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はじめまして。

歴史を少し勉強するにあたって、どうしても理解できない部分がでてきたので、お詳しい方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。

当時のロシアは不凍港を狙って朝鮮半島に進出する気配をみせていたそうなのですが、日本にはどうしてそれが脅威になるのでしょうか?
朝鮮半島の次は日本が危なかったからということで認識していてよろしいんでしょうか?

その結果として日本は朝鮮半島や満州に進出したとのことなのですが、そこの部分も平和ボケした私の頭では良く呑み込めません。(^_^;)
海を挟んだ「対岸の火」という位にしか感じないのです。

分かりやすく教えていただけると非常に助かります。
なお、政治的思惑等は一切ありませんので、中立的な立場からのご回答を期待します。

よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

小生も専門家というわけでなく、いくつか書籍をを読みかじっただけなので、実際回答する資格があるか否か判然としませんが、自分で理解している範囲でコメントさせていただきます。

(当然批判的見解も多々あろうかと思います。)
まず、当時と現代とでは、世界を支配していた価値観がまったく異なります。当時はヨーロッパ式の帝国主義が、ほぼ絶対的な支配観念でした。つまり、他国を植民地として支配するのは、まったく悪徳ではなく、むしろ支配されたほうが悪いというような考え方です。
このような考え方によって、西欧列強諸国はアジア、アフリカを次々とその支配下にいれ、やがて、その動きは極東の中国(当時の清国)、朝鮮、日本をもその標的としていったのです。
中でも、当時の日本人が脅威を抱いていたのは、国境を接するロシアでした。ロシアは、御指摘のごとく南下政策により、ウラジオストック以南に不凍港を獲得しようとします。そしてロシアが太平洋方面に擁していたのは、極東最強といわれたウラジオ艦隊でした。それでも、その軍港がウラジオに限局していれば、冬季は凍結のため、活動できないので、まだその脅威は少ないといえます。
ところが、朝鮮半島以南に、不凍港を獲得すれば、1年を通じて艦隊が出航できますので、日本海の制海権を完全に握られることになります。そうなれば、おそらく、ロシアは、武力を背景に日本列島を支配するか、日本にロシア傀儡政権が作られる可能性が高いと当時の日本政府は考えたようです。(これは決して、無理な想像ではないと思います。ヨーロッパに目を転じて、その後の、バルト三国や、東欧諸国の運命を見れば同様な道をたどる可能性が高いでしょう。)こうした脅威を背景に、朝鮮半島、南満州から、ロシア軍を駆逐する必要が生じてきたものと考えられます。
以上、雑駁な内容で恐縮ですが、ご参考になれば幸いです。
なお、当時の雰囲気を知るためには、司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」が有益な示唆を与えてくれると思います。
最後に、冒頭で述べたとおり、上記は色々ある見解のひとつに過ぎませんので、他の方のご回答もよくご覧の上、熟慮くださいますよう、お願い申し上げます。
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この回答へのお礼

なるほど、当時の植民地支配主義が背景にあっって、
ロシアが朝鮮半島に艦隊の基地を作れば、その艦隊の力を背景に、日本をも支配される可能性があったという訳ですね!

その為に、朝鮮半島・満州からロシアを駆逐して、少しでも日本の安全を図る必要性があったと・・・。

>司馬遼太郎の長編小説「坂の上の雲」が有益な示唆
さっそく明日本屋に行って物色してみます。

TAHCHAN99さんの回答は大変参考になりました。
また何かあろましたら、色々教えてください。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/17 00:01

