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初級古文の質問です。

学校で習う古文で室町時代のだけが無いのはどうしてですか?

習うものは平安時代の文が多いのですが、それが読めても室町時代とか江戸時代の文は読めないのですか?

質問者からの補足コメント

  • ご丁寧にありがとうございます。基本は平安なんですね。変な質問ですが、もし室町時代後期の人が平安時代にタイムスリップして会話してもお互い何言ってるのか分からないってことですか??

      補足日時:2020/06/14 16:26
  • 誠にありがとうございます。ちなみに室町時代の人は文を書く時は平安ぽく書くというのが不思議なんですがどういう理由ですか?
    それは和歌とか物語みたいな作品以外の、例えばちょっと知り合いに手紙を書くような時でも平安ぽく書いたってことですか?

      補足日時:2020/06/14 16:53
  • ご意見ありがとうございます。室町時代は戦乱の世になって文芸、芸術どころではなくなってしまったから。という理由は考えられませんか?普通、後の時代の方が技術的には洗練されるものではないのですか?

      補足日時:2020/06/17 17:06
  • 皆さま素晴らしいご回答ばかりでベストアンサーはつけられません。ありがとうございます!

      補足日時:2020/06/23 22:14

A 回答 (10件)

No.2&3&5です。



>室町時代は戦乱の世になって文芸、芸術どころではなくなってしまったから。という理由は考えられませんか?

貴族中心の都の文化については、そういう側面もあるかもしれません。ですが、その代わりに地方の武士や戦国大名が台頭する時代でもあります。戦国大名の中には、地方文化を花開かせた者もいます。ただ「地方」ということで、あまり顧みられなかった部分もあったりします。
また、室町時代は、能や狂言、茶道といった現代の我々が「日本らしい文化」と感じる文化が発生・確立した時代です。能は、古典を踏まえた韻文で、韻文ならではの表現がふんだんにあり、高校生までの古文の知識で理解するにはちょっと難しいです。狂言は日常の口語なので、これも高校までの古典文法では解釈できません。むしろ現代語に近いので、古語と現代語の橋渡し的作品にはなりますが、品詞分解など丁寧にやろうとすると、かえって難しいです。
また、室町時代は五山僧による「五山文学」が盛んだった時代ですが、漢籍ベースなので、古文の学習からは離れてしまいます。また、抄物(しょうもの)と呼ばれる古典籍の注釈書などもたくさん作られましたが、注釈書を高校でやるのは難しいです。
室町時代の作品はマイナーですが、国語の歴史では古代語から近代語に移行する時代の重要な作品なので、大学の国文科では扱うことが多いジャンルです。

>普通、後の時代の方が技術的には洗練されるものではないのですか?

そうとは限りません。ある時代にピークを迎えた作品があると、後の時代の人がそれをお手本として「まねる」ことは、どの時代にもあります。模倣がオリジナルを超えるというのは、なかなかないことです。越えようとしてオリジナリティを求めたがために、奇妙なトンデモ設定に「イロモノ作品」なってしまう、なんてこともあります。
名作と呼ばれる作品が生まれて、それによく似た二番煎じはたくさん作られても、過去の名作を超えるものはなかなか出てこない、というのは、現代の漫画や娯楽小説でも思い当たるのではありませんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!助かります!

お礼日時:2020/06/23 22:18

>平安ぽく書く



平安時代の文章を手本として書くと言うことです。
平安貴族は当時最高級とされた中国文化の輸入を成し遂げそれを練り上げて国風の文化を完成させました。いわば文化の頂点を誇っていました。それゆえその呪縛から逃れることはできず、長い間言葉の手本とされたのです。

>例えばちょっと知り合いに手紙を書くような時でも
メモ書きみたいなものは当然当時の言葉です。あなたも友人にメールするときと、公的な文章を書くときでは緊張感が違うでしょう。緊張するのは「伝統時な文章規範」からなるべく外れないようにと頑張るからではありませんか?

