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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11698907.html
の関連質問です。
「ながら」と「つつ」の違いについて、「文語的」「文章語的」といったご回答を得ました。
他の方々も合わせ、それ以外の違いはない、とおっしゃる方が多いようです。
しかし、完全に言い換えができるとは思っておられないようでもある。
完全に言い換えができないのなら、当然、違いが無ければなりません。
前質問での#3さんご回答をもとに、

1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。

は不自然な日本語であり、

2.私は音楽を聴きながら読書するのが趣味だ。

のように表現すべきである。
とする理由について、下記のように考えます。
諸賢のご感想をお聞かせいただけるなら幸いです。


どちらも同時進行を意味するが、「つつ」の場合は継続・反復の要素に重点が置かれる。
そのため、

1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。

という文は、

「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする(繰り返す)のが趣味だ。

といったニュアンスになってしまうため不自然である。

質問者からの補足コメント

  • 1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。
    という文は、
    「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする(繰り返す)のが趣味だ。
    といったニュアンスになってしまうため不自然である。

    と記しましたが、これは「つつ」には同時進行の要素が「ながら」に比べて薄い、ということでもあります。
    表現を変えるなら、

    「音楽を聴き」という動作が「読書する」という動作に真剣に寄り添っていない。(のではないか)

    ということ。
    このように解釈すると、「つつ」と「ながら」の差異に対する理解は飛躍的に?伸びるような気がするのですけどね。
    また、それは我々の無意識ともいえる感性として腑に落ちる感覚ではないかと思う次第。
    さらなるご見解をお待ちすることにいたしましょう。

      補足日時:2020/06/12 22:59
  • >なお、「ながら」に対する時枝の注記をご参考までに記しておきましょう(『日本文法 口語篇』)。<接続助詞>の項に「ながら」「つつ」を挙げ、「ながら」について次のように述べています。

    ながら  
    話を聞き【ながら】、記録する。
    貧しい【ながら】、良く勉強する。

    「ながら」は状態の持続をいふ体言であったものが、接続の助詞に転成したものである。上と下との「ながら」には意味の相違が認められるが、それは第三者の解釈であって、話手の気持ちとしては、両者とも、「その状態に於いて」の意味に過ぎないのであろう。/

    興味深い内容です。
    ただ、

    貧しいという状態を継続し【ながら】、良く勉強する。

    と考えれば済む話じゃないですかね?
    「貧しい」と「良く勉強」が両立しづらい要素であるため、結果的に『意味の相違が認められる』ということかと。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/06/16 19:47

A 回答 (14件中1~10件)

No.11 のお礼に応えて



>>(二)が『「つつ」自体の意義』という根拠は特にありませんよね?

「酒を飲み―〔=ながら〕談じる/当時をなつかしみ―〔=ながら〕酒をくみかわした/諸般の事情を考慮し―〔=て〕事業計画を立てる/成功を期待し―〔=て〕今後の経過を見守る/失礼とは知り―も〔=知っていても(あえて)〕お願いするのです」

の各文を「酒を飲み【つつ】ある。/当時をなつかしみ【つつ】ある。/諸般の事情を考慮し【つつ】ある。/成功を期待し【つつ】ある/失礼とは知り【つつ】も如何ともしがたい。」と単文にしても、何ら文意を損ねずに、「つつ」自体の意義は「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」である事実からも、(一)(二)ともに、『「つつ」自体の意義』は同じであるという根拠になります。

これが、

本が【ある】。

本で【ある】。

の場合は、片や存在、片や肯定判断と言う意義で、動詞と助動詞という異なる意義、品詞と判断しなければなりません。

また、

雨が降って【いる】。

の「いる」は「人がいる。」の存在を表わす動詞とは異なり、動詞ではありますが、進行・継続の意義に転成しており異なる意義と見做さなければなりません。

しかし、「つつ」は上記の通り、意味と取り違えないかぎり同じ意義と見なせます。

こうした、意義の転成と語の意義と文での意味の関連と相違を正しく認識することは規範であるラングを言語とするソシュールパラダイム下では不可能であり、ここに見られるような混乱を来しているのは明らかではないでしょうか。

