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学校の授業の班の発表で「神の愛と隣人への愛」について発表する事になりました。しかしいくら本で調べてもインターネットで調べても、この部分だけ詳しく載っている所がありません。5人の班なので「神の愛と隣人への愛」の中でも5つに調べ分けなければなりません。

キリスト教の「神の愛と隣人への愛」とは、どういう意味なのですか?この「神の愛と隣人への愛」についてだけ、詳しく知りたいので、ご存知の方はぜひ教えてください。

A 回答 (9件)

神の愛とは自分が自分を許した時、発生するんじゃないでしょうか。





隣人への愛は確かサマリア?人の例え話を聞いたことがあります。
詳しくは覚えていないので、私なりに書くと。
私が道で強盗にあって半死状態になった。
そこに近所の人がやってきた。
その人は自分だとわかったが通りすぎていった。

次に坊さんが通った。
自分に気づいたが、大回りをして通りすぎた。

次にいつも自分の町といがみあっている町の人がやってきた。
彼は自分を担ぎ近くの宿場に連れていき宿屋の主人に
「この人の面倒をみてやってください。わたしは用があって1週間留守にします。ここにお金を置いていきます。もし足らなくなったら帰ってきたときその分を払います」と言った。


さて 誰が私の隣人になったでしょう。


これが隣人への愛だそうです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!
なるほど。とても考え深い例え話でした。
班員全員で考えてみたいと思います。
この回答を参考に、良い発表にしたいと思います。
本当にどうもありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 18:57

#2です。

もう学校の授業の班の発表は終わりましたか?

以下は聖書の中に書かれている放蕩息子の話です。(ルカ15章11節ー24節)
ある人に息子が二人いました。弟が父に、「おとうさん。私に財産の分け前を下さい。」と言ったので父は、財産をふたりに分けてあげました。
それから、何日もたたないうちに、弟は何もかもまとめて遠い国に旅立ちました。そして、そこで放蕩して財産を全部使ってしまいました。何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めました。それで、その国のある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせました。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどでしたが、だれひとり彼に与えようとはしませんでした。
しかし、我に返ったとき彼はこう言いました。「父のところにはパンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行ってこう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」 こうして彼は立ち上がって自分の父のもとに行きました。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけかわいそうに思い、走り寄って彼を抱き口づけしました。息子は言いました。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」
 ところが父親は、しもべたちに言いました。「急いで一番良い着物を持って来てこの子に着せなさい。それから手に指輪をはめさせ足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。」そして彼らは祝宴を始めたというお話です。

これはイエスキリストが語った有名なたとえ話です。ここに登場する父とは天地万物を造った神様を指し、家出した息子とは神様を無視し続ける私たち人間を指しています。

つまり、罪を犯し続ける私たち人間であっても、自分の罪を認め、神様のところに来るならば、愛の神様はその罪人である人間の罪を赦し、天国へ連れて行くという道を開いてくださったのです。
 
その神様の愛によって、裁きを受けて当然の私たちを恐るべき地獄から救うために神様は,神の子であられるイエスキリストをこの世にお遣わしになり、彼に私たち人間のすべての罪の刑罰を身代わりに負わせて死なせ、3日後に復活させたのです。

すなわち、私たち人間は自分で罪の問題を解決することが出来ないゆえに、ただイエスキリストを自分の救い主として信じるだけで、信じた者のすべての罪を赦し天国に入れる特権を与えてくださったのです。これが聖書に書かれている神の愛です。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまってすみませんでした。
回答ありがとうございました。
班で分けた中で、私はたとえ話をいくつか紹介しました。お陰様で無事に金曜日、発表を終える事が出来ました!
何とクラスで1番の評価をもらえる事ができました!!
特に私は、クラスの個人の評価シートの中で「工夫されていた、よく調べていた、分かりやすかった」という評価を多くもらえました!
本当にありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/30 15:23
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ヒント


神の愛
 神様が基準
私たちが何をしていようと、どんな事をしていた
という事関係なしにただ与えられるもの、心
私たちの愛
 自分が他の人をどのように思っているのか?行い
自分が基準