 日清戦争の結果、朝鮮は日本の勢力範囲となり、大陸への前進基地になりました。

ところが大陸では、三国干渉によって、渋々、諦めさせられた遼東半島や鉄道をロシアが清から取得して、満州内に着実に勢力を増大させていきました。このままですと、50年前沿岸州を清から割譲された繰り返しです。このようなロシアの勢いを見た朝鮮政府が日本に黙って、色目を使い、基地用の土地をロシアに貸すなどを行為をするようになりました。このまま、放っていきますと、やがて朝鮮内にロシア派が生まれ、日清戦争の戦果が無になります。脅威というのは日本本土ではなく、日本の朝鮮や大陸への進出だとおもいます。
 「日露戦争」:児島 襄 文藝春秋社 が詳しいです。文庫本にもなっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

>脅威というのは日本本土ではなく、日本の朝鮮や大陸への進出だとおもいます
日本は朝鮮半島や大陸へ進出するのに脅威だと感じていたということですか。
なるほどです。

「日露戦争」:児島 襄 文藝春秋社をさっそく本屋にて探してみたいとおもいました。

また何かありましたら教えてください。

お礼日時:2002/03/17 20:58

TAHCHAN99さんがおっしゃった日本海の制海権についてですが、アジア大陸との交流が途絶えた第二次大戦誤の冷戦時代より前は、小樽や新潟、敦賀など日本海側各都市とアジア大陸との交易は大変盛んでした.


また、明治時代は現代のように、鉄道や道路といった陸上交通機関が発達していなかったので、日本海側各都市間相互の交通も北前舟時代から続く内航海運に頼っていました.

ですから、日本海の制海権は現代ではとても考えられないくらい国家の存亡がかかった重要なものだったと思います.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

日本海は貿易の重要な地域だった訳なんですね!
確かにそのような当時の情勢であれば、朝鮮半島にロシアの艦隊が停泊し、活動を行えば脅威になり得ると思いました。

植民地支配主義の当時にあっては、国家の存亡を賭けた一大事だったんですね!
だんだん解かってきました。

また何かありましたら宜しくお願いします。

お礼日時:2002/03/17 00:17

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Q日露戦争に日本が負けていたらどうなりましたか?

日本がロシアに負けていたらどうなりましたか? 日本が勝ちましたが、運が良かったから勝てたのですか?戦力からすると危なかったのではないですか?

Aベストアンサー

結果論でどんな的確な判断も「運がよかった」と言えばそれまでです。

日露戦争ではロシアはヨーロッパ方面軍の増援を待つため終始防戦の姿勢で、日本が犠牲を払いながらも着実にそれを撃破していったという状態でした。

日本陸軍は日清戦争勝利から士気も高く司令部の混乱もなかったため厳しい激戦を押し切るように勝利していきました。対するロシア陸軍は防戦の引き際判断が内部で割れたりして足並みが揃わず日本に押し負けていきました。
日本海軍はロシア海軍に規模では劣っていたものの、総じて新規艦が多く足を引っ張る老朽艦がいなかったのが艦隊行動の機敏さを生みました。開戦直後、武勲を独り占めしようと旅順攻略で独走失敗した程度で済み、総じて的確に動いてました。

有名な日本海海戦ではバルト海から半年もの命がけ遠征で駆けつけたバルチック艦隊に対し、日本艦隊は制海権を確保後ずっと洋上射撃訓練をして待ち構えていました。さらに机上の空論と思われていた丁字戦法(隊列の側面を敵に向け先頭から順に総攻撃で撃破する戦法)に持ち込むことに成功し完全試合をやってのけてしまいました。
「負け続きだったけどこれで勝てる」と自信たっぷりだったロシアはその結果に阿鼻叫喚、散見されていた反戦運動がとうとう革命に発展してしまいました。

これが日露戦争の大まかな流れです。

戦力には2つの要素があります。ひとつは開戦時の単純な戦闘力、もうひとつはそれを維持する物量です。日本には軍をフル稼働させる物量は一年分かそこらしかありません。
日露戦争末期の段階で火の車でした。もしロシアが継戦、総力戦を挑んでいたら第2次大戦と同じ流れをたどっていたでしょう。
実際、日本軍はこの「戦争初期に十分な戦闘力を発揮し有利なうちに講和する」と言うのを必勝パターンとして思い込んでいきます。

