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近世までに日本に定着した各国の文化、技術を調べています。
目標としては当時のペルシャ辺りまでのものを知りたいです。

そこで今ぶつかっているのが朝鮮由来のものです。
器などは分かりますが、百済のように途絶えてしまった人種もいるので良く解りません…。
中世で移住してきた数千人の百済人も移住だけしていたとも考えられませんし、少し気になっております。

遠藤周作は加藤清正にて「熊本城のような石垣は朝鮮から連れてきた技術者がいたからこそ出来た」と描いておりますが(残念ながら僕にその真否を判断できる知識はありません)、そのように具体的に「これが当時輸入された技術です」というのはどういうものがあるのでしょうか?
また、それを裏付ける文献というのがあればそちらも知りたいです。

A 回答 (2件)

熊本城の石垣は、一説では朝鮮の蔚山倭城で使われた


武者返しを取り入れたとされていますが、
この蔚山倭城は日本人が作った倭城の一つで、
朝鮮の城とは築城の思想が異なります。
ちなみに、蔚山倭城の築城には加藤清正もかかわっています。

時代は異なりますが、世界遺産の水原華城の石垣をみても
単純に縄張りを示す程度で、高さも厚みもありません。

朝鮮の技術で中世に伝わったとされるものが
有田焼のような白磁があります。
(厳密にいえば、白磁は中国からの技術です)
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百済は古代です。


(日本では平安時代末から室町時代までを「中世」と言います)

朝鮮半島由来(経由も含む)の定着した文化は仏教、全国各地にある白山神社も延喜式等の史料に依れば百済系の神社ですし、漢字も朝鮮半島経由ですね。
ただ奈良時代末期以降は半島との交流が薄くなって行くので影響も薄くなって行きます(日本の独自性が強まって行く)。

戦国時代の築城に関しては日本の独自性に拠るものが多い(気候・風土・戦い方も朝鮮半島とは違う)ので、正直遠藤周作先生の説は同意しかねます。むしろ西洋からの技術(鉄砲に代表される様に)などの影響は多くなっていきます。
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