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隋と唐が周辺諸国に与えた影響とはなんでしょうか。

A 回答 (1件)

内乱などで分裂していた民族・国家が戦争の末に巨大帝国として統一されると、その軍事力を周辺他民族の諸国に向けることはしばしば発生します。


中国も漢の時代に、中央の朝廷が諸王の反乱を制圧すると、武帝の時代に方々に軍を向け、例えば北方や朝鮮に帯方郡・楽浪郡などを置いて勢力圏にしています。
西洋でも、ギリシャ全土を制圧したアレキサンダー大王の東征、古代ローマの四方への拡大、フランス革命後に欧州全土からエジプト方面まで巻き込んだナポレオン戦争など枚挙の暇がありません、
日本でも雄略天皇など古代王朝時代や秀吉の時代に、国の乱れを軍事的に統一すると、その軍事力を朝鮮半島に向けました。

漢帝国が崩壊すると、中国は晋帝国でよって一時的に統一されましたが、匈奴の攻勢に崩壊して華北は五胡十六国という分裂時代を迎えました。周辺諸国は巨大な中華帝国の重しが外れ、例えば高句麗が勢力を伸ばしましたが、当時の周辺諸国は、大国化できるだけの統治システムを持たなかったため、古代西ローマ帝国崩壊後は多くの蛮族が跋扈したのと同じ状況になってしまいました。
戦乱は絶えなかったものの、大国化できる統治システム・ノウハウの欠如に加えて、面積に比べて人口も少なかったこともあって、決定的に他国を吸収統合する必要がなかった、という状況が続きます。ある意味、共存共栄できた平和な時代だったと言えるかもしれません。

ところが、大国化できる軍事力と統治システムを持った隋唐帝国が誕生し、その力が外部に向き始めると、その状況が一変します。
周辺諸国も生き残りをかけて、合従連衡する時代に突入したわけです。
東アジアでは、人口も比較的多い島国だった日本はまだ比較的のんきに構えられましたが、朝鮮半島諸国は大変な状況に置かれます。
この時代は、高句麗・百済・新羅の半島三国が日本と同盟して、その軍事力を引き出そうと必死に外交工作した時代です。百済崩壊後は、それまで日本と戦っていた唐でさえ、日本と同盟してそれまで同盟していた新羅を叩き潰そうと日本に交渉したくらいです。

以上のように、隋唐帝国の誕生は、今までは小競り合い程度を心配する程度だった周辺諸国に生き残りをかけた決断を迫らせました。
隋唐帝国に臣従するのか、他国と連合して隋唐帝国に対抗するのかの選択です。東アジアでもこの二つの選択肢を状況の変化に応じて取捨選択していくことになりました。
一番うまく立ち回ったのが新羅でしょう。唐と同盟して百済・高句麗を滅ぼし、今度は唐と対決して勝利したうえで、再び唐に朝貢することで独立国家として生き残り、さらには唐崩壊後の高麗王朝で半島国家としての全盛時代を迎えることになりました。
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