補足に或る時代の人間と、他の時代の人間はどの程度相互理解ができるか、という質問がありました。前の回答No.7はそれに対する回答です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:18

いろいろな回答がなされていますが、


>学校で習う古文で室町時代のだけが無いのはどうしてですか?
初級古文では手に負えない内容ですかね。

>習うものは平安時代の文が多いのですが、
先の回答者たちの回答にもあるように、平安時代の文法や文章法が基本になっているから、初級に適している。

>それが読めても室町時代とか江戸時代の文は読めないのですか?
今、現在は活字ですが、当時に活字はなく、毛筆で書かれています。
それも草書・万葉仮名などですから、そういうものに精通していないと読めないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:18

人間が生地を離れ自由に移動する、そして言語や文化の混交が盛んに行われメディアが発達し、結果として一世代30年もすると生まれた頃とは全く違った言語・文化の中で死んで行かざるを得ない、と言うような状況は、ほんの近年のことです。

今後はこの傾向はもっと強くなるでしょう。江戸人と室町人は精神的には非常に近く、現代人と戦前人とはかなり遠い、そんな気がするし、あと30年ほどしたら世代間の距離はもっと遠くなるに違いないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:19

室町の代表的な文学作品 


  『太平記』未詳/ 軍記
1352年頃『神道集』未詳/ 説話集・神道書
1356年『菟玖波集』二条良基/ 准勅撰連歌撰集
1359年『空華集』義堂周信/ 漢詩
1360年頃『井蛙抄』頓阿/ 歌論
1361年頃『曽我物語』未詳/ 軍記物語
1362年『河海抄』四辻善成/ 注釈
1376年以前『増鏡』未詳/ 歴史
1381年『仙源抄』長慶天皇/ 注釈
1381年『新葉和歌集』宗良親王/ 准勅撰和歌集
1397年『珊瑚秘抄』四辻善成/ 注釈
1400年『風姿花伝』世阿弥/ 能
1402年『難太平記』今川了俊/ 史書
1403年『蕉堅藁』絶海中津/ 漢詩
1411年頃『義経記』未詳/ 軍記物語
1430年『申楽談儀』観世元能/ 能
1432年『源氏物語提要』今川範政/ 注釈
1432年『正徹物語』正徹/ 歌論
1439年『新続古今和歌集』/ 後花園天皇勅令/ 勅撰和歌集
1453年『源氏物語年立』一条兼良/ 注釈
1456年頃『東野州聞書』東常縁/ 歌論
1463年『ささめごと』心敬/ 連歌
1467年『吾妻問答』宗祇/ 連歌
1472年『花鳥余情』一条兼良/ 注釈
1473年以降『応仁記』未詳/ 軍記物語
1476年『竹林抄』宗祇/ 連歌
1481年以前『狂雲集』一休宗純/ 漢詩
1488年『水無瀬三吟百韻』宗祇・肖柏・宗長/ 連歌
1495年『新撰菟玖波集』一条冬良・宗祇/ 准勅撰連歌撰集
1499年『種玉編次抄』宗祇/ 注釈
1504年『弄花抄』三条西実隆/ 注釈
1506年『梅花無尽蔵』万里集九/ 漢詩
1510年『細流抄』三条西実隆/ 注釈
1512年以降『禅鳳雑談』金春禅鳳/ 能
1516年『後奈良天皇御撰名曾』後奈良天皇/ 言語遊戯
1518年『閑吟集』未詳/ 歌謡
1524年以降『新撰犬筑波集』山崎宗鑑/ 俳諧連歌
1540年『守武千句』荒木田守武/ 俳諧連歌
1575年『孟津抄』九条稙通/ 注釈
1585年『連歌至宝抄』里村紹巴/ 俳諧連歌
1593年『天草版伊曽保物語』不干斎巴鼻庵訳/ 寓話
1598年『岷江入楚』中院通勝/ 注釈
   『初瀬物語』未詳/ 物語
 以上のような状態で、鎌倉時代の「平家物語」「方丈記」「徒然草」のような親しまれた作品はありません。強いて言えば「連歌集」「俳諧連歌集」「太平記」(軍記物語)「増鏡」(歴史物語)
「能楽」(謡曲)「狂言」あたりでしょうか。いずれにしろ、この時代から日本語の近代語化(特に活用)がおこり、更に京都室町に幕府を開いた足利氏の勢力が衰えるとともに、全国各地に豪族が次々と興り、戦争で相手を倒す「戦国時代」に入っていきます。徳川氏によって全国統一されて、元禄時代にやっと、芭蕉・西鶴・近松の三大文豪が、江戸文学の花を咲かせます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:19