結果論でどんな的確な判断も「運がよかった」と言えばそれまでです。

日露戦争ではロシアはヨーロッパ方面軍の増援を待つため終始防戦の姿勢で、日本が犠牲を払いながらも着実にそれを撃破していったという状態でした。

日本陸軍は日清戦争勝利から士気も高く司令部の混乱もなかったため厳しい激戦を押し切るように勝利していきました。対するロシア陸軍は防戦の引き際判断が内部で割れたりして足並みが揃わず日本に押し負けていきました。
日本海軍はロシア海軍に規模では劣っていたものの、総じて新規艦が多く...続きを読む

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q満州国建国の目的を教えて下さい。

なぜ日本は満州国という独立国を建国したのですか?当時の国際事情や国内事情などを踏まえながら、建国の目的を教えて下さい。

Aベストアンサー

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされたブロック経済化により日本製品は欧米やその植民地の市場では高額の関税を課せられる事となったために、その重要性がかなり誇大に意識されるようになっていたのです。
誤解を恐れず敢えて言えば「戦後の日本における一時期の憲法9条」のように、その是非を議論すら許されないという風潮があったのでした。
しかしながら第一次大戦以降の世界的なナショナリズムの高まりにより、中国においても列強に奪われた利権を奪い返す国民運動である「「国権回復運動」が起こりました。
ただしこのようなナショナリズムに根ざす運動は、現在でもそうですがしばしば過激化し、外国勢力への排撃運動に近いものになる事もよくありました。
その結果、日本人の多くは中国で獲得した利権が危機にさらされており、それが日本という国家の生存すら危うくしかねないという(現在の視点からすれば)かなり大げさな意識がもたれていました。
これは戦後の日本でも「日米安保は戦争の道」「PKO活動で日本は軍国主義化する」とか後から見ると馬鹿馬鹿しい話が大きな政治問題になったことを考えれば、理解しやすいのではないかと思います。

ただし満州事変当時の日本政府はまだ国際協調路線を取って、交渉で穏便な事態解決を望んでいました。
ところがその前にロンドン軍縮条約で引き起こされた「統帥権干犯問題」のため、政府は軍の統制を取ることが出来ず、満州事変により日本軍は政府の不拡大方針を無視して満州の殆どを制圧し、一気に「特殊権益問題」の解決を図ったのでした。
この行為は現在では「軍の暴走」とされますが、当時の日本ではマスコミは拍手喝采して支持し、事態の不拡大を計った「政府の弱腰外交」を非難しています。
そしてこの国民世論の後押しを受けて建国された満州国について、欧米との対決を望まなかった当時の犬養毅首相は承認を渋りますが、五・一五事件で暗殺され(犬養は統帥権干犯問題を引き起こしてこの事態を招いた張本人のひとりであるので、自業自得の一面もあります)、日本政府は軍の暴走と国民世論に引きずられる形で満州国を承認、欧米との全面対決、そして国際連盟脱退へと向かってしまいます。

このように満州国の建国は決して日本が国家意思として行ったものではなく、当時の日本人の「満蒙の特殊権益」に対する過剰な意識と中国側の反発、そして軍の統制問題などが絡み合ったために、一部の暴走を国家が追認するという非常に危ういものでした。
しかしそれが当時は「大成功」を収め、国民からも高く評価されてしまった事で、その成功体験が後の日中戦争、そして太平洋戦争の遠因となり、大日本帝国を滅ぼしてしまうのです。

なお満州事変当時の日本国民の意識について論じた本で、簡単な書籍としては「日米もし戦わば―戦前戦中の「戦争論」を読む(光人社)」などがあります。

当時、日本を含めた列強諸国は中国に数多くの利権を有していました。
これはアヘン戦争以来、一世紀近くに渡って列強諸国が鎬を削って中国での利権獲得競争を行った結果でした。
そして植民地獲得競争において出遅れた日本において、満州周辺で獲得した利権はほぼ唯一に近い「海外利権」でした。
このため当時の日本では「満蒙の特殊権益」は「明治以来、先人が苦労と犠牲と投資を重ねて獲得した利権」であり、また「国家の生存に必要不可欠」と認識されていました。
しかも当時は世界恐慌の結果、引き起こされた...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q国会と内閣の違いを簡単に教えてください!!

