アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

初めて書き込みます。
何年も悩み続けていることなのでとても重い話になりますので苦手な方はお避けください。

今年父の三回忌となります。
祖父母に育てられたため父とは絶縁状態でしたが看取ることができました。
祖父は9年前に亡くなりました。
祖母は93歳となり、身体障がい者の伯母(長女)とともに実家におります。

幼い頃から最期のことを言い聞かされ生きてきました。
近いその日を思い想像する度に具合が悪くなり、悲しみで潰されそうになります。

皆様はご家族の不幸をどのように乗り越えてこられましたか?
亡くなることよりその過程を知りたいです。

A 回答 (4件)

老衰ならば、良い人生だと言えると思います。



ましてや、孫やひ孫までいるなら、かなり幸せだったのでは?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
家族であれることをたくさん感謝したいと思います。

お礼日時:2020/04/14 00:39

最後のことを言い聞かされて来たのは祖父母の事ですか?


母親はご健在?
主さんにお子様は居ますか?

人の死は誰の死でも別れが辛いですよね。今回のコロナで志村けんさんは隔離病棟へ入りそのまま戻って来た時には遺骨だったそうです。戦時中と同じように「これが◯◯」と言われ骨を渡されても…実感湧きませんよね。死顔も納骨も何も出来ずですもん。親は子供より後に死ぬことが絶対嫌です。年齢順…とよく言います。その様な意味合いもあり、主さんも最後のことは言われていたのではありませんか?この順番から見ると育ててくれた人を見送る日がいつか来ることになります。想像は…したくないですよね。

でも、その日は必ず来ます。なので後悔のない様に今をどうするかなのではないでしょうか?当たり前の毎日がいつまでも続くわけではないので、不安で悲しむよりも、幸せを感じて楽しく生きられる様に…

人を失った悲しみの乗り越え方は、悲しみの共有、別れの儀式をする事だそうです。

家族に見守られて最後を迎えられるって幸せかもしれませんね。だんだんと…なら家族にも覚悟ができます。ある日突然…となると後悔が大きそうです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答どうもありがとうございます。
大変痛み入ります。

言い聞かされていたのは主に祖母で伯母も話してくださいっています。
今回のコロナで悲しい別れがたくさんあり、外からの情報でしかありませんが、たくさんの悲しみと辛さを日々感じております。

母については隠されてきたため生きているかは分かりません。
父は何も言わず私を兄弟と言い亡くなりました。

子どもは実子が1人おります。
年齢の順番で死に向かうこと、それが当たり前に迎えられることが何よりなのですよね。

私は所謂、毒親的(そんな言い方をするのも心苦しいのですけども)な育ち方をしている為か、祖母と伯母がいなくなると自分がなくなると感じています。

祖母は伯母と私だけで見送ってほしいとの希望なので、希望のとおりに静かにさよならできたらとそう願うばかりです。

お礼日時:2020/04/14 01:02

>幼い頃から最期のことを言い聞かされ生きてきました。



誰の事かな?
祖母なら93歳、大往生ですよ。
残された自分がかわいそうって事なら
それじゃ安心して祖母は成仏できないとおもって
心を強く持った方がいいよね。


自分の祖母が亡くなった時は
正直しばらくはひきずってしまいました。
それは自分ができなかった事を悔いたからだと思います。
もし、時が戻るなら、そのできなかったことをやりきりたいです。
でも、戻るわけもない。
十数年経っても時々ふと思う事もあります。
できる限りの事をやり切れば、後悔は少ないと思うんですけどね。

兄弟を事故で亡くした時は
忙しすぎて悲しんでばかりいられませんでした。
ある意味、亡くなった後の色々な忙しさは
救いでした。

人は必ず死ぬのですから
不幸とは思わないようにしています。
そして自分の人生を死ぬまで生きようと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご返答どうもありがとうございます。

ご兄弟を事故でなくされ大変悲しく辛い気持ちもありながら、救いがあったとのことで死ぬまで生きようと思えること、たくさん心を強く持たれたことを感慨深く思います。

残された自分がかわいそうと言う思いは一つもありませんでした。
祖母には安心してほしいと言う気持ちばかりで、今やることをこつこつ生活していること、少しでも手助けできることを感謝し続けています。
きっと足りないことばかりだと思いますが。