No.2&3です。

追加の補足を読みました。
当時は、文語≒書き言葉と、口語≒話し言葉は、別のものという認識だったのです。というか、日本では戦後の国語改革まで、文語と口語は別、という認識で、戦前の文章は(平安時代とまではいかなくても)古い文法で書くのが「決まり」だったのです。
現代だって、部分的にその名残はあります。例えば正式な手紙とか、レポートや論文、公式の報告書のような文章では、話し言葉とは違う、硬い文体で書きますよね。口頭ではら抜きで「食べれる」と言っている人でも、正式な文章を書くときには「食べられる」と書きます。それのもっと極端なスタイルだったのです。
それはなぜかというと、鎌倉時代頃に、平安時代の文章がお手本・権威として確立したからで、それ以降の時代は、文章を読み書きするような教養のある人は、平安時代の文章に基づく教養があって、それを読み書きできることが良しとされたのです。あくまでもそれは「書き言葉の世界」であって、話し言葉とは別のルールがあったということです。
「ちょっとした知り合いに手紙を書くような時」ですが、往来物という、手紙の形式を取った文章のお手本が平安時代から明治時代まで、脈々と続いていきます。そういうのを見れば、当時、どういう文章が模範とされたかわかります。本当のメモ書きのような書付は別かもしれませんが(そもそも、そういうメモ書きは後の時代まで残らないことが多い)、手紙もまた「書き言葉」の世界ですから、文語のルールが適用されます。
もっとも、明治時代頃の有名人の手紙を見ると、相手によってかなり文体を使い分けていますね。TPOに合わせて、ということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:19

細かいことになると、古語辞典のようなものが必要になるでしょう。

現に節用集なるものがありました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E7%94%A8 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:19

No.2です。

補足を読みました。
方言の問題は無視するとして、室町時代の都の人がタイムスリップしたとして、平安時代の都の人と会話が成り立つかというと、少なくとも室町時代の人の口頭語については、平安時代の人は理解できない部分が結構あると思います。発音も文法も語彙も、だいぶ変化しているので。
じゃあ室町時代の人が平安時代の人の口頭語を理解できるかと言えば、室町時代には失われてしまった発音や語彙などもあるので、やはり難しいと思います。とはいえ、平安時代の言葉は、教養ある人ならば文語・文章語として知っていますので、「いまは平安時代で、この人達は(室町時代の人にとっての)文章語で話しているのだ」ということを認識して、文章語の知識をフル動員すれば、それなりに意思疎通できるようになるかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:20

日本の古典文法や古典文学の形式は、平安時代に確立しました。

鎌倉時代以降、日常の高騰後は文法や発音が変化していきますが、文章語の文法や、文学作品は、平安時代の形式を模範として、それを踏襲しました。
高校までに学んでおくべき古典文学の代表作と言えば、平安時代~鎌倉時代初期のもの、となるのです。

また、室町時代以降の作品になると、平安時代の文法を踏襲しているとは言え、部分的に変化した要素が見え隠れするようになり、平安時代の文法や語彙の知識では処理しきれない箇所が出てきます。そこまでを高校までの古典学習でカバーするのは、時間的にも無理があります。
平安時代以前の、奈良時代の万葉集も学校では習うはずですが、文法が平安時代とは違うので、少ししかやらない上に、「奈良時代固有の助動詞」などという注釈がたくさん付きますよね。それと同じです。
高校では江戸時代の作品(芭蕉、近松、西鶴)にも触れることがあると思いますが、「奥の細道」は江戸時代の口語ではなく、古い時代の文法で書かれた文語です。近松や西鶴の作品になると、江戸時代の言葉が結構入ってきますが、その分、教科書には注釈がたくさん付いているはずです。

あと、高校の国語総合でも、教科書によっては「閑吟集」(1518年成立)を収録しているのがあるので、室町時代のものをまったくやらないというわけでもありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:20

古文は平安時代に完成し、それがお手本として延々と受け継がれて来ました。

ですから平安時代よりも後に書かれた作品は、その作者や読者が普段使う言葉で書かれたものではなく、過去の物語から学んだ平安時代の言葉によって書かれていました。つまり文学史用語で言うところの「擬古文」というものでした。室町時代にも作品はないわけではありませんが、自らの言葉で書かれていない分、個性に乏しくみずみずしい実感も感じられません。教科書には姿を見せませんね。

>習うものは平安時代の文が多いのですが、それが読めても室町時代とか江戸時代の文は読めないのですか?

室町時代までのものは、問題なく読めます。また江戸時代も擬古文形式は継続していますが、それとは別にこの時代は町人階級の台頭が見られ、彼らの内面を描く作品が生まれており、貴族のものである古文とは趣が異なります。語彙や文法事項も擬古文とは異なることもあるため多少の読み慣れが必要で、そのために代表的な作品、西鶴、近松などを学習することになっているはずです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2020/06/23 22:20

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