なお、「ながら」に対する時枝の注記をご参考までに記しておきましょう(『日本文法 口語篇』)。<接続助詞>の項に「ながら」「つつ」を挙げ、「ながら」について次のように述べています。

ながら  
話を聞き【ながら】、記録する。
貧しい【ながら】、良く勉強する。

「ながら」は状態の持続をいふ体言であったものが、接続の助詞に転成したものである。上と下との「ながら」には意味の相違が認められるが、それは第三者の解釈であって、話手の気持ちとしては、両者とも、「その状態に於いて」の意味に過ぎないのであろう。/

と注記しています。この、第三者の解釈とは正に意味であり、「話手の気持ち」とは語の意義ということになります。

なお、ここで「つつ」を<接続助詞>の項に挙げているのは時枝意味論の限界ということになります。先に回答の通り、「文語篇」では<限定を表わす助詞>、つまり<副助詞>としています。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「つつ」自体の意義は「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」である事実からも、(一)(二)ともに、『「つつ」自体の意義』は同じであるという根拠になります。

「ながら」の意義は同時進行だと思いますが、この同時進行の場合も『動作の反覆と継続』という要素の必然的に含まれる点がややこしいと言えばややこしい。
それを踏まえてみれば、「つつ」に同時進行の意味が必須ではないことから、「動作の反覆と継続」を(本質的意義)とする解釈は、なるほど一理あるかもしれません。
たまにはいいこと言いますな。(笑)

お礼日時:2020/06/16 19:33

No.10でコメントした者です。



 もう一度、先行質問をひきます。
【「思いつつ」と「思いながら」の違い その2】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11689262.html

 No.20のやり取りをご参照ください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> 肝心なのは〈これらを「反復」とするなら、「~ながら」にもその用法があることになります。広い意味での「状態の継続」になってしまっているのか。〉ということだと思うのですが。

質問文にも記していますが、どちらも同時進行を意味する点では同じだと思っています。
反復とは、すなわち(広義での)継続に他ならないので、両者は基本的に同じ意味を持ち得るわけです。

「つつ」の場合、その継続が「散発的な反復動作」によって成り立っているニュアンスが強いのではないだろうか、と思う次第。
「~ながら」の場合は、「散発的な反復動作」と言うよりも、「切れ目のない反復動作」といったニュアンスですかね。

このあたりのニュアンスが決定的に異なると思うわけです。

>「何度も後ろを振り返りつつ、去っていった」が「反復」のニュアンスになるのは、
1)「振り返る」が瞬間性の強い?動詞であること
2)「何度も」がついていること
 が影響しているような。
「対向車に注意を払いつつ、去っていった」なら、「状態の継続」でしょう。
 当然、「ながら」にかえても同じことです。

おそらく、要点としては、それほどの違いはないのかもしれませんが、表現を拝借するなら、
1)「何度も後ろを振り返りつつ、去っていった」
が「反復」のニュアンスになるのは、「つつ」が瞬間性の強い(逆に言うと同時進行の要素が弱い)接続助詞だから。
と考えます。
2)「対向車に注意を払いつつ、去っていった」の場合も同様です。

3)「何度も後ろを振り返りながら、去っていった」
4)「対向車に注意を払いながら、去っていった」
の場合、「反復」のニュアンスになりにくいのは、「ながら」が『瞬間性の弱い(逆に言うと同時進行の要素が強い)』接続助詞だから。

有体に申し上げるなら、振り返ったり、注意を払ったりする回数は、明らかに後者のほうが多い。
後者の場合、「去っていった」という動作と同等の焦点が、振り返ったり、注意を払ったりする動作に当てられている、ということ。

お礼日時:2020/06/22 21:09

No.12 のお礼に応えて



>>たまにはいいこと言いますな。(笑)

「たまには」→「いつも」の誤りでは?(笑)
ソッシュールパラダイムを超克しないと、こういう視点に立てません。

>>貧しいという状態を継続し【ながら】、良く勉強する。
と考えれば済む話じゃないですかね?