国会・内閣・裁判所って三権分立であるじゃないですか?それで、裁判所と国会は建物もあるし、なんとなくは分かるんですけど、内閣って一体なんなんですか??内閣には国会議事堂や裁判所のような建物とかって無いですよね??(間違ってたら指摘お願いします!)
じゃあ内閣って一体どこにあるんですか?内閣で一番偉い人は首相。つまり今は小泉総理ですよね?じゃあ国会で一番えらい人って誰なんですか?今の僕の意識では国会の中に内閣がある。っていう感じなんですけど、コレって間違ってますか??教えてください!

Aベストアンサー

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指摘する(こちらは決算)ことができます。
このように、お互い独立して仕事をしていますが
自分の担当だからといって自分勝手な行動をとらないようにチェックしあっているのです。
ですから、どこが偉いということはありません。
3つとも同じ地位にあります。
総理大臣は必ず国会議員ですから
「国会の中に内閣がある」というような気もしますが
そうすると、国会議員の中でも偉い人が総理大臣、
つまり国会より内閣の方が偉い!ということになってしまいますから
その認識は正確ではありませんね。

 内閣はどこにあるか?ですが
内閣には総理大臣のもとにたくさんの省庁がありますね。
外務省とか財務省とか、防衛庁もそうです。
その建物の一つ一つが内閣をつくっています。
仕事が膨大で職員の規模も大きいので、
まとめてどこかに置くというわけにはいかないのです。
内閣のまとめ役の総理大臣の城である首相官邸が一番小さかったりします。
紛らわしいですが、内閣府は内閣の一つの機関にすぎませんのでお間違えなく。

 最後に、国会で一番偉い人ですが
やはり衆議院、参議院の議長でしょうね。
議長は野党でも与党でもなく、中立の立場にいます。
議長、副議長になると、党を離れて無所属になるんですよ。
ですから、与党からも野党からも敬われる存在です。
とはいえ、話し合いを重んじるのが議会ですから
偉いからといって何でもできるわけではないですけど。

 簡単にいいますと、国会は法律を作り、内閣は実務(実際の行政)を担当し、裁判所は法の執行を行う
これが三権分立ですね。
どこが違うか?って全然仕事が違います。

 しかし、内閣は「こういう法律を作ってください」と言うことはできます。
法律案のほとんどは内閣提出です。
でも、それを認めるかどうかを決めるのは国会です。
今年度の予算をどういうふうに使うかを決めるのは、実際に仕事をする内閣ですが
国会はそれを事前にチェックしたり(予算審議)、
実際の使い方をチェックし、ミスを指...続きを読む

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Q遼東半島にこだわった理由を教えてください

 明治時代に日清・日露戦争の際「遼東半島」をめぐり日本もロシアも互いにゆずらなかった理由は何ででしょうか?よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ロシアは不凍港が欲しかったのです。
日本は満洲への足がかりとなる港が欲しかった。

旅順は黄海の非常に重要な戦略港でした。

Q中国共産党が国民党に勝利した要因は?

第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と
蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。
どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?
貧弱な兵器しかない印象がありますが。
また、ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?
ソ連が引き下がったのが不思議です。
一悶着なかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。

正確には、日中戦争以前から内戦がありました。
日中戦争・第二次世界大戦中は、国民党・共産党は「抗日」目的のため停戦していたのです。大同小異・呉越同舟です。
この戦時下、国民党・共産党軍が作成した「抗日プロパガンダ写真」(TIME雑誌等の写真を歪曲修整し、反日意識を高めた)が、現在の抗日資料館に展示している写真です。
(実物写真と歪曲写真を比べると、興味深いですよ)
日本敗戦後、停戦状態が終わり再び内戦になりました。

>どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?

