので・・助かります。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2019/11/21 21:39

続きからですが……。


ここから本題に入る前文のようですが、非常に解読が難しくなってきました。
訳の方も非常に怪しくなっていますので、一時的な訳とさせてもらいます。
後日訂正できれば、訂正します。

前々回同様に他の方にもぜひ参加してもらいたいですね。
似た文字がある為、(文字が崩れるほど、ひらがなと漢字の区別がさらにつかなくなる為)。
助太刀が欲しいですね。


謨只かりそめの員事ー
得ー百年二百年のい遠
を計り世あり古ーー一
叶日の許は試あおりに家休
家寒畠なりばる試ー
銀百 苦得謁ーー迄今
遂ふ以訃吉授は課ふ
何ーー中様累 よ曩お(ふ)い
は令息「ー名前ー」様にふ


前回からのつづきであれば、

ーー賢いお父上のことですから、初めから計画して普段の仕事だけでなく、
一つの目的を叶える日のためこつこつと百年二百年を見据えて様々な試みをされてきたのでしょう。
しかし、非常に苦しい思いをされながら、ついに成し遂げというのに訃報と吉報を同時に得て、
何という事だろうかと思い紙に書きとどめました。かつてお話ししたようにご息子の~~様


恐らく、日本の将来の医療を見据えた研究(臨床研究)もしていたということでしょうかね……。
医療面の知識が多少なければならないというのであれば、ここから先、読み解くことが少し心配になってきましたね。


多少なりとも当時の知識が必要かもしれませんので、こちらをご覧ください。

第 5 回 日本の医療制度の特徴は,その歴史から生まれた(その 3 )
ー明治・大正時代の医学教育と医師の開業ー
http://www.hws-kyokai.or.jp/images/book/chiikiir …


後、次の文章ですが。このつづきからではなく、最初の一行途切れていませんでしょうか?
わざとであれば、省いてまた数日かけて解読を試みようと思います。
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この回答へのお礼

再度どうもありがとうございます。
そうですよね、難しくなってきましたよね・・なんかごちゃごちゃしてきたなと感じました。
資料もどうもありがとうございます。曽祖父は京大医学部を卒業しそのまま助手として京大で勤務したあと、公立の病院長として地方に送られ、30手前で殉死しました。なにかの手がかりになれば・・ということと、この手紙は上記のどの時点で書かれたのか、今後もし分かりましたら幸いです。

最初の一行たしかに途切れています!重複しているくらいに思っていたのですが、まさか抜けているとは・・週末もう一度カメラを調達し掲載します。ご不便おかけし申し訳ありません。
令息「ー名前ー」様の部分ですが、次回でもどの回でもいいので教えていただけましたら幸いです。(まったく知識のない私には◯太郎にみえますが・・)
お忙しい中、どうもありがとうございました。

お礼日時:2019/11/19 21:43

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