意志して<貧しいという状態を継続し【ながら】>とは御奇特なことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>意志して<貧しいという状態を継続し【ながら】>とは御奇特なことです。

意志してということではありません。
貧しいという状態があるのはれっきとして事実。

そういう状況の中で良く勉強する。

ということであり、それを表現すれば、結果的に、

そういう状況の中で【も】良く勉強する。

という意味にならざるを得ないわけで、
特に『意味の相違』と分類する必要はないのではないでしょう。

お礼日時:2020/06/16 21:28

>>現代語(古文ではなく)の接続助詞の「つつ」に、「反復」の意味があるのでしょうか。


(No.10)

という質問がありますが。次の例を見れば明らかでは。

つつ
(接助)
(一)前件と後件とが並行して矛盾無く行われることを表わす。〔逆接の場合は、多く「も」を伴う〕
「酒を飲み―〔=ながら〕談じる/当時をなつかしみ―〔=ながら〕酒をくみかわした/諸般の事情を考慮し―〔=て〕事業計画を立てる/成功を期待し―〔=て〕今後の経過を見守る/失礼とは知り―も〔=知っていても(あえて)〕お願いするのです」
(二)その動作・作用が現在も行われていることを表わす。
「国民生活は向上し―あるというが、それは単なる消費面でしかない」
【明解国語辞典】

「国民生活は向上し【つつ】あるというが、それは単なる消費面でしかない」

この「つつ」は、「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」で「ながら」には置き換えられません。

「酒を飲み【つつ】談じる」が「ながら」と置換可能なのは、結果としての事態が同時進行のため意味としては「ながら」と同じですが、「つつ」自体の意義は「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」で語の意義と意味を混同したものです。
これは、単なる結果論であり、後付けの解釈に過ぎません。

これが、規範としての語の意義を言語と誤認したソシュールパラダイム下の現在の言語学の限界であり、そのパラダイム下にある辞書解釈の誤りであることを以前より指摘しておりますが、理解できないようです。

皆さま、どのように判断されるのでしょうか。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「酒を飲み【つつ】談じる」が「ながら」と置換可能なのは、結果としての事態が同時進行のため意味としては「ながら」と同じですが、「つつ」自体の意義は「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」で語の意義と意味を混同したものです。

「つつ」には2通りの意味がある、と考えれば良いでしょう。
(二)が『「つつ」自体の意義』という根拠は特にありませんよね?
「ながら」との比較に際しては、(一)の意味で検討されるのが妥当でしょう。
「若いながら気がきいている」という場合の意味を「つつ」との比較に持ち出す人がいないのと同様。
『ソシュールパラダイム』は関係ありませんぞ。(笑)

お礼日時:2020/06/15 22:17

よく似た先行質問をした者です。


 そちらは本題を離れたやり取りが延々と続いているので、そろそろ仕切り直しをしようかと思っています。
 それに先立って素朴な疑問です。

 現代語(古文ではなく)の接続助詞の「つつ」に、「反復」の意味があるのでしょうか。
 もし「反復」の意味があるなら、それは「ながら」にはしにくと思います。実際には「ながら」に置きかえることができるのですから、「継続」では。
 詳しくは下記のNo.12のコメントと「お礼」をご参照ください。
【「思いつつ」と「思いながら」の違い その2】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11689262.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>  もし「反復」の意味があるなら、それは「ながら」にはしにくいと思います。実際には「ながら」に置きかえることができるのですから、「継続」では。

どちらも「同時進行」であることに変わりはないので、その意味ではどちらにも「継続」という要素は必然的に含まれるでしょうね。
むしろ、「ながら」に「反復」の要素は無かったり薄かったりする、とお考えになればスッキリするかと。