ひとはかならず死んでしまいますよね。
大事にしている家族ももれなく、生まれた限りは死にますよね。

自分なりに少しでも祖母と伯母が安心できるよう勤めていきたいと思います。

お礼日時:2020/04/14 01:08

母方の祖母はバスに轢かれて他界しました。


近所に住んでいたし、母が入院したり寝たきりになった時は祖母が私たちの世話をしてくれたので、突然の死はものすごく悲しかったんですが、母が祖母の死を自分のせいだと思い鬱状態になり、近所のおばさんたちから私が母のことを見ていないとダメだというようなことを言われて右往左往していましたね…中学生だったし、日中に道路の真ん中をふらふら歩いていたらしい母のことを見ていろと言われても、どうしたらいいか分からなくって。
母は一年くらい泣き暮らしていて、私は全く覚えていないんですが、私がブチ切れ、それで母は鬱状態から抜け出したらしいです(数十年経ってから母から言われました)。

母も形は違いますが祖母と同じく自殺の疑いのある死に方をしました。
死んだ日の1週間前、母が私の大反対を押し切って入院したんですけど、その時点で母はもう帰ってこないと思いましたので、心肺停止の連絡が入った時は「やっぱりか」としか思いませんでした。
対面して間もなく、長兄や次兄の奥さんたちから葬儀の手配をするように急かされて、葬儀後の色々(父の世話・遺品整理・相続関係)もあったので、自殺の疑いに関して主治医に相談したのは一周忌の後でした。

父は母の死で一時的に錯乱状態になり入院もしたんですけど、四十九日の後は毅然と生きてくれました。
でも、別の病気の関係で検査入院した病院で脳梗塞を起こしまして…後から思えば不必要な検査だったとしか思えないんですが、その検査の最中に脳梗塞。
心臓にも負担がかかり、それで肺に水が溜まってまたICUのようなところへ入れられて、肺に強制的に酸素を送る機械を装着されていたんですけど、見ているのも辛いくらい苦しそうで、正直、脳梗塞の時点で死んだ方がマシだったんじゃないかとも思いました。
それでもどうにか退院まで漕ぎつけて、父と険悪だった長兄夫婦が同居してくれて、父も私たち子どものために出来る限りのこと(相続などで私たち子どもの負担が少しでも減るようにアレコレと考えてくれた)をしてから逝きました。

諦めていた母の時も、棺が閉じられる瞬間だけは泣きましたが、それ以外では泣いたことは無いですね。
映画やドラマなどとダブってウルっと来ることはありますけど。
母は70代でしたが父は80代後半に差し掛かっていたし、母もそんな死に方ではありましたが母なりに頑張って生きてきたと思うし、死ぬ間際も母としてはいっぱいいっぱいだったとも思うし・・・祖母にしても母にしても、本当に自殺だったとしても、地獄に落とされるべき人間だとは思えないので、天国にいるか完全に存在が消えたかのどちらかだと思っていますが、お仏壇やお墓の前に立つと、生前と同じように話しかけています…問題が山積している状態でも「なんとか頑張るから心配しないでね~」とか「困っているのは確かだけどなるようになるって思ってまっす!」みたいに。
だから、「乗り越える」という感じではないです。
ただただ受け入れるだけです。
誰しもがいつかは死ぬんだし、自分もそういう存在だとよく考えるし。

母のことが無くても自殺だけはしないと決めてきたのも大きいかもしれません…私が自分自身に課したことはこれしかないんですけど。
高校生の時と、最初の結婚時に自殺を考えたことがあって、でも、やっぱり駄目なんだ、と。
祖母や母と私は別で、私自身がそういう死に方をしないことが私が人生を全うすることであって、それが出来ればいつ終わってもいいとも思っています。
祖母や母は、私から見たら頑張って生きた人だから死に方は何でもいいんです…もっと言えば、あの世で後悔しているかもしれないけど、祖母や母がどう考えていようが、私からしたら、祖母や母の後悔は私には関係のないこと。
もし祖母や母が私を恨んでいたとしても、私には関係なく、私が祖母や母に対して感謝していることや好きだった面を思い出せることが幸せだと感じています。

私も祖母や母と似たのか、生きることに積極的じゃないからこんな風に思うんだと思いますけどね。
それでも、日々、意識してでも楽しいと感じられるように気を付けていることはあります。
一番身近な夫と仲良くすることとか、夫含めいろんな不満があってもその不満を口にする時は、笑い話として締めくくるような話し方にするとか。
夫と(犬と)一時的に離れる時には必ず笑顔で挨拶するのも毎度のこと…これは夫の方もかなり意識していると思います。
心の底から嫌いならお互いにこんな気遣いもしないと思います…こういう部分で気遣いをする者同士だから上手くいっているとも言えるのかもしれませんが。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!