・一度教会に行って、どうして(どんな方法によって)イエス様を信じましたか?と聞いてごらん
・一度聖書の書いてあることと自分を比べてごらん
・そして親愛、信愛について、
・聖書をもっていらっしゃるならルカ10:25-37
をよんでごらん
以上を調べてくださいね。そうすればわかるかも?
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまってすみませんでした。
回答ありがとうございました。
班のメンバーで聖書を調べてみたりしました。
お陰様で無事に金曜日、発表を終える事が出来ました!
何とクラスで1番の評価をもらえる事ができました!!
先生からも「よく調べてある」という評価をもらえました!!みなさん本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/01/30 15:19

おそらく、前の回答にもある。

「アガペー」について答えろと言うことでしょう。
 「神の愛」も「隣人愛」もキリスト教では、大地を潤す雨のように無条件に降り注ぐような愛であり、キリストが人類の罪を背負い十字架に磔になったような、無限で無償の愛のことを指します。神が人を愛するように、他人を愛するというのが「隣人愛」ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
すごくわかりやすかったです。
班員みんなで「アガペー」についても調べてみたいと思います。
この回答を参考に、良い発表にしたいと思います。
本当にどうもありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 19:00

まず神様の愛についてですが、人間の愛と比較してみましょう。



神様の愛は「でも」の愛です。無条件の愛です。美人でなくても、かわいくなくても、かっこよくなくても、お金持ちでなくても愛する。

それに比べて私たち人間の愛は「だから」の愛です。条件付きの愛です。美人だから、かわいいから、かっこいいから、お金持ちだから愛する。

確かに人間にもすばらしい愛はあります。親の子どもに対する愛は、火事のときに子どもが取り残されたら命がけで助けに行くなどすばらしいこともありますが、愛がゆがめられたかたちで虐待となって子どもを苦しめたり、子どもを死に追いやってしまうことだってあります。
夫婦の愛や友だち同士の愛でもすばらしい愛はありますが、あんなに愛し合っていた夫婦の愛が冷め、憎しみ合うようになり、あげくの果てには殺してしまうなどということもおこります。最近では親が子どもを殺したり、子どもが親を殺したりというニュースも多くなってきています。
これは人間の愛が不完全であり永遠に続くものではないものだということをあらわしています。

一方、神様の愛は、永遠に変わらない愛であり、永遠に続く愛であり、絶対に裏切ることのない愛です。そして無条件で私たち人間を愛する愛です。

私たち人間はその神様の愛で愛されています。

さて、次に隣人への愛ということですが、といってもいろいろなかたちがあると思います。簡単にいえば人に親切にするということややさしく接してあげること、助けてあげることも隣人への愛だと思います。
キリスト教の精神は#2の方も言っているように、自分がしてもらいたいと同じことを相手にしてあげなさいということです。でも、これはなかなか簡単なようで難しいですよね。人に親切にしてあげたり、やさしくしてあげたり、助けてあげるということをするときにやっぱりよくよく考えてみると無意識のうちに条件がついているのではありませんか?自分を嫌っている人や、ましてや自分を憎んでいる人にはいくら困っていても助けてあげたり、やさしく接してあげることなんでできませんよね。あるいは、同じように困っている人がいたら、男性だったらかわいくて困っている人のほうに手を差し伸べてあげるだろうし、女性だったらかっこよくて困っている人のほうに手を差し伸べるでしょう。

学校の授業の班の発表をするために調べているということですが、がんばってくださいね。
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この回答へのお礼

回答、どうもありがとうございました!!
とても参考になって、助かりました!
「なるほど」と読んでいて何度も納得してしまいました。学校の授業の参考としてだけでなく、自分の中でもとても勉強になりました。
班員全員で全部の回答を読んで、良い発表にしたいと思います。
本当にどうもありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 17:57

神への愛は、唯一誠の神への信仰ともいえるかもしれません。

神が人間に望むこと、それは、神への忠誠、神のおきてを守ることなどが関係するのではないでしょうか?賢者ソロモン曰く「すべてのことが聞かれたいま,事の結論はこうである。まことの神を恐れ,そのおきてを守れ。それが人の務めのすべてだからである。」
隣人への愛は、確かギリシャ語でアガペーと言います。仲間を愛するのはどんな悪人でもできますが、ここでいうアガペーはたとえ敵であっても愛するというものです。男女間の愛(エロス)とは違います。