「つつ」の場合は、「同時進行」という状況の中で「反復」という動作が(ところどころで)挿入される、といったニュアンスですかね。
(ところどころで)なので、同時進行に参加する割合が少ない、ということでもあります。
お示しスレから niwa 先生の例文を拝借するなら、

  1 何度も後ろを振り返りつつ、去っていった。 
  1’ 何度も後ろを振り返りながら、去っていった。

どちらも、 
・去っていった=主
・振り返り=従
という関係性にあるのはあるのですが、「振り返りつつ」のほうが「従」の度合いがあからさまに強い、という明らかな違いがあると思います。
《「反復」ではあります。でも、これらは「~ながら」でも言えます。》
というコメントも見られますが、両動作に対する比重の掛け方が異なる、ということです。

お礼日時:2020/06/15 19:39

No.7 へのお礼に応えて



>>その付いた語の内容が幾つもあることを示すのが本義。反復・継続などの意味になる

たしかに個別の文の【意味】としては正しいのですが、「つつ」という語の本義ではなく、この語の意義と個別の文での【意味】との媒介の関係を捉えられない現在の言語学、日本語学の欠陥が露呈しているものと考えます。

>>別にそれほど目くじらを立てるほどの違いはないような気はしますがね。
まあ、そこは個々人の感覚でしょうから、好き好きでしょうけども。(笑)
いずれにせよ、そんなことでいちいち対立する値打ちはなさそうです。

上記理由で、ソシュールパラダイム内に安住する立場からは「対立する値打ちはなさそう」ということになりますが、この限界を克服すべきと考える立場からは極めて重要な論点と考えます。

>>補足の私見に同意していただいている、と解してよろしいか?(笑)

基本的に同意です。(笑)■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2020/06/15 22:02

「ながら族」という言葉が流行ったことがありましたね。

今はあまり聞きません。「つつ族」とは誰も言わないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わかりました。

お礼日時:2020/06/14 22:27

「つつ」を<接続助詞>とする現在の文法論の品詞分類が誤りです。



音楽を聴きつつある。

は、語、節の接続ではなく、「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」です。
(時枝誠記『日本文法 文語篇』では、「つつ」を<限定を表わす助動詞>に分類しています。)

「ながら」の同時動作であれば自然で、主節は「読書する」という動作であり、従属節が「音楽を聴きながら」で、「ながら族」という自然な表現になります。

「顔色をうかがいながら話す」は「ながら族」になり本来の話者の認識とは相違し、「顔色をうかがいつつ話す」が話者の認識に適合した表現ということになります。

意味とは表現と話者の認識の関係であり、語の意義と文での意味の媒介関係を正しく捉えなければなりません。

さらに、文と文章の関係も捉えないと自然な表現、適切な表現を判断することはできません。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「つつ」を<接続助詞>とする現在の文法論の品詞分類が誤りです。

音楽を聴きつつある。

は、語、節の接続ではなく、「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」です。
(時枝誠記『日本文法 文語篇』では、「つつ」を<限定を表わす助動詞>に分類しています。)

そうですか。
広辞苑などは、

[ 接続助詞 ]
主に活用語に下接して、文や節を下の文・節に接続し、条件・並列などの意を表す助詞。

とした上で、

[ つつ ]
(接続助詞)(動詞および動詞型活用の語の連用形に付く。その付いた語の内容が幾つもあることを示すのが本義。反復・継続などの意味になる)

と記しています。

語、節に接続することで「動作の反覆と継続を云ひ表したもの」

と捉えれば、別にそれほど目くじらを立てるほどの違いはないような気はしますがね。
まあ、そこは個々人の感覚でしょうから、好き好きでしょうけども。(笑)
いずれにせよ、そんなことでいちいち対立する値打ちはなさそうです。

