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の関連質問です。
「ながら」と「つつ」の違いについて、「文語的」「文章語的」といったご回答を得ました。
他の方々も合わせ、それ以外の違いはない、とおっしゃる方が多いようです。
しかし、完全に言い換えができるとは思っておられないようでもある。
完全に言い換えができないのなら、当然、違いが無ければなりません。
前質問での#3さんご回答をもとに、

1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。

は不自然な日本語であり、

2.私は音楽を聴きながら読書するのが趣味だ。

のように表現すべきである。
とする理由について、下記のように考えます。
諸賢のご感想をお聞かせいただけるなら幸いです。


どちらも同時進行を意味するが、「つつ」の場合は継続・反復の要素に重点が置かれる。
そのため、

1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。

という文は、

「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする(繰り返す)のが趣味だ。

といったニュアンスになってしまうため不自然である。

質問者からの補足コメント

  • 1.私は音楽を聴きつつ読書するのが趣味だ。
    という文は、
    「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする(繰り返す)のが趣味だ。
    といったニュアンスになってしまうため不自然である。

    と記しましたが、これは「つつ」には同時進行の要素が「ながら」に比べて薄い、ということでもあります。
    表現を変えるなら、

    「音楽を聴き」という動作が「読書する」という動作に真剣に寄り添っていない。(のではないか)

    ということ。
    このように解釈すると、「つつ」と「ながら」の差異に対する理解は飛躍的に?伸びるような気がするのですけどね。
    また、それは我々の無意識ともいえる感性として腑に落ちる感覚ではないかと思う次第。
    さらなるご見解をお待ちすることにいたしましょう。

      補足日時:2020/06/12 22:59
  • >なお、「ながら」に対する時枝の注記をご参考までに記しておきましょう(『日本文法 口語篇』)。<接続助詞>の項に「ながら」「つつ」を挙げ、「ながら」について次のように述べています。

    ながら  
    話を聞き【ながら】、記録する。
    貧しい【ながら】、良く勉強する。

    「ながら」は状態の持続をいふ体言であったものが、接続の助詞に転成したものである。上と下との「ながら」には意味の相違が認められるが、それは第三者の解釈であって、話手の気持ちとしては、両者とも、「その状態に於いて」の意味に過ぎないのであろう。/

    興味深い内容です。
    ただ、

    貧しいという状態を継続し【ながら】、良く勉強する。

    と考えれば済む話じゃないですかね?
    「貧しい」と「良く勉強」が両立しづらい要素であるため、結果的に『意味の相違が認められる』ということかと。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/06/16 19:47

A 回答 (14件中11~14件)

ほとんどの場合どちらを使っても意味は同じですが、「つつ」よりも「ながら」の方が、よりその行動もしていたんだと強調している印象を受けたりもします。


ですが、基本は硬さの違いくらいしか感じません。

顔色を伺いつつ→適宜(時々)顔色を伺いながら

顔色を伺いながら→その行動をすると同時に顔色も伺っていたんだということを「つつ」を使った時よりも強調したいんだなぁと感じられます。
※ずっと顔を見続けているという意味にも受け取れますが、常識的に考えてそんなことはないでしょう。
※「つつ」でもずっと顔を見続けているという意味にとることもできなくはないです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>顔色を伺いつつ→適宜(時々)顔色を伺いながら

顔色を伺いながら→その行動をすると同時に顔色も伺っていたんだということを「つつ」を使った時よりも強調したいんだなぁと感じられます。

そういう感じを受けますか。
私だけかと思ってましたが、少し安心しました。(笑)

>※ずっと顔を見続けているという意味にも受け取れますが、常識的に考えてそんなことはないでしょう。

はい。
実際に顔を見続けるというより、「相手の機嫌がどうなのか、頻繁に気にしながら話す」といった意味で使いたい場合は、やはり「ながら」ですね。
「つつ」の場合、「話すという動作=主」で「気にするという動作=従」という印象。

>「つつ」でもずっと顔を見続けているという意味にとることもできなくはないです。

なるほど。
とはいえ、「ながら」のほうがずっと顔を見続けているという意味が強い感じがする、ということですね。

お礼日時:2020/06/12 22:35

No.1です。



「顔色をうかがいながら話す」
「顔色をうかがいつつ話す」

 私にはどちらも自然な日本語に感じます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

たびたび恐縮です。
わかりました。

お礼日時:2020/06/12 22:15

「ながら」「つつ」のどちらでも



「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする」

の意味を持ちますし、

「同時に行う」

意味も持っています。

何が違うかというと、ほんの少し「つつ」の方が硬い感じがしますね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わかりました。

「ながら」の場合は、「同時に行う」だけで、
「音楽を聴いては読書をし、一旦、それらの動作を休止したあと、またしばらくしたら音楽を聴き出しては読書をする」といったことをする」
のように、何度も同じ動作をやったりやめたりするという意図は無いと思ったのですが、どちらも同じに感じるわけですね。

因みに、

「顔色をうかがいながら話す」
「顔色をうかがいつつ話す」
の場合も、両方自然な表現に感じますか?

お礼日時:2020/06/12 17:31

私はどちらも特に不自然とは感じません。

前の質問の中で回答がある通り、「ながら」の方が口語的で友達などとの会話の中ではこちらが普通だと思いますが、例えばスピーチのような場面や、書き言葉であれば「つつ」でも何も問題ないと思います。辞書(Weblio)にも 「一方の動作と同時に他の動作も行われることを表す。…ながら。 」とあり、「つつ」と「ながら」は同じとしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わかりました。
因みに、

「顔色をうかがいながら話す」
「顔色をうかがいつつ話す」
の場合も、両方自然な表現に感じますか?

お礼日時:2020/06/12 17:27

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