先ず、国民の大多数を占める農民・労働者の支持を得る事が出来なかった事でしよう。
中国歴代王朝も、彼らの支持が無くなると滅亡しています。
(歴代王朝滅亡から新王朝樹立間に、各時代1000万人前後が犠牲になっています)
それと、解放軍(八路軍)兵士に農民出身者が多く「思想統一を行った」事です。
貴族・資本家・地主などから搾取された彼らは、共産思想に夢を見た訳ですね。
今までの辛酸を「仕返し」の力と変えたのでしよう。
反対に、自由主義者(有識者)は、「反革命」の下に大量虐殺を行っています。
旧満州国の首都・新京では「八路軍が30万人住民全員を殺害」していますよ。(当時のアメリカの新聞記事及び生存者談)
(現中国の教科書には「無血入城」となっていますが)
「思想的に一致団結した一枚岩の軍隊」と「自由な思想・意見を持った軍隊」では、戦う前に結果が見えてます。
それと、経済的な強烈なインフレでしよう。
戦費調達で、大量に紙幣を発行したので「紙幣は紙屑」になったのです。

>貧弱な兵器しかない印象がありますが。

八路軍は、ゲリラ戦が得意なんです。
ゲリラ戦には、近代兵器は必要ありません。
また、人海戦術が可能でした。
ベトナム解放戦線(ベトコン)もゲリラ戦が得意で、米国・韓国軍を破って(ベトナム戦争に)勝利しましとよね。
※ベトナム人従軍慰安婦と韓国軍人との混血児が、約15000人存在しています(ベトナム政府調査)。
※韓国政府は認めていないので、金大中・ノムヒョンがベトナムを訪問した時に謝罪・賠償を拒否しました。

>ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?ソ連が引き下がったのが不思議です。

旧満州地区(中国東北部)は、もともと清王朝の領土でした。
ソ連としては、分捕った領土を渡す気持ちは一切ありませんでしたが、米ソ対立の下で中国共産党と争いを避けたかったようです。
同じ共産党政権同士、アメリカに対抗する必要があったのです。

>第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。

正確には、日中戦争以前から内戦がありました。
日中戦争・第二次世界大戦中は、国民党・共産党は「抗日」目的のため停戦していたのです。大同小異・呉越同舟です。
この戦時下、国民党・共産党軍が作成した「抗日プロパガンダ写真」(TIME雑誌等の写真を歪曲修整し、反日意識を高めた)が、現在の抗日資料館に展示している写真です。
(実物写真と歪曲写真を比べると、興味深いですよ)
日本敗...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q朝鮮戦争の原因は何ですか?

映画「BROTHERHOOD」を観ました。
突然に北側から攻撃が始まるのですが、この戦争の原因は何でしょうか?
主義が違うからといっていきなり同じ民族同士で戦争を始めるというのが理解できません。
また韓国にはアメリカ軍もついているわけですから、勝てる見込みもありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり、補給も中国を経由して確保できますから短期決戦で勝利出来る計画でした。
開戦当初は計画とうり戦車部隊を先頭にした北朝鮮が優勢でしたがアメリカ軍がその背後の仁川に逆上陸し、補給路を切断したので補給を絶たれた北朝鮮軍は敗北後退し、アメリカ軍の優勢な空軍力により中国国境近くまで追いつめられました。

緩衝地帯の消滅を恐れた中国が義勇軍を送り中朝連合軍と国連韓国連合の戦争になり持久戦となりました。

この時点で中国とアメリカの戦争になったのです。

戦争に残虐な行為はつきもので、双方の兵士、民間人を問わず戦場になった所は悲惨な運命にあいます。

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり...続きを読む


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