>「ながら」の同時動作であれば自然で、主節は「読書する」という動作であり、従属節が「音楽を聴きながら」で、「ながら族」という自然な表現になります。

「つつ」では、そうした意図が表現できない、ということですね。
補足の私見に同意していただいている、と解してよろしいか?(笑)

お礼日時:2020/06/14 22:26

No.5です。

 100人もいれば、20人30人は、別の感覚で言葉を感じるでしょうから、どれが自然というようなことは言えないと思います。

> 補足をご覧いただきたいのですが、[D 電話で話しつつ、テレビを見ている]という例文の場合も、
> 「電話で話す」という動作が「テレビを見る」という動作に真剣に寄り添っていない。 と言うことはできませんか。

>> と記しましたが、これは「つつ」には同時進行の要素が「ながら」に比べて薄い、ということでもあります。
>> 表現を変えるなら、「音楽を聴き」という動作が「読書する」という動作に真剣に寄り添っていない。(のではないか)ということ。


「ながら」の用例で、次のようなのが多いと感じます。
❶ 泣きながら~~した  ❷ メシを食いながら~~する ❸ 伝統を守りながら~~していく
100人もいれば、20人30人は、別の感覚でしょうから、なんとも言えませんが、これらの用例では、「~~する・した・していく」がメインで述べたいことであって、その実行の状況や考慮要件、with in onなどの付帯的なことを「ながら」の前に述べているように想います。 (C1,C2に記したように、逆の場合もあると想います) メインの表出があるというように感じるのであれば、他方は「サブ・状況に過ぎない・考慮条件に過ぎない」ということ≒「真剣に寄り添っていない」とも言えるでしょう。 泣く、食う、伝統を守るなどに鋭意やる気はなくて、それもなかなか捨てられないし、諦める気もないというようなことかも知れません。
でも、人には表向きの言語表出はおおくて、「お元気そうでなによりです」とか「ええ、頑張ってます」をそのままに受け取るものではなく、諸般の事情を考慮して言葉を解釈しますから、  ③ 「伝統を守りながら時代にあわせて挑戦していく」と店主が説明しても、実は、これまで通りをほとんど習慣的に続けていっているだけで、伝統を守る気概もなければ、挑戦の試みもないなんてことは多いです。 また、「私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ」という当人の先週の状況を調べると読書もしてないし、テレビやネットでコロナ騒ぎのネタを見ているだけの時間が多かったりして、何が趣味なんだ?てことは多いです。 趣味や自分の行動特性についての開示の言は、そもそもが実態を表すというよりは、プレゼンしたいイメージを表現しているだけということが多いと思います。 当人は、「ながら」であろうが「つつ」だろうが、その実態や表現の細部にさほどの興味関心はなく、当人が使い慣れた表現フレーズを述べているに過ぎないでしょう。


> D 電話で話しつつ、テレビを見ている    という例文の場合も、 テレビを見ているが、時折、電話での話に戻る。
> C 電話で話しながら、テレビを見ている   の場合は、      電話での話を続けながら、テレビからも目を離さない状態。

「人間が同時進行でパラレルにやっているように見えることも、時間区切りを0.05秒間隔で見れば、切れ切れに切換えているのだ」と見なすならば、TV/電話/TV/電話/TV/電話/TV/電話/ となっているハズだという見方も可能です。 しかしながら、会話や討論で相手の言を聞き理解し先の展開を予見し、自分の弁に方針を考え相手の反応を考慮しつつ発言のタイミングを図るというように、同時パラレルにできることは多いです。歩きスマホでも、会話しながらの自動車運転も、格闘技の最中も攻守や見せ場を意識するというようなことはします。歌を口ずさみながら数学の問題を解くこともできます。 
政府の大臣なら、質問をききながら役人が差し出すメモを見つつテレビ映りも気にするくらいのことはします。 
《{時折メモを見たり、テレビの映りを気にしたりが時々混じるだけなのだから、この場合、「質問をききながら」を使うよりは、「質問をききつつ」を使う方が、「より適切」と考える}という人が、100人中で60人以上はいそうだ》とは、私は想いません。
人は十人十色で、しかも状況次第で、言葉を変えて使うし、意味を別の側面でとらえるから、どれが自然で、ポピュラーなのかを細かくいうことはできないと思います。 ただ 「つつ」は、「小型軽量化と強度アップを共に図りつつ」のように、同時性と同等性を兼ね合わせて追求するときに多く使われることが多いので、一つの行為に力点があり他方は状況的/付随的なものに過ぎないときには、「つつ」を使うよりは、「ながら」を使うケースが多いように想います。 (もちろん、「小型軽量化と強度アップを共に図りながら」のようにのように使う人も、大勢いると想います)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2020/06/13 21:47