蛇足ですが、「ハレルヤ」は「ヤハを賛美せよ」という意味です。ヤハはヤハウェ、ヤーヴェの短縮形です。神にはこういった名前が存在します。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます!
とても参考になりました!
この回答を踏まえたうえで、班員全員で話し合ってもっと深く調べていこうと思います。また機会があればよろしくお願いします。
どうもありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 17:52

まず神様の愛について説明するためには神様ということから話をしなければなりません。

なぜなら日本には八百万(やおよろず)の神といってたくさんの神々があるわけで、
日本人が神ということばを使ったときにあまりにも神という概念がばらばらだからです。

聖書に書かれている神というのは、人間が造った神ではなく、もともと存在し(だれかが造ったものならそれは神ではありません。)天地万物を創造したお方です。無から有を作り出せるからこそ神なのです。次に神は唯一(ただひとり)です。神様はなんでも出来るお方ですからたくさん存在する必要はまったくありません。そして、すべてのことを知っておられ、どこにでも存在されるお方で、正しいお方で、完全な聖さをもっておられ、義なるお方であり、永遠から永遠に存在されるお方であり、そして愛なるお方なのです。。

さて質問の神様の愛についてです。聖書には「神は愛なり」(第(1)ヨハネ4:16)と書かれています。神様の愛は世界中の人を平等に完全に永遠に愛することの出来る愛です。人間にはそんな愛はありません。でも、神様は持っています。そして、その愛で私たち人間を愛してくださっています。

しかし、神様が愛であると同時に、「神ご自身が義」(ローマ3:26)であるということも事実です。神様は愛だからといって罪人である私たち人間の罪を、その罪を裁くことなしに受け入れることはできません。その裁きの結果は、私たち人間をおそろしい永遠の地獄へ投げ入れてしまわなければならないということです。

ところが神様の愛は人間を天国へ連れて行ってあげようという愛です。その愛によって裁きを受けて当然の私たちを恐るべき地獄から救うために神様は,神の子であられるイエスキリストをこの世にお遣わしになり、彼に私たち人間のすべての罪の刑罰を身代わりに負わせて死なせ、3日後に復活させたのです。

すなわち、私たち人間は自分で罪の問題を解決することが出来ないゆえに、ただイエスキリストを自分の救い主として信じるだけで、信じた者のすべての罪を赦し天国に入れる特権を与えてくださったのです。これが聖書に書かれている神の愛です。

隣人への愛は、隣人に愛を与えるときには、自分がしてもらいたいと同じことを相手にしてあげなさいということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
とても助かりました。そしてこの回答を読んでいてすごく興味がわきました。それと同時に、まだ自分自身知識が少ない事を実感したので、新約聖書を読んでみようと思います。班員全員で考えていい発表にしたいと思います。
本当にどうもありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 17:48

住んでみえる地域に、教会はありませんか?


そこへ連絡をして、学校の授業で発表する為に調べていると話して、牧師さんに質問するのはどうでしょうか。
色んな教会があると思いますから、地域で一番、評判のいい所を訪ねてみては?
牧師さんも喜んでお話してくれるんじゃないかなあ。

あとは、やはり、自分達なりに聖書を読んでみる、とか。正解はないように思います。読む人によって、解釈の仕方があると思うので。
旧約よりは新約の方が、読みやすくて、また質問の答えも見つけやすいのかなあと思います。
ずっと昔に読んだ事がある程度なので、参考にはならないかもしれませんが。
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この回答へのお礼

お礼、遅くなって申し訳ありません!
回答どうも有り難うございました。とても助かりました。
そうですね、教会の牧師さんに尋ねてみるというのはとても良い事だと思いました。近所にあるので、実行してみようと思います。また教会に通っている習い事の先生もいるので、その先生にも質問してみようと思います。
あと両親に聞くと、新約聖書もあるというので、読んでみようと思います。
ありがとうございました!!

お礼日時:2005/01/16 17:39

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