
朝鮮出兵では、朝鮮の陶工たちが秀吉軍に無理やり日本へ連れ去られたと聞きました、当時の時代の世界ではめずらしくない事とはいえ、秀吉軍も酷いことをしましたね。
しかしながら、朝鮮の陶工たちは、豊臣秀吉の死後には朝鮮に帰ることも認められたけれども、実はおよそ9割前後の陶工たちは帰ろうとせずにそのまま日本に住んだと聞きました?
それは、朝鮮半島では医術以外の職人たちは、朝鮮の文化では卑しい側の職業と解釈されていて、同じ朝鮮人たちからは格下に見なされてばかりであった。
それに対して、日本は職人たちに敬意を払う文化であり、特に優れた職人は先生と尊敬の対象でもあった。
当初は日本へ連れ去られた朝鮮陶工たちも悲観していたものの、用意された陶工場は朝鮮のものよりも清潔で豪華であることも多かったし、朝鮮の陶芸品を作っていると、日本各地から弟子志願者が訪れて、師匠や先生と慕ってくれたのだと。
そのために、後では朝鮮半島に帰ることが許可されたけれども、朝鮮半島に帰って卑しい職業側と舐められながら生きるよりも、このまま居心地の良い日本で陶工の先生と尊敬されながら生きることを選んだ朝鮮陶工がおよそ9割近かったのだと。
……どうなのでしょう、これって真実なのでしょうか?
日本に連れ去られた朝鮮陶工たちも、自身の遺志で日本に残り生きてくことを選択した者が大半だったのですかね。
それとも、誇張された話に過ぎないのでしょうか? 朝鮮陶工たちは大半が故郷である朝鮮半島へ帰っていったのか。
朝鮮陶工の歴史に興味ある人など、皆さんからのいろんな回答を待っていますね。

No.3ベストアンサー
- 回答日時:
事実です。
秀吉軍は陶工たちを家族とともに連れ帰り厚遇しました。 家族と一緒と言うこともあり、日本に根付いた人たちも多かったのでしょう。 有田焼、伊万里焼、萩焼などは、彼らが生み出したものです。 東工以外に秀吉軍は儒家も日本に連れ帰りました。 秀吉軍の大名たちは、彼らを知識人や高い技術を持つ者として、敬い、歓迎したとされています。 ですから、彼らには「国に帰れない」という悲しみはあったかもしれないけれど、知識人あるいは技術職人として、日本にいて、尊敬され、敬われ、十分な食物や、身の回りの諸事をこなす家人さえも与えられ身分の保障までされています。ところが、名目上は「戦時捕虜」となるこれら渡来職人たちについて、当時の李氏朝鮮は日本に対して返還を申し出ます。 日本が朝鮮半島から連れてきたのは、儒家と技術者(陶工)うち、儒家はほとんどが帰国を希望したため、あご足つき(食事代と旅費付き)で、朝鮮に送り返しています。
ところが、技術職人である陶工たちは、その多くが朝鮮帰還を拒否し、自らの意思で日本に残りました。 これには理由があって、李氏朝鮮では、陶工たちは白丁(奴隷)であり、収奪の対象であり、最下層の賤民だったからです。 上から司令されたものを強制的に作らされ、少しでも反抗したり、作ったものが両班の気に召さなければ、極めて残酷な体罰が科せられました。 ところが日本では、古来、日本社会は技術者(職人)を高く評価し、研究、開発まで面倒をみて、家人まで与える等の便宜まで図り、体罰による身の危険もなく、好きなだけ、思う存分に仕事ができました。 江戸時代になって旅費付きで帰国した陶工もいましたが、大半の者は、彼らの意思で日本に留まったのです。
おお、秀吉軍は朝鮮人陶工を家族と一緒に連れ帰りつつも、厚遇したんですね!
日本で敬われて、身分の保証もしてもらえたんですね。
日本を気に入っても暮れていたんでしょう。
李氏朝鮮は陶工たちの返還を申し出たけれども、陶工たちは大半が朝鮮帰還を拒否したようです、賤民の扱いに逆戻りですものね・・・、嫌がりますよね。
朝鮮では奴隷同然であったと。
自身の遺志で日本に残ったようです、勉強になりました、ベストアンサー差し上げますね。
No.7
- 回答日時:
> 江戸時代で、居住地や職業を制限されるのは当たり前なんですけど。
佐賀藩の厳重な磁工管理を知らないでサラッと書いているけど、無知を晒すだけだよ。
もう少し勉強しましょう。
No.5
- 回答日時:
事実でしょう。
韓国の歴史ドラマを観て、陶工は白丁と同等の扱いで、技能者と、
見られていないのに、違和感を覚え不思議でした。
千利休が高く技術を評価していたので、同然、半島でも高い評価を、
されていると思ってました。
加藤清正を始め大名達が、挙って陶工達を連れて来たのは、千利休の
言葉が有ってのことでしょう、そりゃ~大事に、しますよね。
No.4
- 回答日時:
前提が間違えている。
日本の職人や商人も、身分上は領主や有力寺社の隷属民が原則。彼らは排他的な組合である座を結成して、新規参入を排除していた。
連れてこられた陶工は、領主の隷属民として生活は保障されたけど居住地は制限されています。
佐賀藩に連れてこられた磁工なんかは、明治に至るまで厳しい監視のもと社会とは完全隔離されて磁器生産に従事させられています。このため、江戸後期まで、磁器は佐賀藩の最高機密として管理されて、日本で唯一の磁器生産地として藩に多くの富をもたらしました。
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