言葉の使い方は、地方差もあるし、社会状況や話している状況の差も影響することがあるし、話者の個人経歴も影響するので、微妙になるケースは多いです。


AがBよりも自然であると、一概に言えるものではないでしょう。

A 回りを気にしながらマスクを外す
B 回りを気にしつつマスクを外す
の2つのケースについて、どのような状況であろうかと推定すると、
Aではマスクを外す本人はびくついている、Bではあえて外す決意をもっている、ように、感じます。

C 電話で話しながら、テレビを見ている
D 電話で話しつつ、テレビを見ている
C1では電話は適当に応対しおしゃべりし、気持はテレビに向いてしまっている
C2では電話は適当に応対しおしゃべりし楽しんでいるが、目線はなんとなく画面に向いている
Cは 2つの行為に主従、メイン&サブがある感じがする
Dでは2つの行為をともに頑張ってやっている、意志的なものを感じる

E 私は音楽を聴きながら読書するのが趣味だ
F 私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ
おんなじだということもあるのでしょうが、
Eは バックグラウンドが無音や騒音でなく、お気に入りの音楽を流している空間で読書をするのが"趣味?"と言っている感じがします。
Fは 複数の行為をパラレルに実行すること、特に"音楽を聴く"&"書物を読む"の同時実行のパフォーマンスを趣味?にしていると《誇らしげに宣言》している感じがします。
なお、音楽を傾聴するのではなく、イージーリスニング、バックグラウンドミュージックで流すのを「きく」場合は、「聞く」か「聴く」か、それだって、なんとも言えないです。 https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/gimo …

もちろん、ただの口癖、あるいは言語習慣で、ながらを多用し、つつは滅多に使わない人もいるでしょうし、スポーツの解説で「走者の動きを見つつ捕球動作に入る」に、違和感や文語的印象を受けることは少ないのではないかと想像します。 
それにしたって、100人もいれば、20人30人は、別の感覚で言葉を感じルでしょうから、どれが自然というようなことは言えないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

興味深い検証をしていただいてますね。
たいへん参考になります。

>Aではマスクを外す本人はびくついている、Bではあえて外す決意をもっている、ように、感じます。

そうですね。
「ながら」のほうが同時進行の要素が徹底されているニュアンスがあるので、マスクを外す間中、ずっとびくついている、といった印象になるのでしょう。
「つつ」のほうは、同時進行の要素が薄く、「回りを気にし」と「マスクを外す」という動作が独立して行われているニュアンスでしょうか。
むろん、お言葉を拝借すればパラレルに連関はしているわけですが。

補足をご覧いただきたいのですが、

D 電話で話しつつ、テレビを見ている

という例文の場合も、

「電話で話す」という動作が「テレビを見る」という動作に真剣に寄り添っていない。

と言うことはできませんか。
我田引水の誹りは免れませんが、実にしっくりくる。(笑)

テレビを見ているが、時折、電話での話に戻る。

といったニュアンス。

C 電話で話しながら、テレビを見ている

の場合は、ほぼ完全に同時進行。
電話での話を続けながら、テレビからも目を離さない状態。

お礼日時:2020/06/12 23:17

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